キャスターが最強のSHINOBIを召喚したそうです 作:ざるそば@きよし
重い足取りで自宅にたどり着いた凜は、真っ先に浴室へと向かった。
シャワーから吹き出す温かい湯が身体に付着した汗や汚れを洗い流し、心地よい熱を与えてくれる。雨と泥水で凍えた心にはこれがひどく効いた。
あの時、士郎に伝えた気持ちに嘘は無い。身内とは言え、他人を慮って戦いを降りるような心持ちでは、この先を戦い抜くのは不可能だ。ならばいっそ、お互いすっぱりと縁を切っておいた方が得策だろう。
だがこうも思う。もし目の前に出されたのが藤村大河ではなく、間桐桜だったなら、と。
マスターとして、魔術師としての遠坂凜が出す答えは言うまでも無く最初から決まっている。だが姉として、一人の人間として、世界でたった一人の妹が目の前で惨殺される場面に直面した時、果たして自分は冷静でいられるだろうか?
自分が冷徹になり切れない事は、士郎を助けた時から既に自覚している。仮に桜と聖杯を天秤に掛けられた時、自身の感情がどちらに傾くかは凜本人にも分からなかった。
「……私も士郎の事は言えないわね」
苦い感情をため息と一緒に吐き出す。彼にはああ言ってしまったが、仕方ない事だと思って割り切るしか無いだろう。
髪と身体を一通り洗い、頭上から降り注ぐシャワーを止めると、水気を切って浴場を出た。
バスタオルで身体を拭き、髪を乾かして整える。いつものように髪を左右で纏めると、僅かながらでも活力が戻ってくる気がした。
状況は芳しくない。だが自分にはまだ戦う力があり、何より負けっぱなしでは我慢がならない。
心身共に気合いを入れ直し、リフレッシュした遠坂凜がリビングに向かうと、そこには仏頂面をした自らのサーヴァントが、偉そうにソファーでふんぞり返っていた。
「――だから言っただろう。あんな小僧など、使い物にならんとな」
肩をすくめながらパートナーである弓兵が皮肉っぽく言った。
「半端な覚悟しか持たない人間なぞ、戦いの中では邪魔になるだけだ。死ぬだけならまだしも、サーヴァントをみすみす敵に譲り渡すなど、愚の骨頂だな」
「もう過ぎた事よ。今さらグチグチ蒸し返さないで」
彼の批判は正鵠を射ていたが、これ以上聞くつもりは無かった。一歩間違えば、自分がその立場に陥っていたかも知れないのだ。
それにまだ完全に負けた訳ではない。今の自分に必要なのは、過ぎた失敗を悔いる事ではなく、少しでも前に進む事だ。
「確かに状況は厳しくなったけど、私たちのするべきことは変わらないわ。大きな賭けになるけど、セイバーが完全に制御下に置かれる前にキャスターを叩く。いいわね、アーチャー?」
「異論は無い」
言い終えると彼は静かに頷き立ち上がった。柳洞寺での戦いから出番を控えていた分、魔力は必要以上に充填されている。奥の手である宝具も問題なく使用できるだろう。
これならいけるかも知れない。
考えを前に向けた彼女は戦いの準備を進めるべく、自室へと向かった。
背後で小さく呟かれた「潮時だな」という言葉に気付く事すらなく。
◇
閑散とした夜の柳洞寺に二つの人影が立っていた。
一つは闇に溶けてしまいそうな漆黒のローブを身に纏い、対するもう一方は夜闇の中でさえ目を引く朱色の鎧を着込んでいる。和洋のはっきり分かれた歪な組み合わせが、互いの関係性を如実に表していた。
「――聞いているのですか、アサシン」
黒い方の影――メディアが苛立たしげに目の前の男に尋ねた。
彼には門番を続けるようにと指示を出したばかりだった。多少の不安は残るが、セイバーを完全に掌握するまではこの男を使うしかない。
だというのに、当の本人はと言えば、まるで何も聞いていなかったという風にこちらを一瞥すらしないのだ。
「聞こえている」
数秒遅れてから彼女の方を見もせずにアサシンは答えると、右手に握ったクナイを上空に向かって投げ放った。
鋭い軌道の刃は何も無いはずの空間を切り裂くと、上空で火花を散らして小さな金属音を一つ立てた。
続けて上空からクナイと一緒に何かが落ちてくる。
視線を向けると、そこには青く輝く鳥のようなものがバタバタと小さくもがいていた。
「一応聞くが、これはお前の差し金か?」
違うと答える代わりにメディアはそれを足で踏み砕いた。
それは魔術で作られた使い魔の一種だった。視覚を使って敵地を偵察するためのもので、魔術師の間では古くから用いられている。作る素材は魔術師の家系によって様々だが、宝石を使っている所からして、おそらくはアーチャーのマスターが放った物に違いない。
「……馬鹿な娘。せっかく見逃してあげたのに、わざわざ命を捨てるような真似をするなんて」
あの時はセイバーを差し出した少年に免じて見逃してやったが、再び向かってくるというのであれば容赦する道理は無い。
メディアは小さく呪文を呟くと、自身の身体を浮かび上がらせた。
「アサシン。あなたは引き続きここで宗一郎様を死守しなさい。一匹たりとも敵を通してはなりません。いいわね?」
「承知した」
短く答えると、男は山門に向かって淀みない足取りで歩いて行く。
何だかんだと不平不満を漏らしていた今までがまるで嘘のようだ。
彼の従順な態度にどこかきな臭いもの感じ取ったメディアだったが、ひとまずは棚に上げることにした。
それよりも今は、先に片付けておかなければならない事がある。
「……結構。ようやく少しは自分の立場が分かってきたようね。消されたくなければ、せいぜい門番に徹する事ね」
遠ざかっていく背中に一応の釘を刺すと、そのまま彼女は空を飛び、街の反対側にある聖堂教会を目指して一直線に飛んでいった。
◇
キャスターが囮の使い魔を踏み砕き、闇夜の中に消えていく一部始終を、遠坂凜は自室から別の使い魔を通してつぶさに見つめていた。
魔女が飛んでいった方角には新都がある。だが敵の狙いは街ではなく、その先にある“教会”だろう。聖杯戦争を監督する神父が消えれば、魔女の悪行を邪魔する者はもはや誰も居なくなる。
そうなれば、更に強力な魔術が街の人々を無差別に襲うのは目に見えていた。
「……アイツを助けるみたいで気が進まないけど、これを逃す手はない、か」
遠坂は悪趣味な笑みを浮かべる神父の顔を思い浮かべた。気に食わない人物だが、兄弟子でもあり、監督役でもある彼をむざむざ殺させる訳にはいかない。
加えて柳洞寺では相変わらずアサシンが敵を待ち構えている。セイバーを失っている以上、こちらは既に二対一というハンデを背負っている。そういう意味では、このキャスターの外出は、まさに千載一遇のチャンスだった。
凜は急ぎ立ち上がると、素早く家の玄関を出た。
「アーチャー」
「分かっている」
相棒たる弓兵は頷くと、遠坂の身体を両手に抱きかかえた。
サーヴァントの身体能力は人間の比ではない。彼が直接凜を運べば、家から教会までは三十分とかからないだろう。
「急いで。キャスターが柳洞寺に戻ったらもうおしまいよ」
主の命令に彼は無言で頷くと、まさしく人間離れした跳躍力で屋敷を離れ、深夜の住宅街を鮮やかに駆け進んでいった。
◇
監督役を務める言峰綺礼は、今回の聖杯戦争について“意外”という感想を抱いていた。
本格的に戦いが始まって一週間と少し。大きな騒動はいくつかあったものの、未だに脱落者はライダークラスが一騎のみだ。残りの六騎はしぶとく生き残り、他を出し抜くチャンスを虎視眈々と窺っている。
マスターが正規の魔術師ではないセイバーあたりはすぐに脱落するかと思っていたが、存外に生き残る才覚はあったようだ。
これは予想以上に楽しめるかもしれない。
彼がそう考えた時、不意に何者かが教会の中に入り込んでくる気配を感じた。
「…………」
濃密な魔力を纏った気配はおよそ人間のものではなかった。人間が持てる力には大なり小なりの限度があるが、現れた何かはその範疇を大きく逸脱している。だとすれば、気配の正体は自ずと知れてくるというものだ。
彼は立ち上がると、自室に保管しておいた武器のいくつかを取り出して法衣の懐に納めた。場合によっては身を守る武器や道具が必要になってくる。
短時間でできうる限りの準備を済ませると、彼は教会の入り口へと向かった。するとそこには監督役を務める綺礼としては決して看過できない類の客が姿を見せていた。
「――こんばんわ。監督役の神父さん」
嗜虐的な笑みを浮かべて立っていたのは女だった。いかにも魔女らしい黒ずくめの服装と杖には見覚えがある。感じ取った魔力の大きさから推測しても、キャスター本人に間違いなかった。
言峰は胸中に湧いた警戒心が一回り大きくなるのを感じた。
「何の用かな? ここは聖杯戦争において不可侵となっている中立地帯。サーヴァントである貴様が足を踏み入れて良い場所ではないのだがな」
忠告を口にしてはみたが、素直に聞くような相手ではないことは一目瞭然だ。問題はそこから如何にして多くの情報を引き出すかになる。
「これを見てもそう言えるかしら?」
くつくつと笑みを浮かべながらキャスターが己のローブを軽く広げる。その下から現れた人物を見て、言峰は思わず目を剥いた。
「……セイバーだと?」
あり得ない事だった。セイバーは衛宮士郎が契約したサーヴァントであり、それは言峰自身がこの目ではっきりと確認している。
だが目の前に現れた英霊は紛れもなく本物だった。魔術で自由を奪われているのか、不満と苦痛の表情を隠そうともしていない。何らかの手段で本来のマスターから奪い取られた事は明白だった。
「そう。つまり今の私はサーヴァントにしてマスターというわけ」勝ち誇るようにキャスターはセイバーを再び服の下に納めてから言った。「そしてこれが本題なのだけれどーー聖杯を受け取りに来たわ」
「聖杯だと?」思わず言峰は聞き返した。「聖杯はサーヴァントが最後の一騎になるまでは現れない。貴様も召喚された時にそう知らされている筈だ」
聖杯戦争とは文字通り、最後まで勝ち残ったマスターとサーヴァントに聖杯を授ける儀式だ。まだ六騎ものサーヴァントが生き残っている状況の中で、聖杯が顕現する訳がない。
しかし彼女の態度と自信に変化は無かった。
「それは“大きい方”の聖杯でしょう? 私が言っているのは“小さい方”よ」
一瞬、神父は表情を硬くした。
「……繰り返すが、ここに聖杯など無い」
「結構。ではこちらも好きな様にさせて貰うわ」
キャスターが軽く手振りをすると、にわかに教会の内部に闇が蠢き、中から武器を持った骸骨が次々と姿を現す。どれもこれもが顔どころか頭すら持たぬ異形の兵士だが、彼らが放つ敵意は本物だ。
「もう一度だけ聞くわ。聖杯はどこにあるの?」
四方を囲む異形の怪物たち。そして目の前には殺気を漲らせたサーヴァント。
誰が見ても生存は絶望的だろう。
にも関わらず、神父に慌てる様子は微塵も見られなかった。代わりに大きな息を一つ吐き、皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
「──脅しにしては随分と稚拙なやり方だな、コルキスの王女。それとも悪逆にはまだ慣れていないのかね?」
今度はキャスターの顔から一切の表情が失われた。言葉の意味が分からなかったのか、それとも屈辱と怒りのあまり表情を浮かべる余裕すら無かったのか。
数秒の後、底冷えするような冷たい声で魔女が告げた。
「……いいわ。それなら喋りたくなるまで、その身体に聞いてあげる」
怪物たちが動き出した。各々が手に持った武器を振りかぶり、神父の命を刈り取ろうと殺到する。
ぼき、ぼきり、ごきん。
真夜中の教会に凄惨な音色が響いた。骨の砕ける暴力の音。
だがそれは、怪物が生み出した殺戮の音色ではなかった。
「――!」
キャスターの顔が驚きに歪む。フードの奥に隠れた瞳が信じられないとばかりに揺れている。
争いが収まり、静寂が再び場を支配した。立っているのは魔女と神父の二人のみだ。
「数は多いが、存外に大した事はないな」
悠然とも言える口調を返したのは綺礼の方だった。彼は襲いかかる骸骨の群れを拳だけで蹴散らし、無傷でその場に佇んでいた。
「……確かに。どうやら少し甘く見ていたようね」
僅かに浮かんでいた動揺を皮肉で覆い隠すと、再びキャスターが怪物を呼び出す。次に現れた骸骨の数は、先ほどの倍以上だ。
「あなたがどこまで耐えられるのか、少し興味が出てきたわ。簡単には壊れないでよね。神父さん?」
魔女と神父――神秘という神秘が消えつつあるこの現代において、時代錯誤とも言える組み合わせの戦いが始まった。
◇
聖堂教会とは、一言で言えば、異端を狩るために作られたカトリックの裏組織である。
彼らは人の手に余る神秘を自らが管理することを職務とし、それらを独占するべく日夜動き続けている。神秘を秘匿しようとする魔術協会とは長い歴史の中で幾度となく対立しており、不可侵協定を結んだ今でもなお、記録に残らない闇の中で争い続けている。
魔術師たちが始めた聖杯戦争に教会が一枚噛んでいるのは、そうした事情があるからだ。
と、そういった情報は召喚された際に聖杯から受け取っていたが、メディアはさして重要とは見なしていなかった。なぜならそれは彼女が生きた時代には無かったものであり、魔術を極め、英霊となった自分に比べれば、取るに足らない存在だと思っていたからだ。
だが、彼女の予想とは裏腹に、事態はそれほど単純ではなかった。
ごきり、と鈍い音が教会の中に響き、また一つキャスターの手駒が消滅した。魔力と竜の牙で組み上げた兵士は見た目こそ華奢な骸骨だが、豊富な魔力によって補強され、実際の堅牢さは鋼の鎧にも匹敵する。
それをただの一撃。
相手が名のある英霊ならば、そういう事もあるだろう。卓越した魔術師であっても、それくらいの芸当は出来る筈だ。
しかし相手はそのどちらでも無いというのだから、驚くほか無い。
倒された竜牙兵は既に五十を超えた。相手もある程度の手傷を負っているが、殆どがかすり傷ばかりで、倒れる様子はまるでない。
どうする。跡形も無く消し去るのは簡単だが、聖杯の隠し場所を吐かせられないのは大問題だ。
「どうしたキャスター? 高見の見物を決め込んだ割には、随分と焦った顔をしているな?」彼女の迷いを見透かしたように横合いから神父の皮肉が飛んできた。「それとも聖杯が気になって本気は出せないかね?」
「……ッ! 生意気を!」
反射的にメディアが魔術を唱えた。杖を振り、空中に四つの弾丸を作り出す。建物を破壊しないように威力は抑えたが、人一人を殺すだけならこれでも十分過ぎる。
それぞれの弾丸が異なる軌道を描きながら神父に向かって飛んでいく。加えて竜牙兵を退路を塞ぐように襲わせる事で、回避の目を完全に潰していく。
これならどうだ。
言葉にこそしなかったが、代わりにメディアは視線で忌々しい神父に殺意を向けた。
一方、幾重にも飛来する脅威に対しても、神父は冷静だった。彼は一番手近に居た竜牙兵の身体を、攻撃を躱して素早く掴むと、迫り来る弾丸の一発に向かって鋭く放り投げた。
神父を襲う筈だった魔力の塊が、障害物に当たった事で爆発する。魔力が爆ぜた衝撃で教会が激しく揺れ、言峰の周囲に煙が舞う。
それから僅かに続いて三発の弾丸が神父が居るはずの場所を射貫いた。三重の爆発が最初の煙に重なり、教会内の視界が一瞬にしてゼロになる。
メディアは舌打ちしながら僅かに下がり、続いて魔術で小さな竜巻を作り出した。もし煙に乗じて近づかれたら面倒な事になる。
部屋中に舞っていた煙と埃が突風によって取り払われ、あっという間に視界がクリアになる。が、それらが済む頃には既に神父の姿はどこにもなかった。
「やってくれたわね……」
数秒前まで神父が居た場所を見てみると、そこには大きな風穴が空いていた。夜闇のせいで奥がどうなっているのかは判然としないが、どこかの逃走経路に繋がっている事は間違いない。
彼女は追加の竜牙兵を召喚すると、それらを穴の中に次々と送り込んだ。
逃走者の追跡には手数が重要になる。何しろ聖杯を守っている場所だ。逃げ道が一つだけとは限らないし、罠を張ってないとも限らない。
念のためにと残しておいた骸骨を全て投入し終えると、メディアは息をつき、辛うじて無事だった来客用の長机に腰掛けると、胸に引っかかった謎に思いを巡らせた。
初対面にも関わらず、あの男は何故か自分の名前を知っていた。
聖杯から与えられた情報では、監督役はマスターたちの戦いには関知せず、事後処理に徹する筈だ。単に後始末をするだけならば、サーヴァントの正体をあえて知る必要もない。
だとすれば。
やがてメディアは立ち上がり、床に空いた穴を見つめた。
そして浮遊の魔術を唱えると、ゆっくりとその中に降りていった。