透明マントをはおって、前方を歩く彼らについていく。僕は今、透明人間だというのにジェームズは人目はばからず話しかけてくるのだから困ったものだ。
「図書室でなにをしていたんだい? ハリー」
「調べものだよ」
「調べもの?」
「うん。どうして僕がここにいるのか──」
思い出す。栗毛に茶色い瞳の彼女を。マリアである時はすぐに会える同年齢の少女の姿が浮かぶというのに、今は不思議と大人の彼女ばかりが頭の中にあった。──僕が『僕』だからだろうか。
「ホグワーツで不思議が起きたらまずは図書室って、ハーマイオニーはいつもそうしたから。僕の親友なんだけど、首席を常にキープしていた才女で……彼女の知識のおかげで何度も命拾いしたんだ」
今になって思い出しても、彼女ってクロスワードパズルのヒントみたいな人だった。
「なるほど。さてはガールフレンドだね?」
「まさか! やめてよ、ロンににらまれちゃう」
「ロン? その子も友達?」
「うん。最高の親友。二人とも、ハリー・ポッターには絶対に欠かせない人たちだよ」
たとえ同じ姿かたちの同一人物がいたとしても──代わりになることなんてない、『僕』だけの親友たちだ。……会いたいよ。ロン、ハーマイオニー。
「それじゃあ──ドラコ・マルフォイは?」
「ドラコは……」
言葉につまった。──相棒? それもおかしい気がする。マリアの相棒は彼で間違いないけれど、ハリー・ポッターの物語はロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーとの冒険で占められていて、そこで完結する。彼は……彼は、どんな存在だったんだろう。
ライバル。邪魔なやつ。嫌なやつ。どこにいたって目につく目の上のたんこぶ。──彼だって、欠かせない存在だった。
「ドラコは……わからない。まだ、わからない。けれど、これからわかる気がする」
マリアとしての物語が──彼を明かす。そんな予感があった。
「ねえ、ジェームズ。僕からも聞きたいんだけど──スネイプになにかした? さっきの態度だって」
へたくそに話題を変えた。ジェームズは察しているだろうに、ニヤリと口角を持ち上げると答えた。
「ちょっとお願いをしただけさ。昨日のことは他言無用に、てね。あれくらいは挨拶だよ。呪いはかけてないだろう?」
黙り込む。呪いをかけなければいいってものじゃないよ……。ああでも、この二人からすればせいいっぱいの譲歩だったんだろうな。
「……言わないよ。スネイプは」
小声を越してささやくような声だったが、ジェームズはしっかりと拾っていた。
「へえ?」
「リリーが困っちゃうし」
それに──彼は想いを黙する人だ。ルーピン先生のことだって、学生時代の頃も、僕らの時代も、追い込もうと思えばできたろうに(当然、ダンブルドアに目をつけられるリスクはあるけれど。)隠し通そうとした人なのだ。
「スネイプはいい人じゃないよ。すっごく嫌なやつだ。僕、大嫌いだった」
それは、愛する人たちの死を経て──憎しみにすら育った。
「だけど──後悔して泣くことができる人だ。たったひとつの愛のためにすべてを捨てられる人だ。善人じゃないけど──救えない悪でもないよ。まだ、彼の魂は壊れていない」
ダンブルドアがドラコの魂を想って、己の殺害をよしとしなかったように──スネイプ少年はまだ、なにもうしなってはいないのだ。
「……ふぅん」
ジェームズとシリウスはどことなく気に食わなさそうにしながらも、それ以上を続けることはなかった。
話しているうちに太った婦人の前へとたどり着いていた。つまりは、彼らの目的地はグリフィンドール寮だったのだ。……なぜ、僕をここに? この時代の合言葉を唱える二人に続いて侵入する。そのまま、彼らの寝室へと案内された。中にはペティグリューとルーピン先生がそれぞれのベッドに腰かけ待機していた。
「ハリー、もうマントを脱いでいいよ」
「うん……」
おそるおそる顔を出せば、ベッドの二人から驚愕の眼差しで迎えられた。ペティグリューは時おり僕とジェームズとを見比べていた。
「ほんとうにそっくりだ……」
「そうだろう、そうだろう。──それでは、改めて諸君らにも紹介しようではないか。未来からやってきてくれた貴重なる客人、ハリー・ポッター君だ」
ペティグリューが衝撃のあまりベッドの上でひっくり返った。そんなところは、愛嬌たっぷりの鼠スキャバーズを思い出させる。
「未来から……そんなことが? ほんとうに? それじゃあ──彼はジェームズの?」
「その辺は想像に任せるよ。ほぅら、ハリー。僕のベッドにおいで。とっくに知ってるかもしれないけど、僕の仲間たちを紹介させてほしいんだ」
ジェームズの仕切りのままに若い恩師や名付け親、そして苦い記憶の裏切り者と挨拶を交わす。どうにか微笑んでみせれば、隣のジェームズに目一杯抱き締められた。
「ジェームズ?」
「ああ、ハリー! 君ってなんてかわいいんだろう! 同じ顔なのにこんなにも庇護欲をくすぐるのはどうして?」
「控えめなジェームズだなんて……誰かがポリジュース薬でも飲んだみたいだ」
「──それだ!」
僕をぬいぐるみかなにかのように抱きながら、ジェームズがルーピン先生へとするどく人差し指を突き出した。どうしてかルーピン先生でなく隣のペティグリューがわたわたしていた。
「なにが、それだ! ──なの?」
「明日にお楽しみがあってね」
なにやら察したらしいルーピン先生が悩ましげに額へと手を置く。二大自分勝手のジェームズとシリウスに、どの時代もリーマス・ルーピンは苦労しているらしい。
「ジェームズ、あまりルーピン先生に迷惑をかけちゃ……アッ」
「ルーピン」「先生」「だって?」
仲良く声を揃えて、唖然とするルーピン少年当人をおいて仲間たちが瞳を輝かせる。
「リーマス! 君、先生になるのか! ああいや、わかるぞ。君は教えるのが上手い。特に年下をたらし込むにあたっては天才的と言えよう!」
「今日からセンセイって呼んでやろうか、リーマス」
「バカ言わないでよ……。ジェームズ、シリウス。先生は先生でも、なんの先生かはわからないじゃないか。ハリーの家庭教師だとかかも」
「十分じゃないか! ハリー、リーマスはなんの先生に……アー、それは内緒、かな?」
すっかり困っていた僕に、ジェームズはクルクル変わる表情を苦笑に定めてうかがった。
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃないさ。不用意に情報はもらすべきじゃない」
マリアであった頃、鏡越しに見つめてきた瞳が慈愛を含んで僕に向けられた。
「それにしても……そうか、リーマスが」
きっと、ルーピン先生以上に周囲が安堵し喜んでいるのには、彼に『ふわふわとした小さな問題』があるからだろう。もうこの頃には友の秘密をあばいていたはずだ。そして、だからこそ本人がもっとも浮かない顔をしているのだ。
「それじゃあ、ピーターは?」
これ以上の空気は毒にしかならないと判断したジェームズが話題をそらした。次に気まずい思いをするのは僕だった。
「……わからない。あまり、関わりがなくて」
「僕、関わりないんだ……」
しょんぼりするペティグリューをシリウスとルーピン先生が慰める。
彼に対する憎悪は──無いと言えば嘘になる。だが、それは暖炉の残り火のようなもので、くすぶりながらも再び燃え上がるには燃料が足りなかった。彼の命と引き換えに命拾いしたことだってあるのだ。それを周りは自業自得としたけれど──彼と僕には救い救われる『魔法使いの絆』があった。
「あの──あのね、ピーター」
目をそらし続けていた少年の耳に唇を寄せる。十四歳にしては察しのいい面々は、場をあけて僕に大切な仲間ペティグリューを預けてくれた。
「ジェームズやシリウスは神様なんかじゃあないんだよ。──英雄だって、死ぬんだ」
ペティグリューはきょとりとしていた。幼い顔だった。これからこの子がユダとなるだなんて、想像もできないただの少年の顔だった。
この程度で未来なんて変わりやしないのかもしれない。彼は明日には僕の言葉なんて忘れてしまうかもしれない。それでも、どうか──その日、僕の言葉があなたの中で火となりますように。
「よーし、それじゃあ最後は俺だな。ハリー? 俺はどうなってる?」
「大きくなってもポッター家に入り浸ってるんじゃない?」
「……あるかもな」
「それは卒業しなよ、シリウス……」
ジェームズの茶々とルーピン先生の呆れたふうな一言にドッと笑いが溢れた。
「シリウスは──うん、シリウスはね、僕の遊び相手をよくしてくれたみたいだよ」
箒をくれたり犬になったり──たくさん、愛してくれたよ。
「子守りをするシリウス? 想像できないなあ」
「シリウスが遊んでもらってたの間違いじゃないかい?」
「お前らなあ」
少年たちの等身大にじゃれ合う姿が微笑ましくてクスクス笑う。
「僕、大好きだよ。シリウスが大好き。──ずっと」
たとえばマリアのシリウスがこれから先も側にいてくれるのだとしても──ヴェールの向こうへ消えた『僕』のシリウスを忘れることはない。決して──永遠に。
ふと、今度はシリウスに苦しいくらいに抱き締められていた。ジェームズには頭を撫でられた。ルーピン先生が大好きなチョコレートでも頬張るような顔をしていた。ペティグリューがキャラキャラと笑っていた。
みんな生きてる──ここは、たまらなく幸せな世界だ。
***
振り返る。透明マントから顔を出す。その人に笑いかける。
「……あの、ハリー?」
臆病で優しい狼は勇気をふりしぼってそこに立っていた。
「君は、僕のことを……」
彼の勇気はそこで尽きてしまったらしい。少年は自分を隠すように髪を掴んでうつむいた。──十分だ。彼のせいいっぱいをもらった。だから──ほんの少しお返ししたって罪にはならないだろう。
「僕に守護霊の呪文を教えてくれた大好きな先生がいるんです。チョコレートを持ち歩いていて、顔は傷だらけで、友人を大切にしていて──自分が臆病であることをよく知っている勇敢な人。……彼のボガートは『満月』でした」
「────」
「その人を、みんな──心から先生と呼びました」
ふわふわした小さな問題と死するその時まで闘い続けた僕の先生は、泣き出しそうな顔で笑った。