マリポタシリーズ   作:椎名@大体pixivにいる

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賢者の石とマリア
1ー1


 

 目の前で小さなアルバスが泣いていた。

 

 ──いや、ちがう。

 

 

「マリア、マリア、だいじょうぶ?」

 

「…………えっと、イッ!?」

 

「マ、マリア、いたいの!? いたいよね、どうしよう! マリア、しんじゃやだ!」

 

「うるさいぞガキ共!!」

 

「ひっ」

 

 

 趣味の悪いプレートが掛かった扉の向こうから、随分と品のない声が聞こえた。豚のような。いいや、豚のほうがまだ十分に品があるだろう。

 ああいやだ。あんなものを懐かしいと思うだなんて。すっかり埃を被っていた記憶だ。

 

 それがどうして、今。

 

 

「マ、マリア……」

 

 

 まったく情けない顔をして震えている子供のガラクタのような眼鏡の向こう、涙でキラキラした緑色の瞳の上には特徴的な傷があった。

 嫌でも見慣れた傷だ。生涯、付き合い通した瘡だ。僕の一部だ。確定だ。目の前のこの子供は──────僕だ(・・)

 

 

「やーい、マリアのやつが廊下で寝てるぞう。パパァ! パーパァ!!」

 

 

 何が何やら混乱してる間に、どすんどすんと踊るように階段に現れたミニチュアバージョンの豚──おおっと、子豚にしか見えない子供が、ニタニタと今にも駆け出しそうに笑う。そのせいで、頬と瞼に潰されて彼の目はシワの向こうに引っ込んでしまっている。ああ……君、この頃ってこんなにも脂肪があったんだっけ?

 

 そんな予備動作を始めた豚に、小さな僕は再びヒィと悲鳴を上げると慌てて僕を引き起こした。

 引き起こした……。どうやら僕は懐かしい廊下に倒れていたらしい。そして足元には段差の最後。状況から推測するに、頭から階段を転げ落ちたようだ。どうりで身体のあちらこちらが痛いわけだ。

 

 無論、痛みの中でも殊更に酷いのが頭部で、かなり致命的な打ち方をしたようで、小さな腕に引かれ一歩を踏みしめるたびにぐわんぐわんと脳ミソが揺れる感覚がした。

 けれども、これも条件反射のひとつか──小さな僕に促されるままに、僕の足はあらゆる意味で思い出深い物置部屋へと躊躇いなく入っていった。

 

 

「マリア……」

 

 

 心細げに誰ぞかの名前をくり返す子供に、はてどうしたものかと痛みとは別の意味を持って眉を顰める。どうにも現状マリアと呼ばれているのは僕らしいのだが、勿論僕がハリーの名を捨てマリア・ポッターであったことなんて一度も無……無────

 

 

 真っ蒼のリリーが映っていた。

 

 

 この物置部屋に鏡なんて洒落た物はないから、ちょっとした家具の反射から酷い顔色のままリリーがきょとんと僕を見返していた。──いいや、いいやちがう。

 

 リリーの顔をした僕が僕を見ていた。

 

 

「ええと、つまり、ええと」

 

「マリア?」

 

 

 動揺を隠せず咄嗟に後ずされば、ボロくさいベッドに膝裏を取られてコロリと転がる。たったそれだけの振動で頭が割れたように痛む。

 

 ──リリーじゃない。不安そうに僕の手を握るこの子は次男のアルバスではないし、映っていたあの子は僕の愛娘リリー・ルーナ・ポッターじゃない。

 むしろ。むしろ────

 

 

「あの、君…………ハリー?」

 

「なぁに、マリア。あたまがいたいの?」

 

 

 自然な仕草でベッドに寄り添いそっと僕の額を撫でる僕に、嗚呼マーリンの髭と瞳を閉じた。

 声だ。今さらだけれど、僕の声はどうしてしまったんだ。女の子の声がした。

 

 

「ねぇ、ハリー。…………君、いくつだっけ」

 

「どうしたの、マリア。ぼくたちいま五才じゃないか。やっぱり、あたまをうってしまったのがいけないの? すごいおとがしたものね」

 

 

 自分に対する表現にしてはおかしな弁だが、とんでもなく無垢に僕が僕へと衝撃の事実を告げる。

 

 

「……ハハッ、ウーン………………寝よう」

 

「えっ、マリア!?」

 

 

 かくして、暗転────思考のすべてを放棄した僕は、ヘドロのような頭痛の底へとあっけなく意識を手放した。

 

 それから三日、僕ことマリア・ポッターは高熱を出して寝込んだ。その間に濁流の如く少女の記憶が押し寄せ、常に涙目の小さい僕──双子の弟(兄かもしれない)ハリーに辿々しく看病されながら現状を理解した。

 どうやら僕は過去に、ハリーではなくハリー・ポッターの双子の姉(妹かもしれない)マリアという少女へ生まれ直してしまったらしいのだ。

 

 いや、いや、過去に生まれ直すって、どういう……。

 

 だがしかし、長年綴られてきたハリー・ポッターの記憶に連続するような少女マリア・ポッターの記憶が、これは真実だと告げている。

 なにがどうして。よもや呪いの類いか。タイム・ターナーは子供たちが起こしたかの事件によって今度こそ葬られた筈なのに。

 だとしても、別の人間として生まれ直すだなんて。それも、過去だなんて。

 

 

「マリア、もうねつはない?」

 

「大丈夫だよ、ありがとう。…………ハリー」

 

 

 子犬のようにくすんくすんと鼻を鳴らす小さな僕──弟のハリーにそっと微笑みを返す。

 僕ってば、子供の頃はこんな顔してたんだ……。この頃は、時たま放り込まれる風呂と窓掃除以外ろくに自分の顔なぞ見なかったため、新鮮な気持ちでハリーを眺めてしまう。

 ──息子たちによく似ている。いや、息子たちが僕に似たのか。ポッター家の遺伝子、手強すぎる。

 

 そうして、心配そうなハリーの頭を撫でつつ(僕が僕を撫でるだなんて!)僕は考えた。

 闇の魔術による呪いか、魔法具か……ともかく何か原因がある筈で、けれどもこの発育不良の小さな身体では調査のしようもない。

 それも、少女だ! 五歳の女の子に一体何ができようか。箒だってないし、足で遠くに行けもしない。

 それに、それにだ──僕は十一歳の誕生日まで魔法の存在を知らなかった。この時代にはダンブルドアやスネイプ先生、シリウスやルーピン先生がご存命でいらっしゃるけれど──まだ、会えないのだ。

 

 なにより──ヴォルデモート。奴が潜んでいる時代だ。

 

 迂闊なことはできない。ハリー・ポッターとして生きていた記憶を持つ(マリア)はともかく、目の前の小さな僕……小さなハリーは正しく無力な子供なのだから。

 今は、この息苦しい家の血の守りに頼るしかない。

 

 方針を定めたそれからの僕の行動は早かった。まず、ダーズリー家の僕らへの虐待改善をはかる為────通報した。

 親類が、近隣が、学校が頼れないなら法を頼ればよいのだ。魔法を知らない僕らは、未だマグル界のルールの下に生きているのだから。

 結果、マリアにそれだけの行動力と知識があることを理解したダーズリー夫妻は、やや虐待の手を緩めるようになった。少なくとも僕の前では。そして僕はハリーの側を決して離れようとはしなかったので、必然的にハリーへの当たりも防ぐ形となった。うん、計画通り。

 また、ハリーの幼いがゆえの魔力暴走は僕がこっそりフォローして回ったので、ダーズリーたちの前で僕らは限りなく『まとも』だった。物置部屋で小さな魔法を使ってハリーを楽しませていただなんて、グズでカタブツなダーズリーたちは知らないのだ。

 

 さらに、少女という性は便利なもので、ハリーがぶたれるよりも女の子のマリアがぶたれる方が人々はつよく注目するらしい。同情の目だって顕著だ。

 その上、マリアの容姿はリリー──美しく聡明だった母、リリー・エヴァンズの生き写しだった為──そう、美しかったのだ。目はハリーと交換のように父似のハシバミ色だけれど、母譲りの容姿は幼くとも完璧だった。

 想像してみてほしい。腕や顔に痣を作った訳ありっぽい美少女がひとりぽつんと街中にあったなら──そら、完全に事案である。

 そんなわけで、母の容姿を譲り受けた(マリア)はしたたかに虐待の暴力を避け、ハリーを守り続けた。食事だけはどうにもならなかった為ガリガリチビのままだが、(ハリー)が一人で耐えしのいでいた頃とは大違いだ。

 

 さて、そんな僕らもあと少しで十一歳となる。そろそろホグワーツ魔法魔術学校から入学許可証が届く筈だ。僕もハリーも魔法使いであることは間違いないのだから。

 幼い身体は、例えば姿現しだとか大きな魔力を要する魔法には耐えられないけれど、年相応の魔法ならば杖無しで問題なく操れる。ちょっとしたズルな気もするが経験値の差と呼んでもらいたい。

 

 

「二人とも、さぁ起きて! 早く! ぐずぐずするんじゃないよ、聞いてるのかい!?」

 

「まったく……朝からほんとうるさいよね。ハリー、僕が新聞を取りに行くから、君は朝食を頼むね」

 

「うん! 任せて、マリア」

 

 

 目覚まし時計代わりのペチュニア伯母さんの金切り声に耳を塞ぎながら、ハリーへとニッコリ笑う。ダドリーお下がりの全くサイズが合わない服の袖を捲ったハリーがダイニングへと駆ける。反対に僕は玄関だ。ここのところ、新聞を取りに行くのはすっかりマリアの役割になっていた。

 だって、そろそろの筈なんだ。今度こそ伯父さんに取り上げられる前にホグワーツへの入学許可証を手に入れておきたい。

 

 

「──ビンゴ!」

 

 

 かくして、郵便受けから降り落ちた二通の封筒を服の中にしまった僕は、一人っきりの廊下で魔女のようにひっそりと笑った。

 

 

 ***

 

 

 今日ほど一日を長く感じたことはない。おかげで、気もそぞろで何度かペチュニア伯母さんに八つ当たりされた。そりゃあ僕だって悪いけれど、あれは伯母さんがただ怒鳴りたかっただけだ。

 ──けれど、つまらないため息もこれで終わりだ。

 僕は畳んだ衣服の下に隠していたとっておきを、いざハリーの前へと掲げた。

 

 

「ハリー、ハリー! さぁこれを見て!」

 

「え? マリア、それって──僕ら宛だ! プリベット通り四番地・階段下の物置内、ハリー・ポッター様、マリア・ポッター様──ねえ、僕らの名前だよね!?」

 

「僕の名前がマリアで、君の名前がハリーならね」

 

 

 ハリーのとびきり愛らしい反応にくふくふ笑って、二人でベッドの毛布を頭からかぶる。前回は封を切る前にバーノン伯父さんに取り上げられてしまい、ずいぶん悔しい思いをした。リベンジ成功だ。

 

 

「えーと、なになに……ホグワーツ魔法魔術学校──?」

 

 

 僕から自身宛の手紙を受け取りウキウキと中身を検めたハリーは、しかし次にはがっくりと肩を落とし僕に向かって胡乱な目を向けた。

 

 

「ああ、マリア。これ、イタズラだよ。僕らに手紙を出す人なんていないもの。それも、魔法だなんて。きっとダドリーの仲間のやつらの仕業だ」

 

「なにを言ってるんだい、ハリー。僕たちは正真正銘、魔法使いだよ?」

 

「ええ!? ウソ! マリアはともかく、僕がなんだって?」

 

「ウソなもんか。昔に話しただろう? 僕らの父さんと母さんは交通事故で死んだんじゃないんだって。悪い魔法使いに殺されたんだ。だって、その人達は悪い魔法使いに立ち向かった優秀な魔法使いだったから! さて、そんな二人の子供である僕らは、なにになると思う?」

 

「そんな……僕……てっきりそいつは、マリアの作り話だと思ってた。ほんとうなの?」

 

「本当だよ。まさか作り話だと思ってたの? 弟のくせに姉の言葉を信じないなんて、生意気だ!」

 

「僕が兄だよ! アハハハッ」

 

 

 僕らの生まれの事で、今さらになって目をまんまるに見開くハリーをお仕置きとばかりにくすぐってやる。すると、子供のキャラキャラした笑い声に同調するように室内のペンや紙がひとりでに浮いた。

 

 

「あ──」

 

「ほら、ごらん。今、ハリーが魔法を使ったんだ」

 

「……今のが魔法なの?」

 

「そうだよ。むしろ、今まで何だと思ってたの? 僕とああしてたくさん遊んできたじゃない」

 

「そういうものだと思ってた……」

 

 

 どうやら虐待に暴力がなくなった分、軟禁生活だった弊害がこんなところに現れていたようだ。すっかり世間知らずに育ってしまった。ごめん、(ハリー)

 

 

「じゃあ、僕とマリアは魔法使いなんだ……」

 

「そう。ハリーと僕は、あ、いや、僕は魔女なんだけど。うん、魔法使いなんだ。そしてこれから魔法使いの学校に通えるんだよ。ストーンウォールなんてクソくらえだろう?」

 

「ほんとうに! 素敵だね、マリア。マリアと一緒ならなんにもこわくないや!」

 

 

 途端、パッと表情をあかるくして未知なる世界に心躍らせ頬を赤くするハリーは、我ながら純粋で愛らしい。

 クシャクシャの髪だって、僕が毎日ブラッシングしているおかげで柔らかくてふわふわだし(伯母さんがゴミ箱に捨てていた剥げたブラシだけれど、まだまだ使えるのだ。)父譲りとはいえ長年コンプレックスだったそれが、目の前の彼にはチャームポイントにすら思える。

 性格だって、子供の僕は癇癪持ちでほんのすこぅしひねくれていたけれど、彼にその様子はちっともない。

 

 少しずつ、僕とずれている。兄弟がいるって、こんなにもちがう。

 

 

「ねぇ、ハリー。大好きだよ。僕のたった一人の弟。大切な家族」

 

「なぁに、マリアったら、急に。そんなの僕も同じに決まってるじゃないか。大切で大好きなたった一人のマリア。僕の家族のマリア。マリアがいなかったら、僕、きっと『まとも』になんて生きていられなかったよ。──ああ、それから、僕がお兄さんなんだからね」

 

 

 思わず心のままに兄弟を抱きしめてみれば、僕より小さなハリーに頭を撫でられる。はからずも『まとも』になんて生きていられなかった(ハリー)は、その愛おしい温度にいっそう強くすがった。

 

 家族のあたたかさは知っている。ジニーがそれを教えてくれた。

 親の強さと脆さを知っている。三人の子供たちがそれを教えてくれた。

 

 けれど、兄弟の心強さを教えてくれたのは──このハリーだけだ。

 

 だから。

 

 腕の中に在ってくれる命の重みを噛みしめ、優しい弟が幸せであれる未来をえがいて──僕は、あたたかいもの、やわらかいもの、穏やかなもので押し込めていた久しい熱に再び火を灯した。

 

 

 ──絶対に、ヴォルデモートだけは倒さなくては。

 

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