私がお風呂からあがり、タオルで湿気をある程度取った後、ドライヤーで髪を乾かそうと居間へ向かうと、お気に入りソファでいつも通り、こちらが照れるぐらいに熱々な、お父さんとお母さんがキスしている現場を目撃した。
まずはお父さんがお母さんの頬へ。
すると今度はお母さんが照れつつもお父さんの頬へ。
一度ずつキスした後は、微笑みあっている。
お母さんの瞳が私の方へ向く。気付いたようだ。
あ、お父さんがお母さんの頬を両手で押さえて、顔を近づけていった。
「ちょ、ちょっと…碧羽がみて…んっ……もう!」
一瞬結ばれる唇と唇。
相変わらずラブラブな二人の様子に、眺めている私まで嬉しくなる。
「碧羽もこっちおいで。髪乾かしてあげるよ」
「はーい!」
二人の座るソファに空いた隙間が私の定位置だ。
大好きなふかふかの場所に沈むように座り込むと、左右から頭を撫でてもらえる。
「えへへ…」
「碧羽の笑い方は蒼にそっくりだよな」
後ろ髪を大きい手で掬われると、そこへドライヤーの温風が当たり、濡れ染めた髪の一本一本から水分が程よく飛んでいく。
お父さんの手に撫でられつつ、全体を満遍なく、丁寧に優しく乾かしてくれるその手際は、長年に渡り行ってきた結果。
今でもお風呂上りには、こうして私の髪だけでなく、お母さんの髪までお父さんが乾かすのを担当しているのだから、夫婦の愛が深いこと深いこと。
「そうね。あたしにそっくり、ふふ」
目の前にある、お母さんも私とまったく同じ感じで「えへへ…」と微笑む。
しばらくお母さんとお喋りしていると、仕上げの冷風も止み、「終わったよ」と後ろからお父さんの合図が聞こえた。
「今日もバッチリだね!」
「ありがとう」
お父さんが頬をこちらに向けてきたらご褒美を下さい、というポーズだ。
いつものやり取りではあるけども、念のためにまずお母さんに確認。
先ほどの笑顔のまま、頷いてくれた。
『一番』はお母さんだから、私がするときには許可を取ってから、と決めている。
それをお母さんに最初に話した時、「あたしたちの大事な娘なんだから、遠慮する必要なんてないのよ。むしろ手をブンブン振って喜びそうね」と言ってくれたけども。
お父さんの大きな肩に両手を置き、少し硬い頬に顔を寄せ、照れの赤色が奔ったその部分へ唇を軽く触れさせる。お母さんみたいに長時間するのは、私が恥ずかしくて出来ないから、いつも少しだけね。
「ご褒美頂きました」
「あげちゃいました。えへへ」
「っしゃー! やったよ蒼ー!」
本当に手をグーにしてブンブンと振って喜ぶお父さん。子供みたい。
「もう! 娘にほっぺちゅーして貰ったぐらいで、はしゃぎ過ぎよ! あんた毎回してもらってるじゃない!」
「蒼もやってもらったら分かるから! ほら!」
大はしゃぎのお父さんは、ソファの反対側へ回り込み、お母さんの頬っぺたを押さえ込んで、私に側面を見せる。
「…碧羽。お願いできる?」
「もちろん!」
今度はお母さんの、いつ触っても滑々で柔らかい頬っぺへちゅー。
お父さんはいつもこの感触を味わってるんだなあ、と思うと、羨ましさ半分、お母さんみたいな、美しい女性になりたいという気持ちが半分。
「えへ…えへへ…」
お母さんは、はしゃぎはしないものの、お父さんが言うところのお花畑状態になってしまって、しばらく現世に戻ってこなさそう。
「これが俺のお嫁さんなんだよ」
「素敵なお嫁さんだね!」
「だろ?」
未だに新婚さんみたいなラブラブ生活を送る秘訣を見た気がする。
そんな二人から生まれた私だが、そういえば、と夏休みの宿題を思い出す。
『自分の名前にこめられた意味を調べよう』という内容だ。
碧羽。
それが私の名前。
音でわかるように、お母さんとお父さんの名前から取っている、とは思う。
それ以外にも何か意味があるんだろうか。
「ねえねえお父さん。私の名前の意味って何があるの?」
「お、もしかして宿題で出たのか。勿論あるぞ」
「教えて! 教えて!」
「ああ。教えてあげよう。蒼、戻っておいで」
お花畑に羽ばたいていたお母さんが体を揺すられると、すぐさま正気に戻った。
「な、なに? あ、あたしったら、あはは…」
「碧羽の名前の意味を教えて、だって」
再びソファの反対側へ移動し、私を挟むようにして座るお父さん。
背もたれに重力を預けると、ぶわっと人の体の形に沈みこむ。
「学校の夏休みの宿題なの!」
「じゃあ、まずはあたしから話すわね」
お母さんも背もたれに沈み込むのを見て、私も倣い二人の間で沈む。
「碧羽は『碧』と『羽』という字の組み合わせ。碧は、『みどり』とか『あおい』とか『あお』って読むの。私の名前の『蒼』と同じ音でなおかつ、空門家の女性には色の名前が付けられる例に則ったの。羽はもちろん、こいつの名前からね」
「やっぱりそうだったんだ!」
「あたしと羽依里の子って意味になるわね。これは組み合わせの話。もう一つの意味については羽依里からお願いするわ」
「分かった。さて、そもそも何でこの字なのか。それはもう十年ぐらい前の、まだまだ付き合いたての頃の話なんだけど、今でもしっかりと覚えてるよ」
「そ、そんな前から決まってたの?」
普通は子供が出来た、もしくは生まれる前後とかに、考えられるものだと思っていたが、まさか十年も前からとは。相変わらずの愛の深さにほくそ笑む。
「ある年の五月上旬だったな。深夜に水瓶座流星群を見に行こうってなって、半分寝ぼけてる蒼を背負って空門の神域まで行ったんだ」
「大体合ってるけど、水瓶座η(エータ)流星群ね」
横からお母さんの細かい補足が入る。えーた? よく分からない。
「ηはギリシャ文字だよ。こう書くの」
お父さんの人差し指が、虚空へお洒落な線を描く。なるほど、そういう字なんだ。
「ありがとう。お父さん」
「碧羽は賢いからすぐ理解するよなあ。さすが俺の才能を受け継ぐだけはある」
「あたしの才能を継いだんですー! あんたは学校の成績悪かったでしょ!」
「やめて! 娘の前で頭が残念なことを暴露しないで!」
「もうとっくに知ってるわよねー?」
「ふふ。そうだね。でもお父さんはその分凄く格好良いから大丈夫だよ」
手で顔を覆ってしまったお父さんの肩をぽんぽん、とあやす様に叩いてあげる。
「碧羽ぁ…マイエンジェル…」
起き上がって私の体を優しく抱きしめるお父さん。
もう、どっちが子供なんだか。
そこも大好きな一面だけどね。
「お父さん。続き~」
「ごめんごめん。神域に着いたあと、目的である空を見上げたんだ。都会では見られないような綺麗な星空。無数に流れる流星群。その流れ星が、今でも思い出せるぐらいに素敵な碧色でさ。その時に二人で名前を考えたんだよ」
過去の記憶、その光景に私は引き込まれる。
「碧っていう字は『王』『白』『石』で造られてるけど、『王』は元々は玉で宝石。『白』は光り輝くさま。『石』は石そのもの。それらが組み合わさった『碧』は光り輝くような綺麗な石を意味するんだ。それに元々の碧色からの連想を加えると…」
そこで一息置いて、私の名前が語られる。
「光り輝く宝石の様に澄み切った、純真な心を。好奇心旺盛で、活発で元気な子に。青色でもあり、緑色でもある、碧色から大空や大海、大自然という雄大なイメージを。羽を持ってどこまでも高みへ羽ばたいて貰いたい。長くなったが、こんな意味を込めて名付けたんだよ」
すごい。聴き終わった後は素直にそう感じた。
たった二文字の名前に、ここまでの意味が、お父さんとお母さんの想いが、二人の思い出まで込められていただなんて。嬉しい。すごい嬉しい。
「教えてくれてありがとう! 二人の期待に応えられるように、頑張るね!」
「別にそんなに気張らなくてもいいのよ。こうして意味はあれど、碧羽は碧羽の生きたいように生きてくれれば、それが一番なんだから、ね? 羽依里?」
「そういうこと」
二人に同時に頭を撫でられる。
髪にそって流れていく、両親の指は次第に絡み合って、そして解けていく。
たくさん、たくさん愛してくれてありがとう! お父さんお母さん。
私の名前は空門碧羽。
空門の一族に生まれた『次』を担う娘。
そして、両親の愛を一身に授かった幸せな女の子です!
【虚空還門 -名付けられた意味- 終わり】