第二巻を入稿することが出来た俺は、つかの間の休息を……とるつもりだったのだが……。
「ほら、変態。これもおすすめ」
ショートカットの小学六年生、
「これはね、本当に面白くって、三回も読んでるの」
うん、遠回しに俺のはあんまり面白くないって言ってるようなもんだよね。愛おしそうに本の表面を撫でる姿を見ていると微笑ましさと同時に嫉妬心が湧き上がる。
「あの~、なんでこれを……」
俺に? と人差し指を自分に向ける。なんとなく聞きづらい。
「変態はぼく達に頼りすぎ」
「うぐっ」
沙織ちゃんの言葉は日本刀のように鋭く、冷たい。だが、確かに二巻を執筆できたのは彼女たちのおかげであることは間違いない。
「人に聞くのもいいけど、インプットならまずは本を読むべき」
うぐっ。正論だ。官能小説家が官能小説を読まないわけがない。しかし、俺は女児向け小説家であるが、そのジャンルを読んでいない。だって俺は女児じゃないから……などと言ってる場合じゃない。当然読むべきなのだ。どこの世界に官能小説を読んで女児向け小説を書こうというやつがいるのか。ここにいるけど。
「だから、仕方なく持ってきてあげた。感謝するべき」
そう言って沙織ちゃんは頬をかきながら、目線を天井に逸らした。
「そ、そっか。ありがとう」
「これは貸しだから」
「えっ」
「変態が、小説家の先生たちと仲良くなったときに返してもらう。サインとか」
「あ、ああ」
そう言えば桜上水みつご先生のサイン入りの新刊も用意しないといけなかった。そう、俺と沙織ちゃんはギブ・アンド・テイクの関係なのだ。決して通報をするか見逃してもらうかという関係ではない。
俺も一応、その小説家の先生なんだけど。なんで俺だけ変態呼ばわりなの?
つい不満が表情に出てしまうが、彼女は上の方を向いたままだ。
「ファンになったとか、す、好きになったとかじゃないから。勘違いしないで」
「いや、しないよ……」
この流れで、そんな勘違いをするようなやつがいるだろうか。ラブコメの主人公にでもなったつもりで生きているような頭のめでたい男だけだろう。
「本当にわかってます?」
「わかってるよ……」
「……絶対わかってない」
「わかってるっての。桜上水みつご先生のサインも忘れてないし」
「……あ、ああ。そ、そうですよ。ちゃんと忘れないようにしてくださいよねっ」
「はいはい」
ちゃんと理解しているから安心しろ、と深く頷いてみせるが、機嫌は悪くなった。うーむ、女子小学生はわからんな……。
「じゃあ、ちゃんと読むんだよ。感想聞くんだからね」
「うん、わかったよ」
「明日来るから」
「え!? 明日!?」
「……何? イヤなの?」
「いやいやいや、そんなことないよ~。もちろん今日から読む気マンマンだったし」
「お菓子も用意しといてね」
「あ、うん」
ここで来客用のお菓子を買っちゃいけないんだよな。むしろ駄菓子の方がいいに違いない。それだと真奈子ちゃんも喜ぶからな。
翌日。
彼女はお昼過ぎにやってきた。お菓子を食べるならもう少し遅く来てもいいだろうが……結構食べるからなあ。いっぱい食べるために早めに来たのだろう。
「どうですか」
「えっと、これです」
俺が用意したのは、ハートの形をしたお米のチップスだ。ガーリック味がたまらんのよね。絶対にお気に召す事請け合い。
「違う」
――痛っ!?
「お菓子の話じゃなくて、読書の状況の話です」
え、何されたの? え、痛い。
「全く、無駄に電気を使わせないでください」
「えーっ!? 今のでスタンガン使ったの!?」
「いや、一番弱くしてるけど」
「いや、一番弱くても痛いんですけど? スタンガンの手加減は手加減に入らないんだけど!?」
「お菓子の事しか頭にないみたいな扱いをした当然の報い」
なんと、意地汚い女の子扱いしてしまったから怒ってるのか。くーっ、女子小学生って扱い難しいな!? これが官能小説だったら、結局ちんこを挿れれば万事解決だがそういうわけにもいかないし。現実は大変。
「そ、そっか。ごめんごめん」
「何冊読んだの」
「えっと、二冊ちょい。これとこれは読み終わった」
「じゃあ、感想を聞かせてもらうからそこに座って」
ソファーではなく、カーペットに直接座れとのご指示。おとなしく従う。サイドテーブルの前にあぐらをかくと、当然のように俺を座椅子扱いして腰を下ろした。
え?
「じゃ、まずはこの表紙から感想を聞きましょう」
俺のあぐらの中で両手で本を持つ沙織ちゃん。
え? この体制は何故? ソファーじゃなくてなんで俺に座るの?
え? 表紙? なんで表紙?
「表紙は……あんまり見てなかったな……」
「は?」
「待て待て、今スタンガンしたら自分にもダメージ来ちゃうって!」
「ちっ」
舌打ち強くね?
小説の感想って表紙の感想から聞く? それは絵の感想では?
「この本はイラストも装丁デザインも素晴らしいんです。ほら、読む前からワクワクしてきませんか」
ふうむ。確かにエロ漫画だったら気持ちはわかる。キャラクターもそうだが装丁デザインによって雰囲気が異なるもんね。タイトルのデザインとかね。同じ
「そ、そうだね~」
色々頭の中で考えてはいるにも関わらず言えたのはこれだけ。他愛もない賛同だが、沙織ちゃんは頷いた。
「じゃあ、次は……ここの感想」
一ページめくる沙織ちゃん。
え?
この調子で感想を? 何時間かかるんだよ!?
「えっと……著者のプロフィールの写真を見る限りは美人だと」
「そこじゃない」
「痛い! なんで!?」
スタンガンの底の部分で物理的に脛を攻撃された。
「イラストや装丁に興味ないのに美人の写真には興味あるとか……全く変態ですね」
くっ。確かに触手が似合いそうな顔だなとか思ってたけど……。とにかく本の感想でダメージを受けるのはツラすぎる。っていうかまだ物語の内容にたどり着けてないんだけど。
「お菓子」
「え。お菓子?」
そんなシーンあったかしらん?
「お菓子を食べさせて。ぼくは本を持つから、お菓子を触ったらよごれちゃうでしょ」
「あ、ああ」
菓子袋を開ける。確かにこれを食べながら本を読んだら大変だ。
「あーん」
右に顔をそむけて、口を開けた。ああ、俺が食べさせるんですね。
「さくさく……」
「どう感想は」
「美味しい~……ってぼくのお菓子の感想はいいの! 感想を言うのは変態の方でしょ」
ふふふ。文句を言いつつも、なんて美味しそうに食べる人なんだ。こっちまで嬉しくなる。
「で? この出会いのシーン、どうなの」
「あ~、結構子供向けにしては衝撃的だよね。ちょっと驚いた」
「うんうん、そうだよね」
俺の感想を聞いた沙織ちゃんは、それは嬉しそうに頭を揺らしている。
あ、そうか。
俺がお菓子をあげて、美味しそうに食べたら嬉しい。
沙織ちゃんは、俺に貸した本の感想を聞いて嬉しい。
そういうことなんだな。
それから一時間ほどかけて袋菓子一袋と、ノベル一冊の感想を味わった。
「あれ?」
俺たちのいるリビングに、うちわでぱたぱたと胸元を扇ぎながらやってきたのは妹の
「沙織ちゃん? どしたの?」
目を見開いて結構な驚きを見せている。真奈子ちゃんと違って沙織ちゃんは俺の直接の知り合いなのだから、詩歌の知らないうちに訪ねてきたっておかしくはないだろうに。
「いつの間に、そんなに仲良く……?」
あー。そういうことか。ファンでも好きでもない彼女がやってきている理由がわからないわけだ。そりゃそうだ。
仲が良いわけではないという説明をしようとしたが、沙織ちゃんが俺の腕の中で詩歌に向かって答えた。
「ぼくが説明します、お姉さん」
「お、お姉さん!?」
「変態の妹さんの方がいいですか?」
「む、ぐぐ」
渋面を作る妹。その二択で悩む必要など、どこにあるのか。相変わらずわからんやつだ。
対する沙織ちゃんは、俺の身体を玉座にしたかのように深く腰掛けた。ふわりとシトラスの香りがする。
それにしても変態の妹ってスゴイよね。俺の妹で変態なのか、変態である俺の妹なのかわからん言い回しだが、おそらくその両方だろうね。素晴らしいネーミングセンスだ。
密かに感心していると、沙織ちゃんは俺の膝を肘掛けにして話を続けた。
「ファンでもないぼくが、差し出がましいとは思うんですけど、本を貸しているんです。なにせファン一号さんは図書館で借りているだけで本を保有していないということでしたので」
「ぐ、ぐぬぬぬ」
あれ? なにこれ? 二人はなに、仲が悪いんですか? それとも網走沙織ちゃんは誰に対してもこうなんですか? 触るものみな傷つけるジャックナイフなんですか?
「沙織ちゃん、大丈夫? お菓子どうぞ」
落ち着いて欲しいと思って、ライスチョコを食べさせる。
「もぐもぐ、ふふふ」
「あ、ああ~?」
沙織ちゃんはますます王の風格を醸し出し、妹は敵国の兵士に囲まれたように戦慄している。なんでだよ。駄菓子食ってるだけだぞ。
「い、いつの間に……こ、こんなことに……」
「ふふふ、もぐもぐ。昨日本を貸して、今日から感想を聞いているワケ。もちろん、明日も明後日も」
えっ!? 明日も明後日もやるんですか!? 初耳なんですけど!?
「ぼくはファンを超えた存在。そう、パートナー。パートナーなんです」
えっ!? パートナー!? 本を貸して感想を言い合う関係は普通、お友達というのでは?
「さ、さすがお兄ちゃん……」
俺は一つもさすがと言われるようなことはしてませんが。詩歌はいつも何を言っているのかよくわからない。
「も、もう、あれ、そうだ、シャワーを浴びるしかない。暑いから。アツアツなところを見せられたから」
俺は何も言っていないのに、勝手に言い訳みたいなことを言いながら、酒も飲んでないのにふらふらと千鳥足で出ていった。なんなんだ。
立ち去る妹を見送りながら、沙織ちゃんは「むふーっ」と満足そうに息をついた。よくわかんないけど勝ったの? なぜそんなに勝ち誇っているの?
「そういうことで、ぼくが今後、変態の読む本を選んで、読ませて、いいところを理解させていくから。読書生活を管理するから。略して書生管理」
「しょ、しょせーかんり!?」
「何? ぼくのネーミングに何か問題でも?」
「いや!? いやいや。別に!?」
「じゃあ、そういうことで」
どうやらマジみたいだぞ。いや、インプットは重要というのは正しいし、三巻のプロットを考えるまでにやっておくべきことなんだろうけど。しかし、毎日か……それだとエロゲーをやる時間が足りない。二巻を書き上げるためのモチベーションだったんだぞ。ようやくプレイできるというのに冗談ではない。
「毎日だったら、一日一冊でもいいよね?」
「駄目。ぼくより読まないなんてやる気あるの?」
「あ~。だよね~。えっと~、一日二冊は必須ですかね?」
「もちろん。できればもっと、なるべく多く読んで。あ、ぼくの推薦以外の本に浮気するとか許さないから」
「え、ええ~!?」
エロゲーだけでなくエロ小説も読めないだと!? 駄目だ、このままではマジで射精管理みたいな拘束を受けるぞ。なんとか回避せねば。
「で、でも夏休みの宿題とかあるんじゃ……」
「これがそう。作家が読んだ本の感想についての研究という自由研究」
「な、なんと」
俺はいつの間にか管理されて研究されてるというのか。なんということでしょう。しかし沙織ちゃんの自由研究をエロゲーがやりたいからという理由では拒否できない……。
「わ、わかりました」
「ん。お菓子も忘れないように」
彼女は俺を見上げながら、満面の笑みをつくった。やれやれ、観念するしか無いか。
こうして俺は沙織ちゃんに書生管理されることになった。