キャスターが最強のSHINOBIを召喚したそうです 作:ざるそば@きよし
月明かりが照らす深夜の下り道を、凜は力の無い歩みで進んでいた。
まさかの結末だった。この自分が相棒たるサーヴァントに見限られ、あっさり捨てられるとは。
半人前の士郎とは違うと心の中で思っていたが、とんだ思い上がりだったという訳だ。
「……終わった、のね」
言葉と一緒にどっと力が抜ける。十数年という長い歳月をこの戦いの為に費やしてきたが、それも今日までだ。
今の自分には何もない。共に戦ってくれた仲間も、召喚に応じてくれたサーヴァントも、何も。
全ては失われ、手の中から滑り落ちてしまった。
口の中に苦い感触が広がる。これが挫折の味かと思った。歯を食いしばって耐えようとしたが無理だった。涙と共に後から後から口の中に広がってきていた。
「……なんでよ」
空虚な怨嗟の声。普段なら絶対に口にしない負け惜しみの言葉だが、今だけは止めどなく溢れていた。
「なんで!なんでよ!どうしてこうなるのよ!上手くいくって思ったのに!なんとかなるって思ったのに!」
地面を何度も踏みつける。まるで子供のようなみっともない地団駄。行き場のない悔しさと無念を大地にぶつける事で、気持ちがあふれ出してしまうのを辛うじて防いでいた。
長い時間を掛けて自宅まで帰り着くと、誰も居ないはずの家の窓から光が漏れていた。
誰かが家に入り込んでいる。
キャスターか、それともサーヴァントを失った事を知った他のマスターが自分を始末しにやってきたのか。
恐らくは前者だろう。アーチャーが居た手前、さっきは見逃されたが、すぐに考えを改めたのだ。
逃げようかとも一瞬考えたが、無駄な抵抗だと切り捨てた。サーヴァントを持たない自分が今さら何をしようとも無駄な抵抗だ。
そう思って潔く家の扉を開けると、奥からは慮外の人物が出てきた。
「よう。遅かったな。遠坂」
赤茶色の髪、ぶっきらぼうな仕草、妙に板についたエプロン姿と仏頂面。つい半日ほど前にこちらから縁を切ったはずの少年が、何事もなかったようにそこに立っていた。
「……アンタ、なんでここに? っていうか、どうやって中に入ったのよ」
我ながら間抜けな質問だと思った。他にも言いたい事はたくさんあった筈なのに、開口一番に出た言葉はそれだった。
投げかけられた問いに呆れたように士郎は答えた。「何言ってんだよ。俺にこの家の鍵を預けたの、遠坂だろ?」
それで思い出した。二人で手を組んだ少し後、互いに予備の鍵を渡していた。万が一何かあった時にはどちらかの家に逃げ込めるように。
しかしそれは家に入れた理由であって、彼がここに居る理由にはならない。
「だからって、どうしてアンタがここに居るのよ。アンタはもう降りたんだから、聖杯戦争とは関係ないでしょ」
「俺はそうは思ってない。あの時は藤ねえを助けるためにそうしたけど、俺はまだ遠坂の力になりたいって思ってるんだ」
言葉に詰まった。もうどうしようも無いと言う事実を、彼に伝えるにはどうしたらいいのか分からなかった。
しばらく悩んだ末、凜は正直に事の次第を告げることにした。
「……もう遅いわ。私、もうマスターじゃなくなったの」
ようやく絞り出た声には自分でも分かるほどの絶望が滲んでいた。
言葉の意味が分からないという風に士郎は首を傾げた。
「……? それって、どういうことだ?」
「キャスターよ。私もアイツにアーチャーを盗られたの。というより、キャスターの宝具を利用したアーチャーが、一方的にあたしを裏切ったっていうのが正しいんだけどね」
「なんだって……?」
それを聞いた途端、士郎がものすごい顔つきになった。彼がこれほど強い怒り表情を浮かべるのを見たのは、これが初めてだった。
「そういうわけで、私も聖杯戦争に負けたの。始まりの御三家って事で令呪はまだ残ってるけど、肝心のサーヴァントが居ないんじゃ何の意味もないって訳。どう?失望した?」
投げやりな言い方になってしまったが、それが事実だった。今の凜は令呪を持っているという点以外は彼と何も変わらなかった。
しばしの間、士郎は考え込むように顔を下に向けた。そして再び顔を上げて言った。
「遠坂はそれでいいのか?」確かめるような声音。「こんなやられっぱなしのままで、負けっぱなしのままで、本当にいいって言うのか?」
「……どうでもいいわ。私はもう何も持ってない。そんな私に、今さら何が出来るって言うのよ?」
どうしてそんな事を聞くのか分からなかった。今の、何も持っていない自分にそんな事を聞いて一体どうしようというのだろうか。
凜が俯いていると、士郎は力強い口調でもう一度言い切った。
「取り戻すんだ。俺たち二人で。それで、お前を裏切ったアイツと(アーチャー)と、いけ好かないキャスターの奴に目一杯の仕返しをしてやるんだ」
――ああ、この男はどこまで無謀なのだろう。
自らサーヴァントを失い、こちらから見限ったというのに、当の本人はまだ諦めていないどころか、全てを取り戻せる気でいるのだ。
何という傲慢。何という蛮勇。
だがその言葉に勇気づけられている自分がいる事もまた事実だった。何の勝算もない少年の慰めに、いつしか希望を見出していていた。
やがて緊張の糸が切れたように凜は彼の前にしゃがみ込むと、堰を切ったようにべそべそ泣き出した。
常に完璧で優雅たらんとした自分の人生の中でも生まれて初めての事だった。
◇
「拠点を移すのか」
朝食を摂りながらメディアの考えを聞いていた葛木が、無表情に近い仏頂面で頷いた。肯定とも確認とも取れぬ言い方だが、それが彼なりの答え方だというのは既に分かり切っていた。
「教会は聖杯戦争にとって重要な役割を持つ場所です。ここを我々の新たな拠点にすることで、更なる盤石の布陣が臨めるかと」
神父との一件が過ぎ去った後でも、教会は未だに放置されたままだった。神父の仲間が取り返しに来る事も、外部から代わりの監督役が派遣される事もなく、完全に野ざらしの状態となっていた。
わざわざ取り返す必要が無いのか、あるいはこちらの監視の目を恐れているのかは不明だが、いずれにしろ好都合ではある事に変わりは無い。自分たちがあそこを抑えれば、状況はさらに有利に働く。
「出来れば今日中にも移りたいと考えています。宗一郎様には申し訳ありませんが、急ぎ移動の支度をしていただきたいのです」
メディアの言葉に再び葛木は首を振った。
「分かった。すぐに支度を済ませよう」
残っていた朝食をそそくさと食べ終えると、彼は立ち上がって自分の部屋へと向かって行く。
状況はおおむね順調に進んでいる。邪魔な神父を排除し、セイバーに続いて教会とアーチャーという強力な手札を手に入れる事が出来た。
残る障害はバーサーカーとランサー、そして未だ手の中で持て余しているアサシンだが、それもセイバーとアーチャーさえ居れば排除する事はさほど難しい事ではない。拠点の移動が滞りなく終われば、今夜にでも一つは片付く事だろう。
問題があるとすれば、逃げた神父と聖杯の行方だ。街の方々に監視の目を送ってはいるが、未だ発見には至っていない。予想通り、どこかにいる仲間によって保護されたのだろう。聖杯の器も恐らくはそこにある筈だ。
どちらも厄介な問題ではあるが、幸いな事に自分たちがこうして生きている限り聖杯が完成する事はなく、たとえ向こうが持っていても何の役にも立たない。
ならばひとまず神父たちの事は棚に上げ、未だ契約を拒み続けるセイバーの掌握と、アサシンの始末を優先するべきだろう。
今は自分に流れが来ている。あとは大きなミスさえしなければ、きっと勝てる筈だ。
そんな風に自分に言い聞かせながら、メディアはテーブルの上に残った朝食の皿をそそくさと片づけ始めたのだった。
◇
昼前まで眠りを取った事で、凜の気分はいくらか落ち着きを取り戻していた。
思えば昨日は長い一日だった。夕方にセイバーを失ってから夜のうちに戦いに赴き、裏切られて逃げ帰ってきた。
その時の事は思い出すだけで頭にくるし、心が押し潰されそうになるが、前に進むためには受け入れなければならない。
問題はこの先をどうするのか、だ。
寝起きのシャワーを済ませ、服を着替えてリビングに向かう。するとそこでは湯気の立った食事と一緒に、かつてのパートナーが昨日と同じような雰囲気で待ち受けていた。
「おはよう遠坂。飯はありもので勝手に作らせてもらったが、食べられそうか?」
士郎のエプロン姿は相変わらず板についていて、もうずっとここで暮しているような雰囲気さえあった。試しに今ここで茶を淹れろと命じれば、すぐにでも応じてくれそうだ。
そのせいだろうか、つい昨日までここに居た自分のサーヴァントの姿とそれが酷くダブって見えた。
「だいぶ落ち着いたわ……昨日はみっともない所を見せたわね」
心に浮かんだ感情を脇に押しやって凜がテーブルにつくと、食事の匂いが漂って来た。出汁のきいた和食の香り。
その匂いに触発されたように、ぐう、と凜の腹の虫が大きく鳴った。
「――――」
音を聞いた士郎はしばしの間、大きく目を見開き、そのあとすぐに気まずそうに目線を逸らした。
さながら“自分は何も聞いていません”と言わんばかりだ。
「……何よ! しょうがないじゃない! 昨日の夜から何も食べてなかったんだから!」
近くに鏡がなくて良かったと思った。もしいま浮かべているであろう自分の情けない顔を直視してしまったら、恥ずかしさと情けなさで生きていけないと思った。
「それじゃ、話をする前にまずは飯にするか。腹が減ってはなんとやら、だしな」
凜の開き直りに肩をすくめ、軽く笑いながら士郎は立ち上がると、キッチンにある炊飯器から茶碗へと白米をよそい始めた。
それを横目で見ながら凜は、また少しだけ元気を取り戻せた気がした。
◇
改めて訪れた教会は昨夜と何も変わっていなかった。
戦闘によって無残にも半壊した大広間は勿論そのままだったし、あの不気味な地下室へと通じる縦穴や、そこにあった不愉快な設備も破壊されたままになっていた。さながら用済みになったから捨て置かれたと言う風に。
重要な筈の施設をここまで潔く放棄された事にメディアも内心では驚たが、逆に考えれば聖杯はここにはなく、神父が持ち出したと言う証拠になる。彼を探し出せば、自ずと答えにたどり着くというわけだ。
「宗一郎様は奥にある個室をお使い下さい。何か御用がある時は遠慮無くお呼びください」
傍らに居た葛木は静かに頷くと、荷物の入った鞄を手に教会の奥へと入っていく。
広間に一人残されたメディアは改めて教会の中を見渡すと、右手に握っていた杖を振るった。それと同時に魔術の輝きが広間中を覆い、壊れていた場所があっという間に修復される。
完全に元通りになった広間を一瞥した後、キャスターが虚空に向かって声を上げた。
「アーチャー。出てきなさい」
呼び声に従うように赤鎧の男がすっと姿を現した。彼女が拠点をここに移すと決めた時から、アーチャーには内外の警備を任せていた。
「何か異常は?」
「何も。君たちが来るまで誰も来なかったし、内部から何かが動いた形跡もない。抜け殻という言葉がよく似合う状態だ。もしここに聖杯の器があったのなら、あの神父が持ち去ったのだろうな」
さもありなん、という顔でアーチャーが言う。彼の考えはメディアのものと一致していた。
「それなら彼を捕まえて取り返すだけよ」メディアが鋭く答えた。「あなたには引き続き周辺の警備を命じるわ。何かあったすぐに知らせなさい」
「了解した」
彼女の苛烈な言葉にアーチャーは肩をすくめたが否定はしなかった。そして自分の役割は終わったと言う風に霊体化すると、そのまま外の警備へと向かって行った。
無傷に戻った教会の中をメディアはゆっくりと歩き回った。そしてあらかじめ見つけておいた奥の隠し階段から例の地下室まで向かうと、長らく外套の中に納めていたものを吐き出した。
「気分はどうかしら。セイバー?」
「ぐっ……キャスター……!」
石床にごろりと転がった青い塊――セイバーが苦悶の声を上げた。持ち前の対魔力で契約への抵抗を試みているものの、かなり苦しい状況のようだ。
「強情ね。いい加減に私のものになりなさいな。悪いようにはしないわよ」
メディアはセイバーの事をいたく気に入っていた。サーヴァントとしての強さもさることながら、彼女には年頃の少女特有の愛くるしさと気品がある。扱いにくい上にむさ苦しいばかりのアサシンとは雲泥の差だ。
「世迷言を! 貴様のような外道の言いなりになど誰がなるものか!」
とは言え、当の本人は全く乗り気ではないようだ。もっとも、こちらの手の内に入った時点で彼女には選択肢も拒否権もないのだが。
「あなたもアーチャーを見習ってもう少し利口になった方がいいわよ。もう私が勝つ事は誰の目にも明らかなのだから」
「アーチャー? 一体何の話をしているのです」
「あの男も昨晩、私の手駒に加わったわ。あのお嬢さんでは勝ち残れないと判断したの。賢明だわ」
セイバーの顔色が露骨に変わった。動揺という言葉をそのまま形にしたような顔。あり得ないと口では言いたげだったが、言葉にはなっていなかった。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう? これは聖杯戦争ーー生き残りと願いを賭けた戦いなのよ。より勝てる側に付くのは当然の事じゃない。あなたにも叶えたい願いがあるのではなくて?」
叶えたい願いがあるからこそ、英霊はサーヴァントの契約に応じて召喚される。それは自分もセイバーも同じ事だ。
自分の願いを最優先にするならば、手段など選んでいる場合ではない。いや、手段を選ばない事こそが最善の手段なのだ。
「……それでも、私には私のやり方があります」歯を食いしばりながら、セイバーが呻いた。負け惜しみとも取れる声音だが、まだ心は完全には折れていないようだ。「少なくとも、私は貴様に自ら膝をつく気はない」
生意気な娘だ。その身に宿った対魔力さえ無ければ、今すぐにでも操り人形にしてやるのに。
どす黒い怒りがメディアの胸の内に湧き立ったが、あえて言う事はしなかった。負け犬の遠吠えにいちいち付き合うつもりはない。完全に掌握した時に目一杯こき使ってやればいいのだ。
「まあいいわ。どう思おうと、あなたは既に私の手駒。今のうちに尻尾の振り方でも覚えておく事ね」
そう言い残してメディアは踵を返すと、地上へと足を運んだ。
次の戦いに向けて備えておくべき事がまだ山のようにあった。
◇
キャスターの台頭だ。キャスターを中心に一大勢力が築かれようとしている。
生き残りを賭ける聖杯戦争において、それは最もあってはならないことだ。生き残る英霊の数が増えれば聖杯はいつまで経っても現れず、最悪、儀式そのものが破綻してしまう可能性もある。
だがそれより問題なのは、彼らを止める者が誰も居なくなってしまう事だ。ある日彼らが街の人々を片っ端から殺し回ったとしても、今や誰もそれを止める術を持たないだろう。
対抗するためにはこちらも勢力を作り出すしかない。
そのためには力が必要だった。キャスターに対抗するための大きな戦力が。
「キャスターと俺たち以外に残ってるのって、バーサーカーとランサーだよな。正体が分からないランサーのマスターはともかく、イリヤなら話を聞いてくれるんじゃないか」
新しく淹れたばかりの紅茶を一口飲みながら士郎がやおら切り出した。お互いどん底に居る事を自覚しているからか、どこかすっきりとした口ぶりだ。
「……そうね。他にマスターは残ってないし、取れる選択肢がないのも事実だわ。だけど、そんなに上手くいくとは思えないのよね」
楽観的な士郎とは裏腹に凜の口調は重い。バーサーカーのマスターであるイリヤスフィールとは前に一度対峙しており、その時の印象も決して良かったとは言えない。そんな彼女の前に今更ノコノコ向かった所で二人揃って殺されるだけだ。
「そうか? 話し合えば案外、何とかなるんじゃないか?」
「あのねえ……その自信はどこから来るのよ」
彼がいくら平和的な思考の持ち主とは言え、あの血も涙もないような少女が大人しく交渉のテーブルに付くと思えるのは流石だ。そもそも今は“おけら”の状態でどうやって交渉してもらおうかと悩んでいる段階だというのに。
そんな凜の心配を余所に、士郎は自信満々にうそぶく。
「実はイリヤとは何回か街の中で会ってるんだ。その時も別に襲われなかったし、どうにかなると個人的には思ってるんだが」
「はぁ!?」
こいつは一体何をのたまっているのか。
凜は咄嗟に立ち上がり、怒鳴り散らしたくなったーーいや、立ち上がるところまでは既にしていた。
こいつがサーヴァントも連れずにあちこちうろついていたことは知っている。しかもそれを反省しないばかりか、命を狙い会う相手と何度も出会っていたとは、呆れて物も言えないとはこのことだ。
一歩間違えば確実に命を落としていたというのに。
文句の一つも言ってやろうと思ったが、凜は口をつぐんだ。過ぎた事を今さら言っても仕方が無いし、そもそも言って聞くような人物でもない。
何より、その縁を使うなら、今がその時だった。
「…………」
「ど、どうしたんだ遠坂……? そんなに怒ることか?」
渋い顔で押し黙る凜に士郎が不安げな声を掛けた。流石に自分でもある程度の自覚はあるらしい。
「……アンタの不用心さに呆れてた所よ。でもま、今回はそれが幸いしたって事だから、何も言えないけど」再び席に着き、カップの紅茶を飲んでから凜は言った。「それじゃ、さっそく準備しましょうか。向こうがまだ生きている間にね」
◇
魔術的な整備が行き届いている教会を神殿にするのは、メディアにとって何ら難しい事ではなかった。
もともと山や丘の頂上というのは、地形的に魔力が集中しやすい傾向にある。山の木々が霧や雨水を蓄え、地下に水源を作るように、大地が自然と魔力を集積し、溜め込む場所なのだ。
現にその事をよく知る魔術師や教会の多くは、何代にもわたってそのような場所に本拠地を構えている。
半ば定められたラインに従って、己の魔術を敷いていく。集まる魔力の規模としては柳洞寺の時とさほど変わらないだろう。
加えてこの辺り一帯には、自分たち以外は誰も居ない。付近の住民や、住み込みの修行僧たちに魔術をかけて警戒心や不信感を抱かせないようにするといった手間を無視できる所もまた、この場所を選んだ理由の一つだった。
おおよその準備は整った。後は邪魔な手札を一枚破いて捨てるだけだ。
全ての意を決してメディアは念話の魔術を使った。
「聞こえているかしら、アサシン?」
《聞こえている。何の用だ》
不機嫌な返答はすぐさま返ってきた。またぞろ何か命令されるのか、と言わんばかりの口調だ。
監視の使い魔から送られてくる映像についても同様だった。山門の前に立ち尽くす男の表情は不満に満ちていた。
そんな顔をしていられる時間は終わりだと言ってやる代わりに、皮肉をたっぷり込めてメディアはこう告げた。
《今まで色々あったけれど、あなたには感謝しているの。こうして今日まで私と宗一郎様を守ってくれた事は、これからも決して忘れないわ》
《……それはどういう意味だ》
アサシンが低い声でおもむろに聞き返した。どうやら向こうもこちらの真意を嗅ぎ取ったらしい。
ならばもう婉曲的な言い回しは必要なかった。
「あなたはもうお役御免という事よ」
勝ち誇った声が自然とメディアの口から漏れた。当然だ。令呪で相手を縛っている以上、ことの行く末は最初から決まっていた。
「今から契約を解除してあげる。その後はあなたの好きにして良いわ」
《代償は俺の命か》
「察しが良いわね。何か言い残す事はある?」
《お前はまだセイバーを完全には掌握出来ていないはずだ。そんな状態で他の連中とやり合うつもりか?》
「心配は無用よ。あなたが消えれば、その分の魔力をセイバーに使える。そうすれば彼女の身柄なんてどうにでも出来るわ」
それは半ば事実で、半ば嘘だった。セイバーの対魔力は相当なもので、サーヴァントである以上、令呪の縛りには逆らう事が出来ないが、それを早めるために使ったメディアの魔術は例外なく全て弾かれていた。
だが、そんな細かい裏事情など露とも知らされていないアサシンへの効果は絶大だった。
《……クソッ!》相手の声がにわかに揺れた。これほど苛ついた声を聴いたのはメディアも初めてだった。《いいか。俺が命がけで守ってやったからこそ、お前はこうして生きているんだぞ。それを今になって切り捨てるっていうのか!》
同時にアサシンが使い魔越しにこちらを睨んだ。隠れていない方の黒い瞳には強い怒りが籠っていた。
「状況が変わったのよアサシン。私は昨晩、新しい手駒を拾ったの。アーチャーという手駒をね。彼はあなたと違って従順よ。少なくとも命令を無視したり、こちらに牙を剥いたりはしないわ」
男が苛つけば苛つくほど、メディアは胸がすくような思いがした。今まで手を焼かされた分の仕返しをしてやっている気分だった。
この気に食わない男を延々と困らせてやりたいという欲望が彼女の首をもたげたが、いつまでもお喋りをしている場合ではなかった。やると決めたのならば、すぐにでも実行するべきだった。
右手に浮かんだ紋様を見つめながら最後に一言、メディアが言った。
「さて、それじゃあもう終わりにしましょうか――アサシンよ。令呪をもって命じます。今すぐに自害しなさい」
《まっ――》
再びアサシンが何かを言おうとしていたが、今度は声にならなかった。令呪がもたらす強制力が彼に自害を命じ、短刀が心臓を真っ直ぐに貫いたからだ。
使い魔が見せる視線の先でも同じだった。男の右手に握られた黒刃が、その胸を深く深く抉り抜いていた。
どさり、と間抜けな音と共にアサシンが倒れた。しばらくは身体から鮮血を派手にぶちまけていたが、やがて魔力の消滅と共に跡形も無くその場から消え去った。
彼が完全に消え去ってからも、メディアはしばらく使い魔を通してそこを見つめていた。
終わったのだ。あの忌々しい男は消え去り、脅威は完全に取り除かれた。
胸に手を当てると、いつの間にか心拍数が上がっている事に気が付いた。今さら緊張感に襲われたのだ。以前彼に向けられた殺意を思い出して。
今思えば、あの男にはまだ何かを隠しているような気がした。自分には知らせなかった何か。例えば宝具のような何かを。
とは言え、それを確かめる機会はもう二度と訪れない。死者であるサーヴァントに向けていうのも不自然だが、一度死んだ者は決して生き返らないのだから。
やがて彼女は使い魔からの視界を切ると、消えた神父を探すために新たにそれを街の中へと向かわせた。
それが一番の失敗だったと彼女が気が付いたのは、もう少し後の出来事だった。
◇
蟲がはびこる暗い屋敷の地下で、間桐臓硯はその知らせが届く時をじっと待ち続けていた。
思わぬチャンスだった。勝ちすら望まぬ、ほんの戯れ程度に参加した今回の聖杯戦争だったが、何の巡り合わせか、強力なサーヴァントが向こうの方から転がり込んできたのだ。
無論、相手側にも何らかの思惑や意図があるのだろうが、こちらとしても旨味の多い話だ。乗っておいても損ではない。
それに加えて、万が一に備えての保険もきっちり掛けてある。心配は無用だった。
「――待たせたな」
ふと、闇の染められた部屋の一角から覚えのある男の声が聞こえた。冷静ながら内に獰猛さを秘めた低い声。待っていた時がついに訪れたという知らせに違いなかった。
「随分遅かったな。あの女狐には勘付かれなかったじゃろうな?」
声に向かって振り向きながら、改めて警戒するように臓硯が尋ねる。
女という存在は、男とは比べものにならないほど他人の変化に対して鋭い。上手く騙したと考えていると、後で痛い目を見るが世の中の常だ。
「あの女は寺を離れた。もう戻ってくることはない。それに奴は俺が死んだと思っているだろう。実際、一度死んでいるのだから当然だがな」
くくく、と喉で笑いながら嘯く男の声は自信に満ちている。どうやらこちらも余計な心配は無用だったらしい。
「それよりも早く契約を済ませたい。依代もマスターも無しでは流石の俺もそう長くは保たないんでな」
「そうじゃったな。……桜」
彼の声に導かれるように、一人の少女が地上に続く階段から降りてきた。美しい顔立ちではあるが、顔に張り付いた陰鬱の表情のおかげで周囲に暗い印象を抱かせている。
かつてライダーの“本当のマスター”を務めていた少女――間桐桜だった。
「お爺様……私もう……」
と、開口一番に桜がおずおずと言った。やはりライダーを使役していた時と同じく、戦いに積極的ではないのだろう。
臓硯は改めて言い聞かせるように告げた。
「桜、お前の気が進まないのは分かっておる。しかしお前がここでマスターを拒めば、慎二を助けられん。あの馬鹿を救ってやるためには、お前の力が必要なのだ」
「…………はい。分かっています」
いかにも渋々と言った感じで桜が頷いた。頭では理解していても、心から納得しているわけではなさそうだ。
「そう心配するな。お前は前と同じく魔力を提供しておるだけでよい。その他の事は儂とアサシンの二人で進めるからな」
再び言い含めるように彼がそう告げた所で、ようやくアサシンが暗闇から姿を現し、同時にそれを見た臓硯が訝しげな顔をした。
「おぬし、その目はどうした」
どういう訳かアサシンは右目を瞑っていた。一向に開こうとしない様子からして、どうやら完全に機能を失っているらしかった。
「気にするな。死を偽った代償のようなものだ。もう片方の目は見えているし、すぐにもっと良い形で戻す」
見えている証拠として何でも無いという手振りを老人に向けてから、アサシンは改めて少女の正面に立た。
「準備は良いか?」
「あの……」
今まで俯き、暗い表情を振りまいていた桜が不意に顔を上げた。
「兄さんは、本当に無事なんですか?」
「そんなに心配か? 妹を平気で殴るような兄貴が」
「……え?」
投げかけられた質問に驚いたように桜が大きく目を見開いた。
「どうして……?」
知っているのかと言いたいのだろう。当の本人からしたら当然の疑問だ。
言葉が続く前にアサシンがその答えを請け負った。
「以前ライダーとやり合った後、俺はあの小僧のあとを密かにつけていた。そこで俺は見た。心配そうに駆け寄ったお前に暴力振るう馬鹿な兄をな」
アサシンの声は苛立っていた。それは目の前の少女に対してではなく、彼女を無意味に傷つけた愚かな兄に向けてのものだった。
「俺が聞く事ではないのかもしれないが、あんな男をなぜマスターを引き受けてまで助けようとする。たとえお前があの小僧を助ける為に動いたと知っても、あいつは感謝などするまい。むしろ勝手な真似をしたと怒り、なおさら暴力を振るうのではないか?」
予想だにしない問いかけに桜はしばらく黙っていたが、やがてぽつりぽつりと言葉を返した。
「……兄さんは、かわいそうな人なんです。あの人は間桐の長男として生まれたのに、魔術師じゃなかったんです」
「魔術師ではない? つまりあの小僧は自分の魔術回路を持ってないと言う事か?」
アサシンが聞き返すと、桜は言葉の代わりに首を縦に振った。
「私も元々はこの家の人間じゃありません。別の家から養子として引き取られてきたんです。間桐の家を継ぐために。だから兄さんを助けないといけないんです。それが、あの人の居場所を奪ってしまった私が唯一できる事だから……」
そこでアサシンはようやく合点がいったという顔をした。
魔術師家系の継承は基本的に一子相伝で行われる。学問や技術的な面はともかく、受け継がせるべき魔術刻印は一つしか存在しないのだから当然だ。
その長男である慎二がなぜ他のマスターと同じように自らの令呪や魔術でサーヴァントをコントロールしていなかったのかも、これでようやく分かった。あっけない程に初歩的で、どうしようもない程に根本的な問題だったのだ。
「その八つ当たりとして義理の妹に手を出す……か。下らんな」
吐き捨てるように彼が言った。間桐慎二という人間は、魔術師の家系に生まれた身としては確かに憐れまれる境遇ではあったが、個人として見た時には一片の同情にも値しない人物だった。
「それでもお前があの小僧を助けたいという気持ちは分かった。お前がマスターとして俺に協力するのなら、あの小僧の命は保証しよう」
改めて告げられた条件に、桜はわずかに安堵の表情を浮かべた。そして右手に刻まれた花弁のような形の令呪を掲げると、マスターとしての定められた呪文を紡いだ。
「―――告げる。汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら、我に従え。ならばこの命運、汝が腕に預けよう」
「アサシンの名にかけて誓いを受ける。この瞬間から貴様を我が主として認めよう、間桐桜――」
互いの言葉によって両者の間に契約が結ばれ、魔力の回線が敷かれていく。
長きにわたって苦渋を強いられてきたアサシンが、ついに新たな自由を得た瞬間だった。
以下のステータスが更新されました。
【アサシン】
【マスター】メディア→間桐桜