偽親子の日常の話
大荷物を抱えて、新居の各個人部屋へと案内された少年少女はあんぐりと口を開いた。
「こ、これが一人部屋……? この広さで?」
「ダドリーの部屋よりも大きいよ……」
身長以上の高さがある窓にシャンデリアの天井、天蓋のベッド、艶々で新しい家具。不遇の生活を強いられてきた双子の目には何もかもがまぶしかった。荷物を置いて二人で小動物のようにそこかしこを確認する姿は、ハーマイオニーいわくの子リスと子ウサギそのものだった。
愛し子たちのほほえましい反応にほっこりしつつ、シリウスは室内にあるもう一つの扉を開いた。
「ここからマリアの部屋へもいける。もちろん、どちらからでも自由に鍵をかけられる」
「部屋伝いなの? はじめて見た!」
「わざわざ廊下に出なくてもすぐに会えるんだ!」
「夜にはちゃんと鍵を──て、聞いてないな」
二人で飛び出すように隣へ移動した子供たちに大人二人が苦笑していれば、子供たちはどことなく物言いたげにハリーの部屋へと戻ってきた。特にマリアの形相だ。猫のようなはっきりとした目を不満に細めてシリウスを見ていた。
「マリア?」
「……シリウス、僕、十四歳なんだけど」
「うん? 知っているとも」
「マリアの部屋にしてはかわいすぎるね……」
ハリーの控え目な通訳に、リーマスはほらみろ、とばかりにシリウスを小突いた。
「言ったろう、シリウス。
マリア専用として与えられた扉の向こう──そこに広がっていたのは純白のフリルとレースの海だった。基本的な構造はハリーの部屋と変わらないのに、キラキラ具合がまるでちがう。外見はともかく乙女から程遠い精神のマリアにとって、この空間で暮らす自分など想像するだけで罰ゲームの気分だった。
「女の子はああいうのが好きなんじゃないのか?」
「僕を女の子と思わなくていいから……」
「マリアを女の子と思わないほうがいいよ」
双子から切実に訴えられたシリウスはちょっとだけしょんぼりした。
「俺の従姉妹たちの部屋はあんなかんじだったんだが……」
「マリアとブラック家のご令嬢たちを一緒にするのは酷だよ。君は張り切りすぎだ。ほら、あの……クローゼットの中だって」
──クローゼットの中?
嫌な予感がしたマリアは部屋へと戻り(目が痛い!)慌ててクローゼットを開いた。そこには。
ふぁさぁ……
目の前を白やらピンクやら黒やらのヒラヒラが踊っていた。
「……シリウスぅ……」
「マリア、いいことを教えておいてやろうね。それ、こいつのただの趣味だから。こいつが君に着せたくて勝手に詰め込んだだけだから気にしなくていいよ」
「あっ、お前、それは内緒だって!」
「シリウス……」
じっとりとしたハシバミと緑の視線がいたい。さすが双子、こんな時ばかりそっくりである。
扉を閉めて、ファンシーでフェミニンなドレスたちを強制シャットアウトしたマリアは宣言した。
「僕、スカート、着ないから」
誰もがわかっていた事実だ。マリア・ポッターは女性らしい装いが嫌い──有名な話だ。それこそ制服ですら我が儘を通す頑固さなのだから。だがしかしシリウスも諦めきれない。
「一度着てみればオシャレに目覚めるかもしれないじゃないか。君たちが望むのなら、私はなんだって買ってやるぞ」
「許してやってくれる? マリア。このバ……君のおじさんは君たちに貢ぎたくてしかたないんだ」
「リーマス、変な言い方をするな! お前はどっちの味方だ!」
「ハリーとマリアだけど?」
学生のようにじゃれ合う大人に、子供二人は顔を見合わせてがっくりと肩を落とした。
──これは、随分と楽しい日々になりそうだ。
夜になって、クローゼットの中を見なかったことにしたマリアは、長年愛用のパジャマへと着替えてうなっていた。
…………これに、横になるのか?
ハリーと同じ天蓋ベッドだ。だがしかし明らかに『同じ』なんかではない。ニフラーやパフスケインのぬいぐるみが敷き詰められた枕元に、枕そのものはフリルでいっぱい。花柄のかけ布団にレースのカーテン、豪奢なベッドフレーム……見た目がうるさすぎて睡眠どころではない。
大きくため息をついたマリアは迷うことなく扉を開いた。
「一緒に寝よう、ハリー」
「だと思った」
扉一枚の境はあっさりと越えられた。二人で寝転んだってまだまだあまりあるベッドに黒髪と赤毛が散らばる。こちらはシンプルな色合いでまとめられているというのに……魔法界の王族はさすが常識がぶっ飛んでいる。
「シリウスに怒られるかな」
「知らない。あの部屋をどうにかするまで僕の部屋はここだ」
「これに関しては頑固だよね、マリアって。僕としてはちっともかまわないんだけど」
ハリーは慣れた体温を慣れたふうに抱き寄せた。ホグワーツでは男子寮女子寮と分かれて生活する二人だが、今日は兄弟がいなければ眠れないような気がしていたのだ。
マリアもまた、愛しい体温にすり寄った。もしも悪夢がやってきたとしても──この手があれば帰ってこられる。
「おやすみ、ハリー」
「おやすみ、マリア」
額に唇を落とし合って、子供たちは安らかに目を閉じた。
「──やっぱり、こうなるか」
カンテラを片手に、家主は同じベッドに丸まって眠る子供を確認して嘆息した。その目は困ったふうでありながら慈愛に満ちていた。
なにもシリウスとて、思春期とはいえ男女の兄弟に対して『間違い』を邪推しているわけではない。この子たちの仲の良さに関しては多少思うものもあるけれど、ベクトルは疑いようもなく家族愛だろう。
だがしかし──それではいつまでも自身の性に対する自覚ができない。特に、女の子のマリアだ。この子は気を許した相手に対して無防備過ぎる。
「まったく……」
まくれてしまっている上掛け布団をかけ直す。そのまま、子供の顔で眠る少年少女をシリウスは優しく撫でた。
実際のところ、マリアが無防備であるというのは正解であり不正解だ。身内でない人間の前ではマリアは不眠不休で警戒する。それはほとんど本能や無意識の域だった。だがしかし、ハリーやシリウス、リーマスなんかは身内筆頭であるため、警戒されるはずもないだけなのである。
「んん……」
ぐずるマリアに、ハッとシリウスは手を離した。子供たちの寝顔があまりにもかわいくて、あやすのに夢中になっていた。
決してシリウス自身が子供好きというわけではない。親友夫妻の忘れ形見だからこそ、愛しさは際限なく募っていくのだ。
「すまない、起こしたか?」
「シリウス……」
マリアは舌ったらずに目の前の人を呼んだ。ふにゃふにゃに溶けたハシバミの瞳はカンテラに照らされべっこう飴のようにも見えた。
「ごめんなさい」
「うん?」
「ひとりで寝なかったから」
「ああ……今日は特別だ」
寝ぼけながらも哀れっぽく眉を下げるマリアを宥めていれば、その手は件の少女に取られていた。
「マリア?」
「とくべつ?」
「うん?」
「今日はとくべつなの?」
「まあ……初日だからな」
「そっかあ」
マリアがハリーとのあいだを手で叩く。勝ち気な瞳は依然とろけたままだった。
「じゃあ、ここ」
「……ん?」
「シリウスはここ」
「……マリア?」
「今日は特別なんでしょう? ……一緒に寝よう?」
シリウスは唖然としていた。この子は寝ぼけている。そんなのはわかっている。だがしかし服を掴むこの強さはなんだ。ちっとも放さないぞ。これも寝ぼけているがゆえか!
「マリア……いくらその、なんだ、君たちの親代わりとはいえ」
「シリウス、今日は特別って言った」
「言ったけれども」
「シリウス……」
「…………」
結果。今は亡き親友の瞳を持った少女のいたいけな懇願に、自称親代わりは屈した。──犬の姿でもぐり込むという最低限の抵抗を示しながら。
「おやすみ、シリウス」
……バウ。
満足そうに瞳を閉じた少女へ唸るように答える。少女は大好きな親代わりの毛に鼻をうずめながら再び眠りへと落ちていった。示し合わせたかのように少年もすり寄ってきて、あいだで黒犬はクゥンと情けない声を上げるのだった。
「…………へえ、これは中々」
翌日、ブラック邸のもう一人の同居者リーマス・ルーピンはその光景を目にして悪戯っぽく笑った。眠っているあいだに解けてしまったらしい変化によって、中央の大人が子供二人を腕枕している姿は、なんとも間抜けでほほえましかった。
「初日からすっかり親子じゃないか」