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時間は少し戻る。ちょうど、リリアーナ達が王宮内に到着した頃。
パキャァアアアアン!!
「ッ!? 一体なにっ!?」
ガラスが砕かれるような不快な騒音に、自室で就寝中だった八重樫雫は、シーツを跳ね除けて枕元の黒刀を手に取ると一瞬で臨戦態勢を取った。明らかに、普段から気を休めず警戒し続けている者の動きだ。
「……」
しばらくの間、抜刀態勢で険しい表情をしながら息を潜めていた雫だったが、室内に異常がないと分かると僅かに安堵の吐息を漏らした。
雫が、ここまで警戒心を強めているのは、ここ数日、顔を合わせることの出来ないリリアーナと愛子の事が引っかかっているからだ。
少し前から、王宮内に漂う違和感には気がついていた。あの日、愛子が帰還した日に、夕食時に重要な話があるといって別れたきり姿が見えない事で、愛子の身に何か良くない事が起きているのではとも疑っていた。
当然、二人の行方を探し、イシュタルから愛子達は総本山で異端審問について協議しているというもっともらしい話を聞き出したのだが、直接会わせてもらうことは出来なかった。なお食い下がった雫だったが数日後には戻ってくると言われ、またリリアーナの父で国王でもあるエリヒドにも心配するなと言われれば、渋々ではあるが一先ず引き下がるしかなかった。
雫は、音もなくベッドから降りると、数秒で装備を整えて慎重に部屋の外へ出た。香織がハジメと共に旅に出てから雫は一人部屋だ。廊下に異常がないことを確かめると、直ぐに向かいの光輝達の部屋をノックした。
扉はすぐに開き、光輝が姿を見せた。部屋の奥には龍太郎もいて既に起きているようだ。どうやら、先程の大音響で雫と同じく目が覚めたらしい。
「光輝、あなた、もうちょっと警戒しないさいよ。いきなり扉開けるとか……誰何するくらい手間じゃないでしょ?」
ここ数日、雫が王宮内の違和感や愛子達のことで、「何かがおかしい、警戒するべきだ」と忠告をし続けているのだが、光輝も龍太郎も考えすぎだろうと余り真剣に受け取っていなかった。
「そんな事より、雫。さっきのは何だ? 何か割れたような音だったけど……」
「……わからないわ。とにかく、皆を起こして情報を貰いに行きましょう。何だか、嫌な予感がするのよ……」
雫はそれだけ言うと、踵を返して他のクラスメイト達の部屋を片っ端から叩いていった。ほとんどの生徒が、先程の破砕音で起きていたらしく集合は速やかに行われた。不安そうに、あるいは突然の睡眠妨害に迷惑そうにしながら廊下に出てきた全生徒に光輝が声を張り上げてまとめる。
と、その時、雫と懇意にしている侍女の一人が駆け込んで来た。彼女は、家が騎士の家系で剣術を嗜んでおり、その繋がりで雫と親しくなったのだ。
「雫様……」
「ニア!」
ニアと呼ばれた侍女は、どこか覇気に欠ける表情で雫の傍に歩み寄る。いつもの凛とした雰囲気に影が差しているような、そんな違和感を覚えて眉を寄せる雫だったが、ニアからもたらされた情報に度肝を抜かれ、その違和感も吹き飛んでしまった。
「大結界が一つ破られました」
「……なんですって?」
思わず聞き返した雫に、ニアは淡々と事実を告げる。
「魔人族の侵攻です。大軍が王都近郊に展開されており、彼等の攻撃により大結界が破られました」
「……そんな、一体どうやって……」
もたらされた情報が余りに現実離れしており、流石の雫も冷静さを僅かばかり失って呆然としてしまう。。
「……大結界は第一障壁だけかい?」
そんな中、険しい表情をした光輝がニアに尋ねる。王都を守護する大結界は三枚で構成されており、外から第一、第二、第三障壁と呼び、内側の第三障壁が展開規模も小さい分もっとも堅牢な障壁となっている。
「はい。今のところは……ですが、第一障壁は一撃で破られました。全て突破されるのも時間の問題かと……」
ニアの回答に、光輝は頷くと自分達の方から討って出ようと提案した。
「俺達で少しでも時間を稼ぐんだ。その間に王都の人達を避難させて、兵団や騎士団が態勢を整えてくれれば……」
光輝の言葉に決然とした表情を見せたのはほんの僅か。雫や龍太郎、鈴、永山のパーティーなど前線組だけだった。
ならば俺達だけでもと、より一層心を滾らせる光輝に、意外な人物、中村恵里が待ったをかけた。
「待って、光輝くん。勝手に戦うより、早くメルドさん達と合流するべきだと思う」
「恵里……だけど」
「ニアさん、大軍って……どれくらいかわかりますか?」
「……ざっとですが十万ほどかと」
その数に、生徒達は息を呑む。
「光輝くん。とても私達だけじゃ抑えきれないよ。……数には数で対抗しないと。私達は普通の人より強いから、一番必要な時に必要な場所にいるべきだと思う。それには、メルドさん達ときちんと連携をとって動くべきじゃないかな……」
大人しい眼鏡っ子の恵里らしく控えめな言い方ではあるが、瞳に宿る光の強さは光輝達にも決して引けを取らない。そして、その意見ももっともなものだった。
「うん、鈴もエリリンに賛成かな。さっすが鈴のエリリンだよ! 眼鏡は伊達じゃないね!」
「眼鏡は関係ないよぉ……鈴ぅ」
「ふふ、私も恵里に賛成するわ。少し、冷静さを欠いていたみたい。光輝は?」
女子三人の意見に、光輝は逡巡する。しかし、普段は大人しく一歩引いて物事を見ている恵里の判断を、光輝は結構信頼している事もあり、結局、恵里の言う通りメルド達騎士団や兵団と合流することにした。
光輝達は、出動時における兵や騎士達の集合場所に向けて走り出した。すぐ傍の三日月のように裂けた笑みには気づかずに……
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
光輝達が、緊急時に指定されている屋外の集合場所に訪れたとき、既にそこには多くの兵士と騎士が整然と並び、前の壇上にはハイリヒ王国騎士団副団長のホセ・ランカイドが声高に状況説明を行っているところだった。月光を浴びながら、兵士達は、みな青ざめた表情で呆然と立ち尽くし、覇気のない様子でホセを見つめていた。
と、広場に入ってきた光輝達に気がついたホセが言葉を止めて光輝達を手招きする。
「……よく来てくれた。状況は理解しているか?」
「はい、ニアから聞きました。えっと、メルドさんは?」
「団長は、少し、やる事がある。それより、さぁ、我らの中心へ。勇者が我らのリーダーなのだから……」
ホセは、そう言って光輝達を整列する兵士達の中央へ案内した。居残り組のクラスメイトが、「えっ? 俺達も?」といった風に戸惑った様子を見せたが、無言の兵達がひしめく場所で何か言い出せるはずもなく流されるままに光輝達について行った。
そして、光輝達が、ちょうど周囲の全てを兵士と騎士に囲まれたとき、ホセが演説を再開した。
「みな、状況は切迫している。しかし、恐れることは何もない。我々に敵はない。我々に敗北はない。死が我々を襲うことなど有りはしないのだ。さぁ、みな、我らが勇者を歓迎しよう。今日、この日のために我々は存在するのだ。さぁ、剣をとれ」
兵士が、騎士が、一斉に剣を抜刀し掲げる。
「始まりの狼煙だ。注視せよ」
ホセが 懐から取り出した何かを頭上に掲げた。彼の言葉に従い、兵士達だけでなく光輝達も思わず注目する。
そして……
カッ!!
光が爆ぜた。
そして、次の瞬間……
ズブリッ
そんな生々しい音が無数に鳴り、
「あぐっ?」
「がぁ!」
「ぐふっ!?」
次いで、あちこちからくぐもった悲鳴が上がった。
先程の、光に驚いたような悲鳴ではない。苦痛を感じて、意図せず漏れ出た苦悶の声だ。そして、その直後に、ドサドサと人が倒れる音が無数に聞こえ始める。
そして、閃光が収まり、回復しだした視力で周囲を見渡した雫が見たのは、クラスメイト達が全員、背後から兵士や騎士達の剣に貫かれた挙句、地面に組み伏せられている姿だった。
「な、こんな……」
「あらら、流石というべきかな? ……ねぇ、雫?」
「え? えっ……何をっ!?」
そう、瀕死状態のクラスメイト達が倒れ伏す中、たった一人だけ平然と立っている生徒がいたのだ。その生徒は、普段とはまるで異なる、どこか粘着質な声音で雫に話しかける。余りに雰囲気が変わっているため、雫は言葉を詰まらせつつ反射的に疑問を投げ掛けようとした。
その瞬間、再び、雫の背後から一人の騎士が剣を突き出してきた。
「くっ!?」
よく知る相手の豹変に動揺しつつも、やはり辛うじてかわす雫に、その生徒は呆れたような視線を向ける。
「これも避けるとか……ホント、雫って面倒だよね?」
「何を言ってッ!」
更に激しく、そして他の兵士や騎士も加わり突き出される剣の嵐。雫は、それらも全て凌ぐが、突然、自分の名が叫ばれてそちらに視線を向ける。
「雫様! 助けて……」
「ニア!」
「ニア、無事?」
「雫様……」
倒れ込んでいるニアを支え起こしながら、周囲に警戒の眼差しを向ける雫。
そんな雫の名を、ニアはポツリと呟き両手を回して縋りつく。
そして、
……雫の背中に懐剣を突き立てた。
「あぐっ!? ニ、ニア? ど、どうして……」
「……」
「アハハハ、流石の雫でも、まさかその子に刺されるとは思わなかった? うんうん、そうだろうね? だから、わざわざ用意したんだし?」
背中に感じる灼熱の痛みと、頬に感じる地面の冷たさに歯を食いしばりながら、雫は、ニアも他の正気でない兵士達と同じく何かをされたのだと悟る。そして、認めたくはないが、この惨状を作り出したであろう、今も、ニヤニヤと普段では考えられない嫌らしい笑みを浮かべる親友の名を呼んだ。
「どういうこと…なの……恵里」
そう、その人物は、控えめで大人しく、気配り上手で心優しい、雫達と苦楽を共にしてきた親友の一人、中村恵里その人だった。
恵里は、雫の途切れがちな質問には答えずに、何がおかしいのかニヤニヤと笑いながら光輝の方へ歩み寄った。そして、眼鏡を外し、光輝の首に嵌められた魔力封じの一つである首輪をグイっと引っ張ると艶然と微笑む。
「え、恵里…っ…一体…ぐっ…どうしたんだ……」
雫達幼馴染ほどではないが、極々親しい友人で仲間の一人である恵里の余りの雰囲気の違いに、体を貫く剣の痛みに堪えながら必死に疑問をぶつける光輝。だが、恵里はどこか熱に浮かされたような表情で光輝の質問を無視する。
そして、
「アハ、光輝くん、つ~かま~えた~」
そんな事を言いながら、光輝の唇に自分のそれを重ねた。妙な静寂が辺りを包む中、ぴちゃぴちゃと生々しい音がやけに明瞭に響く。恵里は、まるで長年溜め込んでいたものを全て吐き出すかのように夢中で光輝を貪った。
光輝は、わけがわからず必死に振りほどこうとするが、数人がかりで押さえつけられている上に、魔力封じの枷を首輪以外にも、他の生徒達同様に手足にも付けられており、また体を貫く剣のせいで力が入らずなすがままだった。
やがて満足したのか、恵里が銀色の糸を弾きながら唇を離す。そして、目を細め恍惚とした表情で舌舐りすると、おもむろに立ち上がり、倒れ伏して血を流す生徒達を睥睨した。苦悶の表情や呆然とした表情が並んでいる。そんな光景に満足気に頷くと、最後に雫に視線を定めて笑みを浮かべた。
「とまぁ、こういう事だよ。雫」
「っ…どういう事よ…こふっ…」
「うーん、わからないかなぁ? 僕はね、ずっと光輝くんが欲しかったんだ。だから、そのために必要な事をした。それだけの事だよ?」
「……光輝が好きなら…告白でもすれば…こんな事…」
「ダメだよ、ダメ、ダ~メ。告白なんてダメ。光輝くんは優しいから特別を作れないんだ。周りに何の価値もないゴミしかいなくても、優しすぎて放っておけないんだ。だから、僕だけの光輝くんにするためには、僕が頑張ってゴミ掃除をしないといけないんだよ」
そんな事もわからないの? と小馬鹿にするようにやれやれと肩を竦める恵里。ゴミ呼ばわりされても、余りの豹変ぶりに驚きすぎて怒りも湧いてこない。一人称まで変わっており、正直、雫には目の前にいる少女が初対面にしか見えなかった。
「ふふ、異世界に来れてよかったよ。日本じゃ、ゴミ掃除するのは本当に大変だし、住みにくいったらなかったよ。もちろん、このまま戦争に勝って日本に帰るなんて認めない。光輝くんは、ここで僕と二人、ず~とずぅ~~と暮らすんだから」
クスクスと笑いながらそう語る恵里に、雫は、まさかと思いながら、ふと頭をよぎった推測を口からこぼす。
「…まさか…っ…大結界が簡単に…破られたのは……」
「アハハ、気がついた? そう、僕だよ。彼等を使って大結界のアーティファクトを壊してもらったんだ」
「君達を殺しちゃったら、もう王国にいられないし……だからね、魔人族とコンタクトをとって、王都への手引きと異世界人の殺害、お人形にした騎士団の献上を材料に魔人領に入れてもらって、僕と光輝くんだけ放っておいてもらうことにしたんだぁ」
「馬鹿な…魔人族と連絡なんて…」
光輝がキスの衝撃からどうにか持ち直し、信じられないと言った表情で呟く。恵里は自分達とずっと一緒に王宮で鍛錬していたのだ。大結界の中に魔人族が入れない以上、コンタクトを取るなんて不可能だと、恵里を信じたい気持ちから拙い反論をする。
しかし、恵里はそんな希望をあっさり打ち砕く。
「【オルクス大迷宮】で襲ってきた魔人族の女の人。帰り際にちょちょいと、降霊術でね? 予想通り、魔人族が回収に来て、そこで使わせてもらったんだ。あの事件は、流石に肝が冷えたね。何とか殺されないように迎合しようとしたら却下されちゃうし……思わず、降霊術も使っちゃったし……怪しまれたくないから降霊術は使えないっていう印象を持たせておきたかったんだけどねぇ……まぁ、結果オーライって感じだったけど……」
恵里の言葉通り、彼女は、魔人族の女に降霊術を施して、帰還しない事で彼女を探しに来るであろう魔人族にメッセージを残したのである。ミハイルがカトレアの死の真相を知っていたのはそういうわけだ。なお、魔人族からの連絡は、適当な〝人間〟の死体を利用している。
恵里の話を聞き、彼女の降霊術を思い出して雫が唯でさえ血の気を失って青白い顔を更に青ざめさせた。
降霊術は、死亡対象・・・・の残留思念に作用する魔法である。それを十全に使えることを秘匿したかったということは、実際は完璧に使えるということ。であるならば、雫達を包囲する幽鬼のような兵士や騎士、そして、自分を抑えるニアの様子から考えれば最悪の答えが出る。
「彼等の…様子が…おかしいのは……」
「もっちろん降霊術だよ~。既に、みんな死んでま~す。アハハハハハハ!」
雫は、もたらされた非情な解答にギリッと歯を食いしばり、必死の反論をした。
「…嘘よ…降霊術じゃあ…受け答えなんて……できるはず…ない!」
「そこはホラ、僕の実力? 降霊術に、生前の記憶と思考パターンを付加してある程度だけど受け答えが出来るようにしたんだよ。僕流オリジナル降霊術〝縛魂〟ってところかな? ああ、それでも違和感はありありだよね~。一日でやりきれる事じゃなかったし、そこは僕もどうしたものかと悩んでいたんだけどぉ……ある日、協力を申し出てくれた人がいてね。銀髪の綺麗な人。計画がバレているのは驚いたし、一瞬、色々覚悟も決めたんだけど……その時点で告発してないのは確かだったし、信用はできないけど取り敢えず利用はできるかなぁ~って」
「実際、国王まで側近の異変をスルーしてくれたんだから凄いよね? 代わりに危ない薬でもキメてる人みたいになってたけど。まぁ、そのおかげで一気に計画を早める事ができたんだ。くふふ、大丈夫! 皆の死は無駄にしないから。ちゃ~んと、再利用して魔人族の人達に使ってもらえるようにするからね!」
これは、言ってみれば魂への干渉だ。すなわち、恵里は、末端も末端ではあるが自力で神代魔法の領域に手をかけたのである。まさにチート、降霊術が苦手などとよく言ったもので、その研鑽と天才級の才能は驚愕に値するものだ。あるいは、凄まじいまでの妄執が原動力なのかもしれない。
ちなみに、恵里が即座にクラスメイト達を殺さないのは、この〝縛魂〟が、死亡直後に一人ずつにしか使用できないからである。
「ぐぅ…止めるんだ…恵里! そんな事をすれば……俺は……」
「僕を許さない? アハハ、そう言うと思ったよ。光輝くんは優しいからね。それに、ゴミは掃除してもいくらでも出てくるし……だから、光輝くんもちゃんと〝縛魂〟して、僕だけの光輝くんにしてあげるからね? 他の誰も見ない、僕だけを見つめて、僕の望んだ通りの言葉をくれる! 僕だけの光輝くん! あぁ、あぁ! 想像するだけでイってしまいそうだよ!」
恍惚とした表情で自分を抱きしめながら身悶える恵里。そこに、穏やかで気配り上手な図書委員の女の子の面影は皆無だった。クラスメイト達は思う。彼女は狂っていると。〝縛魂〟は、降霊術よりも死者の使い勝手を良くしただけで術者の傀儡、人形であることに変わりはない。それが分かっていて、なお、そんな光輝を望むなど正気とは思えなかった。
「嘘だ……嘘だよ! ぅ…エリリンが、恵里が…っ…こんなことするわけない! ……きっと…何か…そう…操られているだけなんだよ! っ…目を覚まして恵里!」
近藤は、嫌な予感でも感じたのか「ひっ」と悲鳴をあげて少しでも近づいてくる恵里から離れようとした。当然、完璧に組み伏せられ、魔力も枷で封じられているので身じろぎする程度のことしか出来ない。
近藤の傍に歩み寄った恵里は、何をされるのか察して恐怖に震える近藤に向かって再び、ニッコリと笑みを向けた。光輝達が、「よせぇ!」「やめろぉ!」と制止の声を上げる。
「や、やめっ!? がぁ、あ、あぐぁ…」
近藤のくぐもった悲鳴が上がる。近藤の背中には心臓の位置に再び剣が突き立てられていた。ほんの少しの間、強靭なステータス故のしぶとさを見せてもがいていた近藤だが、やがてその動きを弱々しいものに変えていき、そして……動かなくなった。
恵里は、その近藤に手をかざすと今まで誰も聞いたことのない詠唱を呟くように唱える。詠唱が完了し〝縛魂〟の魔法名を唱え終わったとき、半透明の近藤が現れ自身の遺体に重なるように溶け込んでいった。
直後、今まで近藤を拘束していた騎士が立ち上がり一歩下がる。光輝達が固唾を呑む中、心臓を破壊され死亡したはずの近藤は、ゆっくりのその身を起こし、周囲の兵士や騎士達同様に幽鬼のような表情で立ち上がった。
「は~い。お人形一体出来上がり~」
無言無表情で立ち尽くす近藤を呆然と見つめるクラスメイト達の間に、恵里の明るい声が響く。たった今、人一人を殺した挙句、その死すら弄んだ者とは思えない声音だ。
「え、恵里……なんで……」
ショックを受けたように愕然とした表情で疑問をこぼす鈴に、恵里は追い打ちとも言える最悪の語りを聞かせる。
「ねぇ、鈴? ありがとね? 日本でもこっちでも、光輝くんの傍にいるのに君はとっても便利だったよ?」
「……え?」
「参るよね? 光輝くんの傍にいるのは雫と香織って空気が蔓延しちゃってさ。不用意に近づくと、他の女共に目付けられちゃうし……向こうじゃ何の力もなかったから、嵌めたり自滅させたりするのは時間かかるんだよ。その点、鈴の存在はありがたかったよ。馬鹿丸出しで何しても微笑ましく思ってもらえるもんね? 光輝くん達の輪に入っても誰も咎めないもの。だから、〝谷村鈴の親友〟っていうポジションは、ホントに便利だったよ。おかげで、向こうでも自然と光輝くんの傍に居られたし、異世界に来ても同じパーティーにも入れたし……うん、ほ~んと鈴って便利だった! だから、ありがと!」
「……あ、う、あ……」
衝撃的な恵里の告白に、鈴の中で何かがガラガラと崩れる音が響いた。親友と築いてきたあらゆるものが、ずっと信じて来たものが、幻想だったと思い知らされた鈴。その瞳から現実逃避でもするように光が消える。
「恵里っ! あなたはっ!」
余りの仕打ち、雫が怒声を上げる。傀儡と化したニアが必死にもがく雫の髪を掴んで地面に叩きつける。しかし、それがどうしたと言わんばかりに、雫の瞳は怒りで燃え上がっていた。
「ふふ。怒ってるね? 雫のその表情、すごくいいよ。僕ね、君のこと大っ嫌いだったんだ。光輝くんの傍にいるのが当然みたいな顔も、自分が苦労してやっているっていう上から目線も、全部気に食わなかった。だからね、君には特別に、とっても素敵な役目をあげる」
「っ…役目……ですって?」
「くふっ、ねぇ? 久しぶりに再会した親友に、殺されるってどんな気持ちになるのかな?」
その一言で、恵里が何をしようとしているのか察した雫の瞳が大きく見開かれる。
「…まさか、香織をっ!?」
よく出来ました! とでも言うように、恵里はパチパチと手を鳴らし、口元にニヤついた笑みを貼り付けた。恵里は傀儡にした雫を使って、香織を殺害しようとしているのだ。
「南雲が持っていくなら放置でも良かったんだけど……あの子をお人形にして好きにしたい! って人がいてね~。色々手伝ってもらったし、報酬にあげようかなって。僕、約束は守る性質だからね! いい女でしょ?」
「ふ、ふざけっ! ごふっ…あぐぅあ!?」
怒りのままに、自ら傷口を広げてでも動こうとする雫に、ニアが更に剣を突き刺した。
「アハ、苦しい? 痛い? 僕は優しいからね。今すぐ、楽にして上げる……」
今度は雫の番だというように、ニヤニヤと笑みを浮かべながら歩み寄る恵里。雫が近藤と同じように殺されて傀儡にされる光景を幻視したのか光輝達が必死の抵抗を試みる。
特に、光輝の抵抗は激しく、必死に制止の声を張り上げながら、合計五つも付けられた魔力封じの枷に亀裂を入れ始めた。〝限界突破〟の〝覇潰〟でも使おうというのか、凄まじい圧力がその体から溢れ出している。
しかし、脳のリミッターが外れ生前とは比べものにならないほどの膂力を発揮する騎士達と関節を利用した完璧な拘束により、どうあっても直ぐには振りほどけない。光輝の表情に絶望がよぎった。
雫は、出血のため朦朧としてきた意識を必死に繋ぎ留め、せめて最後まで眼だけは逸らしてやるものかと恵里を激烈な怒りを宿した眼で睨み続けた。
それを、やはりニヤついた笑みで見下ろす恵里は、最後は自分で引導を渡したかったのか、近くの騎士から剣を受け取りそれを振りかぶった。
「じゃあね? 雫。君との友達ごっこは反吐が出そうだったよ?」
雫は、恵里を睨みながらも、その心の内は親友へと向けていた。届くはずがないと知りながら、それでも、これから起こるかもしれない悲劇を思って、世界のどこかを旅しているはずの親友に祈りを捧げる。
(ごめんなさい、香織。次に会った時はどうか私を信用しないで……生き残って……幸せになって……)
逆手に持たれた騎士剣が月の光を反射しキラリと光った。そして、吸血鬼に白木の杭を打ち込むが如く、鋭い切っ先が雫の心臓を目指して一気に振り下ろされた。
迫る凶刃を見つめながら、雫は、なお祈る。どうか親友が生き残れますように、どうか幸せになりますように。私は先に逝くけれど、死んだ私は貴女を傷つけてしまうだろうけど、貴女の傍には彼がいるからきっと大丈夫。強く生きて、愛しい人と幸せに……どうか……
色褪せ、全てが遅くなった世界で雫の脳裏に今までの全てが一瞬で過ぎっていく。ああ、これが走馬灯なのね……最後に、そんなことを思う雫に突き下ろされた凶刃は、彼女の命を
…………奪わなかった。
「え?」
「え?」
雫と恵里の声が重なる。
恵里が突き下ろした騎士剣は、掌くらいの大きさの輝く障壁に止められていた。何が起きたのかと呆然とする二人に、ここにいるはずのない者の声が響く。ひどく切羽詰まった、焦燥に満ちた声だ。雫が、その幸せを願った相手、親友の声だ。
「雫ちゃん!」
その声と共に、いつの間にか展開されていた十枚の輝く障壁が雫を守るように取り囲んだ。そして、その内の数枚がニアと恵里の眼前に移動しカッ! と光を爆ぜた。バリアバーストモドキとでもいうべきか、障壁に内包された魔力を敢えて暴発させて光と障壁の残骸を撒き散らす技だ。
「っ!?」
咄嗟に両腕で顔を庇った恵里だが、その閃光に怯んでバランスを崩した瞬間に砕け散った障壁の残骸に打ち付けられて後方へと吹き飛ばされた。
雫を抑えていたニアも同様に後方へとひっくり返る。すぐさま起き上がって雫を拘束しようとするものの、直後、光の縄が地面から伸び一瞬で縛り付けられてしまった。
雫が、突然の事態に唖然としつつも、自分の名を呼ぶ声の方へ顔を向ける。
そして、周囲を包囲する騎士達の隙間から、ここにいるはずのない親友の姿を捉えた。夢幻ではない。確かに、香織が泣きそうな表情で雫を見つめていた。きっと、雫達の惨状と、ギリギリで間に合ったことへの安堵で涙腺が緩んでしまったのだろう。
「か、香織……」
「雫ちゃん! 待ってて! 直ぐに助けるから!」
香織は、広場の入口から兵士達に囲まれる雫達へ必死に声を張り上げた。そして、急いで全体回復魔法を詠唱し始める。光系最上級回復魔法〝聖典〟だ。クラスメイト達の状態と周囲を状況から一気に全員を癒す必要があると判断したのだ。
「っ!? なんで、君がここにいるのかなぁ! 君達はほんとに僕の邪魔ばかりするね!」
「みなさん! 一体、どうしたのですか! 正気に戻って! 恵里! これは一体どういうことです!?」
最上級回復魔法を唱える香織を守ったのは、香織のすぐ後ろにいたリリアーナだった。自分と香織を包むように球状の障壁が二人を守る。
「チッ、仕方ない、かな?」
その焦り故か、恵里はクラスメイト達の傀儡化を諦めて、癒される前に殺してしまおうと決断した。
と、その時、突如、リリアーナの目の前で障壁に騎士剣を振るっていた騎士の一人が首を落とされて崩れ落ちた。
その倒れた騎士の後ろから姿を見せたのは……檜山大介だった。
「白崎! リリアーナ姫! 無事か!」
「檜山さん? あなたこそ、そんな酷い怪我で!?」
ぐらりとよろめき、障壁に手をついた檜山に、リリアーナは慌てて障壁の一部を解いて檜山を中に入れた。ドサリッと倒れこむ檜山。しかし、その瞬間、雫の焦燥に満ちた叫びが響き渡る。
「ダメよ! 彼から離れてぇ!」
血を吐きながらの必死の警告。雫は気がついたのだ。なぜ、光輝すら抜け出せない拘束を檜山だけ抜け出せたのか、恵里が言っていた香織を欲する人間が誰なのか……リリアーナの障壁が香織の詠唱完了まで保つことは明らかだ。にもかかわらず、敢えて助けに行ったふりをした理由は……
「きゃぁあ!?」
「あぐぅ!?」
雫の警告は間に合わなかった。
リリアーナの障壁が解け、そこに広がった光景は、殴り飛ばされて地面に横たわるリリアーナの姿と背後から抱き締められるようにして胸から刃を突き出す香織の姿だった。
「香織ぃいいいいーー!!」
雫の絶叫が響き渡る。
檜山は、瞳に狂気を宿しながら、香織を背後から抱き締めて首筋に顔を埋めている。片手は当然、背中から香織の心臓を貫く剣を握っていた。
檜山は、最初から怪我などしていなかったのだ。勇者である光輝の土壇場での爆発力や不測の事態に備えてやられたふりをして待機していたのである。そして、香織達の登場に驚きつつも、このままでは光輝達を回復されてしまうと判断し、一芝居打ったのだ。
「ひひっ、やっと、やっと手に入った。……やっぱり、南雲より俺の方がいいよな? そうだよな? なぁ、しらさ…いや、香織? なぁ? ぎひっ、おい、中村ァ、さっさとしろよぉ。契約だろうがぁ」
恵里が、檜山の言葉に肩を竦める。そして、香織に〝縛魂〟するため歩き出した。
直後、絶叫が響き渡る。
「がぁああああ! お前らァーー!!」
光輝だ。怒髪天を衝くといった様子で、体をギシギシと軋ませて必死に拘束を解こうとする。香織が殺されたと思ったようで、半ば、我を失っているようだ。五つも付けた魔力封じの枷がますます亀裂を大きくしていく。途轍もない膂力だ。しかし、それでも枷と騎士達の拘束を解くにはまだ足りない。
と、その様子を冷めた目で見ていた檜山の耳にボソボソと呟く声が聞こえてきた。見れば、何と香織が致命傷を負いながら何かを呟いているのだ。檜山は、それが気になって口元に耳を近づける。そして、聞こえてきたのは……
「――――ここ…に…せいぼ…は……ほほえ…む…〝せい…てん〟」
「あぁああああ!!」
光輝の絶叫が迸る。
癒された体が十全の力を発揮し、ただでさえ亀裂が入って脆くなっていた枷をまとめて破壊した。同時に、その体から彼の激しい怒りをあらわすように純白の光が一気に噴き上がる。激しい光の奔流は、光輝を中心に纏まり彼の能力を五倍に引き上げた。〝限界突破〟の最終派生〝覇潰〟である。
「お前ら……絶対に許さない!」
光輝を取り押さえようとした騎士達だったが、光輝は、自分を突き刺していた騎士剣を奪い取るとそれを無造作に振るい、それだけで傀儡兵達を簡単に両断していった。そして、手を突き出し聖剣を呼ぶと、拘束された際に奪われていた聖剣がくるくると空中を回転しながら飛び光輝の手の中に収まった。
その時、遂に、光輝を囲む傀儡兵達がやられ包囲網に穴ができた。光輝は、怒りの形相で、恵里と檜山を睨みつけ光の奔流を纏いながら一気に襲いかかった。
だが、そこで、恵里は光輝の弱点につけ込んだ切り札を登場させる。それにより、恵里の予測通り、光輝の剣は止まってしまった。
光輝が震える声で、その切り札の名を呼ぶ。
「そ、そんな……メルドさん…まで……」
そう、光輝の剣を正面から受けて止めていたのは騎士団団長のメルド・ロギンスその人だったのだ。
「……光輝…なぜ、俺に剣を向ける…俺は、こんなこと、教えてはいないぞ…」
「なっ…メルドさん……俺は」
「光輝! 聞いてはダメよ! メルドさんももうっ!」
動揺する光輝に雫の叱咤が飛ぶ。ハッと正気を取り戻した時には、メルドの鋭い剣撃が唐竹に迫っていた。咄嗟に、聖剣でその一撃を受ける。凄まじい衝撃と共に、光輝の足元に亀裂が走った。どうやら王国最強の騎士も脳のリミッターが外れているらしい。
「……メルドさん……すみません!」
光輝は表情を悲痛に歪めながらも、聖剣を一気に振り抜きメルドに怒涛の斬撃を繰り出した。死して尚、メルドの剣技は冴え渡っており、〝覇潰〟状態の光輝の攻撃を辛うじて凌いでいる。それは、メルドの登場で、光輝の沸騰した頭が少し冷えた為に、人殺しへの忌避感が僅かに顔を出し剣筋が鈍ったというのもある。しかし、それでも今の光輝に勝てるはずもなく、遂に、メルドの騎士剣は弾き飛ばされてしまった。
光輝は、一気に踏み込み、ただ我武者羅にメルドの首目掛けて聖剣を横薙ぎに振るった。
だが、聖剣がメルドの首に吸い込まれる寸前、
「……助けてくれ……光輝」
「っ!?」
メルドの言葉に、思わず光輝の剣が止まってしまう。有り得ないと思っていても、もしや、メルド団長は操られているだけで死んでいないのではないか? まだ助けられるのではないか? そんな思いが捨てきれない。
これが光輝の弱点。ようは半端なのだ。助けるなら助ける。殺すなら殺す。どちらを選んでもいいが、そこには明確な決意と覚悟が必要だ。光輝にはそれがない。与えられた情報を元に、その場その場で都合のいい解釈をする。だから、普段は自分の正しさを疑わないのに、一番大事なときに迷ってしまう。
メルドが、傍に落ちていた騎士剣を足で跳ね上げる。一瞬で、その手に取り戻した凶器で、再び光輝と切り結んだ。しかし、光輝に先程までの圧倒的な勢いはなく、むしろメルドに押されてしまっている。
「ッ!? ガハッ!」
メルドの技をどうにか凌いだ直後、突然、光輝の体から力が抜けて両膝が折れた。〝覇潰〟のタイムリミットではない。まだ、そこまで時間は経っていない。異変はそれだけに留まらず、遂には盛大に吐血までしてしまった。ビチャビチャと地面に染み込む血が、光輝の混乱に拍車をかける。
「ふぅ~、やっと効いてきたんだねぇ。結構、強力な毒なんだけど……流石、光輝くん。団長さんを用意しておかなかったら僕の負けだったかも」
「くふふ、王子様がお姫様をキスで起こすなら、お姫様は王子様をキスで眠りに(誘い殺して)自分のものに……何て展開もありだよね? まぁ、万一に備えてっていうのもあるけどねぇ~」
その言葉で光輝も気がついた。最初に恵里がしたキス。あの時、一緒に毒薬を飲まされたのだろうと。恵里自身は、先に解毒薬でも飲んでいたのだろう。まさか、口移しで毒を飲まされたとは思わなかった。まして、好意を示しながらなど誰が想像できようか。光輝は、改めて自分達が知っている恵里は最初からどこにもいなかったのだと理解した。
毒が回り、完全に動けなくなった光輝を見て、恵里は満足そうに笑うと、くるりと踵を返して香織のもとへ向かった。そろそろ〝縛魂〟可能なタイムリミットが過ぎてしまうからだ。檜山が鬼のような形相で恵里を催促している。
香織が死してなお汚される。そのことに光輝も雫も焦燥と憤怒、そして悔しさを顔に浮かべて必死に止めようとする。
しかし、無常にも恵里の手は香織にかざされてしまった。恵里の詠唱が始まる。数十秒後には、檜山の言うことを何でも従順に聞く香織人形の出来上がりだ。雫達が激怒を表情に浮かべ、檜山が哄笑し、恵里がニヤニヤと笑みを浮かべる。
そして……その声は絶望渦巻く裏切りの戦場にやけに明瞭に響いた。
「えー!?」
「……一体、どうなってやがる?」
それは、白髪眼帯の少年、南雲ハジメと、カービィ声だった。
ハジメの登場に、まるで時間が停止したように全員が動きを止めた。それは、ハジメが凄絶なプレッシャーを放っていたからだ。
本来なら、傀儡兵達に感情はないためハジメのプレッシャーで動きを止めることなどないのだが、術者である恵里が、生物特有の強者の傍では身を潜めてやり過ごすという本能的な行動を思わずとったため、傀儡兵達もつられてしまったのである。
ハジメは、自分を注視する何百人という人間の視線をまるで意に介さず、周囲の状況を睥睨する。クラスメイト達を襲う大量の兵士と騎士達、一塊になって円陣を組んでいるクラスメイト達、メルドの前で血を吐きながら倒れ伏す光輝、黒刀を片手に膝をついている雫、硬直する恵里と檜山、そして……檜山に抱き締められながら剣を突き刺され、命の鼓動を止めている香織……
その姿を見た瞬間、この世のものとは思えないおぞましい気配が広場を一瞬で侵食した。体中を虫が這い回るような、体の中を直接かき混ぜられ心臓を鷲掴みにされているような、怖気を震う気配。圧倒的な死の気配だ。血が凍りつくとはまさにこのこと。一瞬で体は温度を失い、濃密な殺意があらゆる死を幻視させる。
「カービィ、」
「わかった……コピー能力クリエイト『ウルトラソード、ウルトラソード、ジェット、リバイブ』」
刹那、ハジメとカービィの姿が消えた。
そして、誰もが認識できない速度で移動したハジメは、轟音と共に香織の傍に姿を見せる。轟音は、檜山が吹き飛び広場の奥の壁を崩壊させながら叩きつけられた音だった。ハジメは、一瞬で檜山の懐に踏み込むと香織に影響が出ないように手加減しながら殴り飛ばしたのである。
本来なら、檜山如きは一撃で体が弾け飛ぶのだが、その手加減のおかげで今回は全身数十箇所の骨を砕けさせ内臓をいくつか損傷しただけで済んだ。今頃、壁の中で気を失い、その直後痛みで覚醒するという地獄を繰り返しているだろう。
ハジメは、片腕で香織を抱き止めると、そっと顔にかかった髪を払った。そして、大声で仲間を呼ぶ。
「ティオ 頼む!」
「任せろ!」
「し、白崎さんっ!」
ハジメの呼びかけに応えて、一緒にやって来たティオが我を取り戻したように急いで駆けつけた。傍らの愛子も血相を変えて香織の傍にやって来る。ハジメから香織を受け取ったティオは急いで詠唱を始めた。
「アハハ、無駄だよ。もう既に死んじゃってるしぃ。まさか、君達がここに来てるなんて……いや、香織が来た時点で気付くべきだったね。……うん、檜山はもうダメみたいだし、南雲にあげるよ? 僕と敵対しないなら、魔法で香織を生き返らせてあげる。擬似的だけど、ずっと綺麗なままだよ? 腐るよりいいよね? ね?」
カービィは傀儡を瞬間ごとにありえないほどの数を倒していく。
「で?」
「っ……」
ハジメは、恵里が何をしたのか詳しい事は知らない。ただ、敵だと理解しただけだ。これが唯の敵なら、無慈悲に直ちに殺して終わりだった。しかし、恵里は決して手を出してはいけない相手に手を出したのだ。もはや、ただ殺すだけでは足りない。死ぬ前に〝絶望〟を……
だから、ハジメは問うたのだ。お前如きに何ができる? 何もできないだろう? と。
それを正確に読み取った恵里は、ギリッと歯を食いしばった。唇の端が切れて血が滴り落ちる。今の今まで自分こそがこの場の指揮者で、圧倒的有利な立場にいたはずなのに、一瞬で覆された理不尽とその権化たるハジメに憎悪と僅かな畏怖が湧き上がる。
恵里が、激情のまま思わず呪う言葉を吐こうとした瞬間、ゴリッと額に銃口が押し当てられた。
認識すら出来なかった早抜きに、呪いの言葉を呑み込む恵里。
「……てめぇの気持ちだの動機だの、そんな下らないこと聞く気はないんだよ。もう何もないなら……死ね」
ハジメの指が引き金に掛かる。恵理は、ハジメの目に、クラスメイトである自分を殺害すること、香織を傀儡に出来ないことへの躊躇いが微塵もない事を悟った。
――死ぬ
恵里の頭を、その言葉だけが埋め尽くす。しかし、恵里の悪運はまだ尽きていなかったらしい。
恵里の脳天がぶち抜かれようとした瞬間、ハジメ目掛けて火炎弾が飛来したからだ。かなりの威力が込められているらしく白熱化している。しかし、ハジメにはやはり通用しない。ドンナーの銃口を火炎弾に向けるとピンポイントで魔法の核を撃ち抜き、あっさり霧散させてしまった。
「なぁぐぅもぉおおおー!!」
その霧散した火炎弾の奥から、既に人語かどうか怪しい口調でハジメの名を叫びながら飛び出してきたのは満身創痍の檜山だった。手に剣を持ち、口から大量の血を吐きながら、砕けて垂れ下がった右肩をブラブラとさせて飛びかかってくる。もはや、鬼の形相というのもおこがましい、醜い異形の生き物にしか見えなかった。
「…うるせぇよ」
ハジメは、煩わしそうに飛びかかって来た檜山にヤクザキックをかます。ドゴンッ! という爆音じみた衝撃音が響き、檜山の体が宙に浮いた。吹き飛ばなかったのは衝撃を余すことなく体に伝えたからだ。
そして、ハジメは、宙に浮いた檜山に対して、真っ直ぐ天に向けて片足を上げると、そのまま猛烈な勢いで振り下ろした。まるで薪を割る斧の一撃の如き踵落としは、檜山の頭部を捉えて容赦なく地面に叩きつけた。地面が衝撃でひび割れ、割れた檜山の額から鮮血が飛び散る。勢いよくバウンドした檜山は既に白目を向いて意識を失っていた。
「おま゛えぇ! おま゛えぇざえいなきゃ、がおりはぁ、おでのぉ!」
溢れ出る怨嗟と殺意。人間とは、ここまで堕ちる事ができるのかと戦慄を感じずにはいられない余りの醜悪さ。常人なら見るに堪えないと視線を逸らすか、吐き気を催して逃げ去るだろう。
しかし、ハジメは、檜山のそんな呪言もまるで意に介さない。それどころか、むしろ、ハジメの瞳には哀れみの色すら浮かんでいた。
「俺がいようがいまいが、結果は同じだ。少なくとも、お前が何かを手に入れられる事なんて天地がひっくり返ってもねぇよ」
「きざまぁのせいでぇ」
「人のせいにするな。お前が堕ちたのはお前のせいだ。日本でも、こっちでも、お前は常に敗者だった。〝誰かに〟じゃない。〝自分に〟だ。他者への不満と非難ばかりで、自分で何かを背負うことがない。……お前は、生粋の負け犬だ」
「ころじてやるぅ! ぜっだいに、おま゛えだけはぁ!」
「生き残れるか試してみな。まぁ、お前には無理だろうがな」
ハジメは、更にダメ押しとばかりに空気すら破裂するような回し蹴りを叩き込んだ。檜山は、その衝撃でボギュ! と嫌な音を立てながら大きく広場の外へと吹き飛ばされていった。
ハジメが、さっさと檜山を撃ち殺さず、急所を外して滅多打ちにしたのは無意識的なものだ。自分を奈落に落としたことへの復讐ではない、香織を傷つけられたことへの復讐だ。
本人にどこまで自覚があるかはわからないが、楽に殺してやるものかというハジメの思いが現れたのである。それは、檜山を辛うじて生かしたまま、魔物の群れの中に蹴り飛ばした事にもあらわれていた。
しかし、この檜山への対応が、恵里を殺すための時間を削いでしまった。恵里が逃げ出したのではない。ハジメ目掛けて極光が襲いかかったのだ。
「チッ……」
ハジメは、舌打ちしつつその場から飛び退き、極光の射線に沿ってドンナーを撃ち放った。三度轟く炸裂音と同時に、極光という滝を登る龍の如く、三条の閃光が空を切り裂く。
直後、極光の軌道が捻じ曲がり、危うく光輝を灼きそうになったが、寸前で恵里が飛び出し何とか回避したようだ。恵里としても、誤爆で光輝が跡形もなく消し飛ばされるなど冗談でも勘弁して欲しいところだろう。
やがて、極光が収まり空から白竜に騎乗したフリードが降りてきた。
「……そこまでだ。白髪の少年。大切な同胞達と王都の民達を、これ以上失いたくなければ大人しくすることだ」
どうやらフリードは、ハジメを光輝達や王国のために戦っているのだと誤解しているようである。周囲の気配を探れば、いつの間にか魔物が取り囲んでおり、龍太郎達や雫、そしてティオや愛子達を狙っていた。
ハジメ達が本気で戦えば、甚大な被害が出ることを理解しているため人質作戦に出たのだろう。ハジメは知らないことだが、ユエに手酷くやられ、ハジメ達には敵わないと悟ったフリードの苦肉の策だ。なお、ユエに負わされた傷は、完治にはほど遠いものの、白鴉の魔物の固有魔法により癒されつつある。
と、その時、香織に何かをしていたティオがハジメに向かって声を張り上げた。
「ご主人様よ! どうにか固定は出来たのじゃ! しかし、これ以上は……時間がかかる……出来ればユエかカービィの協力が欲しいところじゃ。固定も半端な状態ではいつまでも保たんぞ!」
「リバイブでも魂がちょっと離れすぎてるから難しいよ。」
「ほぉ、新たな神代魔法か……もしや【神山】の? ならば場所を教えるがいい。逆らえばきさっ!?」
フリードが、ハジメ達を脅して【神山】大迷宮の場所を聞き出そうとした瞬間、ハジメのドンナーが火を噴いた。咄嗟に、亀型の魔物が障壁を張って半ば砕かれながらも何とか耐える。フリードは、視線を険しくして、周囲の魔物達の包囲網を狭めた。
「どういうつもりだ? 同胞の命が惜しくないのか? お前達が抵抗すればするほど、王都の民も傷ついていくのだぞ? それとも、それが理解できないほど愚かなのか? 外壁の外には十万の魔物、そしてゲートの向こう側には更に百万の魔物が控えている。お前達がいくら強くとも、全てを守りながら戦い続けることが……」
その言葉を受けたハジメは、フリードに向けていた冷ややかな視線を王都の外――王都内に侵入しようとしている十万の大軍がいる方へ向けた。そして、無言で〝宝物庫〟から拳大の感応石を取り出した。訝しむフリードを尻目に感応石は発動し、クロスビットを操る指輪型のそれとは比べ物にならない光を放つ。
猛烈に嫌な予感がしたフリードは、咄嗟に、ハジメに向けて極光を放とうとする。しかし、ハジメのドンナーによる牽制で射線を取れず、結果、それの発動を許してしまった。
――天より降り注ぐ断罪の光。
そう表現する他ない天と地を繋ぐ光の柱。触れたものを、種族も性別も貴賎も区別せず、一切合切消し去る無慈悲なる破壊。大気を灼き焦がし、闇を切り裂いて、まるで昼間のように太陽の光で目標を薙ぎ払う。
キュワァアアアアア!!
独特な調べを咆哮の如く世界に響き渡らせ大地に突き立った光の柱は、直径五十メートルくらいだろうか。光の真下にいた生物は魔物も魔人族も関係なく一瞬で蒸発し、凄絶な衝撃と熱波が周囲に破壊と焼滅を撒き散らす。
ハジメが手元の感応石に魔力を注ぎ込むと、光の柱は滑るように移動し地上で逃げ惑う魔物や魔人の尽くを焼き滅ぼしていった。
防御不能。回避不能。それこそ、フリードのように空間転移でもしない限り、生物の足ではとても逃げ切れない。外壁の崩れた部分から王都内に侵入しようとしていた魔物と魔人族が後方から近づいて来る光の柱を見て恐慌に駆られた様に死に物狂いで前に進み出す。
光の柱は、ジグザグに移動しながら大軍を蹂躙し尽くし、外壁の手前まで来るとフッと霧散するように虚空へ消えた。
後には、焼き爛れて白煙を上げる大地と、強大なクレーター。そして大地に刻まれた深い傷跡だけだった。ギリギリ、王都へ逃げ込む・・・・ことが出来た魔人族は安堵するよりも、唯々、一瞬にして消えてしまった自軍と仲間に呆然として座り込むことしか出来なかった。
そして、思考が停止し、呆然と佇むことしか出来ないのは、ハジメの目の前にいるフリードや恵里、雫達も同じだった。
「愚かなのはお前だ、ド阿呆。俺がいつ、王国やらこいつらの味方だなんて言った? てめぇの物差しで勝手なカテゴライズしてんじゃねぇよ。戦争したきゃ、勝手にやってろ。ただし、俺の邪魔をするなら、今みたいに全て消し飛ばす。まぁ、百万もいちいち相手してるほど暇じゃないんでな、今回は見逃してやるから、さっさと残り引き連れて失せろ。お前の地位なら軍に命令できるだろ?」
「……この借りは必ず返すっ……貴様だけは、我が神の名にかけて、必ず滅ぼす!」
フリードは踵を返すと、恵里を視線で促し白竜に乗せた。恵里は、毒を受けながらも、その強靭なステータスで未だ生きながらえている光輝を見て、妄執と狂気の宿った笑みを向けた。それは言葉に出さなくても分かる、必ず、光輝を手に入れるという意志の篭った眼差しだった。
白竜に乗ったフリードと恵里がゲートの奥に消えると同時に、上空に光の魔弾が三発上がって派手に爆ぜた。おそらく、撤退命令だろう。同時に、ユエとシアが上空から物凄い勢いで飛び降りてきた。
「……ん、ハジメ。あのブ男は?」
「ハジメさん! あの野郎は?」
どうやら二人共、フリードをボコりに追ってきたらしい。光の柱について聞かないのは、ハジメの仕業とわかっているからだろう。
しかし、今は、そんな些事に構っている暇はないのだ。ハジメは、ユエとシアに香織の死を伝える。二人は、驚愕に目を見開いた。しかし、ハジメの目を見てすぐさま精神を立て直す。
そして、ハジメは、その眼差しに思いを込めてユエに願った。ユエは、少ない言葉でも正確に自分の役割を理解すると力強く「……ん、任せて」と頷く。
踵を返してティオのもとへ駆けつけた。そして、ハジメが香織をお姫様だっこで抱え上げ、そのまま広場を出ていこうとする。そこへ、雫がよろめきながら追いかけ必死な表情でハジメに呼びかけた。
「南雲君! 香織が、香織を……私……どうすれば……」
雫は、今まで見たことがないほど憔悴しきった様子で、放っておけばそのまま精神を病むのではないかと思えるほど悲愴な表情をしていた。戦闘中は、まだ張り詰めた心が雫を支えていたが、驚異が去った途端、親友の死という耐え難い痛みに苛まれているのだろう。
ハジメは、シアに香織を預けるとティオに先に行くように伝える。雫の様子を見て察したユエ達は、ティオの案内に従って広場を足早に出て行った。
クラスメイト達が怒涛の展開に未だ動けずにいる中、ハジメは、女の子座りで項垂れる雫の眼前に膝を付く。そして、両手で雫の頬を挟み強制的に顔を上げさせ、真正面から視線を合わせた。
「八重樫、折れるな。俺達を信じて待っていてくれ。必ず、もう一度会わせてやる」
「南雲君……」
光を失い虚ろになっていた雫の瞳に、僅かだが力が戻る。ハジメは、そこでフッと笑うと冗談めかした言葉をかけた。
「八重樫がこんなんじゃ、今後、誰が面倒事を背負ってくれるっていうんだ? 壊れた八重樫なんか見せたら香織までどうなるか……勘弁だぞ? 俺は八重樫みたいな苦労大好き人間じゃないんだ」
「……誰が苦労大好き人間よ、馬鹿。……信じて……いいのよね?」
ハジメは、笑みを収めて真剣な表情でしっかりと頷く。
間近で、ハジメの輝く瞳と見つめ合い、雫はハジメが本気だと理解する。本気で、既に死んだはずの香織をどうにかしようとしているのだ。その強靭な意志の宿った瞳に、雫は凍てついた心が僅かに溶かされたのを感じた。
雫の瞳に、更に光が戻る。そして、ハジメに向かって同じ様に力強く頷き返した。それは、ハジメ達を信じるという決意のあらわれだ。
ハジメは、雫が精神的に壊れてしまう危険性が格段に減った事を確認すると、〝宝物庫〟からマキシムトマトを取り出し、雫の手に握らせた。
「これって……」
「もう一人の幼馴染に飲ませてやれ。あまり良くない状態だ」
少し潤んだ瞳でハジメを見つめ「…ありがとう、南雲君」とお礼の言葉を述べた。ハジメは、お礼の言葉を受け取ると直ぐに立ち上がり踵を返す。そして、ユエ達を追って風の様に去っていった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
好評だったり、続けて欲しいと、いう声があれば確実に続きます!
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