「お兄ちゃん! 来たよ!
「マジか!?」
ついに来たか、このときが。長年ずっと書き続けてきたが、18歳になるまで待って応募したんだ。ようやく俺は夢を叶えられるのかもしれない。
「もしもし」
「ああ、先生ですか。おめでとうございます、なんと大賞! もちろん書籍化決定ですよ!」
「本当ですか!」
「本当ですとも!」
――ああ、ついに。ついに叶えられるのか。作家になるという夢が。
そして読んでくれた読者にこう思って貰えるのか。
めちゃシコだと。
エロくてエロくて仕方がないと。読んでる間はずっと勃起せずにはいられないと。なんてヌケる官能小説なんだと。何度使っても気が済まないなんてクレームのおハガキを出そうと。
ああ、最高だ。
想像するだけで嬉しくて死ぬね。
子供の頃からの夢だった官能小説家になれるなんて。え? 何? 俺なにかおかしいこと言ってる?
今回の作品は特に若い人向けに書いたから、ひょっとしたら男子高校生からファンレターが来たりしてな。先生、もはやビジュアルがあったらヌケませんと。やっぱり先生の活字じゃないと勃起できませんと。
「ぐふふふ、ふふふ」
「先生お喜びですね~」
おっとトリップしていたら電話先の女性に笑われてしまった。っていうかこの声からすると若い女性みたいだけど大丈夫なのか?
「あの~、あなたも私の作品を読んだんでしょうか?」
「え? はい、もちろん」
――まじか。
それは想定してなかったな。しかし、編集者が女性ということもあるのか、エロエロな小説だとしても。さすが男女雇用機会均等法だぜ。日本の未来は安泰だ。しかし、なんというか、その、恥ずかしい。自分の力量がどうとかそういうことじゃないね。ただ単に恥ずかしいね。男しか読まないものだと思ってたからね。
「どう思いました?」
それでも感想を聞いてしまう。作家の本能なのであろう。どんなに恥ずかしくとも、感想は欲しいのだ。
「素敵でした」
嬉しい一言。料理なら美味しい。親切ならありがとう。シンプルな評価がまずありがたい。でもなんだろうこの思い。官能小説ならエロいとかヌケるとかならわかるけど、素敵ってちょっと変わった表現だね。嬉しいけど不安だね。
「差し支えなければお聞きしたいのですが、どのへんが素敵ですかね?」
遠慮がちにだが、詳細な感想を求める。そりゃそうよ、素敵の一言じゃあね。風景画じゃないんだから。
「この作品のテーマだと思うんですけど、欲望と戦って戦って、どうしても抗えなくて負けてしまう女性の弱い心ですかね。共感します」
マジかよ!? 共感しちゃったの!? 官能小説に? あなたが?
この小説は簡単に言うと、若いメイドがお屋敷に勤めるんだがご主人様が非常に劣情を煽るのが上手で、我慢に我慢を重ねるものの、結局自分から……という内容はベタなものだ。そのメイドさんに自分を重ねたっていうのか。
思わず手を口に当てる。おいおいとんでもないあばずれが居たもんだぜ。この俺の超どエロ小説を読んでそんな気持ちになるとはね。ビッチなんてもんじゃねえ。奴隷だね。肉奴隷だね。なんか興奮してきたよ!
「あの~、失礼ですけど、日頃から
聞いてしまった。セクハラになってしまったらどうしよう。でも当然の疑問だよね?
「そりゃそうですよ~。私だって周りの目には気をつけてるんですから」
おいおい、周りの目には気をつけてるのに俺には言っちゃうのかよ。まぁでも当然か。俺は作者だもんね。声からは伝わらないけど、きっと顔は真っ赤に違いない。くそっ、なんで音声のみの通話なんだ。とはいえ俺の表情を見られるのも避けたいところですね。俺は努めて平静を装った声で返事を返す。
「そ、そうですか」
「そうですっ」
ちょっと拗ねるような声だった。えっちしたくてしたくてしょうがないことを俺に打ち明けた上に、性欲が溜まっていることを指摘されて拗ねるのか。なんというエロい人なんだ……。事実は小説より奇なりとはよく言うが、こんなエロい人は俺の小説にも出てこない。なんか負けた気がするぜ。
「ところでですね、出版するにあたって変更したい箇所があるんです」
エロい人が突然ビジネスモードになる。それもいいね。などと思っている場合ではない。俺もお仕事スイッチ・オン。
これは編集者による修正依頼ってことだろ。そりゃそういうこともあるだろう。確かにこれで完璧だと思って応募してはいるが、そこまで天狗じゃない。真摯に受け止めますとも。
「どこですか」
「まずタイトルなんですが」
タイトルから変更か。まぁ仕方がない。かの芥川賞を受賞した限りなく透明に近いブルーだって最初は違うタイトルだったと聞く。売れ行きに大きな影響を与えるタイトルは編集サイドの意向が強いらしい。俺だって売れないより売れたほうがいいさ。より多くの青少年に使って欲しいからね! ちなみに変更前の題名は「クリトリスにバターを」らしいよ! 変えて当然! びっくりするほどエロいから一読をおすすめします!
電話の奥からはこくんと何か飲み物を含んだ音が聞こえた。
「読者さんの年齢層を考えると、わかりやすい方がいいですからね」
へえ。俺が若年層狙いだということをわかってくれていたか。官能小説でよくありがちな
「で、16歳~肉欲に負けて快楽に溺れたメイド~をどう変更するんですか」
「はい。まず肉欲っていうのがわかりづらいかと」
肉欲が?
わかりやすいと思うが、まぁそうか。高校生ならわからないかもしれない。
「どう変えるんです?」
「やっぱりわかりやすく、肉を食べたい気持ちが強すぎるメイドさん、というのはいかがでしょうか」
は?
肉を食べたい気持ちだと、それはもうお肉だろ。話が変わっちゃうだろ。
「それはちょっと……」
「あー、駄目ですか? じゃあ先生の方で考えてみてください。ただ、ターゲットのことを考えてくださいよ」
「んー、いや、さすがにわかるんじゃないですかね~?」
確かにそりゃあ高校でも習わない言葉かもしれないが。エロ小説を読もうっていう人間なんだ、辞書のエロいところばかりに付箋が貼ってあるような奴らだろう。
「わかりませんよ~。いくら最近の子供は賢いと言っても限界があります」
「子供って」
言い方に気をつけて欲しい。18歳以上しか読めない内容なのだから。実際は俺だってまだまだ子供かもしれないけどさ。
「子供ですよ。ターゲットは10歳から15歳の女子なんですから。もちろん乙女でもありますが」
は!?
何を言ってるんだこの人は?
18歳以上の男子だろ。
「うちのレーベルは大きなお友だちも確かに熱心な読者がいますが、あくまでもメインターゲットは女の子ですからね」
え?
そんなわけがない。
だって俺が応募したのは、書店だったらエロ漫画の隣に置かれるようなものだ。はっきりいって、中身どころか売り場の棚に近づくことすらできないはずである。
「今どきの女の子は若くてもスタイルを気にしてあんまり食べない娘が増えてるんです。恥ずかしながら私もダイエット中でして……だからこのメイドさんに凄く共感を」
待て待て。なんだこの人。肉欲に負けて快楽に溺れたって言葉を太るのを気にしないでお肉いっぱい食べちゃったって意味だと思ってるわけ? そりゃないだろ。
「じゃあまずはタイトルを考えてくださいね。本文は変更したい点を赤入れして送りますので」
そう言って電話が切れた。どうなってるんだ。
「お兄ちゃん、どうだった?」
妹はずっと俺が電話をしている間、近くで見ていたようだった。さっきまでツーテールだった頭がお団子になっている。暇だと髪をいじって髪型を変える癖がある。
「ああ。大賞だってよ。書籍化決定だ」
困惑したまま、事実を伝える。
「わ~! 白い鳥文庫の作家さんなんて凄いよ!」
「待て、なぜそれを知っている」
電話の声が聞こえていたとて、うちのレーベルとしか言っていない。そもそもなんだそれは。
「私、
うちの妹は中学一年生だ。まさに10歳から15歳の女子に当てはまる。若者に読んで欲しい気持ちはあったが、違うそうじゃない。
「だからお兄ちゃんが小説を応募する先が
「嬉しくって?」
「宛先を白い鳥文庫大賞に変えておいたんだ」
「お前のせいかよ!!」
謎が解けたが、しょうもねえ~! 妹が勝手に応募しちゃっていいのはジャニーズくらいのものだ。
「でも、私信じてたよ、大賞取れるって」
「はあ? なんでだよ」
「だって面白かったもん」
「はああ!? なんで読んでんだよ!! 読むなって言っただろ!?」
中学一年生の女が読むもんじゃねえ。どっちかっていうと中年が読むもの。
「お兄ちゃん、恥ずかしいからって嫌がりすぎだよ。いいじゃん身内が読んだって」
そういうことじゃねえんだよ。恥ずかしいという要素もなくもないが、18禁だから読むなって言ってんの。肘でつんつんすんな。
しっかし俺の超絶エロ小説を妹が読んでいたとは……。思わず天を仰いだ。
「普段は女心なんてわかんないお兄ちゃんが、小説だと凄いよね。読んだ人、絶対乙女が書いてるって思うんじゃないかな」
んなわけねえだろ。おっさんが書いてると思うだろ。男にとって都合の良すぎるお話だぞ。
「どのへんがそう思うんだ」
なんか勘違いしてるに違いない。しかしいくらなんでも俺の文章でなぜそんなことに。自分で読んでも勃起するレベルでエロいんだぞ。
例えばこんな感じだ。
――メイドは毎晩のようにご主人様のそれを見せつけられていた。そそり立つそのものは、あまりにも魅惑的なものであった。
「物欲しそうな顔をしているな」
「と、とんでもございません」
「そうは言っても、ここはこんなに正直だぞ」
「や、やめてください。恥ずかしい」
男はそう言って、だらしなく垂れた液体を指で拭った。
「という部分があるが」
「うんうん」
「どう思うんだ」
「えっと、それ、とか、そのもの、っていうのはもちろんお肉だよね」
「は? あ、ああ」
肉は肉でも肉棒のつもりで書いてるんですけど。なんて妹に言えるわけもない。
「そそり立つっていう表現がボリュームありそうでいいよね」
「あ、そう……」
勃起してるだけですけど。説明などしないが。
「だらしなく垂れた液体って、よだれでしょ?」
愛液です。だが、種明かしをする気はもちろんない。
「メイドさんがお肉食べたい気持ちが伝わってきて、私もお肉食べたくなるよ~」
そう言いながら目をぎゅっとさせて、ごくりとつばを飲んだ。
ああーもう! なんなのこいつら。なんで肉欲って言葉でそうなんの?
「なんでお兄ちゃん、そんな悩ましげな顔してるの」
お前のせいだよ。
「相談に乗ろうか?」
心配そうに俺の顔を窺う。ふー、とため息をついて、かぶりを振る。
「タイトルを見直せって言われてな」
「そっか! 確かに白い鳥文庫っぽくないもんね。そうだな~、わたしだったら『我慢できない! メイドのメイちゃん!』にしようかなっ」
そんなに嬉しそうに言われたら、もうそれでいいかなという気がしてくるね。
「採用するわ」
そう言い残して部屋に戻る。なんかもう疲れた。
「えっ、ほんとー!? えー! どうしよう~!?」
小説の大賞を受賞した俺は疲れ切って肩を落としているのに、その妹はなぜかテンションマックスであった。はぁ~。