この不思議な世界で目覚めてから三日が経った。日曜日だ。大広間の食事を皿ごと持ち出してくれたリリーと共に必要の部屋で遅い朝食を取る。
「今日は比較的動きやすいと思うわ。ホグズミード村への解放日なの」
「ああ……リリーは行かないの?」
「今日くらいかまわないわよ。何度言わせるの? あなたたちの面倒はわたしが見ます。さあハリー、もっと食べるのよ。ドラコ、紅茶ばかりじゃダメよ」
テキパキと均等にサラダを取り分けられる。ご機嫌だ。彼女いわく弟ができたようで、世話を焼くのが楽しくてたまらないそうだ。母に対する表現としては適切でないが、懸命に姉ぶりたい末っ子娘のようで微笑ましい。うちの愛娘のリリーが甘ったれに育ったのも、母さんから名前をもらったからかもしれない。……いや、家族全員で甘やかしたからだな。
「今日はどうするの? もう一度図書室にでも行きましょうか」
「そうだね。昨日は思うように調べられなかったし」
なんたって父さんと悪友たちに拉致されてましたから。
「透明マントを忘れずにね」
リリーが空になった食器をまとめてバスケットへとしまうあいだに透明マントを取り出す。ドラコとはおって──この二日で彼と密着しマントで移動するのにもずいぶんと慣れた──リリーの肩を叩いて位置を伝える。
「それじゃあ行きましょうか──ゲッ」
リリーと同時に僕らまでうめき声を上げてしまいそうになった。扉を開いた瞬間、廊下にリリー・エヴァンズの天敵、ジェームズ・ポッターとその仲間たちが待ち構えていたのだから。……母さんの天敵が父さんだなんて、息子として実に切ない事実だ。
「ワォ! こんなところにこんな部屋があっただなんて。隠し部屋ならとっくに知り尽くしたと思ってたのになあ。シリウス、これって悪戯仕掛人として痛恨のミスだったりするんじゃないかい?」
「まだ探れるところがあるとわかっておもしろくなっただろ」
「ウーン、君ってほんとう、最高の考え方をするよね」
「ジェームズ。シリウス。エヴァンズの顔を見て」
ルーピン先生が軌道修正を図ってくれたおかげで、憤怒の形相のリリーへと全員の視線が戻った。
「ポッター……聞きたくないけど訊くわ。まさかわたしをつけたの?」
「いや、いや。そんなことをしなくとも君の居場所ならわかってしまうのさ。そう、愛の力でね」
ジェームズがかっこつけて髪をかき上げる。……
ジェームズがリリーの背後を覗き込み、必要の部屋内をくまなく見回す。なにかを探している様子だ。……聞くまでもないだろう。
「ハリーならいないわ」
先回りしてリリーがつっけんどんに答えた。
「そうなの。残念だなあ、どこにいったか知らない?」
「答えると思うの? さっさとお仲間引き連れてホグズミードにでも行ってらっしゃいよ」
「──ホグズミード!」
ジェームズを避けて歩き出そうとしたリリーの前に、再びジェームズが立ちはだかった。悪戯仕掛人の仲間たちはすっかり傍観の姿勢だった。
「せっかくだからかわいいハリーにバタービールでも飲ませてあげようと思ったんだけど」
「かわいいハリーですって? 確かにハリーはいいこでとってもかわいいわ。あなたとちがってね。だけど、それをあなたが────なによ」
ジィ。と。ジェームズはリリーを見つめていた。なにか思わぬものにでも気付いたような顔だった。
「……エヴァンズって、やっぱりかわいいね」
「……は?」
は? 僕まで、あんぐりと口を開けてしまった。
「いや、そうなるんだと思うと──エヴァンズがさらにかわいく見えてきて。うん。やっぱり僕は君をこれからもっと好きになるんだと思う」
「は──はぁ!?」
リリーの顔が髪にも負けないくらい真っ赤に染まった。──あれ? この反応……もしかしてこれって──案外?
「か、からかわないで!」
「からかってなんかないよ。素直に思ったんだ。意識のちがいってすごいな……君が昨日よりもずっとキラキラして見える。もちろん昨日の君だって輝いていたけど、今日はさらにだ!」
言葉の通り、ジェームズはどこまでも自然体だった。本人にはほんとうに口説いているつもりはないのだろう。大げさな表現も動作もないが、それがリリーの乙女的な部分を直撃しているらしかった。なんてことだ……こんなふうにして母さんをたらしこんだのか!
「そうか……ともかく、ハリーがいないならホグズミードへ行っても意味がないな。エヴァンズと三人で歩ければ、それが一番の理想だったんだけど」
「……どうして?」
「それがあの子にとって幸福な記憶になると確信したからさ。なるべく、君の機嫌を損ねて喧嘩だとかもしないよ。そんな姿、見せたくないだろう?」
「…………」
リリーは緑のぱっちりとした瞳をまっすぐにハシバミ色へと向けて彼の真意を見抜こうとした。そしてやがて肩から力を抜いた。
「──だ、そうよ。ハリー。あなたが決めるといいわ」
リリーの合図にしたがって透明マントから顔を出す。想定していたらしいジェームズや他の面々は僕らに驚くこともなくニッコリ笑った。
「おはよう、ハリー」
「おはよう、ジェームズ。リリーとリーマスをあまり困らせないこと」
軽くにらめば、おお、そっくりだ! と喜ばれる。お説教が効かない人だ。そんなところまでジェームズ・シリウスへ受け継がせなくてもよかったのに。……いや、長男よりも次男のほうが頑固でお説教の聞かない子供だったな。アルバスもセブルスも頑固といえば頑固な人たちだものね……。
「それで、ハリー? ホグズミード、来るだろう?」
昨日同様、断られることなんて頭の片隅にもない顔でジェームズが無邪気に誘う。
「いいけど……僕だけじゃないよ。ドラコだって一緒だ」
スリザリン嫌いの彼にうかがえば、ジェームズは鷹揚にうなずいた。
「ドラコ君は透明マントを使ってついてくればいい。そして君はどうどうと僕の隣を歩くんだ」
「え?」
「バカを言わないで、ポッター。あなたが二人もいたら大混乱よ。そして大迷惑よ」
「その通り。突然、僕みたいなユーモアあふれる美男子が増えれば、嗚呼、歓喜の混乱はまぬがれない……そこでだ、昨日のうちに布石を打っておいたんだ」
バチッとウィンクを飛ばすジェームズの隣で、頭がいたいと顔に書いているルーピン先生がその先を引き継いだ。
「ある噂が昨日から広まってるんだよ。──ジェームズがこっそり造り上げたポリジュース薬を誰かに試したがってるってね」
リリーは絶句していた。おそらく僕も同じ顔をしていた。…………つまり。
「つまり──ハリー、君は今からジェームズ・ポッターにポリジュース薬を飲まされたグリフィンドールの誰かさんだ」
先ほどはリリーへ飛ばされたウィンクが今度は僕へと茶目っ気たっぷりに寄越された。ああ──ルーピン先生と一緒に頭を抱えたくなった。
ジェームズは周囲(シリウスを除く。シリウスはジェームズのやることなすことすべてが楽しいみたいだ。)をおいてけぼりにして続ける。
「ドラコは出してやれないんだ。意地悪をしてるわけじゃないんだよ。ルシウスは去年に卒業してるし──スリザリンの方のブラックに見付かったら面倒だ」
スリザリンの方のブラック──最高学年生のナルシッサ・ブラックだ。ルシウスの婚約者である彼女の前にルシウスそっくりのドラコを差し出せば、騒ぎになるのは目に見えている。……本人に名乗る意思がないためになおさらだ。
「ドラコ……」
「いいさ、ハリー。君が楽しめるならそれが一番だ」
はじめて、リリー以外の面々にドラコの顔が晒された。一様に驚愕を示す中、とくにシリウスはナルシッサの従兄弟であることもあって嫌悪を見せた。
「シリウス」
たしなめる意図を持って呼べば、舌打ちと共に目をそらされる。この場でドラコにつっかかる気はないようだ。
「ほんとーに、仲がいいんだねえ。ウーン、複雑だけど……ま、それは追々。さ、今はマントをかぶっていて。後で合流しようね、エヴァンズ」
「なにを勝手に」
「一緒に来るだろう?」
言葉につまったリリーはそのままそっぽを向いて歩き出した。廊下を曲がる直前で振り返ると、「これはすべてハリーとドラコのためよ!」と告げてから鼻息荒く去っていった。
「エヴァンズのああいうところ、たまらないと思わない?」
「こればっかりはお前の趣味がわかんねえ」
「あんなにかわいいのに」
魂の双子たちのバカげたじゃれ合いを放って、この中でもっとも頼れるルーピン先生を見上げる。ルーピン先生は僕とドラコと両方を両手を使って撫でると、やわらかい笑顔で廊下の先を指した。
「それじゃあ、行こうか。──思い出を作りに」
***
この時代の人間でないため正門から出られない僕たちは、当然、隠し通路を利用した。未来でも散々世話になった方法だ。僕とジョージたちが地図を利用していた頃には閉ざされていた道も、今ならば楽々と通れる。薄暗いトンネルの先を進んでにぎわう村の端にたどり着けば、僕はマントからも解放された。いまだ透明マントを手放せないドラコには悪いが、久々に地上に出たニフラーのような気持ちで大きく息を吸った。村の空気感はまるで変わらないのに、僕の知らない店がチラホラと開いていて不思議な感覚だった。
「さっきの通り道は、エヴァンズにはナイショだよ?」
ジェームズが悪戯っぽく口元に人差し指を立てる。だから別行動だったのか。とことん悪知恵だけは働く父に呆れればいいのやら、笑えばいいのやら。
そのうちにリリーとも合流して、大所帯でホグズミードを闊歩する。中央をどうどうと歩くジェームズは王様のようだった。時々、見知らぬ誰かに声をかけられたりしながら(「ジェームズの実験に巻き込まれたんだって? 災難だったな!」)ホグワーツ生で溢れる通りと店を眺めた。
「さぁさぁハリー! バタービールとしゃれこもうよ。今日は僕の奢りだ。エヴァンズにならいつだってなんだって奢っちゃうけどね」
「けっこうよ」
「つれないなあ、僕の白百合は。深く傷ついた。慰めてくれるかい、ハリー」
「ポッター、ハリーにべたべた引っ付かないで。厚顔なあなたとちがってこの子はシャイなのよ! さあハリー、わたしの隣にいらっしゃい。ポッター、そこを空けて。そこはドラコの席よ」
「ああ、僕が正面にいたほうが嬉しいって? いいね、僕としても愛しい二人を同時に眺められるだなんて最高だ」
「あなた、少しはそのよく回る口を閉じられないの?」
リリーとジェームズの慣れた(一方的な)口論にクスクス笑う。
もしも──もしも両親が生きていたなら、僕をはさんでこんな口喧嘩をしたりして、シリウスはたいていがジェームズの味方で、ルーピン先生は一歩引いていて、でも、僕やどちらかが本気で困ったなら助け船を出してくれて────そんな未来が、あったのかもしれない。
現実はどこにもないけれど。
幸せだ。たまらなく幸せだった。バタービールで乾杯をする。全員で口髭をつけてキャラキャラと笑う。僕らの時代には売っていないハニーデュークスのお菓子を見つけて、ドラコと分け合う。なんでも僕に買い与えようとする父さんを母さんが叱っている。すぐに一人行動をしようとするシリウスをルーピン先生が叱る。ペティグリューが迷子にばかりなって全員で捜索したり、ジェームズに間違われた僕がグリフィンドールの集団やスリザリンの数名に絡まれたり、その都度ジェームズが杖を抜こうとしてリリーにひっぱたかれていたり──まったくおかしなくらい愉快で幸せな時間だった。