快晴の下、持参した自慢の箒を持つ者、あるいは初めて箒を手にする者、またあるいは父母・兄姉のお下がりだったりと、十人十色の顔付きで子供たちが飛行場に並ぶ。グリフィンドールとスリザリンの、嬉し恥ずかし合同飛行訓練の日がやってきたのだ。
久々に人目はばかることなく空を楽しめるのだから、僕は朝から機嫌が最高潮に良かった。
ぐるり。周囲の顔を見回す。期待しながらもやっぱり不安そうな弟やとにかく本にすがりつきたいハーマイオニーを宥めつつ、ふとドラコのいるスリザリンの列を見る。
『前回』は確か、マルフォイのくそったれ──この頃のドラコは本当にくそったれだったんだから許してよ──が、ネビルをからかって窃盗までやらかして──かわいそうな思い出し玉のことだ。ちなみに此度もネビルの元に届いていた──それを『僕』が取り戻しに行って……あわや退学ってところで思わぬチャンスを手にしたんだっけ。──クィディッチ最年少シーカーの座を。
つまりはマルフォイの嫌がらせが結果的に契機になってしまったわけだけど、しかし今のドラコにそんな幼稚な真似をする理由はない。ドラコ・マルフォイとハリー・ポッターがライバル関係にある事実がこの世界には存在しないのだから。
……まあ、ハリーのほうは先日の合同魔法薬学の一件でドラコに対して不信気味になり始めてるけどね。察するに、心では信じたいけど本人の態度と周囲の偏見に振り回されている──といったところか。
それもドラコの計算のうちだろうから、僕としては庇うべきなのか乗ってやるべきなのか、判断がつかなくて今のところは様子見だ。
さてさて、ドラコ・マルフォイという英雄の噛ませ犬役がいない今、ハリーのことはどうなるのだろう。
僕としては、最終的にクィディッチはやってる余裕がなくなってしまったし、今思えばクィディッチ狂のオリバーにちょっとした洗脳を受けつつ睡眠時間も削られて、デメリットの多さが目につく。当時は圧倒的に自分に自信がなかったから、箒乗りの技術くらいにしかすがるものがなかったけれど……。
たかがスポーツひとつを取っても学業における損得を自然と浮かべる辺り、社会に揉まれたなあ、となんとも言えない心地になる。家庭と仕事を持つと、無鉄砲な子供のハリー・ポッターのままではいられなくなるのだ。
そんなわけで、
マダム・フーチ号令のもと、上がれと箒を呼び起こす。すんなり手にできた生徒は少数で、やっぱりハーマイオニーの箒は地面に転がるだけだったしネビルの箒は死んでいた。僕とハリーとドラコは言わずもがなだ。
「いいですか、私が笛を吹いたら上がるのですよ。一、二の────コラ! 戻ってきなさい!」
「ありゃあ……」
「またか……」
そんな気はしていたけれど、こたびもネビルが笛を切る前に飛び上がってしまった。緊張さえしてなければ、あんなに不器用じゃないんだけどな、彼。本当は本当に出来る子なのに。
案の定、呆気なく箒から振り落とされてしまったネビルがそこそこの高さから落ちてくる。知ってて彼に怪我をさせるのも悪いと、懐に忍ばせていた杖を取る。……さすがに、人命が懸かってる時くらいは言うことを聞いてくれよ?
「──ネビルッ」
しかし、僕が彼に浮遊魔法をかける前に、先頭を切ったハリーが箒でネビルの元まで飛び上がってしまった。──彼とは違い、完璧なコントロールで。
「ダメよ、ハリー!」
「降りてきなさい、ポッター!」
再度悲鳴が上がる中、どさくさに紛れてドラコの隣へと移動する。
「……『前』ってこんなだったっけ? ねえ、ドラコ?」
「聞くな。僕もあんまり覚えてない」
「僕は君がネビルに窃盗を働いたことをよーく覚えてるけど」
「ぐっ……」
ここぞとばかりに彼いわくの黒歴史をつついてささやかに報復しながら、慌てふためく周囲と共に二つの影を見守る。
はてさて。ハリーったら、箒一本でどうするつもりかしら。
──結論。ネビルはハリーによって救われたし、その救出劇は非常にアクロバティックだった。
なにも難しいことはない。空中でネビルの腕を取って繋ぎ止めた、それだけだ。──それがなにより単純でむずかしいことなのだと、当の本人だけが知らない。
ゆえに、縦に伸びた影がゆっくりと降下するのを、うちの弟はめちゃくちゃだな、なんてドラコと笑いながら見上げる。僕だってあんな無茶はしないぞ。……いや、前の
いつしか、騒がしかった地上は安堵からすっかり終息モードになっていた。そこに。──ポロリ。
「ん?」
ネビルのローブが揺れた。ハリーによって宙に繋がれているネビルとは違い、それは当たり前に地面に向かって加速していく。
今朝の朝食の席でのネビルの嬉しそうな声を思い出す。──おっかないけれど大好きなおばあちゃんからの贈り物……大切、だろうな。
「──ハリー!」
「──!」
一言。名前しかないそれに、ハリーは頷いた。そして──ネビルを手放した。
先程とは比にならない悲鳴が上がる。みんなの注目はネビルへと一直線に向いている。──だから、やれる。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
小声で唱えたそれに杖は応えてくれた。ネビルが泣きべそでぐしゃぐしゃの顔のまま、ローブに吊られる形で再び宙に停止する。浮遊術は物を対象に扱う魔法なので、人間や生き物には通用しないのだ。そのため、標的を彼のローブへと変更したわけだ。さすがにここで
ゆうっくりとネビルの震える足が地上へと戻る。その間、ハリーは高速で降下し、地面に叩き付けられる寸前で箒ごとその身を転身させた。そして、期待の通りその手にはネビルの思い出し玉があった。
ごめんよ、ハリー。面倒なほうを任せて。さすがにあの速度の中、見えるか見えないかの玉に魔法をかけるのは難しくて。その点、ネビルが的にしやすいフォルムをしていてよかった。
名前ひとつで完璧な疎通ができる双子の存在に、限りない幸福感を覚える。うちの弟はすごいんだ。……僕なんかより、ずっと。
ヒーローの凱旋に現場が沸く。それをマダム・フーチは厳しく叱咤すると、次にはほんのり微笑んでグリフィンドールに十点、スリザリンに五点を加点してくれた。
何故スリザリンに五点が入るのか。それは──
「機転を利かせた素晴らしい魔法でした────ミスターマルフォイ」
僕は杖をさっさとしまっていて、隣のドラコは咄嗟に取り出した杖をネビルに向けたまま硬直していた。……そういうことだ。
僕が素知らぬ顔で周囲に倣って白々しく拍手するのを、ドラコはそれはそれは苦々しく見ていた。いい気分だ。
念の為ネビルを癒務室へと送って──魔法薬学の件で先日に運ばれてきた生徒が再び癒務室送りとなり、校癒のマダム・ポンフリーはさぞや驚いたことだろう──授業が再開される。それからは特に問題も起きず、ハリーやロンなどの問題児がよく見える位置を陣取った僕は箒でふよふよとのどかに浮いていた。
空が高い。このあいだ髪を切ったおかげで、首元を風がくすぐって気持ちいい。
「──これ、ハリーが文句を言ったんじゃないか?」
当たり前に隣にある彼の手が、ふと、優しく僕のうなじを撫でた。こいつは僕にお前はレディなんだと口うるさく言うくせして、本当の意味で僕をレディ扱いしようとはしない。いつだってこの身に触れてくる手は急だ。……僕も女扱いされても困るだけなので、彼くらいの遠慮のなさが丁度いいのだけれど。
「言われたよ。僕の知らないところで切ってきちゃうなんて──て、すーっごく拗ねられた。でも、僕が洗うのも解かすのもいい加減めんどうなんだってぼやいたら、マリアはそういうやつだよって笑われた」
「だろうな」
「姉さんはちょっと遺憾だよ」
ピュアピュアの弟がここのところ強かになってきている気がする。たぶん、ロンとウィーズリー双子の影響だ。……僕には覚えがあるからね、わかるとも。
「どうして切ったんだ」
「ドラコならわかってると思ったけど」
「……あの人への宣戦布告か?」
「ほら、ちゃんとわかってる」
並んで飛ぶ彼に、肩を軽くぶつける。
「──あんな顔、させるつもりじゃなかったんだ」
「マリア」
「調子に乗ってた。ハリーだった時に、父さんとスネイプ先生の問題を知って。それなら、僕が父さんじゃなくて母さん似だったなら、て。その通りになって。──あんなの、ハリーの頃より、ひどい」
遠くでハリーが僕へと腕を振っている。その隣で、ロンがハリーの挙げている腕を掴んでなにやら喚いている。片手飛行するなとかその辺りかな。それともドラコに対する威嚇か。──どっちでもいいや。こんなに、平和なんだもの。
「僕は母さんじゃない。あなたの守るべき人じゃない。守れなかった人じゃない。──それを、わからせてやるんだ」
どれほど僕があなたに感謝しているか。悔いているか。尊く思っているか。──ひとつも知らずに死んでいった。ありがとうすら言わせてくれなかった。……そんなの、ずるいじゃないか。
二人分くらい『僕』の礼を受け取ってもらわなくちゃ、割りに合わない。
「ハリーらしいな」
「どっちのハリー?」
「どっちもだ」
軽くなった髪を遊ばせて、もう一度彼の肩に赤を擦り付けてみる。……あ、ハリーがこっちに来る。ちょっと怒ってるっぽい。ロンは完全に怒ってる。地上近くで悪戦苦闘していたハーマイオニーが易々と飛ぶ二人を恨めしそうに見ている。
「……言い訳は君が考えろよ」
「なんの言い訳?」
「チッ、これだからポッターは」
「え、なんで今ケンカ売られたの? 僕」
この後、スピード違反したハリーとロン、そして連帯責任として僕とドラコは、マダム・フーチに安全運転の重要性についてこってりしぼられるのだった。解せない……。
***
「ポッター姉!」
「ハァイ、ハリーの姉ですよ」
今日も今日とて廊下にて名も知らぬ生徒に捕まったので、片手を振ってぞんざいに応える。その人のシンボルカラーはブルー……レイブンクロー生だ。
「聞いたぞ、君の弟のこと」
「ポッター兄のこと?」
「そうそう、ポッター兄のこと」
名前も知らないけど、存外軽口に嗜みがあるらしいレイブンクローの少年とクスッと笑い合う。
ここのところ、なんだかハリーだけでなく無名のマリアまで、このホグワーツにて不思議な認知のし方をされるようになったのだ。
発端は、スネイプ先生がお茶目にキレた一件から──繰り返すが、スネイプの癇癪をお茶目と思っているのは全校生徒を探してもマリアだけだ──愉快がった現場のグリフィンドール生により、ポッター双子の呼び名は光の早さで広まった。
マリアはポッター姉、ハリーはポッター兄、まとめる時はポッターツインズ。なんともわかりやすく、そしてバカらしいあだ名であった。
「もう噂になってるの? ──ハリーがシーカーになったこと」
目の前の少年から次に飛び出すだろう言葉を先読みして、イタズラっぽく笑って見せる。
──そう、一体どこから見ていたのか。ネビルとネビルの思い出し玉の件でマクゴナガル先生から呼び出しを受けたハリーは、晴れて百年ぶりの最年少シーカーとして此度も抜擢されることとなったのだ。これが歴史の修正力ってやつか。
「そりゃあ、『秘密』だからな?」
「うーん、それならしかたない」
これまたイタズラっぽく続けた少年に、こちらも肩をすくめて返す。
ホグワーツで秘密とは──みんなが知っている、の意だ。
「君は選手にならないのかい?」
「私、一年生よ? それにハリーほど上手じゃないもの」
「今年の一年生は優秀だって、フーチ先生が言ってたけどなあ」
「それ、たぶんドラコのことよ」
「ああ、いつも一緒にいるボーイフレンド……ゲッ、噂をすれば。じゃあまたね、マリア」
「ドラコ、さっきの彼、知り合い?」
「君こそ知り合いじゃないのか? 名前、呼ばれてただろう」
「全然。こっちは向こうの名前も知らないよ」
「…………へえ」
え、なんでちょっと怒ってるの。
「ドラコ?」
「それよりも、だ。ハリーのことだが」
「ああ、うん。君も見てただろ? 無事にシーカーだよ」
「そうじゃない。そんな当たり前のことじゃなくて──」
……ドラコ、『僕』がシーカーになるのは当たり前と思ってくれてるのか。それは……うれしいかもしれない。ほんのちょっとだけだけど。
「その様子だと知らないな? あいつ──というか『君』、また決闘を受けてたぞ。
「へ?」
「夜の、トロフィー室で、決闘。介添人にウィーズリー。……思い出したか?」
………………えええええ!?