キャスターが最強のSHINOBIを召喚したそうです   作:ざるそば@きよし

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マダラが(なし崩し的な形で)世界を救いに行くそうです

 

 時は来た。自らの願いが結実する瞬間が、ようやく訪れたのだ。

 十年間、この日に向けて備えてきた。聖杯が吐き出した泥にまみれ、ソレが生み出す地獄に悦楽を見出したその時から、再びソレが世に生まれ出る日を、一日千秋の思いで待ち続けてきた。

 恐らく自分は、人間として壊れているのだろう。他人の不幸に愉悦を感じ、他者が幸福と呼ぶ物事に幸せを見出せない存在が、異常でない訳がない。

 だからこそ、冬木の聖杯はある種の救いだった。『この世全ての悪』と呼ばれ、厄災をまき散らす事だけに特化した怪異がこの世に生まれ出るというのなら、同じように壊れた価値観を持つ自分が生を受ける事になった理由も、きっと分かる筈だ。

 寺で眠り続ける間桐桜の身体を担ぎ上げると、綺礼は外にある庭園まで出た。池のほとり、水辺にほど近い場所に少女の身体を寝かせると、聖杯の移植に備えるべく、彼女の衣服を開いた。

 これでいい。後はアーチャーが手に入れたアインツベルンの心臓を、この娘に移植するだけだ。そうすれば聖杯は十年前と同じように再び生誕の産声を上げる。

 あの、全てを焼き尽くす業火の汚泥と共に。

 その光景を思い浮かべるだけで、自然と口端が歪む。崩れゆく物の美しさ、死にゆく者が奏でる悲鳴の心地よさ――それらを再び味わう事が出来るという喜びが、綺礼の心を強く震せる。

 

「貴様にしてはえらく上機嫌ではないか、綺礼よ。まあ無理もないか。前回の戦からようやく舞台が整ったのだからな」

 

 神父の傍らにアーチャーが実体を現した。敵の来襲に備えてか、日頃から身に着けている洋装では無く、豪奢な黄金鎧を纏っている。普段は怠惰とも言える彼が、そこまで躍起になっているのは珍しい事だ。

 

「そうだな。確かにいつもより胸が高鳴っている。早くやってくれ」

 

「急かすな。慌てずとも聖杯は逃げはせん」

 

 綺礼の催促に肩をすくめたアーチャーが虚空に向かって手を入れた。ぐにゃりと歪曲した空間の中から血の滴る臓物を再び取り出すと、眼下に眠る間桐桜の胸部に向かって、それを思い切り突き込んだ。

 

「――――!?」

 

 今まで一文字に閉じていた少女の瞼が、衝撃によってかっと見開かれた。突き入れられた臓器が魔力によって癒着し、少女の体内へと急速に拡散していくのが、綺礼の目にも分かる。それはさながら臓器の移植というよりも、生物に寄生する昆虫のように彼女の肉体のあらゆる部分を内側から無理矢理作り替えていった。

 どろり、と少女の口元から一筋の黒い液体が垂れた。コールータールのように真っ黒く濁ったそれは、聖杯の内側から漏れ出した魔力そのものであり、やがて桜の身体のあらゆる場所から溢れ出すと、ついには液体そのものが、彼女の身体を全て覆い尽くしてしまった。

 

「フン。相変わらず醜悪極まりない代物だが、その力だけは一人前だな」

 

 止めどなく溢れ出す汚濁を、文字通り汚らしいものを見るような目で一瞥した後、不意にアーチャーが綺礼に視線を移した。

 

「ところでどうだ綺礼。未だ完成には至らぬが、今回も聖杯は我々の手の内にある。ならば以前と同じく、願いの「先約」くらいしてみてはどうだ?」

 

 彼の提案に綺礼はふむ、と唸った後、にやりと意味深な笑みを浮かべた。

 

「……そうだな。そろそろ衛宮士郎や凛たちが、ここに来る頃合いだろう。聖杯も自身の誕生を二度も邪魔されたくはあるまい。ここは聖杯自身にも、少しばかり力を貸して貰うとしよう」

 

 以前の戦いでは核となる聖杯の器が破壊され、聖杯の完全な形での降臨はついぞ叶わなかった。ならば今回は聖杯自身に自己防衛を支援を願う事で、後にやってくるであろう邪魔者に備えておくべきだ。

 

「よかろう。ならば我はこの先で再びセイバーを待ち受ける。門の前にはあの贋作好きの番犬がいるが、大して役には立つまい。聖杯の子守りは任せたぞ」

 

「それは構わないが、あのアサシンはどうするのかね?」

 

 現状、唯一の懸念点とも言えるのが、あのアサシンだった。アーチャーを子供のようにあしらい、ランサーすらあっさり撃破してしまったあのサーヴァントの存在は、脅威以外の何物でも無い。

 一度土を付けられた事を根に持っているのか、先程までのどこか楽しげだった視線を一転、睨みだけで人を射殺せるかのような殺気を含みながらアーチャーが静かに吠える。

 

「たわけ。この我があのような間諜風情に、二度も後れを取るものか。次に会った時には一切容赦はせぬ。業腹ではあるが、必要とあらば“エア”を使うまでだ」

 

 これには綺礼も少々驚いた。“エア”はアーチャーが数多く持つ武器の中でも最強と言い切れるほどの超兵器だ。ヒトよりも遥か以前に神が生み出し、天地創造に用いたという神造兵器に他ならない。

 それを惜しみもなく使うと言う事は、アーチャーが次の戦いに対して本気で臨んでいるという事を示していた。

 

「頼もしいな。だがくれぐれも、この庭だけは吹き飛ばさないようにしてくれ」

 

 アーチャーが本気で“エア”を使えば、この程度の寺院は土台の山もろとも一撃で更地になってしまうだろう。そうなってしまえば、聖杯降臨もなにもあったものでは無い。

 そんな事など分かっているとばかりに鼻を鳴らしながら遠ざかっていく黄金のサーヴァントを見送りながら、綺礼は咄嗟に自身の胸元に手を当てた。

 

 人間なら本来そこにあるべき心臓の鼓動が、彼には無い。十年前、宿敵であった衛宮切嗣に心臓を撃ち抜かれて以降、綺礼は歪な縁によって繋がった聖杯からの魔力供給によって生き永らえている。謂わば彼は、人間のまま聖杯と契約したサーヴァントのようなものだ。

 だからだろうか。四騎のサーヴァントの魂を食らい、聖杯が泥を吐き出し脈動する度に、全身に言いようのない力が漲ってくるような気がする。

 今の自分ならば、全盛期だった十年前の力すら上回るだろう。たとえアーチャーの守りから何人かがすり抜けてきたとしても、対処出来るだけの余裕はある。

 来るなら来い――そう考える綺礼の顔は普段のそれよりも一段と悪どく、より生き生きとしていた。

 

 ◇

 

 山が、異様な気配を纏っていた。

 頂から吹き込んでくる風に混じって、濃密な魔力が肌に突き刺さる。妖気と形容してもいい程のそれは、聖杯が放つ禍々しい魔力を含んだ風であり、不完全ながら既に聖杯が起動しつつある事を示していた。

 

「まずいわね。この様子だと、聖杯がもう現れ始めてる」

 

 山頂を睨みながら凛が言った。他の四人も、聖杯から流れ出る魔力の気配をひしひしと感じ取っている。

 どうやら時間はあまり残されていないようだ。

 細心の注意を払いながら、柳洞寺へと続く道を足早に歩いていく。周囲の異常な雰囲気のせいか、はたまた夜という時間が味方したのか、不幸な通行人に出会う事もなく全員が山門の前までたどり着くことができた。

 

「居るな。あの砂利の気配だ」

 

 山門の頂上を一瞥した後、アサシンが言った。とは言えアーチャーが待ち構えている事は、ここに居る全員が既に予想していた事だった。

 固い面持ちのまま五人が階段を上っていくと、先の言葉通り、山門の正面にはあの赤い弓兵が静かに待ち受けていた。

 

「来たな――衛宮士郎」

 

 瞑っていた目を開き、アーチャーが言った。両手はだらりと下がっているものの、既に黒白の短刀が握られている。その気になれば、今すぐにでも戦えると言わんばかりだ。

 

「桜はどこだ?」

 

 合わせるように五人の中から士郎が一歩、前に出た。こちらも用意してきた強化木刀を握り、既に臨戦態勢を取っている。相まみえた時点で、二人の戦いは既に始まっていると言って良かった。

 

「上にいる。助けるつもりがあるのなら、早く向かった方がいいだろう。もっとも貴様がそこに辿り着く事は、万に一つも無いだろうがな」

 

「アーチャー! アンタ、元々は士郎なんでしょ! だったら桜が犠牲になってもいいって言うの!?」

 

 皮肉と共にせせら笑うアーチャーに凛が吼えた。これまで士郎と桜は毎朝毎晩食事を共にし、睦まじいとまでは行かずとも、家族同然の付き合いをしていた事は知っている。そんな彼女を自ら聖杯降臨の生贄に捧げるなど、彼が本当に衛宮士郎ならば認める訳がない。

 しかしそんな必死とも言える凛の叫びにも、アーチャーは表情を変えることはなかった。

 

「生憎だが、英霊となった時点でオレには衛宮士郎だった頃の記憶は殆ど残っていない。間桐桜の事など、とうの昔に忘れたさ」

 

 視線すら向けずアーチャーが言った。感情のない声には氷のような冷たさしか無い。

 

「――あっそう。それを聞いてかえって清々したわ」

 

 瞬間、凛の顔から表情が消えた。一瞬前までそこに浮かんで怒りや悲壮感の一切が失われ、代わりに能面のような無表情が居座っている。

 それはアーチャーが彼女にとって最後の一線を超えたことを意味していた。

 

「士郎、遠慮はいらないわ。確かにあのバカはアンタとは違う。容赦無く、徹底的にやっちゃいなさい」

 

 ぞっとするような低い声で、凛が言った。勝てる勝てないの話ではない。平気な顔で人を裏切り、家族同然だった少女すら目的のために切り捨てるこの男を、絶対に許す事はできないと言わんばかりだ。

 

「シロウ……本当に、大丈夫なのですか?」

 

 一方、心配そうな顔で尋ねたのはセイバーだ。アーチャーと士郎、両者の実力を考えれば、一騎打ちで戦うというのはただの自殺と何ら変わらない。勝利するどころか、善戦すらも不可能な話である。

 だがそんな事は関係ないとばかりに士郎が首を振った。

 

「悪いなセイバー。この戦いだけはどうしても譲れないんだ。何しろこれは、文字通り自分自身との戦いだからな」

 

 衛宮士郎にとって、目の前の男は壁だった。理想を捨て、己の信念を否定する大きな壁。何としても乗り越えなければ、この先に待っている運命など、とても背負う事はできない。

 

「そういう事だ。誰であろうと、この戦いに水を差す事はしないでもらおう」

 

「そうですか……分かりました」二人の空気を察してか、セイバーもそれ以上は何も聞かなかった。「では私たちは一足先にサクラを助けに行きます。必ず、後から来て下さい」

 

 仲間の勝利を信じ、凛とセイバーは階段を登っていく。本当に止めるつもりは無いのか、アーチャーも彼女たちの事を攻撃しようとはしなかった。

 

「シロウ」イリヤスフィールが士郎に向かって手を差し出した。「これをあげるわ。私の墓を作ってくれたお礼よ。きっと役に立つと思うわ」

 

 少女の掌には銀色の糸が束になって乗っている。最初は細い針金か何かのようにも見えたが、糸の表面に見える艶やかなキューティクルから、それが彼女の髪の毛であるとすぐに分かった。

 

「ありがとうイリヤ。後で必ず合流するからな」

 

 差し出された髪の束を受け取ると、士郎はそれを上着のポケットに入れた。どう役に立つのかは分からなかったが、なんであれそれは自分が他人の役に立てた事の証だった。

 

「残念ながらそれは叶わない約束だ。何故なら、貴様はここで死ぬからだ。衛宮士郎」

 

 イリヤスフィールがアサシンと共に階段を登っていくのを見送った後、無駄だという風にアーチャーが言った。だらりと下げていた腕を構え、既に戦闘態勢に入っている。

 それを見た士郎が皮肉を返した。

 

「言うじゃないか。過去に戻って自分に八つ当たりする事しか出来ない癖に。そんなヤツが未来の自分だと思うと、こっちまで情けなくなってくるぜ」

 

 いかにも安っぽい挑発だったが、存外に効いたようだった。アーチャーの顔から残っていた余裕が消え、怒り一色に染まる。

 あるいは自分自身に惰弱と罵られた事が、余程ショックだったのかも知れない。

 

「お前に――オレの何が分かる」怒気を込めた口調でアーチャーが言った。「何も知らないお前が、全てを見てきたオレに説教するつもりか」

 

「するさ。お前は俺なんだろ? 衛宮切嗣の意志を引き継いで、正義の味方を目指したエミヤシロウが理想に負けて逃げてくるなんて、恥ずかしくて爺さんに顔向けできないからな」

 

 確かに自分はまだ何も知らない。目の前の男が幾度も見てきたであろう地獄も、正義の味方というモノが背負うことになる罪の重さも。

 だが――だからこそ言うことが出来た。言わなければならないとすら思った。心折れ、逃げ帰ってきた自分をどうにかしてやる事が、今の衛宮士郎の役目だった。

 

 その一言が引き金だった。もはや生かさぬとばかりにアーチャーが全身から剣気を吹き出すと、士郎に向かって真っ直ぐに斬りかかってきた。

 対する士郎も、負けじと木刀で応戦する。

 お互いの信念を掛けた二人の戦いが、今ここに幕を開ける事となった。

 

 ◇

 

 寺の境内に上がる際、最も警戒していた罠の類は幸運にも張られておらず、敵の姿も一見して見当たらなかった。しかし依然として濃密な魔力はとめどなく流れ続けており、この寺のどこかに聖杯があるのは確実だった。

 

「とりあえず登っては来られたけど、桜はどこに……?」

 

 油断なく宝石を構えながら凛は周囲を見渡した。今は見えずとも、必ず敵はここ居る。なぜなら敵にとって一人目のアーチャーはさほど重要な戦力では無く、誰かの足止めが出来ればいい程度の扱いでしかなかった。故に本命の守備は、間違いなく二人目のアーチャーが担うことになるとだろうと確信していた。

 

「リン!危ない!」

 

 危険を察知したセイバーが凛の身体を掴むと、ジャンプで素早くその場を離れた。直後、彼女たちが立っていた場所には何本もの武器が突き刺さり、足下の石畳をまるでポップコーンのように勢いよく破裂させた。

 

「ようやく来たなセイバー。妻の身でありながら夫である我を斯様に待たせるとは、少しは礼節というものを学ばせなければならぬようだな」

 

 寺院の屋根――その頂上から声がした。不気味な月夜に照らされながら待っていたのは、予想通り、豪奢な黄金の鎧に身を包んだ二人目のサーヴァントだった。

 

「くっ……やはり出てきましたか。アーチャーッ!」

 

 砕けた床から十メートルほど横に着地し、凛の身体を地面に降ろすと、セイバーは舌を打った。分かっていたとは言え、時間が無いこの状況の中で難敵と相まみえるのは、かなりまずい。

 一方、優位を自覚しているアーチャーは余裕だった。月光を背に悠然と語る姿は、ある種の吟遊詩人のようにも見えるが、その瞳に宿った強烈なまでの殺気と闘志は、紛れもなく彼が常識とは別の世界の存在であることを現していた。

 

「間もなくあの娘が聖杯として完成する。貴様は我と共に、その生誕を眺めていれば良い。あれほど欲していた聖杯だ。それが目の前で生まれるとあらば、貴様もさぞ嬉しかろう?」

 

「断る! サクラを生贄にした聖杯など、私は認めない!」

 

 アーチャーの誘いを拒否した瞬間、セイバーの元へ再び武器が殺到した。雅な拵えの槍、長剣、短刀が、主に異を唱えた不埒者に灸を据えるべく、その刃を差し向ける。

 音速を越えて飛び込んでくる刃を、セイバーは正確な剣筋で弾き飛ばした。が、その内の二本――槍と短刀が空中でやおら反転してきたかと思うと、再び彼女に襲いかかり、その左肩に鎧ごと突き刺さった。

 

「ぐぅっ!?」

 

「セイバー!」

 

 肩を穿たれ、苦痛の表情を浮かべるセイバーに凛が駆け寄ったが、彼女はそれを制した。次にアーチャーの攻撃が飛んできた時、彼女への巻き添えを防ぐ自信が無かったからだ。

 

「口が滑ったか? セイバーよ。貴様の傲慢さを我は許そう。貴様が膝を折り、自ら屈服するまで、我は何度でも貴様に教えを説いてやる」

 

 痛みに呻くセイバーに嗜虐的な笑みを浮かべ、アーチャーが再び攻撃をけしかけようとしたがそれは叶わなかった。横合いから飛来した巨大な勾玉状の魔力弾に妨害され、防御を余儀なくされたからだ。

 

「女に夢中なところ悪いが、お前の相手はこの俺だ」

 

 仏頂面を浮かべながら攻撃を加えたのは無論アサシンだ。一度土を付けてやったにも関わらず、セイバーに気を取られ、自分の事など眼中にすらないというアーチャーの態度に、彼はいささか不快感を覚えていた。

 

「……来たな下郎。性懲りもなく我の邪魔をするとは……何だと?」アサシンの隣に立つイリヤスフィールを見た瞬間、殺気に満ちていたアーチャーの双眸に困惑の感情が混じった。「アインツベルンの人形、なぜ貴様がまだ生きている?」

 

「文字通り生き返ったのよ。あなたを殺すためにね」果敢な笑みを浮かべ、イリヤが言った。黒く濁った死者の瞳には、アーチャーにも負けない殺気が漲っている。「やりなさいアサシン。ありったけの魔力をあげるわ。その代わりにアイツの首を……バーサーカーの仇を取って!」

 

 命じられた瞬間、アサシンは飛ぶ。纏っていた宝具の鎧を更に出力し、襲いかかる武器の群れを弾きながらアーチャーに向かって肉薄していく。マスターであるイリヤもまた、二人の決着を最後まで見届けるつもりらしく、その場から一歩も動こうとはしない。

 ならば先に進むのは、残された者の役目だった。

 

「……リン、行きましょう。一刻も早くサクラを助けないと」

 

 肩に突き刺さった武器を力任せに引き抜きながらセイバーが言った。最大の敵であるアーチャーがアサシンによって抑えられている今、聖杯に向かえるのは自分たちだけだ。

 

「ええ。ここは任せたわよ。アサシン!イリヤ!」

 

 投げかけるように二人に向かって大声で叫んだ後、凛はセイバーと共に寺院の奥へと走った。付いていく一方で、セイバーが負った肩の傷を魔術で手当することも忘れてはいない。

 

「ま、待て!セイバー!」

 

 獲物であった女騎士に逃げられ、アーチャーが悪罵を溢したが、その言葉は先に続かなかった。すかさず接近してきたアサシンの宝具に殴りつけられ、彼の身体は寺院の屋根から境内の石畳へと打ち落とされていた。

 

「ぐッ……!」

 

 受け身すらまともに取ることも出来ず、黄金の鎧が石畳を転がる。先程まで艶光りも麗しく豪奢だった鎧が細かな傷や土埃にまみれ、今や見る影も無い。

 下克上の一撃を喰らい、まさに天から叩き落とされる格好となったアーチャーに向かって、アサシンが言った。

 

「言った筈だぞ。お前の相手はこの俺だとな」

 

 彼の姿は失墜する前のアーチャーと全く同じだった。天上高くから敵を見下ろし、挑戦者を待ち受けている。

 一撃にして奪われた立場に、アーチャーの怒りも頂点に達したようだった。

 

「おのれェ……粋がるなよ雑種ゥ……!」

 

 夥しいまでの武器を目の前にようやく、アサシンは楽しげな笑みを浮かべた。それはまさに強者との戦に悦を見出し、その痛みや危機感すらも楽しもうとする戦闘狂の笑みだ。

 

「今度はもう少しまともに踊って見せろよ。でなければ、こちらも本気になった甲斐がないからな」

 

 その言葉を合図に、二つ目の戦いが始まった。そしてこの戦いが、今回の聖杯戦争において最も大規模な戦闘になるであろう事は、誰の目にも明白だった。

 

 ◇

 

 どす黒い泥が、池全体を覆い尽くしている。

 廃液じみた真っ黒い汚泥は、その実すべてが魔力の塊だ。魔力とは本来、無色透明な力の筈だが、どういうわけかここの魔力は真っ黒に汚染され、呪詛に近いものを一緒に垂れ流している。元々は緑で溢れていたであろう庭園も今は枯れ果て、赤茶けた死の大地と化していた。

 

「あれが聖杯……?」信じられないと言いたげな口調でセイバーが呟いた。「あんなおぞましい物を、私はずっと求めていたというのか……?」

 

 これではまるで、聖杯とは名ばかりの殺戮兵器だ。手に入れた者の願いを叶えるどころか、呪詛を魔力に乗せてひたすら吐き出し、無尽蔵に死の呪いを周囲にばらまき続けている。どこかで何かが壊れてしまったのか、あるいは最初からそういうものだったのかは分からないが、少なくともここにある聖杯は願いを叶える装置と呼ぶには、あまりにも異質で狂っていた。

 あの泥に触れれば、間違いなく呪詛に汚染されるだろう。特にサーヴァントであるセイバーが受ける影響は、人間である凛の比ではない。

 かといって桜をこのままにしておけば、聖杯は更に完成に近づいてしまい、彼女の命が更に危うくなる。

 無理を承知でなんとか行くしか無い――二人がそう思った時、聖杯の近くから一人の男が姿を現す。

 

「驚いたかね? これこそが聖杯の真の姿。この世全ての悪に汚染された、穢れきった願望の器だ」

 

 出てきた男には見覚えがあった。顔に張り付いた不気味な笑みに、神職に身を置く事を示す黒いカソック。東洋の寺院の中においてはややちぐはぐな組み合わせだが、こと聖杯戦争においては何らおかしいものではない。

 むしろここにいる事が当然という顔をしている。

 

「言峰、綺礼――」

 

「ふむ。少しは驚くと思っていたが、流石に察しがつくか」

 

「まあね。私たちの他に聖杯戦争に関わっている人間なんて、生き残ってるとしたらもうアンタだけだもの。消去法で考えていけば、多少の目星もつくわ。でもまさか監督役が聖杯を手に入れようだなんて、狡いやり方もあったもんね」

 

 中立を担う監督役ならば、誰にも狙われる事なく様々な情報を収集できる。加えて庇護を求めて来たマスターを人知れず始末することも、はぐれサーヴァントを回収することも、その立場を利用すれば容易い。まさにマスターが隠れ蓑にするには、うってつけの立場という訳だ。

 

「勘違いして貰っては困る。私はお前たちが聖杯に選ばれる以前からずっとマスターだった。監督役を兼任しているのは、他に任せられる人間が居なかっただけのことだ」

 

「そうだったわね。でも私たちはそんな御託を聞きに来た訳じゃないのよ。分かるわよね?」

 

 凛の右手がガンドの狙いを定めた。すかさず隣のセイバーも不可視の剣を抜く。この男を倒しさえすれば、聖杯戦争にも決着する。桜を安全に助け出すためにも、まずは一刻も早く目の前の敵を排除する事が肝要だった。

 

「なるほど。ならば、これ以上の言葉は必要ないな」対する綺礼も構えを取った。凛にとっては見慣れた八極拳の構え。「お前たちは聖杯の誕生には邪魔な存在だ。悪いがここで排除させてもらう」

 

 仮にも相手は代行者にも選ばれた強者であり、冷酷無比な人間兵器だ。特に接近戦においては油断すれば、一瞬で命を奪われる。

 だがこちらも八極拳には覚えがある。何しろ目の前の男から基礎を叩きこまれたのだ。相手の細かな癖、予備動作は、それこそしっかりと目に焼き付いている。

 来る――綺礼がその場から一歩を踏み出したと思った瞬間、その姿は二人の目の前から幻のように消え去った。

 

「……えッ!?」

 

 咄嗟に防御したのが功を奏した。眼にも止まらぬ速さで側面から回り込んで来た綺礼が、気が付いた時には鋭い肘打ちを、既に凛に向かって繰り出してきていた。

 音すら置き去りにする一撃。魔術で作った防御壁は厚紙のように容易く破られ、衝撃に負けた凛の身体が木っ端のように宙を舞う。

 すかさず追撃を狙う綺礼の前に、セイバーの身体が割って入った。風を纏った不可視の刃が、呻りを上げて神父を切り刻まんと襲いかかる。

 迫り来る剣撃も当然のように音速を越えていたが、恐ろしいほど鮮やかな身のこなしで綺礼はそれを回避した。そして懐に素早く手を入れると、柄のようなものを二つ、セイバーに向けて投げ放った。

 綺礼の手から手裏剣の如く放たれたのは、黒鍵と呼ばれる教会の武器だ。柄に魔力を注ぐことで半実体の刀身が現れ、長剣の形を取る。代行者が放つものともなれば、その威力はアスファルトすら融けたバターの如く容易く斬り刻む。

 自身に向って猛然と飛来するそれを、セイバーは容易く弾いた。人間にとっては恐るべき脅威であったとしても、サーヴァントにとってその程度の攻撃は微風程度でしかない。

 甲高い金属音を響かせながら二本目の黒鍵が明後日の方向へと飛んでいく。だがそれによって生まれた僅かな隙を、彼は見逃さなかった。

 数メートル以上あったお互いの距離を、綺礼は僅か一歩で詰める。文字通り人間離れした瞬足でセイバーに肉薄すると、がら空きとなった胸部に向かって渾身の一撃を叩きこんだ。

 

「ぐあッ……!?」

 

 踏み込んだ震脚が地面に亀裂を産み、爆弾めいた威力の鉄拳がセイバーの胸を鎧を打ち砕く。間一髪で防御が間に合った凛とは違い、急所に直撃を受ける事となった彼女は、受け身すらままならないまま、寺を囲んでいる石壁へと叩きつけられる事となった。

 

「――どうした? お前たちの力はそんなものか?」

 

 残心の息を吐きながら、綺礼が言い放つ。たった二発の打撃。ただそれだけで彼は、サーヴァントを含めた二人の敵を圧倒していた。

 彼の背後に向かって光が飛んできた。三つの宝石からなる鮮やかな魔力弾は、凛が放った宝石魔術だ。

 死角から飛び込んできた攻撃にも関わらず、まるで見て反応したかのようにあっさり避けると、振り向きざまに綺礼が再び懐から黒鍵を抜き放つ。その先には、庭の樹を盾に身を隠す凛が居る。

 実体化した黒鍵の刃が、いともたやすく幹を貫通する。前もって樹木を盾にしていなければ、為す術もなくやられていただろう。咄嗟の反撃とは思えない威力だ。

 

「嘘……」

 

 綺礼が超人めいた強さである事は承知していたが、流石にこれ程のレベルでは無かった。葛木のようにサーヴァントから支援を受けているのならともかく、生身の身体だけで出せる力には限界がある筈である。

 何かのからくりか、それとも最初から実力を隠していたのか。

 いずれにせよ、自分たちがかなりの窮地に立たされていることは間違いない。

 

「それでも、やるしかないわよね」

 

 必死に己を鼓舞しながら、凛が次の宝石を構える。

 神父はそれを、ただ不気味な笑みと共に眺めていた。


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