キャスターが最強のSHINOBIを召喚したそうです 作:ざるそば@きよし
葛木宗一郎は謎の多い人物だ。数年前に教師として冬木に赴任して来たこと以外、彼の内情を知る者はいない。住まいを提供している柳洞寺の人間でさえ、彼がどんな場所で生まれ、どのように育ってきたのか、誰一人として把握していないのだ。
無論それはサーヴァントであるメディアも同じであり、彼とは日常生活の中でいくつか言葉を交わしたりはするが、踏み込んだ事情を尋ねたことは一度もない。
だが日常の中に現れるちょっとした仕草や動作などからメディアには薄々分かっていた――彼がかつて日陰の世界を生きる者であったことを。
しかしそんな事は彼女にとってはどうでもよかった。何も言わずに隣に置き続けてくれる。その一点だけで、彼は救世主に等しかった。
「――では行ってくる」
空気さえ凍てつくような冬の朝。離れの玄関で葛木はいつものようにメディアに告げた。柳洞寺の中で二人は婚約者と言うことになっており、今では寺の敷地内にある別宅を新たな住まいとして貸し与えられていた。
「はい。行ってらっしゃいませ。宗一郎様」
ぺこりと律儀に頭を下げ、メディアは彼の背中をじっと見送る。その格好も物々しいローブ姿ではなく、慎ましい色合いのブラウスと飾り気のないスラックスだ。日本では見慣れないヨーロッパ系の顔立ちであることを除けば、実に一般的な主婦の出で立ちと言えるだろう。
「……ふぅ」
葛木の背中が何事もなく玄関を通り抜け、山門の階段を下りて見えなくなった所で、メディアは安心したように小さく息をついた。
不思議な充実感だった。他人の背中をただ毎朝見送るだけなのに、どうしてこんなに満たされた気持ちになるのだろう。
思い出してみれば、一つの住まいに落ち着いて誰かと生活するのは実に久しぶり――と言っても生前の記憶になるが――の事だった。加えてそれが自らの意志でと言うことになると、ひょっとしたら初めての経験と言えるのかもしれない。
今はとても充実している。未だ戦況は見えず、多くの敵と信用ならない手駒を抱えていたとしても、葛木と共にする生活はメディアの中で何よりも尊いものとなっていた。
「健気なものだな。仮初めの夫婦だというのに、律儀に毎朝、旦那の見送りか」
と、彼女にとって一番の問題となっている人間が声を上げた。いつの間にかアサシンが玄関の壁に背を預けて佇んでいた。
「……何かおかしいかしら? マスターとサーヴァントの関係は良好を保つのが道理でしょうに」
うんざりしたような声音でメディアが言った。この男が視界に入るだけで晴れ晴れとした気分に暗雲が垂れ込めるようだった。
アサシンが肩をすくめた。まるで面白い冗談を聞いたと言う風な仕草だったが、それが嘲りを意味しているのはすぐに分かった。
「確かにな。その意見については賛成だが、果たしてそれはお前が言えることなのか?」
これ見よがしな皮肉にメディアは思わず舌を打つ。つまらない挑発に乗って、この男の扱いについて論じる気は毛頭なかった。言えば言うだけ不利になる言い争いを始めるのは不毛でしかない。
「私にとってあなたは所詮、使い捨ての駒でしかないの。余計なことなど考えず、ただ門番に徹していればいいのよ」
吐き捨てるようにそれだけ言い放つと、メディアはアサシンに背を向けて廊下の向こうにある自室を目指した。
先ほどまでの清々しい思いを無遠慮に汚された気分だった。
◇
特別な事情が無ければ、見送り後の時間は“食事”に割り振っていた。
人間としての食事は、寺から出されたものを葛木や他の僧侶たちと共に口にしている。素朴な日本料理は中々に味わい深いものだったが、サーヴァントである以上、それで空腹が満たされることはない。今の身体に必要なのはカロリーではなく魔力なのだから。
陣地の中枢たる自室に辿り着いたメディアは床に敷いた座布団の上に腰を落ち着けると、精神を集中させ、自らの意識を徐々に外へと拡散させていく。
魔力で編まれた精神の糸が身体の至る所から延びていき、部屋を突き抜けて街の方角へと這い進む。そうやって自然と同調していき、大地との一体化を果たすのだ。
果たして地脈との接続は一分ほどで完了した。今のメディアはサーヴァントであると同時に冬木全体の魔力の一部であり、その集合点の一つだった。
彼女は更に意識を集中させていくと、今度は大地の上に乗っているモノ達――町中で暮らしている人々や動植物から、少しずつ魔力を吸収していった。
誰も気が付かない程度の小さな魔力――それこそ蚊が吸い取るよりも少ないエネルギーを削り取り、大地を伝って自らの身体に還元させていく。行使する魔術の難度と規模を鑑みれば、実に低効率な作業だろう。
だがそれも街全体から一斉にとなれば、獲得出来る魔力は膨大なものになる。加えて一人あたりの負担が少ないので繰り返し行っても問題が起こらない。継続して大量の魔力を獲得し続けるには持ってこいの方法だった。
そうして本当の“食事”を済ませたメディアは、次なる仕事である“偵察”と“監視”に取りかかった。文字通り、接続した地脈と方々に放った使い魔を通しての敵情視察だ。
霊力の集まりやすい箇所を中心に、サーヴァントやマスターが陣地を張るのに適していそうな場所、あるいは既に結界が張られている場所を重点的に監視する――勿論その中には、葛木が勤めている穂群原学園も含まれている。
とは言え神秘を秘匿する関係上、堂々と昼間に行動するマスターやサーヴァントはいない。故にこの時間の監視はおざなりになりやすく、今ではもっぱら葛木の働いている様子を観察するだけの時間となっていた。
使い魔の視界の向こうでは、今も生徒相手に教鞭を執る葛木の姿が映っている。変化に乏しい彼の表情が普段よりも僅かに険しく見えるのは、何か大切な事を生徒に伝えようとしているからだろうか。
唇の動きや思考を読めば、彼が何を語っているのかはすぐに知ることは出来た。だがメディアはあえて遠くから密かに覗き、その内容を想像するだけに留めていた――それが葛木に対しての誠意の線引きであり、同時にささやかな楽しみの時間でもあった。
彼女は監視の仕事を他の使い魔たちに任せると、そのまま葛木の仕事ぶりを受け持ちの授業が終わるまでずっと眺め続けていた。
◇
「――いま戻った」
陽光で暖った空気が冬の夕闇に冷やされ始めた頃、一日の職務を終えた葛木の声が再び玄関先に木霊した。
「おかえりなさいませ。宗一郎様」
声が聞こえたのを合図に廊下の先からメディアが姿を現し、見送りの時と同じく頭を垂れて主人の帰りを出迎える。授業の観察だけでは飽き足らず、彼が寺の階段を登り始める直前までの帰路をずっと覗き見ていた彼女だったが、そんな素振りは少しも見せない完璧な対応である。
防寒着や鞄を慎ましやかに受け取りながらメディアが言った。
「外は寒かったでしょう。お風呂はもう沸かしてありますから、夕食の前にそちらで身体を暖めて下さいな」
「分かった」
礼とも確認とも言えないような口調でそう答えると、素っ気ないほどの足取りで葛木が脱衣所に向かって歩いて行く。
捉え方によっては無愛想どころか傲慢にも見えるやり取りだったが、それが彼のあり方なのだとメディアは十分理解していた。どんな事実でも淡々と受け入れる――それが葛木総一郎という人間のスタンスなのだ。
そんな彼だからこそ聖杯戦争という突拍子もない話を受け入れ、マスターになる事をあっさりと承諾した。他の人間では絶対にこうはならなかっただろう。僅かに残された幸運を喜ぶと同時に、メディアは自分が葛木宗一郎という人間にすっかり惹かれてしまっている事を改めて自覚した。
彼が入浴を済ませている間を見計らって、寺から用意された夕飯の配膳を始める。夕食のおかずは旬の野菜を使った煮物で、出汁の効いた柔らかい匂いが器の中から漂って来るのが分かった。これなら冬の冷気にも負けぬ栄養が取れるだろう。
自分もいつか彼に手作りの料理を振舞いたいものだ――そんな風に彼女が思い浮かべた時、ちょうど入浴を終えて室内着に着替えた葛木が台所に入ってきた。
「待たせてしまったか?」
「いいえ、ちょうど食事の準備が整ったところです」
彼女の答えに彼は小さく頷き、そそくさと自らの席につく。
互いの器に白米と味噌汁を盛りつけると、どちらともなく食事が始まった。本来の“食事”を終えているメディアからすれば意味もない行為だが、好意で出されたものに手を付けない訳にもいかず、また味を楽しむ娯楽という意味では人間の食事は有用とも言えた。
煮つけられた野菜たちをゆっくり味わうように口に運ぶ。ほどよく染み込んだ出汁の風味が野菜の素質を引き立たせているのが舌で分かった。寺の食事は住み込みの僧侶たちが持ち回りで担当しているが、今回は特に料理上手な人間が作ったに違いない。
今度作り方を学んでおくべきかもしれない――もっとも、自分たちが最後まで生き残れればの話だが。
黙々とそれらを二口、三口と口に運んでから、ふとメディアが箸を止めて葛木の方へと視線を向けた。
「……宗一郎様」
「なんだ?」
「その……今日のお仕事はいかがでしたか?」
何とも白々しい質問だと、自分で言っておきながらメディアは思った。彼の仕事ぶりを一日中観察していたというのに、改めて本人にそれを尋ね直すとは何とも馬鹿馬鹿しい事だ。
だが彼の事をもっと直に知りたいと、彼女の中にある何かが告げていた。
「いつもと同じだ」葛木は僅かに眉根を寄せ、不思議そうに答えた。「私の仕事がどうかしたのか?」
「いえ、少し気になったものですから」彼女は慌ててかぶりを振った。「申し訳ありません」
「なぜ謝る? 別に聞かれて困る質問ではない。それとも何か、気になる事があったのか?」
「そういう訳ではないのですが……」どう答えたものかと彼女は少し考え込んだ。遠くからただ眺めているだけでは飽き足らず、彼自身の口からそれを聞き出したいと言う欲望がある事に、メディア自身が一番驚いていた。「宗一郎様が普段どのような事を生徒に教えているのか、ちょっと興味があったもので」
「私の受け持ちは社会科と倫理だ。今は学期末の試験が近くてな。どの範囲までを試験に出すか、少し迷っている」
使い魔越しの視界では、黒板に書かれた小さな文字までは見えない。だから彼がその二つを教えている事をメディアは初めて知った。同時にこの泰然とした雰囲気の男が倫理を説くのは実にしっくりくると、おぼろげながらに思った。
「そうでしたか。今日はどことなく表情が優れない気がしたもので。差出口でしたら申し訳ありません」
遠くから見えた険しそうな表情はどうやら仕事絡みの悩みだったらしい。まだ直接的な脅威はないとはいえ、死のリスクが付きまとう今の環境は、彼に相当なプレッシャーを強いている筈であり、果たしてそのせいだろうかと考えていたメディアにとってはホッとする一言だ。
だが彼にとってはその事が逆に気になってしまったようだった。
「……確かに少し疲れているのかもしれないな。要らぬ心配をかけた」
「いえそんな」
メディアが再び首を振る。そして少ししてから一つの考えを切り出した。
「それでしたら、お仕事の方はしばらくお休みされてはいかがですか? 宗一郎様もマスターである以上、不用意に外を出歩いていては命の危険があります。聖杯戦争が終結するまで、この寺院に留まるのも一つの手かと」
陣地の中に立て籠もっていれば、少なくとも敵に奇襲される心配はない。僧侶たちには結婚のための準備期間だと説明すれば言い訳が立つ。それに何より彼と共に居られる時間が多くなるというのが、メディアにとっての一番の魅力だった。
しかし肝心の葛木はいい表情をしなかった。
「だがいきなり姿を消しては不審に思われるだろう。もし学校の関係者に敵が居れば、私がマスターだと知らせるような事になるのではないか?」
怪しまれるという懸念は確かに正しい。マスターが誰か分からないというのが、最も安全で奇襲にも適した状態だ。攻めにも守りにも使える便利な立ち位置を捨ててまで保身に走るのは得策とは言い難い。
仕方なくメディアは方針を転換した。
「ではもし学校内に敵が居ると判明したら、その時点で自重していただくという事でどうでしょう」
「分かった。いつでもそう動けるように手配しておく」
その会話を最後に再び話題が無くなってしまった。彼が自分から何かを語りかけるという事は滅多にない。話しかけようにも、他に話題らしい話題をメディアは持ち合わせていなかった。
気まずい雰囲気の中で黙々と箸を進める。すると、思い出したように葛木の方から声が上がった。
「ところでキャスター」
「は、はい!」
いきなり名前を呼ばれ、驚いたメディアが上ずった調子で返事をする。
「柳洞寺(ここ)での生活にはもう慣れたか?」
放たれた問いは何とも平凡なものだった。一体何事かと覚悟していたメディアの身体から力が抜ける。
「え、ええ。生きていた頃とは随分違いますが、聖杯からの知識もありますし、何よりも家電製品というものはとても便利で助かっています」
生前の時代と比べれば、この時代の生活基準は比較にならない程に上がっている。電気さえ確保しておけば家事の大半の事が一人で賄えてしまう事実に気が付いた時は正直驚いたものだ。何とも嘆かわしい話だが、これでは神秘を極めんとする魔術師たちが衰退するのも頷ける。人間の叡知はここまで進歩したのかと舌を巻く思いだった。
その答えに満足したように葛木が言う。
「そうか。何か不自由があるようなら遠慮なく言って欲しい。出来る限りの事は協力するつもりだ」
「宗一郎様」と、キャスターが少し窺うように尋ね返した。「どうして、そこまで私に優しくして下さるのですか?」
以前から気になっていた。全てをありのまま受け入れる彼の姿勢からして、死にかけの自分を路傍の石のように捨て置くことも出来た筈だ。どんな人間か話さなければ分からないと言っていたが、血まみれで倒れている怪しげな女に自ら関わろうとする人間が、果たしてどれくらい存在するだろうか?
投げ返された質問に葛木は少し考え込むように視線を落とした。
「……何故だろうな。正直、私自身にも良く分からない。死にかけていたお前を偶然見つけた時、私の中にある何かが変わったのかも知れない」
彼の口調には戸惑いがあった。本当に分からないと言う風だった。
メディアは思った。もし運命というものが言葉遊びの幻想ではないとしたら、葛木との出会いがまさしくそれなのだろう。あらゆるものに裏切られてきた自分が得た一つの希望――それが彼なのかもしれない、と。
たとえ一時の気まぐれで助けたのであったとしても、彼は命の恩人であり、自分に新しい生きる意味をくれたのだ。
共に生きると言う意味を。
――お慕いしています。宗一郎様。
言葉にこそしなかったが、彼女は胸の内で密かに彼に向かってそう告げた。