誤解を招く表現であったかもしれない。
キスはキスでもチークキスである。
生粋の日本人の諸兄らにおいては馴染みのないものであろう。俺もない。そして妹もないはずだ。なんなんだこいつ。
チークキスとは欧米、とくにヨーロッパにおける挨拶の一種で頬と頬をあわせる行為のことだ。決して口づけではない。
「ちゅっ」と音を立ててキスっぽくすることはあるらしいが、頬に口を当てているわけではないらしい。
大体おっさん同士でもやるような挨拶であるからして。
まぁこの流れはHUGと同じで欧米挨拶シリーズということだろう。握手と同じってこった。
「んちゅっ」
うん、耳元で聞こえましたね。
詩歌が俺の肩に両手を乗せ、頬をくっつけてからそういう音を立てた、それだけのことだ。
先程右の頬にしたので、今度は左の頬にしたということのようだ。両方に一回ずつの計二回するスタイルのようですね。
詩歌は立って後ろを振り返り、これがチークキスってやつじゃい、わかったかとばかりに力強く頷くと、三人もわかったとばかりに頷いた。
本当にわかったのかなあ、俺からみんなの顔が見えてるってことはみんな詩歌の後頭部しか見えなかったわけで。まぁ、でもわかるか……。
「あげは、いきます」
しゅたっと右手をあげるあげはちゃん。なにやらやる気満々のご様子。
「うふふ、せぇんせぇ~、キス、してあげますねぇ~」
うん。言い方はエロいんだよね。ただのチークキスなのにね。ほっぺたくっつけるだけなのにね。まったく口だけは威勢がいい……なんて言い方をしてはいけない。彼女はサービス精神が旺盛なのに慎ましやかな乙女なのだ。最高だね?
「んちゅっんちゅっ……ぷはあっ」
うん。エロいね。音だけはね。もちろん口は俺の体のどこにも当たってはいない。そういう意味ではこの行為はあげはちゃんには向いていたのかも知れませんねぇ……。
とは思いつつ、あげはちゃんの頬はぷにっぷにで凄く気持ちいい感触であり、頬ずりされるだけでも思わずどきどきしてしまう。なんかいい匂いするし。ミルクとローズが混ざりあい、赤ちゃんと大人の間という感じがする。とってもあげはちゃんらしい匂いだね。
もう片方のほっぺたもおかわりして、終了。これは本当に健全でしたね。微笑ましさすらある。
「ふふふ、どうでした、あげはの、キス♡」
そして今まで不完全燃焼だったあげはちゃんはやりきったという顔でご満悦だ。よかったね。本当に口づけされたならともかく、意味深に頬をすり合わせただけだ。正直、どうということはない。
どうということはないが、ここで「べつに」とか言っちゃったらあげはちゃんが悲しむかもしれない。なんと言えば彼女は喜んでくれるだろうか。「うほおおおお! もうおちんぽビンビンだよぉお! 我慢できないよー! 見抜き、見抜きしてもいいですか、あげはちゃーん!」とでも言えばいいかもしれない。
ただし、その場合は沙織ちゃんにスタンガンで容赦なく気絶させられて気づいたら冷たい檻の中だろう。
なんてこった、俺とあげはちゃんが幸せでも周りの人間がそれを許さないなんて……。この世知辛さから逃れるためにみんな異世界転生モノを読むんだな……。
ここは当たり障りのない言葉にしておこう。
「かわいかった」
本当に、奇をてらわない、素っ気ない一言だと思う。ともすれば作家として恥ずかしとさえ思う。そう思ったが……あれ?
みんな、どうした?
あげはちゃんは、ぽ~っと熱に浮かされたような、心ここにあらずという表情を浮かべている。エロい言葉じゃないぞ?
真奈子ちゃんはぎゅっと唇を噛んで、ぷるぷると震えていた。恥ずかしい言葉でもないぞ?
沙織ちゃんは特によくわからない。悩んでいるような困っているような、首を傾げたり、眉根を寄せたりしている。わからない言葉じゃないでしょ?
そして詩歌はぱぁ~っと満面の笑み。ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。お前に言ったんじゃないんですけど?
うーん、無難に済まそうと思ったのに妙なことになったな。変なこと言った?
「つ、次はぼくか」
頬をぽりぽりと掻きつつ、近寄ってくる沙織ちゃん。なぜだろう、平常心を装っているように見えるが……ま、気のせいか。
沙織ちゃんは少しかがんで俺の頬に頬を当てる。すべすべの肌だ。ほのかなシトラスの香りが漂う。
「ちっ」
え? 舌打ち? 舌打ちですか?
今度は反対側の頬を当てる。
「ちぇっ」
……絶対に舌打ちだな……
「どうですか」
「ん~ごめんね」
謝るしかなかった。よくわからないがとにかく機嫌を損ねているに違いない。そもそも彼女はお菓子につられて仕方なくやっているのだろう。他の女の子と違ってファンでもないわけで、舌打ちするのも仕方がないことだ。
そう思って俺は心をこめて謝罪したわけだが……
「ごめんね、ですか、そうですか」
しょぼーんという顔をみせる沙織ちゃんだった。舌打ちっぽくなったのは不器用なだけだったのかな。だとしたらもうしわけないが。それにしても随分と落ち込んでいるのが気になる。謝ったことで凹んでいるのだとしたらもう謝ることはできない。どうにもならない……申し訳ない……。
「残念でしたね」
「チィッ!」
やんわりとだが片手で押しのけた真奈子ちゃんに完璧な舌打ちで返す沙織ちゃん。うん、これが舌打ちなんだね。さっきのはやっぱり舌打ちじゃなくてキスのマネごとだったんだね。ごめんね。
「よしっ」
前髪を直し、目をパチパチとさせてきゃるんっと小首をかしげる真奈子ちゃん。妙な気合の入れ方だなあ。アイドルが写真を撮られるときみたいな。チークキスの前にする行為ではない行為だが……正直かわいい。
顔を近づけて、頬を寄せてくる真奈子ちゃん。うん、さすがにもう慣れてきたな。
「ちゅっ、ちゅっ」
うん、これももう慣れて……違っ、違う!
真奈子ちゃん、違うよ、空中で音を立てるだけだって!
耳にキスをするんじゃないって!!
「はぁ、はぁ、んちゅっ、ちゅぱっ」
あぁ、あぁ……
なんか体中の力が抜けていく……何も抵抗できない、違うとか指摘できない。甘い吐息が耳にかかり、舌が耳たぶを蹂躙し、キスの音が鼓膜に何度も襲いかかる。性的な知識がない女の子がしているとはとても思えない、とてつもなくエロティックな行為。
俺は目の焦点が合わなくなり、口もだらしなく開いてしまう。これじゃまるで俺の方がメイちゃんみたいじゃないか……。
ようやく左耳が自由になり、俺はこれはチークキスじゃないと伝えようとしたが、右耳に同じ行為が始まるまでの時間に言葉にすることが出来なかった。それは舌に力が入らなかったからなのか、それともこれから始まる快楽を自らの手で止めることなどもったいなくて出来なかったからなのか……。まるでご主人さまのお仕置きの手を止めることが出来ないような……こ、これがメイの気持ち……?
「ちゅっちゅっ、ぺろぺろ、んっふうぅっ」
「あぁ、あぁ……」
為す術もない俺。しかし、俺を正気に取り戻してくれたのは詩歌だった。
「お兄ちゃん、すっご……!」
なぜか興奮した様子の妹がバッチリとビデオカメラを構えているっ!
冷水をぶっかけられたように頭が冷え切っていく。途方も無いやっちまった感が襲う。そう、彼女たちは妹が用意した安心安全な挨拶のような行為をしているだけにすぎないが、その結果俺が性的に興奮してしまったら俺だけが完全有罪。そしてそれは動画という完璧な証拠として残されている!
な、なんということだ……この動画をネットに流されたくなかったら……などと脅されて俺は妹の肉奴隷に……と思ったが詩歌はそういう知識がないから大丈夫だ、なーんだ安心! それこそバラされたくなかったら焼き肉を奢れくらいかもしれん。お兄ちゃん奢っちゃるわ!
「ふぅ、どうでしたか?」
やりきった感たっぷりでむふんと年不相応の胸を反らす真奈子ちゃん。ここで興奮しちゃったなんて言ったら大変だ。冷静沈着を装う必要がある。
ごほんと咳払いのようにみせかけて呼吸を整えた。
「うーん、まぁ、普通かな」
そっけなく言ってから腕組みをして目を閉じる俺。そして薄目を開けて実は胸がバクバクしていることがバレてないかみんなの表情を伺う。
なぜかガッツポーズを見せるあげはちゃん。そして、なぜか絶望的な表情で膝から崩れ落ちる真奈子ちゃん。そしてそして、なぜか俺の股間を撮影しようとしてくる詩歌。
なぜかだらけで何もわかってない俺は不甲斐ないとは思うが、愚妹だけはこいつがおかしいとわかる。やめろ、絶対にやめるんだ。そこは俺の意思とは関係なく行動する俺の息子だ。大きくなるなと言っても大きくなるし、小さくなれと言っても小さくならない。常に反抗期でやんちゃな息子である。彼の状態がどうであれ撮影は禁止だ。
「ちょ、ちょっと休憩しようか。ね、みんな」
抗議するにもどう言おうかと考えていたら、妹の方から丁度いい提案がなされた。良かった、女子小学生三人の前で実の妹に俺の立派なちんこを録画するなとは言いたくなかった。
「お兄ちゃん、ガリガリちゃんでも用意してあげて」
「ん? お前は?」
「ちょっとね。撮影したものを使っ……じゃなくてチェックしないと」
「そうか、悪いな」
「ぜんぜん悪くないよ~、うへへ」
ビデオカメラを持ってどこかへ去っていく詩歌。別にここでチェックしてもいいような気がするが……?
「ガリガリちゃん!? なんか変な味とかあるやつだ!」
妹は気になるが、沙織ちゃんがテンションを上げているので早く取ってこなければならないだろう。真奈子ちゃんは真奈子ちゃんでまだ
ハロウィンなんかよりチークキスとかいう風習こそ日本に導入されるべきですね?
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