キャスターが最強のSHINOBIを召喚したそうです   作:ざるそば@きよし

16 / 35
キャスターが新たな手駒を手に入れたようです

 

「遠坂と衛宮の小倅が、おぬしの所とやり合ったそうじゃな」

 

 一条の光さえ届かない不気味な地下室の中に、しゃがれた声が響いた。

 声の持ち主は腰を曲げ、杖をついた老人だったが、その両目はぎらついた精気に満ちあふれ、皺くちゃの顔には不気味な笑みが張り付いている。まるでこの先に楽しい事でも待っているかのようだ。

 老人がゆっくり後ろを振り返ると、そこには朱色の鎧を纏った厳めしい男が立っていた。

 

「ああ。だが失敗に終わった。実につまらん結果だ」

 

 男――マダラは小さく頷いた。老人とは逆に失望の言葉を吐いた彼の顔は、退屈の色を隠そうともしていなかった。

 

「いっそあの場で仕留めてくれれば、もっと話は早かったんだがな」

 

 邪魔なマスターが敵の手に掛かって消えれば、余計な小細工を弄さずとも契約は失われる。未熟な敵に期待していた訳では無かったが、あまりにもつまらない幕引きに落胆してしまうのも、また事実だった。

 くだらない話を打ち切るように首を振ると、彼は改めて本題を切り出した。

 

「それで、肝心の令呪対策はどうなっている?」

 

「用意は出来ておる。これじゃ」老人は身につけていた着物の中から小さな蟲の入った籠を取り出した。「一度限りじゃが、令呪への耐性をつけられる。無論、完全にという訳では無いがの」

 

 きいきい、とか細い声で鳴く不気味な蟲にマダラは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに老人へと視線を戻した。

 

「使い方は?」

 

「おぬしの本体が取り込めばよい。そうすれば新たに令呪が発動した時、体内に取り込まれた術式が勝手に作動するようになっておる」

 

「上出来だ」

 

 マダラは老人から籠を受け取ると、もう用事は済んだと言うようにさっと踵を返した。

 

「あの女は自ら動く決心をしたようだ。俺たちの出番も近い。準備を怠るなよ」

 

 背後の老人に向かってそれだけ告げると、彼は振り返る事無く、老人の屋敷を後にした。

 

 ◇

 

 葛木が奇襲を受けてからずっと、メディアはその神経を苛立たせていた。

 

 許せない。まさか自分だけでなく、宗一郎の命を直接狙って来るとは。

 他人の事を外道だなんだと散々好き勝手に罵っておきながら、自分たちも平然と無防備なマスターを狙ってくる。甘っちょろい正義感を振りかざして来る癖に、なんとも傲慢な話だ。

 

 いいだろう。そちらがそういう手段に出るというのであれば、こちらにも相応の考えがある。

 奴らの身内――無関係な人間だろうが知った事ではない。親しい人々が自分たちの傲慢によって犠牲になる様を、目の前でじっくり見せつけてやろうではないか。

 

 これから生み出されるであろう惨劇を脳裏に浮かべ、キャスターは一人ほくそ笑む。

 

 あの女教師の首を目の前で切り落とした時、彼らは一体どんな表情を浮かべるだろうか?

 朝晩を共に過ごしている少女の身体をバラバラに引き千切った瞬間、奴らは一体何と言うのだろうか?

 後悔するがいい。お前たちは決して触れてはならない人に手を出してしまったのだから。

 

 ◇

 

 藤村大河が衛宮家と付き合い始めたのは、実に十年ほど前のことだった。

 きっかけは実家の隣にあった武家屋敷を、士郎の義父である衛宮切嗣が買い取った事だ。当時学生だった彼女は広大な屋敷に男一人で住まう彼の物珍しさに惹かれて交流を持ち、いつしか憧れの感情を持つようになっていた。

 それからしばらくして彼が衛宮士郎を養子として引き取り、共に接していくうちに家族同然の間柄となったのだった。

 

「久しぶりね。切嗣さん」

 

 墓前に花を手向け、線香を上げた大河が静かに語りかけていく。

 

「私も士郎も元気に暮らしてる。士郎ったらますます料理の腕に磨きが掛かってきててね、部活をやめたからっていうのもあるんだろうけど、今のはとにかく手が込んでて、お箸が止まらないくらいなのよ」

 

 最初のうちは自分たちの近況を。続いてここ一番にあった出来事へと話は移り変わっていく。

 

「そうそう。最近ね、セイバーちゃんっていう子が訪ねてきたのよ。とっても綺麗な女の子で、切嗣さんに昔お世話になったって言ってたの。確かイギリスから来たんだったかな」

 

 そこまで言って、彼女がいったん言葉を打ち切る。

 顔には懐かしさとも哀悼とも言えない表情。

 

「結局、一度も外国に連れて行ってくれなかったね」

 

 衛宮切嗣は生前、長く家を空けることがたびたびあった。彼自身は仕事の関係だと言っていたが、本当の所は誰にも分からない。ただ、帰ってくるたびに疲れ、痩せ衰えていく姿を見せていたことだけは、彼女の記憶に今も強く残っている。

 

 外国で彼がしていたという仕事。それはあのセイバーという少女と何か関係があるのだろうか?

 探るようにかつての記憶を巡らせる。が、どれだけ考えても合致するような考察は生まれなかった。

 

「……いまさら考えてもしょうがないか」

 

 過ぎ去った事をあれこれ詮索しても仕方が無い。今更知った所で何か出来る訳でも無く、何より死者との思い出はなるべく綺麗なままの方が良い。

 そう考えた彼女はこれ以上の詮索を打ち切った。

 

「さてと。じゃあもう行くね。今度は士郎やセイバーちゃんも一緒につれて来るからね」

 

 最後に線香をもう一度上げ、静かに祈りを捧げ終えた大河が墓地を後にしようとした時、不意に視界の端に見覚えのある女性が居るのを見つけた。

 

「あの人……」

 

 そして、その女性が誰なのか分かったと同時に、大河の意識はそこで途切れた。

 

 ◇

 

 藤村大河を最初の獲物に定めたのは、単純に捕まえやすかったからだ。

 魔術師ではなく、誰かに護衛されているワケでもなく、それでいていつでも襲ってくださいと言わんばかりに無防備な人物。

 これで狙わなければ嘘だろう。

 一方の間桐桜はと言えば、自身が御三家の家柄である事に加え、ここ数日はなぜかあの家への出入りを控えている。おそらくライダーのマスターだった兄が殺された事で、身の危険を感じたのだろう。

 あるいは何か別のことを企んでいるのか。

 とは言え、大した力もない小娘一人を捕まえるなど造作も無い。まずは一人目で反応を見てからでも遅くはないだろう。

 そう考えた結果、藤村大河はめでたく最初の犠牲者になる事が決まったのだった。

 

 こうして彼女の身柄を苦も無く手に入れたメディアだったが、その心はそれほど明るくはならなかった。

 

 葛木から聞いた話では、彼女は自分たちの幸せを一番に祝福してくれた人間だった。メディア自身、彼女とは一度街中で出くわしており、その良さそうな人柄は今でもよく覚えている。

 そんな人間を自分は今から惨殺しようとしているのだ。

 

 心の隅に僅かに残っていた良心のようなものが、メディアの心を苛む。が、彼女は首を振ってそれを無視した。

 馬鹿馬鹿しい。この手はとうの昔に汚れきっている。殺す人間が今さら一人二人増えたところで、何も変わることは無い。

 全ては聖杯戦争に勝利するため、ひいては宗一郎のためだ。

 冷徹な魔女の仮面を再びかぶり、メディアは敵の元へと飛んでいく。

 やり場の無い感情を胸の奥に押し込めながら。

 

 ◇

 

 葛木への奇襲を失敗に終え、狙う相手を見失った士郎たちは、方針が定まるまでの間を休養に費やしていた。

 その日も朝から街へと出かけ、買い物や遊戯で時間を過ごす。今が戦いの最中だとしても、英気を養うのは重要な事だ。

 男一人に女二人。どこかデートめいた休養に最初は戸惑っていた士郎だったが、変に気を張る事をやめて楽しむ事だけに専念すると、あっという間に時間は過ぎていく。

 そして気がついた時には、もう帰りのバスに乗り込む時間となっていた。

 

「リン。今日はありがとうございました」

 

 後ろの席に座っていたセイバーが楽しげに言った。手には士郎に買って貰った小物の袋が握られている。よほど嬉しかったのか、何度も袋の口を開けてはそれを眺めていた。

 

「ああいいのよ。あたしも色々欲しいものがあったしね」

 

 一つ前の座席に座っていた遠阪凜がぱたぱたと手を振るう。こういう時、率先して面倒を見るのが彼女の特徴だった。

 

「しっかし、すごい雨だな。早めにバスに乗れてよかったよ」

 

 と、窓の外を眺めながら士郎が言った。真冬には珍しい急な大雨で道路はけぶり、通行人たちもみな戸惑っている。濡れることなくバスに乗れた自分たちは幸運だったと思う他ない。

 のんびりとバスに揺られながら、士郎はぼんやりと次の標的について思案する。

 未だ残っている敵はキャスターとアサシン、バーサーカー、そしてランサーの四騎三組。そのうち未だマスターの正体も本拠地も掴めないランサーとは戦いようが無いが、残る二組とは近いうちに決着を付けなければならないだろう。

 だが相手は無類の強さを誇るバーサーカーと、二人一組で待ち構えるキャスターとアサシン。仮に正面から相手取ったとして、果たして勝てるものなのだろうか。

 気が進まなかったとは言え、あの奇襲に失敗したのは大きい痛手だったと今更ながらに思わざるを得ない。

 詰まっている問題は、どれも頭を悩ませるものばかりだ。

 

「――シロウ」

 

 ふと、隣に座っていたセイバーが出し抜けに告げた。先ほどまでの明るい表情とは打って変わって、張り詰めたような鋭い剣気を顔に滲ませている。

 嫌な気配を背中に感じつつも、士郎が聞き返した。

 

「どうしたセイバー」

 

「いつの間にか、バスの中に誰も居ません。それに周囲の様子も何か変です」

 

「なんだって?」

 

 言われた士郎が驚いたようにバスの中を見渡す。

 すると、さっきまで確かに乗っていたはずの乗客達は忽然と消え去り、窓の外にある景色も、まるで災害映画のように凄まじい雨水であふれかえっていた。

 

「……まずい!」

 

 弾かれたように士郎は立ち上がると、そのままバスを停めさせるべく運転席に向かって駆けて行く。

 

「おい! 大変だ。急いで降ろしてくれ!」

 

 怒鳴りながら士郎が駆け寄ったものの、そこに本来居るはずの運転手の姿はなく、車は無人のまま動き続けていた。

 

「ちょっと! どうしたのよ一体!」

 

 わずかに遅れて状況に気がついた凜が慌てて席を立つ。

 が、それと同時に溢れていた外の水がバスに向かって勢いよくぶつかってきた。

 

「うわぁ!?」

 

 水に押された車体がぐらりと傾き、そのまま側面を地面に付ける。ガリガリと金属が擦れる不快な音を立てながら、滑るように道路を突き進んでいく。

 

「くそッ……! なんだなんだ一体!?」

 

 投げ出されないように必死に周囲に掴まりながら、士郎が苛立ちの声を上げた。こうした危機に何度も遭遇してきたせいもあってか、それくらいの余裕は生まれていた。

 見れば車内にはまだセイバーも遠坂も残っている。自分と同じように辺りの物に掴まりながらも、何とかその場に留まっていた。

 仲間の無事が分かったことで一瞬、安堵の息を漏らした士郎だったが、安心している場合では無かった。一刻も早く状況を解決させなければ、全員タダでは済まない。

 

「遠坂! 攻撃されてる! 何とかならないのか!」

 

「いきなり言われても無理よ! どんな魔術が使われてるかも分かんないんだから!」

 

 確かに魔術の種類が分からなければ、術を解こうにも手が出せない。仮に分かったとしても、衝撃から身を守るしかない今の状況では動きようがない。

 いっそセイバーの力でバスを破壊し、内部から脱出するという手もあるが、周囲が水で囲まれている以上、それも得策とは言えない。今のバスは死の棺には違いないが、同時に大量の水から身を守る盾にもなっていた。

 

 どうする。どうする。どうする。どうする。

 

 迫り来る恐怖と焦りに半ばパニックになりかけているのが分かる。

 

 落ち着け。冷静になれ。そうすれば必ず、何か解決の糸口が見えてくる筈だ。

 

 そう自分に言い聞かせながら、考えを巡らせる。

 すると、バスの後ろに居たセイバーが声を上げた。

 

「シロウ! ここは一度外に出ましょう!」

 

「出るって言っても、いま外に出たら溺れちまうぞ!」

 

「大丈夫です。私に考えがあります!」

 

 どうやら何か策を思いついたらしい。声の強さからも、その自信の程が窺える。

 自分や遠坂が何の手立ても思いついてない以上、取れる方針は少ない。ここは賭けてみるしかなさそうだ。

 

「……分かった。信じるからな!」

 

「はい。任せてください」

 

「遠坂!」

 

 もう一人の相棒に声を掛けると、委細承知とばかりに返事が飛んできた。

 

「分かってる! こうなりゃもう一蓮託生ってね!」掴まっていた鉄柱から手を離すと、そのままセイバーの身体に身を任せる。「任せたわよセイバー!」

 

 彼女に続いて士郎もどうにかバスの後方まで移動すると、セイバーの身体に掴まる。鎧姿とは言え、少女の身体にしがみつくのは男として気が引けたが、我が儘を言っている場合では無かった。

 

「二人とも、しっかりと掴まっててください」

 

 確認するようにそう言うと、横倒しになった衝撃で割れた窓からセイバーが勢いよく飛び出した。

 山なり軌道の跳躍は半壊したバスをあっという間に後ろに見送り、元来た道へと戻っていく。だがそこにあるのは道路ではなく、荒れ狂った水面だ。

 このままでは三人とも水の中に引き込まれる。

 そう思った士郎だったが、驚いたことにその予想は大きく外れた。

 

 なんとセイバーは濁った水面の上に難なく“着地”すると、そのまま何事も無かったかのように走り出したのだ。

 

「うそ……」呆然とした表情で凜が言う。その声はまさに、信じられない物を見たという感じだった。「水の上を、走ってる……?」

 

「私は故郷で湖の精霊の加護を受けています。なのでこうして水の上を走る事が出来るのです」

 

 何でも無い風にそう答えながら、セイバーが荒れた水面を走って行く。水しぶきを上げながら水上を進むその様は、騎士というよりも聖者の類いに見えた。

 

「湖の精霊? ちょっと待って、それってもしかして……」

 

 セイバーの言葉に思い当たる節があったのか、凜が驚いたような声を上げる。

 そこへ士郎の声が割って入った。

 

「お喋りは後だ。それよりセイバー、あのビルの屋上はどうだ?」

 

 彼が指したのは少し高い三階建ての雑居ビルで、周囲に点在するガラス張りのビルよりかは頑丈そうな造りだ。

 これならしばらくは持ちこたえられるだろう。

 セイバーもその意見に賛成すると、水面から勢いよくジャンプし、ビルの屋上まで一気に飛び乗った。

 

「ふぅ……ようやく一息つけるって訳ね……」

 

 セイバーの肩に掴まっていた凜が胸を撫で下ろしながらビルの床に立つと、眼下に見える濁った水面に視線を向けた。

 

「しっかし、こんな大規模な結界を張れるヤツなんて、どう考えても一人しか居ないわよね」

 

 彼女の言葉に残りの二人も同意する。

 水で溢れかえったこの冬木の街は現実に起こったものでは無く、敵が生み出した結界によるものだ。いかなる方法で作られたものかは定かではないが、現代の魔術師がおいそれと生み出せるようなレベルのものでは無い事は一目で分かる。

 そしてそれを証明するように、どこからともなく女の声が漂って来た。

 

 ◇

 

 虚空を割って現れた影は見覚えのある形をしていた。

 風にはためく黒いローブ、童話の魔女めいた長い杖、フードの合間から時折覗かせる妖しい笑み。

 二度もまみえた敵を見間違える筈もなかった。

 

「あらあら。せっかくの水遊びを途中で抜け出すなんてつれないわね。もっと無様に踊ってくれると思っていたのに」

 

 皮肉を込めながら上空に漂う影――キャスターがせせら笑った。凛の予想通り、この結界は彼女が作り出したものらしい。

 

「お生憎様、こんなチャチな結界であたし達をどうこうしようなんて、百年早いのよ」

 

 服に忍ばせておいた宝石を取り出しながら遠坂が果敢な笑みを浮かべる。一度は退けた相手であるだけに、その物言いには自信が満ちていた。

 

「それで何? 白昼堂々この前の仕返しに来たってワケ?」

 

「ええ、でもそれだけじゃないの。今日はあなたたちにとっておきのプレゼントを用意してあるのよ」

 

 唇を不気味に歪ませながら、すっ、とキャスターがローブを翻す。

 すると、薄い布地の向こう側から見知った顔の人物が姿を現した。

 

「藤ねえ!」

 

 驚きと絶望で顔色を変えた士郎がその名を呼ぶ。

 キャスターの服から出てきたのは藤村大河その人だった。

 

「彼女、あなたたちとは随分仲がいいみたいね?」にやついた声でキャスターが言った。「ちょうど一人で外を出歩いてたものだから、少しお付き合い頂いたわ」

 

「やめろ! 藤ねえは聖杯戦争とは関係ないだろ!」

 

「ええ。でもそれが何か?」士郎の悲痛な叫びも、目の前の魔女には全く効果がなかった。「あなた達は大切な私のマスターを狙ったのよ? 報復がある事くらい、まさか覚悟していなかった訳じゃ無いわよね?」

 

「……ッ!」

 

 その可能性が常にあることを、士郎たちはすっかり失念していた――いや、あえて考えないようにしていた。

 

 敵は自分たちが何者なのかを既に知っている。ならば自分たちを誘い出すため、あるいは苦しめるために無関係の人間に手を出すことくらい朝飯前だ。

 今までそうしてこなかったのは、単に敵が身を隠す事を徹底していたからに過ぎず、手段を選ぶ必要が無くなった以上、相手がそういった行動に出るのは必然だった。

 

「お別れを言うなら今のうちよ。首が千切れてからでは遅いものね」

 

 キャスターが軽く身振りをすると、大河の身体がふわりと前に出る。見せつけるように宙に浮かんだ彼女はまさしく、捧げられた生贄だった。

 もう時間は残されていない。

 

「待てキャスター!」縋るような声音で士郎が再び叫んだ。「お前に提案がある!」

 

「提案?」魔女は鼻で笑った。「勘違いしてるのではなくて? 自分がそんな立場にない事くらい分からないのかしら?」

 

 キャスターにとって藤村大河は人質ではなく、報復のための犠牲だ。要求すらしていない相手に取引や提案を持ちかけた所で、身柄が解放される望みは限りなく薄い。

 だが士郎には他に手段が無かった。

 

「俺の令呪をお前に渡す。だから藤ねえを返せ」

 

 彼が語った提案にその場の誰もが目を剥いた。特に隣にいた凜とセイバーに至っては驚きを通り越して怒りすら向けていた。

 

「は!? ちょっとアンタ、一体何考えてるのよ!」

 

「同感です。士郎、それは出来ない。貴方は自分が何をしようとしているのか、分かっているのですか!」

 

 マスターの資格である令呪を譲渡する。それは自分が聖杯戦争を棄権するだけでなく、敵に自らのサーヴァントを差し出すのと同じだ。

 チームを組んでいる凜やセイバーからすれば、立派な利敵行為である。いくら親しい人間を奪われたとしても、安易に取っていい判断ではなかった。

 

「悪い二人とも。もう決めたんだ」だが彼は断固として譲らなかった。「そういうわけだ。今から俺の令呪をアンタに渡す。だから藤ねえを離してくれ」

 

「……正気? 自分からサーヴァントを手放すというの?」

 

 あまりにも潔過ぎる士郎の言葉に、流石のキャスターも訝しげな顔をする。どれだけ苦しめても応じなかった要求を、身内に手を出された途端に翻す彼の態度に、怪しいものを感じ取っていた。

 

「ああ、ただし約束しろ。今後一切、藤ねえや無関係な他の一般人には手を出すな。それが令呪を渡す条件だ」

 

「生意気ね。サーヴァントを一騎差し出すだけで公平気取り? その気になれば、今すぐあなた達を殺してセイバーを奪うことだって出来るのよ?」

 

 キャスターが軽く杖を振ると、彼女の回りに光の玉がいくつも浮かび上がる。いつぞやの境内で放った攻撃魔術と同じものだろう。

 武力で押し通す事も出来るという意思表示だ。

 

「それなら俺はここで令呪を全部使ってあんたを攻撃する」士郎が左腕に刻まれた令呪を出した。「お前は以前、俺の令呪を奪おうとしていた。つまりセイバーが必要なんだろ? 手に入らなくなってもいいのか?」

 

 それは一種の賭けだった。

 以前戦った時、キャスターは異常なまでに他のサーヴァントを欲していた。最初にさらった士郎だけでなく、途中で割り込んできたアーチャーにまで粉をかけていた事から、何か余程の事情があるのだろう。

 だとしたら、彼女が最も欲しがっているサーヴァントを差し出す事で取引に乗ってくる可能性もあるはずだ。

 そして幸いな事に、彼は分の悪い賭けに勝つことが出来た。

 

「……小賢しい坊やだこと」キャスターは小さく舌打ちすると言った。「まあいいでしょう。本当にその気があるのなら、両手を挙げてこちらに来なさい。ゆっくりとね」

 

 彼女の言葉に従って、士郎がゆっくりとビルの屋上を歩いて行く。

 その背中へ掛かる声が二つあった。

 

「ダメだシロウ! 行ってはいけない!」

 

「そうよ! こんな土壇場で、あたし達を裏切るつもり!」

 

 非難の混じった叫び。敵に応じた士郎を引き留めようと、セイバーと凜が必死に声をかけていた。

 士郎は彼女たちに振り返ると言った。

 

「藤ねえがさらわれたのは俺たちの責任だ。それは償わなくちゃいけない。もしここで藤ねえを見捨てたら、俺たちもキャスターと同じになっちまうんだ」

 

 託すべき願いを持たない士郎にとって、聖杯戦争とは単に無為な犠牲を出さないための戦いだった。

 キャスターや慎二のような、他人を養分としか見ていない人間に聖杯を渡せば、その後どうなるかは火を見るよりも明らかだ。それを防ぐために彼は戦いを決意し、セイバーという剣を取った。

 それが己の勝利の為に無関係な他人を犠牲にしたとなっては、本末転倒もいいところだ。

 

「口を慎みなさい。令呪を奪った後でこの女を殺してもいいのよ?」

 

 苛立ったようにキャスターが鋭い言葉を投げる。自分がさも卑怯な無法者だという言い方が癪に障ったようだ。

 

「……悪かった。それより、するなら早くしてくれ」

 

 士郎が真下まで歩いてきたのを確認すると、大河をそのままにしてゆっくりとキャスターが降りてくる。そしてビルの床に難なく着地すると、差し出された彼の手を取った。

 

「男なら歯を食いしばりなさい。少し痛むけれど、死にはしないわ」

 

 彼女の忠告に従って士郎は手を硬く握り、来る痛みに備えて歯を食いしばる。

 そしてキャスターが小声で呪文を唱えた次の瞬間、痺れるような痛みが彼の全身に広がった。

 

「ぐぁぁぁ!!」

 

 魔術回路への干渉を受け、士郎が苦痛の声を上げる。令呪を剥がすという行為は、擬似的な物とは言え、身体に張られた神経を剥がす事と同義だった。

 

「シロウ!」主の苦しむ声にもう我慢できないとばかりに、セイバーが不可視の剣を構える。どうやら彼の命令に背いてでも彼を取り戻すつもりのようだった。「こうなったら……リン!」

 

「分かってるっての!」

 

 彼女の合図に凜も応じると、握った宝石から魔力を引き出すべく呪文を唱える。

 が、それを止める声があった。

 

「や、やめろ二人とも……!やめてくれ!」

 

 叫んだのは無論、士郎だ。令呪を剥ぎ取られる苦しみに耐えながらの声は掠れていたが、それでもはっきりとそう言った。

 彼の言葉にせき止められ、二人が咄嗟に歩みを止める。

 

 そのまましばらく苦しみの声を上げていた士郎だったが、それは唐突に終わりを迎えた。

 

「フフフ……! ついに、遂に手に入れたわ!」

 

 移植を終え、よろめく士郎を尻目に、キャスターが喜びの声を上げる。その手には彼の手に刻まれていた令呪と同じものが宿っていた。

 弾むような声を響かせながら、続けてキャスターは己の右手をセイバーへと向けた。

 

「こちらに来なさいセイバー。抵抗は許さないわ」

 

「くっ……!」

 

 令呪が持つ強制力に縛られ、セイバーの身体が意思とは無関係に前進し始める。苦悶の表情を浮かべ、必死に抵抗する彼女だったが、サーヴァントである以上、その力には抗いようが無い。

 セイバーが傍らまで来ると、大河を出した時と同じようにキャスターがセイバーをローブで包む。

 すると次の瞬間、彼女の姿は手品のようにそこから消え去っていた。

 

「約束は守った。藤ねえを返してくれ」

 

「……いいわ。令呪も手に入れたことだし、貴方にはもう用はないもの」

 

 満足げにそう告げると、キャスターが再び軽く身振りする。

 同時に、空中に浮かんでいた大河の身体が重力に従って降りてきた。

 

「藤ねえ!」

 

 落下した大河の身体を士郎が抱き留める。その身に異常が無いかを確かめたが、眠らされているだけで命に別状はないようだった。

 

「死にたくなければ余計な事はせず、このまま大人しくしている事ね。そこのお嬢さんとは、いずれまた決着を付けてあげる」

 

 敵意を放つ凜を一瞥した後、キャスターが再び宙に浮かぶ。そしていつかの夜と同じように周囲の空間をゆらめかせると、何事も無かったかのようにその場かから消え去った。

 

 主が消えたことで結界は役目を終えたのか、街はいつの間にか現実のものに戻っていた。ビルの下には多くの人々が行き交い、喧噪を響かせている。

 さっきまで起こっていた事がまるで嘘のようだった。

 

「悪い……遠坂。こうするしか無かったんだ」

 

 無言のまま床を見つめる遠坂に、士郎が頭を下げた。今の彼にはそれしか出来ることが無かった。

 

「何も言わないで」

 

 返す凜の言葉は冷たかった。一切の感情を感じさせない氷の声だった。

 

「理由はどうあれ、あんたは聖杯戦争を降りた。なら私とあんたはもう無関係よ」

 

 一方的に言い放つと、彼女はビルの扉に向かって歩き出した。

 

「……じゃあね衛宮君。何かあったら教会を頼りなさい。私はもう、あなたに関わる事はないと思うから」

 

 忠告めいた言葉を最後に、ばたんと扉が閉じられる。

 その一言を、士郎はただ心の奥で噛みしめるしか出来なかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。