「『星、観に行きませんか』…って今日?」
当然のように一緒に入ったお風呂のあと、シャンプーの香りを振りまく寝巻き姿の蒼が、居間の机に置いてあった手紙を拾い、読み上げて訊いてきた。
「っていうか、なんで手紙…?」
「普通に誘うより、そのほうが格好良いかな…って、どう?」
「ん、あんたらしくて、好きよ、こういうの」
人差し指と中指で、贈った便箋を挟み、左右にゆらゆらと振りつつも、満更でもなさそうな表情をみせてくれる。
その心の優しさがとても眩しい。
ダメだと分かっているけども、湧き上がる衝動を抑えきれず、華奢な肢体を両手で抱きしめる。
「わ、ちょ、ちょっと! 星を観るっていう話はどこいったのよー! あたしが観測されちゃいますー!?」
両手をバタバタさせて、もがく蒼をそのままに、まだ湿り気のある、お気に入りの後ろ髪に鼻を近づけ、その空間の空気を取り込む。
同じものを使っているはずなのに、自分とはまったく違うこの匂い。
女性特有の香りが混ざった、大好きな人の香りを、肺いっぱいに流し込む。
目を閉じて、尚も抱きしめ続けていると、蒼も観念したのか、両の手は俺の腰に落ち着いた。
とても良い雰囲気だ。
そして良い雰囲気には、それに似合う台詞が必要なんだ――
「俺にょ…かにょにょは世界一可愛いにゃ…」
耳元で甘く囁く。
「………」
沈黙。加藤家の居間に沈黙が漂う。
また噛んだ…。
中々成長しない自分がもどかしい。
いや、もうこれは加藤家の呪縛その二…なんじゃないでしょうか。
『格好良い台詞を言おうとすると噛んでしまう呪縛』
間違いない。
そしていつも通りのやり取りが始まる。
「…噛んだ?」
「………」
今度は逆に耳元で囁かれる。
「彼女を抱きしめつつ、耳元で甘い言葉を囁こうとして噛んだ?」
「………」
抱きしめている腕を離す。
蒼は俺の肩に手を添えて、ゆっくりと距離をとる。
「『俺にょかにょにょは世界一可愛いにゃ?』」
「くっ………」
にやにや顔で、さらっと一言。
よく噛まずに毎回言えるなあ。
「あんたのかにょにょの空門蒼です♪」
くるっとその場で一回転。
右目でウィンク。投げキッスのポーズ。
天下無双の満面の笑み。この笑顔が見れたから良しとしよう。
「ちょっとー! ニヤニヤしてないで、なんか感想言いなさいよ! ほらー!」
「すっげー可愛いくてずっと眺めていたいけど、感想としてはどう反応したらいいか悩んでる」
「…まあ、あたしも自分でやってて、これはちょっとどうかなーって思ったわね…」
蒼はそう言い、髪を乾かすために持ってきていたドライヤーを手に取り、温風を流し始める。
こちらに少し背を向け、ぺたん、と可愛らしく女の子座りをし、髪のアフターケア。
強めの風量で前髪から手早く乾かしていく、その姿を眺めていると妙にドキドキする。
「羽依里~後ろお願いね~」
「了解」
彼女に倣って、俺も着席。慣れた動作で、ドライヤーを渡され受け取る。
蒼の後ろ髪はいつも、俺が担当だ。
「さて、お手並み拝見といこうかしら」
「バッチリ決めてやるぜ…とりあえず、軽く下向いて」
「ん…」
首が少し前へ曲がる。
髪の合間からチラりと覗く、うなじが色っぽい。
湧き上がる性欲を堪えつつも、なるべく頭上から温風を当てていく。
「熱くない?」
「問題なし」
「ちょっと髪引っ張るよ、痛かったら言ってくれな」
「はーい」
綺麗なストレートヘアを整えるために、テンションを髪に加え、じっくりと、蒼の髪に温風を与える。
「そういえば、話が逸れちゃってたけど、今日この後、行くの?」
「この後…まあ、そんなところかな。水瓶座流星群?が日付変わった後の深夜三時四時ぐらいに見れるらしいんだ」
「流星群…確かに、鳥白島は都会と違って夜は真っ暗だし、星は見放題だもんね」
「そういうこと。それで天体観測デートのお誘い、というわけです。お嬢様?」
十分に根元から乾いた頭頂部を、優しく撫でてあげる。
それが気持ち良いのか、蒼の体が左右に揺れる。
「えへへ…天体観測デート……星空の下で羽依里と二人きり…」
お花畑に飛んでいってしまった様なので、仕上げの冷風で現実に呼び戻す。
「冷たっ!? ちょっとー! まだ乾いてないところあるんじゃないのー?」
「ええっ、マジで…結構上達したと思ったのに…」
「もう一回温風で、お願いね~」
…どうやら、まだまだ蒼の髪を整えるスキルは足りていない様だった。
* * * * *
寝床に移り、布団の中。
春になり、ほどよく暖かいため、お互いに毛布一枚だけ被っている。
さすがに、この後、外に出歩く予定なので、致すのは我慢。
寝巻きも乱れておらず、珍しく、それぞれの布団で寝ている。
「ね、羽依里…三時に起きれるの?」
「目覚まし時計はセットしたし…多分、起きれる…?」
「あんたが頼りなんだから、ちゃんと起きなさいよー?」
「自力で起きるの諦めるなよ!」
「お姫様を起こすのは、いつも王子様の仕事なんですー!」
「へいへい…王子様も中々大変だよな」
暗闇の中、静寂が訪れる。
もぞもぞ、と隣の布団から暖かい物体が、こちらの布団に潜り込んでくる。
「………」
布団の中から蒼が顔を出してきた。
目を瞑り、顔を寄せてくる。
「おやすみのちゅー、して」
「甘えん坊さんだこと」
唇同士を軽く密着させる。
角度を変え、何度か触れ合う。
それで満足したのか、俺の腕に抱かれたまま、蒼はそのまま夢の世界へ。
結局、布団は一つで十分になってしまった。
俺も寝よう。
軽く寝たら眠い目擦って天体観測だ。
* * * * *
深夜。島民全てが眠りに就いているであろう時間に、田舎道を歩いていた。
「んぅ……あたし~…なんであんたにぃ…背負われているんだっけぇ…」
「今から流星群を観に行くため」
「りゅーせーぐぅ……でーとぉ…」
「そうそう」
やっぱり、というか流石にこの時間に起きるのはちょっと無理があった。
蒼はまだ夢見心地。寝巻きから着替えさせるのは困難だったので、上着を一枚羽織らせただけ。
雑なファッションでも、絵になる可愛さがあるのは、彼女自身のポテンシャルの高さ故だろう。
「ぁ~…着く頃には…目ぇ…覚めてると、思うから~…よろしくぅ…」
それだけ言うと、また、すぅすぅ、と寝息が聴こえてくる。
耳に心地良い背景音楽を楽しみながら、目指すは、迷い橘。
そこまで険しくない山道を登っていく。
これまでに何度も通った、道程。
決して幸せな記憶ばかりではなく、悲しく辛い記憶もある。
周囲の木々、踏み均された地面、動物達の鳴き声、それら全てが彼女との『夏の思い出』だった。
そして今、夏だけでなく、四季折々の話が、二人の記憶のページに書き綴られていく。
「ポーン」
「イナリか」
ライトで照らした先には、巣穴で寝ていたのか、イナリの姿があった。
「迷い橘まで行って、流星群を観るんだ。イナリもいくか?」
「ポンポン」
「お、そうかサンキュな」
イナリも着いてきてくれることになった。
「ポキュ…」
背負っている蒼をみて心配してくれたのか、悲しそうな声を上げる。
「大丈夫。普通に寝起きで覚醒していないだけだから」
「ポン?」
「心配してくれてありがとな」
「ポン!」
元気良く返事をしてくれたが、キツネとしてもこの時間は眠いようで、時々「ぽきゃぁ~…」と欠伸をしている。
* * * * *
そのまま、山道を登り、迷い橘の元に辿り着く頃には、蒼もバッチリ目が覚めていた。
「お、着いたわね、結局最後まで背負ってもらってありがとうね、イナリもありがとう」
「ポーン!」
「背中に当たる、やわらかーい膨らみが楽しめたから、むしろご褒美かな」
「帰りも、ご褒美あげよっか?」
「それは楽しみが増えるな」
蒼をゆっくりと地面に降ろす。
ショルダーバッグから、寝転がる用に持ってきていたレジャーシートを広げる。
イナリは、眠いのかその場で尻尾を丸めて寝る体勢に入った。
さすがに星に興味はないか…。
「今更だけど、空門の神域で天体観測なんて、本当に良かったのか?」
「平気、平気、あたしは空門の巫女だし、あんたは…その…将来の旦那さん…だし」
最後のほうは、しどろもどろ。言葉を濁す。
夏の祭事の時期以外であれば、わりと自由とのことだった。
七影蝶の姿も、殆ど見かけない。
どうやら、ゆっくりと星が観れそうだ。
「それにね、あたし達には、これぐらいの役得だって、あって良いと思うの」
「ですかね」
「ですよ」
何故か丁寧な言葉遣い。二人の間に自然と笑いがこみ上げてくる。
「ふふ…それじゃ、観ましょうか、星」
「水瓶座η(エータ)流星群な」
「細かいところまで良く覚えてるのねー」
「一応言いだしっぺなんで。ほら、ここに寝転がって観ようぜ」
「はーい」
二人並んで、シートに寝転がる。
触れた手と手は、こちらから、やや強引に、それでいてぎこちなく握る。
それに対して、蒼は何も言葉は発せず、優しく握り返してくれる。
「夜空をこんなにしっかりと観たのって、久しぶりかも」
「きっかけがないと、こうして観ることってないんじゃないかな」
「そうね」
その言葉を境に、しばらくの無言。
鳥白島の夜空を見上げる。
都会と違い、一切の灯りが存在しない空。
迷い橘のある開けた場所には、俺達だけ。
まさに専用のプラネタリウムだった。
満天の星空には、生命の輝きを放つ、星々が踊る。
今宵は月明かりもなく、観察には最高の条件。
特に探さずとも、目的の流星は視界に入ってきた。
天空に座す、水瓶から零れ落ちた無数の涙が、幻想的な碧色の尾を引き、駆け抜けていく。
映画のワンシーンにもなりそうな光景が、今、実際に目の前に在る。
そして、それを、かけがえのない存在である蒼と、二人の思い出にできるのがとてつもなく嬉しい。
隣に居る彼女も同じ事を考えていてくれているだろうか――
「ねえ、羽依里…」
突然、上体を起こし、呼び掛けられる。
「なに、蒼」
同じく、上体を起こして、それに答える。
「んっ」
少し首を上に曲げて、桃色の唇を突き出してくる。
と、なれば、何を要求されているかは、言葉にせずとも解る。
頬に手を添え、相手を愛しむ気持ちを前面に押し出して、君に送る口付け。
この日、零距離で触れ合ったこの熱さと、宇宙から降る祝福の光は生涯忘れることはないだろう。
「いつか、子供が出来た時にさ」
「うん」
「付けたい名前が一つ浮かんだんだ」
「どんな名前?」
「尾を引く流星の『碧』色。凄い綺麗で…でも大事な名前だから、こんな安易な考えじゃいけないと思うけど」
「確かに、心に残る色だったわね。空門家の女性には『色』が付いてるし、アリなんじゃない?」
「じゃ、候補の一つってことで、宜しく」
「まあ、その前に、子供が出来ないことにはしょうがないんだけどね」
「……なるほど?」
「あっ…ちょ、ちょっと! こ、こら~!」
そう言いつつもレジャーシートに倒れる君の表情は幸せそうで。
初めてキスした、夏のあの日みたいに我慢が利かなくなる。
未来に会う子供に先に謝る。
今だけは君のお母さんを独り占めにさせてもらうよ。
【星、観に行きませんか -水瓶座η流星群- 終わり】