翌日はハリーが罰則に呼ばれた。さらにそこでひと悶着あったようで、ハリーの罰則は週末まで続くことになっていた。金曜日にはグリフィンドールクィディッチチームのキーパー選抜があるというのに。……今度こそ、ロンの選抜試験を見に行かなくては。僕はハリーではないけど。
「ハリー! あれほど気を付けてと言ったじゃない!」
ハーマイオニーがガミガミとハリーを叱りつける。ハリーはすっかりうんざり顔だ。ハリーもハリーだけど、ハーマイオニーも頭ごなしにするから響かないんだ。客観的にならこんなにも見えるのに。
「わかってるよ! もう、かんべんしてくれよ。僕、頭がいたいんだ。少しくらいお説教以外のことは話せないの?」
「あなたがわたしにお説教をさせるのよ! やっぱり黙ってられないわ。マクゴナガル先生に報告します」
「ダメ!」
ほとんど掴みかかるようにしてハリーは怒れる少女を制した。
「僕、告げ口なんてしない」
「告げ口じゃないわ。正当な抗議よ」
「ぜったいダメ。そんなことしたら、あいつは付け上がる。あの女にだけは負けたくない」
「いつ勝ち負けの話になったの? いいこと? これはあなただけの問題じゃ……」
「僕とあいつの問題だ。君には関係ない。いい加減、君のお節介にはうんざりだ」
ふてくされたハリーが自室へこもろうとするのを追って、せめてとスネイプ先生からの薬瓶を手渡せば、ハリーはそれを床に叩きつけてしまった。パリンと、ガラスの割れる音は笑えるくらい軽かった。
「ハリー!」
「あんなやつのほどこしなんかいらない」
ハーマイオニーがさらに追おうとするのを、今度は僕が止める番だった。
「マリア! こんなの、許しちゃダメよ!」
「いいんだ。……今頃、ハリーも後悔してるから」
「そんなのわからないわ!」
「わかるんだよ」
八つ当たりして、独りぼっちになって。そしてぐるぐると頭の中で理性の僕が責め立てる。この頃の僕ってほんとうに────最低だ。
薬瓶の残骸を拾い終えれば、ハーマイオニーが不満顔のまますっかりマスターした消失呪文を残りにかけてくれた。それを見てロンは、ふくろう試験に出題されるとマクゴナガル先生より忠告されていたことを思い出したのか、消失呪文ふくめ机に起きっぱなしの宿題の山を不安げに見た。
「……僕と一緒にしようか、ロン。ネビルも」
「「マリア!」」
宿題に悩む二人の声が輝く。ハーマイオニーは、もう知りません。とツンと顎をそらせて自室へと戻ってしまった。ついていかないよね? そう、仔犬のような瞳ですがる同級生たちを放っておくことは僕にはできそうになかった。
「まずは自分で考えてよ? 僕、ヒントしか出さないからね」
「うん! ありがとう、マリア。僕、一生終わらないんじゃないかと思ってた」
「安心しろよ、ネビル。こう言いながらも最終的にレポートを見せてくれるのがマリアなんだ」
「わかった。ロンにはなにがなんでも見せてやらない」
「ウソ! 我らがマリア様、なにとぞ、なにとぞ」
ハハァ、とひれ伏すフリをするロンにケラケラ笑う。ネビルも丸い頬を震わせてニッコリした。そしておずおずとささやいた。
「マリア……あの、ハリーはいいの?」
「……ロンが見せてやってよ。僕よりロンのほうが今のハリーには近づきやすいと思うんだ」
「そうかなあ」
「そうだよ。弟を頼むよ、親友。そうしてくれたなら……月長石のレポートもオマケしちゃうかも」
「慈悲深きマリア様の望むとーりに」
再びロンが机にぺったりと頭をつけた。僕とネビルは爆笑した。
土曜日だ。ハリーも罰則から解放されて、ロンは無事キーパーに選ばれた。二人は朝から練習だ。──そして僕は。
「ミスポッター、お伺いしてよろしいですかな? なぜ、時計回りに二度回す前に火蟹の宝石を入れたのか。我輩がどのように説明したか、脳にたどり着くまでのあいだになんらかの障害があったようだ」
「…………」
スネイプ先生からマンツーマンレッスンを受けていた。目の前にはコポコポと怪しい色の液体をあふれさせる鍋があった。そして、スネイプ先生の深くシワの刻まれたしかめっ面だ。こちらは常時だ。
頼んだのは僕だ。薬をスネイプ先生からは受け取れないというのなら、僕が作ってしまえばいいのだと思いついたのだ。これからハリーは何度もアンブリッジの罰則を受けることになるだろうから。だがしかし──『僕』の頃から僕の魔法薬のセンスは最低だった。すでに投げ出したい気持ちでいっぱいだ。せめて、この人の嫌味癖さえなければ……もしくは、そう──嫌われたがりというべきか。
「すみません。もう一度おねがいします」
「ほう、ほう、なるほど。グリフィンドールの麗しき姫方は、材料などは無限に湧くものだとお思いでいらっしゃる」
「……材料を無駄にして申し訳ありません。よろしければもう一度はじめからご教示ください」
「……フン」
スネイプ先生の杖の一振りでグロテスクな液体は消えて、互いに目を合わせることなく淡々と作業は再開された。僕も大人になったものだ。これがハリーなら鍋を投げ付けるくらいは──いや、こちらのハリーなら三回までは我慢できるかな。
彼だって──『僕』の記憶にあるスネイプ先生よりもずいぶんとやわらかいように思う。まず、授業外レッスンなんて、ダンブルドアから命じられない限りありえなかっただろう。……いや、もしや命じられているのか? 僕の監視もかねて──?
「ミスポッター。集中できぬなら鍋の前に立つな。我輩の時間を貴様が今このときにも無駄にしているのだと自覚しろ」
「っすみません。集中します」
頭から雑念を払って量りにハナハッカ粉末を乗せる。──この時間だって、僕には限りなく尊いものなのだから。大切にしなくては。
「……お前の母親は、器用に調合したものだがな」
「────」
思わず、手を止めて目の前の人を見上げていた。スネイプ先生は鍋の中を見ていた。
「……めずらしいですね。先生から母さんの話をしてくれるなんて」
「…………」
返ってくる言葉はなかった。けれども──その時のスネイプ先生の目は、感情ある人の目をしていた。
***
少女には人形のように表情がなかった。ただ、僕の腕を引く手には力がこもっていた。
「アステリア」
突き当たりを曲がって、中庭を抜けて。人とすれ違うこともなくなった頃、いつのまにか小さな花園らしき場所に出ていた。花園と呼ぶには華やかさが足りないので、跡地──といったところか。使用感のあるベンチにアステリアが腰かける。ここまで、彼女とは一言も言葉を交わせていなかった。廊下でむんずとローブを掴まれて、問答無用で連行だ。今日が休日の土曜日でよかった。
「ねえ、アステリア」
彼女を日の下へやってもいいものか。不安になった僕はローブを彼女の肩へとかけた。赤色は嫌だと逃げられるかとも思ったが、アステリアは小さな指でローブをにぎってくれた。
「なにか、話があるんじゃないの? 僕に?」
アステリアはようやく口を開いた。
「──ドラコお兄様が」
「うん」
「ドラコお兄様が、孤立しています」
「…………」
──想像は、していた。ドラコは今、これまでにないアプローチの方法で大切なものを守ろうとしている。そしてそれは──大切なものを切り捨てる方法でもある。
「去年の夏休みに、ドラコお兄様がキングス・クロス駅で──あなたに──それが、噂になっていて」
「……僕のせいだって、言いたい?」
「いいえ。ドラコお兄様のことを知る人ならば、とっくにわかっていたことですから。……たとえば、わたくしですとか」
「そ、そう……」
他人事にするわけにもいかず、かといって当事者顔をするにも気恥ずかしくて、口ごもった。アステリアは静かな目をしていた。
少しずつ、わかってきた。彼女が人形のように美しい顔をする時──彼女の中には激しい感情が渦巻いている。
「それじゃあ、僕に恨み言を言いにきたのかな。君は──ええと──邪魔をするんだものね?」
「ええ。ドラコお兄様の気持ちもマリアの気持ちも関係ありません。わたくしのために──わたくしの自己満足で、あなたたちを引き離すと────その、つもりでした」
──つもり、だった?
明らかな変化に少女を見つめる。アステリアは僕の視線を受けて小さく唇をかんだ。
「事情が変わりました」
「事情?」
「──ブラック家です」
「────」
「あなたの後見人、シリウス・ブラック──ブラック家の正当な血筋が力を取り戻そうとしている今、ドラコお兄様は、思っているほど家名に縛られる必要はないのかもしれません。なぜなら、あなたは、ブラック家に正当に養子として迎え入れられブラックを名乗れるかもしれない」
「…………」
そう、なるのか。思いもしなかった。だって、僕は、どちらであれ『ポッター』だ。ハリー・ポッターであることも、マリア・ポッターであることも──父さんと母さんの子供としての僕を放棄しようとは、一度だって考えたことはないのだ。
「バランスが急激にくずれて、純血のコミュニティがぐちゃぐちゃになっているのです。そんなときに、ドラコお兄様が──」
「……血を裏切るもののポッター側に心を寄せているような素振りを見せた」
「そうです」
ふう、と、どちらともなく重いため息を吐き出した。ドラコ、君ってやつは……どれだけ健気な女の子に心配をかけるつもりなんだ。
「ドラコお兄様の立場は現在とてもあやういものです。このままでは……。ですが、わたくしにはわからないのです。いっそ、ドラコお兄様がそちら側へいってしまえば、そのほうが──それが、最善に──せめて、最悪からは──」
「──アステリアは」
無意識にうなだれゆくアステリアに、僕の胸はしめつけられるばかりだった。
「ほんとうに、ドラコが好きだね」
アステリアは微笑んだ。──うつくしく。
「当然です。──愛しておりますもの」
泰然とした顔だ。こんな愛し方があるだなんて、知らなかった。とっくに大人のつもりだったのに、彼女には学ばされてばかりだ。いつだって彼女の想いにはハッとさせられるのだ。
「ドラコなら大丈夫だよ。僕が彼に応えることはないけど──つまりは、僕はそう思ってるんだけど──睨まないでよ」
返事はいらない。その言葉に甘えて逃げている自覚がある僕に、彼を想う少女からのまっすぐな眼差しは痛すぎる。
「あいつなら大丈夫。案外、考えてるよ。……君のことも、一番に考えてる」
「…………」
アステリアは口端を震わせて、それから、小さくうめきながら両頬を手でおおった。
「ここでよろこんでしまえば、わたくし、嫌な女ですわね」
「でも、うれしい?」
「うれしい」
素直にうなずいた少女に、思わず声を上げて笑った。
「いいじゃない。それでいいんだよ。そんな君がドラコは好きなんだから」
こんなにもいじらしい姿を見せられて──愛さずにいられるものか。
「マリアは? マリアは──わたくしをきらいにならないかしら。みにくい女だと」
「思うと思うかい?」
「……思わないわ。わたくしが認めたライバルですもの。ずるい人ですもの」
クックと笑い合う。やっぱり、アステリアには笑顔がよく似合う。きれいなお人形さんの君よりも──ただのアステリアが、僕たちは愛しいんだ。
「大丈夫だよ。……きっと、大丈夫」
ベンチの上で、小さな手に手を重ねた。アステリアの横顔は、ほんの少しだけ泣き出しそうに見えた。
大丈夫。マルフォイの人間は────『生きる』覚悟を持つ人たちばかりだから。