第1話 堕ちた天使
これは讃州中学勇者部の面々と、田所浩二という1人の少女との、出会いから別れまでの物語である。
◇ ◆ ◇ ◆
「ねえ、お姉ちゃん。天国なんて、あるのかな……?」
神世紀298年の11月。太陽も灰色の雲に隠れた寒空の下で、犬吠埼 樹は視線を地面におろしたまま、姉の風に問いかけた。
父と母が死んだ。犬吠埼姉妹にその訃報が届いたのは、一月前の10月11日のことだ。
その報せを聞いた2人は、あまりに突然のできごとに現実味を感じられず、涙を流すこともなかったのはせめてもの救いだったろう。
風は中学1年生で、樹にいたってはまだ小学5年生の子供なのだ。哀しみは少ないほうがいい。
親戚はおらず、葬儀もろもろの段取りをしてくれたのは姉妹とは面識のない、両親の仕事仲間の大人たちであった。
2人きりの生活が始まった。
昔から姉妹の仲は良好で、喧嘩らしい喧嘩もしたことがなかったため、目立ったトラブルが起きることもなかった。これからも仲良く助け合って生きていけることだろう。
とはいえ彼女たちは、まだ義務教育が必要な未成年の少女だ。子供だけで生活するのは大変だろうと、周囲の大人は施設に入ることを提案した。
しかし2人は、父母との思い出がある実家から離れることを嫌がりこれを拒否。
大人たちも姉妹の意思を尊重し、周囲から見守ることになった。
この日は両親の墓参りの帰り。
犬吠埼一家は香川県大橋市に住んでいる。また、両親が亡くなった場所は市に造られた瀬戸大橋跡地であり、墓もその近辺に建てられていた。
家へと帰る道すがら、突然かけられた妹からの問いかけに、風は多少困惑した様子で声をかけた。
「どうしたの? 突然そんなこと聞くなんて」
「お父さんとお母さん、ちゃんと天国にいけたのかなって思って……」
原因はわからないが、瀬戸大橋付近はなんらかの事故が起こり炎上、崩落した。
その際、観光客など多数の人たちが巻き込まれたのだが、姉妹の両親は事故の中で怪我をした人々を助けて周り、その結果最後には自分たちが炎に飲まれ命を落としたのだ。
「大丈夫よ、樹。お父さんもお母さんも、絶対に天国にいるわ。そこであたしたちを見守ってくれてる。当然よ、だって……」
見ず知らずの人たちを助けるために自身の命をなげうった父と母、そんな2人が天国に行けないなんて、そんなことあるはずない。
風は妹を安心させるため、優しく頭をなでながらそう答えた。
「お盆は3日間くらいあるといいんだよね。だってさぁ、家に帰ってもあたしと樹の2人きりとかかわいそうじゃん!」
なんて言っていながら、姉妹にとっての両親くんがはたしてお盆に帰ってきてくれるかどうかやっぱり気になる。
霊魂クンは決して絶対に姿なんか表わしてしてくれない。だから風はグレまくって樹の世話なんかやっている。
それに絶対決して「おかえり」なんて言ってくれない。単なる「守護霊」として愛してくれているだけだ。
「うん、そうだよね」
樹も姉の言葉に納得したのか、地面におろしていた視線をまた上に向けた。
その時、ふと樹の目にあるものが入り込んできた。
海岸沿いの通りを歩いていた2人だが、その海の波打ち際、砂浜の上に横たわるそれは……
「お姉ちゃん、あそこ! 浜辺に人が倒れてるよ!!」
樹の指さす先には確かに人が1人、うつぶせの状態でふせっている。
しかも衣服など身に着けていない、全裸の状態であることが遠目にもわかる。
その人は意識がないのか、顔は波に浸かったままでピクリとも動かない。
「た、大変だわ……。行くわよ、樹!」
走り出す風と樹。急いで倒れている人物の元に着くと、2人してその体を波間から引き上げた。身長は風より少し高い程度だから、年齢も同じくらいだろう。
その人の姿を見て、風は思わず息をのんだ。
笑えばきっと愛嬌のある笑顔を浮かべるだろうと思わせる、人好きのする顔立ち。
浅黒く日焼けした健康的な色の肌。
無駄な脂肪などない、スポーツ選手のように鍛えられていることをうかがわせる肉体は、古代の美術彫刻を思い出させる。
「まるで、空から地上に堕ちてきた天使みたいだぁ……」
風は思ったことを無意識に言葉に出していた。それほどまでに、目の前の人物は美しい
短く借り上げられた頭髪から一瞬少年かとも思ったが、ふと目に映った股間に男性器が無かったことから間違いない。
「……ぅ……羽毛」
少女が意識を取り戻した。目を開けると、姉妹を不思議そうに見つめる。
「あなた大丈夫? 自分の名前、言える?」
風が尋ねると、少女はゆっくりと思い出すように自らの名前を口にした。
「俺は……田所……。田所 浩二……」
「田島さんね」
「違うよ、お姉ちゃん。田宮さんだよ」
「ごめんごめん。ターミナルさんね」
「だからタージマハルさんだって」
「あのさぁ……」
なぜか少女──田所の名前を間違えてしまう2人。
そこで樹が「あっ、そうだ」と唐突に救急車を呼んでいないことを思い出し、近くの病院に連絡を始める。
その間に風は田所に質問をしていた。
「あなた、なんでこんなところで倒れてたの? それも裸でなんて……」
「んにゃぴ、(なにも覚えて)ないです。名前以外記憶がないとか、これもうわかんねぇな」
「えっ、記憶喪失なの!? ウッソだろお前……まるでドラマみたいだぁ」
どうやら田所は、自分や自分の周りに関する記憶の一切を失ってしまっているらしい。
これマジ? 物語の主人公に対して魅力が貧弱すぎるだろ……。
ピーポーピーポーピーポー(緊急)
そんなやり取りをしていると、少女たちのもとにサイレンを鳴らしながら救急車くんが到着した。
「えっ……何それは……(ドン引き)」
救急車に乗るよう即された田所が言った。
「嫌って言っても乗るんだよ車に」
なんにしてもこのままではいけないからと、風はおびえる田所を無理やり救急車に押し込んだ。
樹も乗せて車は大橋病院に向かう。
◇ ◆ ◇ ◆
病院に担ぎ込まれた田所。タンカに乗せられた彼女は、姉妹と別れ診察室に連れていかれた。
医師の簡単な検査にもかかわらず、田所の体はなんと、今生きているのが不思議なくらいの重症であることが分かった。
「うわあ……これは火傷ですね。これは骨折で、ああ、こっちは内臓破裂ですね。間違いない。なんだこれは……たまげたなあ」
田所を診ていた医師は驚きの声を上げた。一体どのような過酷な目に合えば、これほどの大怪我を負うことになるのか。
「(手術室に)inじゃねーの」
医師は即刻、田所の手術をすることを決めた。
しかし、そこで問題が起きる。手術室にある機械類が突然動かなくなってしまったのだ。
どういう訳か、田所の近くにある精密機器はまともに動作しなくなるようだ。(車程度ならまだ平気なようだが)
彼女の体から、なにか特殊な電波が出ているという訳でもない。
「病院の人は大変だね。病院のお仕事の人は大変だろうね~、白衣着て。ねぇ大変でしょうけども。仕事ですからね。仕方ないですね。仕事というのは大変です、生きるということは大変ですねほんま」
ひどく他人事の田所。彼女には、この体は治療などしなくても勝手に治るという奇妙な確信が芽生えつつあった。
はっきりわかんだね、とそのことを医師に伝える。
「こんな大怪我が自然治癒なんてするわけないだろ、いい加減にしろ!」
「いや、それは君が、君らがそう思ってるだけやでぇ?」
納得いかない医師だったが、かといって機械が動かなければ本格的な治療をおこなうこともできない。
仕方なく、消毒と包帯を巻く程度の簡単な処置をほどこしただけで、田所を病室に移送するのだった。
◇ ◆ ◇ ◆
「ここは待合室で、向こうに、入院患者ルームがあるんだ。後で、そこへ行こうよ」
田所が治療を終えるのを待っていた風と樹は、看護婦の案内で彼女が移された病室へと来ていた。
全身包帯まみれの田所だが、痛みを感じていないのか、その顔に苦悶の表情はない。
「おっ、大丈夫か大丈夫か?」
田所の体を心配した風が声をかける。
「大丈夫だって安心しろよ~。ヘーキヘーキ、ヘーキだから」
大嘘でもなんでもなく、本当に田所は平気なようだ。
にっこりと満面の笑みを浮かべる彼女を見て、風と樹は安堵の息を吐いた。
「ここに来てよかった……(兄貴)」
手厚い看護を受けた田所は、病院に連れてきてくれた姉妹に感謝を述べる。
「そういえば、こっちは名乗ってなかったわね。あたしは犬吠埼 風で、こっちは妹の」
「い、犬吠埼 樹です……」
引っ込み思案の樹は、初対面の田所に多少緊張した面持ちで名乗った。
「
姉妹の名前を聞いた田所は、独特のイントネーションで返す。
「改めて、俺は田所浩二だ」
「よろしくね、タンドリーチキンさん」
「お姉ちゃん、だからタロイモさんだって」
お互い握手をしつつやはり名前を間違う姉妹だが、もはや田所はなにかを言う気にはならなかった。
「それでさ、これからのことなんだけど……」
風はどこか言い出しづらそうに切り出す。
「あなた、名前以外の記憶が無いんでしょ。ってことは、家族とかどこに住んでるかとか、全然分からないってことよね?」
「んまぁそう……よく分からなかったです」
警察からの連絡によれば、捜索届が出されているような人間は誰もいないらしい。
また、田所が倒れていた付近にも、彼女の所持品などは見つからなかった。
「退院しても帰る場所が分からないんなら、このままだとあなた、どこかの施設に入ることになるわ」
同じ身寄りのない立場の犬吠埼姉妹ではあるが、田所と違い身元ははっきりしているし、住まいもちゃんとある。
それに対して田所はどこから来たのか、家族や友人知人はいるのか、一切が謎なのだ。
田所は風の言葉を黙って聞いている。
「でさ、これは提案なんだけど、あなたがよかったら、あたしたちの家に来ない?」
「あーもう1回言ってくれ」
風からの突然の申し出に、田所は驚いて聞き返した。
「自分で言うのもなんだけどさぁ、こんな正体不明の怪しい奴と一緒に住もうだなんて、不用心すぎるってはっきりわかんだね」
「実はさ、あたしたちも両親が死んじゃって2人きりで暮らしてるのよ。だからなんていうか……あなたのこと、ほおっておけないと思うの」
今日会ったばかりの素性の知れない人物だが、不思議と悪い人間ではないという確信が姉妹の中にはあった。
「タスマニアデビルさんも、今は一人きりだから……独りはつらいって分かるから、だから一緒にいられればと思って……」
樹も口下手ながら、彼女なりに田所を心配していることを伝える。
「おかぁ……はぁん……(レ)」
「まだ母ちゃんって歳じゃないわよ」
子供を慈しむ母のような姉妹の想い。それを受けた田所がついつぶやいてしまった言葉に、風は即座に突っ込みを入れた。
「初めて出会った人間が、お前たちのような善人でよかったよ。ありがとナス」
姉妹の歪みねぇ優しさに触れた田所は、そう言って頭を下げた。
でも……、と彼女は言葉を続ける。
「(俺を受け入れるのは)あっちょっと待ってもらって……。そんないい奴らなお前たちだからこそ、なおさら迷惑はかけらんねえわ」
田所は、行くとこないならつべこべ言わずに家に来いホイという2人の提案を、感謝しつつも断った。
風も樹も彼女のことを案じ、気にすることはないと言うが、やはり田所はこの申し出を辞退する。
「まま、そう心配しないでよ。自分のことなんだから、まずは自分で何とかしてみますよ~。多少苦労するとしても忍耐、あとは忍耐……あとは忍耐と……あと覚悟……ですね。それさえあればいけると思います」
そう言って、田所は2人を安心させるように柔らかな笑みを浮かべた。
◇ ◆ ◇ ◆
結局、田所 浩二は犬吠埼家の世話になることを辞めた。そんな彼女を、風と樹も
「ハァ……(驚愕)絵に描いたような頑固(笑)凄い意志だね」
と、本人がそう言うなら仕方ないという風に、笑って諦めた。
そんな感じで面会時間も過ぎたため、姉妹は病室を後にした。またお見舞いに来る、と約束して。
田所を病院に担ぎ込んだ日から幾日か経ったある日、風と樹は再び大橋病院に来ていた。もちろん彼女を見舞うためだ。
田所がいる病室の扉を開ける。
しかし、その部屋のベッドの上には誰もいなかった。どこかへ出かけているといった様子ではない。シーツは綺麗な状態で折りたたまれている。
どうやら病室自体が使用されていないようだ。部屋を移ったのだろうか? 2人は近くにいた看護婦に田所のことを訪ねる。
「タンザニアさんね、この間突然退院しちゃったのよ。どこへ行ったかって? 悪いけど分からないわ」
看護婦はそれだけ言うと、どこかへ去っていった。
姉妹になにも告げることなく、突如として田所 浩二は2人の前から去って行った。現れた時と同じように、いきなりのことだ。
この日、3人の出会いは唐突に終わりを告げた。
神世紀298年、冬の日のことである。