「変態」
「はいっ」
「すっかり調教されてんね……」
沙織ちゃんから名を呼ばれて軍隊式の敬礼をした俺に、妙なことを言う小江野さん。
これが調教だって?
今度、調教というものがどういうものかきっちり教えてあげようか?
沙織ちゃんは小江野さんの戯言などまったく気にもせず、
「清井真奈子と妹さんを呼んで」
とご命令なされました。
俺は心臓を捧げる戦士の如く、右手の拳を左胸に当てるのであります。
「サー、イエッサー」
なんで? なんでその二人を呼ぶの、なんで? と思わなくもないが、沙織ちゃんに質問をするなどありえないことであります。早速架電するのであります。
「あ、詩歌?」
「兄貴? 何?」
態度が冷たい。兄貴という呼び方からして、これは近くに友達がいるのだろう。そういやなんかデートとか言ってたな。
「今すぐ帰ってこい」
「はー!? ヤダよ」
「なんだと!? 沙織ちゃんの命令だぞ!?」
「……だから?」
おいおい「だから?」だと!? 王様の言うことは絶対、沙織ちゃんの言うことも絶対というのが世界の常識だろ。……あれ? ひょっとして俺、調教されてない?
「今すぐ帰ってくるんだ、詩歌」
「ねえねえ、そんないいよ、いきなり今日じゃなくても。自分のために悪いよ」
スマホを持っている右手の袖を引きながら、通話を邪魔しようとする声。
「小江野さんは黙ってて、関係ないんだから」
「えーっ、関係ないの!?」
これは沙織ちゃんに対する俺の忠誠心が愚妹のせいで果たせないかもしれないという問題なんだよ!! ……あれ? やっぱり俺、調教されてるのか?
「ちょっと待ってお兄ちゃん、今の女の人はだれ」
「ん? 小江野さんのことか」
「誰なの。どういう関係」
「えっとな、俺の学校の学生でな」
「なっ……」
「声優科なんだが」
「せ、声優っ!?」
「グラビアなんかもやってるわけだが」
「ええ!? そ、そんな馬鹿な!? おっぱい大きいの!?」
「ん? ああ。そりゃもう」
俺はタンクトップの盛り上がりを見ながら頷く。小江野さんは小首をかしげた。
「その人ってやっぱり、美人?」
俺はタンクトップの盛り上がりから目線を少し上げる。
「美人だな」
小江野さんはボシュっとやかんが音をたてて沸騰しているんじゃないかというくらいに瞬間的に顔を赤くした。通話中は通話相手以外にも声が聞こえているということを忘れがちだな。
「そんな人がなんで!? どんな状況!?」
通話相手の妹は声のボリュームがどんどん上がっている。もはやデートの相手が隣にいることなど忘れているな、これは。やはり通話中は通話相手に集中してしまうのだろう。気持ちはわかる。
「経験不足を補うためにいろいろ教えてくれって言って、今うちにいる」
「今すぐ帰ります!!」
通話が切れた。
なんで小江野さんにそんなに興味があるんだ? おっぱいの大きな美人に憧れでもあるのかね。それとも声優という言葉に惹かれたとか?
よくわからんが、帰ってくるならそれでいい。
お次は、真奈子ちゃんだな。
無料通話アプリを操作する。真奈子ちゃんのアイコンはメイちゃんになっている。ファンであることは嬉しいが、本人の写真の方がいいと思います。
タップするとすぐに繋がった。
「はいっ、先生! あなたの真奈子です!」
「ちょっと今から来て欲し」「今すぐ行きます!」
話が早い。女子小学生を家に呼ぶより、実の妹を家に帰させる方が難しいというのはどういうことなのか。やっぱり詩歌はおかしい。
「沙織ちゃん、二人とも召喚に成功しました」
「ん」
命令通り遂行した報告が出来たぞ! やったね! 至福だね! 出来て当然すぎるから「ん」の一言だけなんだよね。ご苦労さまとかありがとうとか言われたり、頭を撫でられたりしたらそれはむしろ失礼だからっていう配慮なんだよね!
感動でじ~んとしていると、
「ええっと、詩歌ちゃんっていうのは妹なんだよね。真奈子ちゃん、って誰なの?」
とタンクトップ姿のポニーテールがまだ赤い顔で言った。当然の疑問だな。
「俺の妹の友達だな。小学六年生だ」
「あぁ、普通の関係なんだね」
普通の関係ってなんだよ。まるで俺と沙織ちゃんは普通じゃない関係みたいじゃないか。
おっと、沙織ちゃんが俺にちょろっと目線を送ってきた。ご命令だ。
「ん」
「お菓子のおかわりだね? 了解です!」
梅しそ味の柿ピーをお皿に入れて渡すと、わずかに顎を引いて受け取った。
美味しそうに食べているところを見守りつつ思う。
あれ? 普通の関係じゃないかもしれないね!?
俺と沙織ちゃんの関係はどんな感じだろう。
お嬢様と執事? 姫と騎士とか? 神と使徒? 女王様とブタ?
そんなことを考えている数分の間に真奈子ちゃんが到着した。早い。愚妹は何をしているんだ。
「えっ、えっ、あの、は、はじめまして」
玄関で行儀よく待っていた真奈子ちゃんをリビングに連れてきたら、小江野さんを見て驚いたようだった。そりゃそうか。真奈子ちゃんには何も説明していなかった。
「わ~、かわいい女の子」
素直な感想を漏らす小江野さんと俺の顔を、真奈子ちゃんは交互に見ながら、
「あの、まさか、ひょっとして、彼女さんですか?」
となぜかおどおどと不安そうに問うた。
万が一そうだったらどうしよう、というような。
まるで、囚われた姫が敵国から性的な命令をされているか確かめるかのようですね。
こんな表情をされたら、さらっと「全然違うよ」と言えないぞ。
「おや、おやおや~」
そんな庇護欲をそそられる真奈子ちゃんを見ているにも関わらず、面白いものを見つけたというような表情で、大きな胸を反らす小江野さん。君が敵の女幹部だったか。百合の主人公よりそういう役の方が似合いそうだぞ。
「安心して、真奈子ちゃん」
悪のおっぱいポニーテールが、そっと聖女の肩に手を回す。ねっとりした言い方が上手いなあ。オーディション受ける役はやっぱり悪の女幹部にしたら?
「まだ、違うから」
そう言ってからニヤリ、とねちっこい笑みを浮かべて見下ろす。
真奈子ちゃんはギリッと眉毛を凛々しくしながら、悪を睨んだ。
もう主人公は真奈子ちゃんがやったほうがいいんじゃないの? 誰がどう見ても正義と悪だよ?
当然ながら俺と小江野さんは付き合っていないので、言っていることは何一つおかしくないのだが、なぜそんな変な役を演じているの?
「ごめんね、真奈子ちゃん」
小江野さんのおかしな態度も含めて俺が謝ると、肩に置かれていた手をばしっと払い除けてから表情を一変させて俺に近寄る。
「いいえっ、お会いできて嬉しいです」
ぱああ……と表情がいつものような聖女の微笑みに変わった。この子にあんな顔をさせていた小江野さんは天性の悪魔なのかもしれん。
「ありがとね」
感謝しながら、頭を撫でる。彼女は俺の小説の主人公であるメイドのメイちゃんにそっくりなだけに、俺もご主人さまのような気持ちになる。
うっとりとした表情で目を細めるところもそっくりだ。
頭を撫でるのはセーフだろうが、ご主人さまのようにご褒美と称していきなり挿入しないように気をつけないとな。
「むー」
俺が紳士的に振る舞うように注意しているのに、なぜか俺を睨む小江野さん。なぜだ。まさか俺がうっかり挿入するんじゃないかと思って警戒しているのかな。だとしたらごめんね。
どたどたどた
廊下の方がやかましい。帰ってきたのかな。
どかどかどか
がたがたがた
どうやら階段の上り下りをした模様。何をしているんだ、愚妹は。
「ハァハァ、お待たせしました」
お待たせしすぎたのかもしれません、と続きそうな勢いでビデオカメラを肩に乗せてやってきたのは、もちろん中学1年生の実の妹である詩歌だ。当然だが全裸ではない。
「うわ! ほんとに美人でおっぱいデカい!?」
出会っていきなりビデオカメラを向けながら、不躾なことを叫んだ。失礼だろ! いや、待てよ、これは褒め言葉だから失礼じゃないのかも知れない。逆に考えてみよう。俺が小江野さんの家に行ったら、小江野さんのお姉さんが俺を見るなり「わっ、イケメンだし、ちんぽ大きそう!?」と言ったらどう思うか。これは嬉しい。よって問題なし。なーんだ。
「か、変わった妹さんだね、あはは」
妹から最上級に褒められたのに、乾いた笑いだった。まあ、普段から言われ慣れているのだろう。あれ? じゃあ、なんでさっき俺が言ったときは赤くなったんだ?
ウチの妹は確かに変わっていると思う。
「で? で? 沙織ちゃんと真奈子ちゃんまでいるの? いいよ、いいよ、ビデオは回しておくから、イチャイチャしていいよ?」
「「え、ええ!?」」
なぜか知らんが小江野さんに対して俺とイチャイチャしていいという。何を言っているんだコイツは。ビデオを回しておくからという理屈も意味がわからない。
小江野さんだって当然意味不明すぎて驚いている。
しかしまあ、なんだ。
「じゃあ、しよっか、イチャイチャ……」
「え、ええ!?」
俺がちょっとだけ勇気を出して、小江野さんの顔をじっと見る。再度顔を真っ赤にさせる彼女を見ていると、イチャイチャしたくなってきますね……
「このバカちん!」
腰の入った綺麗なローキックが俺のふくらはぎを打った。超痛え!?
先程の声の主と蹴りはどうやら沙織ちゃんのようだ。なんだご褒美か……
「詩歌もバカ」
「えっ」
バカ妹がバカと言われて動揺している。プークスクス。
「なんのために変態が詩歌を呼んだと思ってるの」
「へ? 沙織ちゃんが命令したからでしょ」
うんうん。そのとおり。
「じゃあぼくが呼んだのはカメラマンとしてだと思う?」
「うーん? みんなでイチャイチャしてるところを見せつけるためじゃないの?」
「ち、違うよバカ!」
激昂する沙織ちゃん。そりゃそうだ、イチャイチャしているところを見せつけるためにデート中の妹を呼び出す命令を出すわけないだろ。……いや、沙織ちゃんだったらありえるんじゃないかという気もしてきたぞ。
っていうか、そうだとしたらなんで帰ってきたの? 自分がイチャイチャするのをキャンセルしてまで俺たちがイチャイチャするのを見に来るってどういうこと?
「ち、違うんですね……」
真奈子ちゃんは、くねくねさせていた身体を動かすのを止めた。安心したのかな。みんなの中には自分も含まれているからだろうな……。
っていうか、俺がイチャイチャ要員として呼んだとしたら超セクハラ野郎ということになるんじゃないの。そりゃマズいぞ。違うんだ、俺はただ沙織ちゃんの命令に従っていただけで自分の意志で行動していないんだ……それもどうかと思うけど……
そう言えば、なんでこの二人を呼んだのかしらん。そういえば命令の理由を考えるのは放棄していたんだった。
俺は沙織ちゃんの真意を汲み取るべく、顔を見る。
「みんな揃ったから、ぼくから説明するよ」
沙織ちゃんはスリッパを脱いでソファーの上に立った。黒くて短い靴下が可愛い。
「イチャイチャするのは、ぼくたちじゃなくて、詩歌と真奈子」
な、な、なんだってぇ~!?
あげはちゃんファンには申し訳ない。
さぁ、これからが本番だ!