マリポタシリーズ   作:椎名@大体pixivにいる

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「変な気分。あなたが泣き虫だったなんて、知らなかったわ」

 

「僕も知らなかったよ」

 

 

 二人でぐすぐすと鼻を鳴らす。ひどい顔だ。目と鼻が痛くてたまらない。きっとどちらも真っ赤だ。

 せっかくハーマイオニーのトイレ籠城を僕のつたない説得でこじ開けられたっていうのに、結局また泣き出したハーマイオニーと共に女子トイレの個室でマートルも真っ蒼の時間を過ごしてしまって、情けないやら恥ずかしいやらで突き合わせた顔と苦く笑う。一生分泣きはらした気分だ。

 

 

「わたし、はじめて授業をサボったわ。それがトイレでだなんて!」

 

「クサイ記念日になっちゃったね」

 

「もう!」

 

 

 僕のジョークにクスクス笑った彼女は、そのまま流れるように洗面所でハンカチを濡らすと、それを僕の目元へと当ててくれた。

 

 

「放ってちゃダメよ。せっかく綺麗な顔をしてるのに……あなたってこういうところ、無頓着なのよね。髪だって、どうして切っちゃったの?」

 

「気分」

 

「……はあぁ。わたし、あなたのこと、姉のように思ってたんだけど…………今はすごぉく、妹を見てる気分」

 

「……僕はずっと、ハーマイオニーを姉さんのように思ってたよ」

 

「まあ、そうなの?」

 

 

 それは君のことではないけれど。でも、同じ『君』だ。

 

 

「なら、姉さんらしくしちゃおうかしら。さ、立って、マリア。顔を洗ってシャキッとさせましょ」

 

 

 すっかり調子を取り戻したハーマイオニーに促されるままに、蓋のされた便座に座っていた状態から彼女の手を取り腰を上げたところで──

 

 

「──ッ伏せて、ハーマイオニー!!」

 

 

 ──ガシャアアアアンッ。

 

 咄嗟に手を引き彼女を引き倒した。瞬間、真上を個室の壁ごとなぎ払っていった巨大な影があった。──トロールの棍棒だ。

 愕然とした。どうして。僕ともあろうものが、こんなにも近くを許すまでコイツの存在に気付かなかったのか。──ああ、いや、そうか。唇を噛みしめる。

 失態だ。闇祓い失格だ。みっともなく泣いていたせいで、鼻が詰まってトロールの悪臭が届かなかっただなんて──!

 

 

「ハーマイオニー!」

 

「あ、え……なに……?」

 

 

 ハーマイオニーはすっかり腰が抜けていた。当然だ。ハーマイオニーは──ここにいる小さなハーマイオニーは、優しいだけの女の子だ。まだ、戦える力なんか持っちゃいないのに。

 

 

「ハーマイオニー、掴まっていて」

 

「え、──きゃあ!?」

 

 

 ハーマイオニーを横向きに抱き上げ、とにかく立地が最悪な個室の残骸を抜ける。そのまま出入口に向かって足を進めようとするが──駄目だ。トロールがその醜い図体でふさいでいる。グズのトロールのくせに、なんて悪運だ。

 

 

「ハーマイオニー、なるべく刺激しないよう声を上げないで。こわかったら僕に抱きついていて。見なくていい。──大丈夫、絶対に守るから。僕を信じて」

 

「────」

 

 

 ハーマイオニーの後頭部に手を添えて、僕の胸へと押し付ける。片手で、困惑してるんだか惚けてるんだかわからないトロールへと、静かに杖を構える。

 たとえばこれが『現役の僕』であったなら、小さなハーマイオニーの一人くらい抱えて戦闘するのは訳無い。ロンやハリーを抱えていても楽勝で奴に勝つ自信があるだろう。大きなハーマイオニーだったとしても、一人くらいなら抱えたまま戦える。

 ──けれど、僕はマリアだ。十一歳の女の子のマリア。誰かを庇いながらの戦闘経験なんて、ないのだ。

 

 

「マリア……」

 

「大丈夫」

 

 

 か細く息を吐くハーマイオニーを安心させるため、腕の中にある華奢な背を撫ぜる。トロールと睨み合い、杖を強く握って──いざ呪文を唱えようと口を開いた、その時。

 

 

「──ステューピファイ!」

 

 

 どこからともなく迸った赤い閃光がトロールの後頭部へと直進し、当たっては弾けて拡散した。

 

 

「マリア!」

 

「「ハーマイオニー!」」

 

 

 出入口の扉に段々に重なるようにして三つの頭が飛び出す。金と、黒と、赤毛だ。

 

 

「アイツをこっちに引き付けろ!」

 

「やーい、このウスノロめ!」

 

「マリア!」

 

「ドラコ! ──ハーマイオニーを!」

 

 

 頭に何か当たったか──? 五感まで鈍いのか、とぼけた顔でようやく気付いたといったふうにトロールが出入口側を振り返る。その隙をぬって、ドラコが僕からハーマイオニーを受け取った。手足さえフリーになればこちらのものだ。

 

 

「アレスト・モメンタム!」

 

 

 ぽひょん。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 あれ。杖が。なんか。ええと。

 

 

「……えー……ペトリフィカス・トタルス!」

 

 

 ぺひゅん。

 

 

「…………杖貸して(ドラコヘルプ)!」

 

「今は無理だ!」

 

 

 立てないハーマイオニーを抱えることによって両手をふさがれたドラコの心からの拒否は至極当然だった。

 

 気を取り直して。

 魔法の効果はないものの、トロールにだってなにか煩わしいものが足元にあると気づく程度の知能はあったらしい。振り落ちてきた棍棒を反射的に転がって避けると、ジリッと顔の側面に熱が走った。

 ──視界が揺れる。その先で。

 ハーマイオニーがロンに向かってなにかを叫んだ。兄・チャーリーからのお下がりである杖がトロールに向かって真っ直ぐに伸びた。ハーマイオニーを手放し杖を取り直したドラコが僕を見て瞠目した。その後ろ──トロールを今にも殺さん形相で睨むハリーの顔があった。

 

 ドロリと、僕のこめかみを何かが伝っていた。

 

 

「インカーセラス!」

 

「プロテゴ!」

 

「──ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 

 拘束魔法でトロールの足にロープを巻き付け転がしたドラコ、咄嗟に盾を張った僕、そして完璧な発音で棍棒を操ったロンの魔法が重なる。ドォォン、と、大袈裟に女子トイレ内が揺れた。

 ところで。トロール然り魔法生物というものは往々にして魔法が効きにくい性質を特徴として持っている。ゆえに、硬質な物体による物理攻撃──この場合はトロール自身が使用していた棍棒だ──は、魔法生物であるトロールに対して効果的だった。

 ドラコの縄だけでは次の瞬間には引きちぎられていただろう。僕の杖なし魔法で張った盾が防げるのは一撃が精々だっただろう。

 ハーマイオニーの助言に合わせて放たれたロンの浮遊魔法──これこそが、間違いなくトロールを倒した決定打といえた。

 

 シン……と、気絶したトロールを前に誰もなにも言えず、子供の荒い息だけが音としてその場に残された。そんな中、ずるりと身を引き摺るようにして一番に立ち上がったのはドラコだった。彼は僕に向かって杖を振ると、淡々とエピスキーを唱えた。

 ああ……そういえばかすった棍棒でどこかを切ったんだっけ。

 

 

「……マリア……」

 

 

 ドラコの手は震えていた。あの、ドラコが。気丈で、人一倍プライドが高くて、良くも悪くもその誇りに恥じない自分であろうとするドラコが。

 震えた手で僕を抱き締めた。頬を、おそらく怪我をしたらしいこめかみを、目元を、耳を、首を──自身に血がつくことなんて気にも留めないで、懸命に、確かめるように触れていく。

 

 

「マリア、よかった……マリア……」

 

「うん、大丈夫だよ、ドラコ」

 

「そうか……」

 

「ありがとう。ロンも……ハリー、君も。ハーマイオニーも、僕の指示を聞いてくれてありがとう。心強かったよ」

 

「「「──っマリア!!」」」

 

 

 次に強く強く僕を抱きしめてきたのはハリーだ。ハリーごと抱きしめるのがハーマイオニーで、全員にどうにか腕と肩を回そうとするのがロン。

 倒れたトロールの傍で、子供たちは成長途中の腕を限界まで伸ばして抱きしめ合ってわんわんと泣いた。

 

 やがて飛び込んできた教師三人によって、五人の子供たちは保護された。その内の一人──避難指示を無視した生徒への怒りに打ち震えるマクゴナガル先生から、嘘八百で僕らを庇ったのはなんとロンだった。

 ちがうんです、授業を無視してトイレにこもったのはわたしなんです──そう、真実を告げようとするハーマイオニーを残る三人で止める。わかってやって、ハーマイオニー。これが彼なりの謝罪と漢気なんだから。

 

 かくして、ロンから五点を減点し他の子たちに五点を与えたマクゴナガル先生は、僕以外の目立った怪我はない子供たちの身柄を引き取ると粛々と解散を告げた。各寮では、トロール事件によって打ち切られたハロウィンパーティーの続きをしているらしいので。

 そして僕は──実際のところはドラコが応急処置をしてくれていたわけだが──一見は大怪我に見える姿をしていたので、スネイプ先生付き添いのもと癒務室へと向かう流れとなった。

 すべての元凶たるクィリナス・クィレルは、倒れたトロールの傍で不気味に沈黙していた。

 

 

「…………」

 

 

 どうにもならないその背から目を背けて、相変わらず視線の一つも寄越さず背中だけでついてこいと命ずるスネイプ先生の後を追おうと立ち上がる。

 

 

「──マリア」

 

「ハーマイオニー?」

 

 

 ふと、ハーマイオニーが僕を背中から精一杯に──けれども、普段の彼女を知る身からすれば怪我を気遣ってくれているのだとわかる加減でもう一度、抱きしめてくる。

 ドキリとして振り返る。彼女の後ろには、ハリーとロンとドラコを従えたマクゴナガル先生がイライラした様子を見せつつも寛大にハーマイオニーを待っていた。スネイプ先生はもちろん待たなかった。

 

 

「マリア、ほんとうにありがとう。……あの、前にも言ったけれど、あなたは覚えてないかもしれないけれど……あなたって、見かけに反してすごく男らしいわ」

 

「あはは、褒められたと思っておくね」

 

「それはちょっと微妙なところよ。それで……ねえ、マリア。わたし、うそを言ったわ。あなたの特別はハリーだけだって。けれど、もう一人いるのよね。──ドラコ・マルフォイ。……そうよね?」

 

 

 普段、僕とドラコは通信紙を使って待ち合わせ、人目を避けて接触している。この時ばかりはハリーも連れていない。当然、ロンやハーマイオニーにも彼とのことは話していない。

 先ほどの熱烈な抱擁から、互いに憎からず思う仲だというのはバレただろうけれど──きっとそれだけじゃない。

 

 

「ハーマイオニーって、よく見てるよね」

 

「乙女の秘密は乙女があばくものよ。……わたし、応援してるわ。あなたが大好きだもの」

 

 

 そうして、不可解な一言を残し僕の頬に軽くキスしたハーマイオニーは、今度こそマクゴナガル先生の元へと駆けていった。

 

 

「…………」

 

 

 ええと。つまり。

 

 応援──────なんの?

 

 

「なんだと思う?」

 

 

 結局、ここまでひとつだって呪文通りに応えてくれなかったイトスギの杖を振ってみる。

 やっぱり杖はウンともスンともいわなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 頭から乾きかけの血を流す少女を目にして、癒務室の女主マダム・ポンフリーは憤慨した。大袈裟な血は止められているが擦り傷なんかはそのままで、女の子がなんたること! といった具合だった。これがもしも、ハーマイオニーのように僕も常にスカート姿であったなら、今頃は頭だけでなく足までおそろしいことになっていたに違いない。やっぱりスカートって防御面において全く良くないよ、ウン。

 ま、それはともかくとして。マダムの愛と義務感に満ちあふれたありがたいお小言を丁重に聞き流しつつ、丁寧に施される治療になんだか不思議な心地になる。なにせ、この程度の怪我ははっきりいって僕としては怪我のうちになかった。前の『ハリー』なら痛みとも認識していなかったかもしれない。学生という庇護の立場は心底贅沢だと、学生をやり直す身になってはじめて実感した。

 

 ──そう。だから。そんな庇護の立場を自ら投げ捨てたどこぞの愚か者にもこの人の慈愛の手を分けてやるのはやぶさかでないな、なんて。

 ぷりぷり怒りながら僕の頬に薬を塗りたくっているマダムへと、それ(・・)を耳打ちをする。

 

 

「……では、我輩はこれで」

 

「セブルス? なにを言っているのです。あなたも、私の患者です」

 

「────は?」

 

 

 がっしりと、立ち上がりかけたスネイプ先生の腕をマダムが掴み上げた。いいや、掴み上げるどころか、女性だというのに表現を『捻り上げる』にしたくなるあの迫力はなんだ。

 

 

「今、とある、勇気ある生徒が、密告してくださいました。──あなた、足を怪我しているそうね」

 

「…………」

 

「生徒を睨むんじゃありません!」

 

 

 斜め横からどうにもあつぅい視線を感じたので、ご要望通りに目を向けてみればやっぱり即座にそらされる。こ、こいつ……。

 今にも倒れそうな顔色だっていうのに、そんなに蒼白くなるまでなにを痩せ我慢してるんだか。

 

 

「さぁ見せてごらんなさい。──まあ! あなた、これを放置しようとしてただなんて! セブルス、あなたって人は本当に……昔から……」

 

「マダム・ポンフリー……我輩のことはスネイプ教授と、」

 

「おだまり! 癒務室をこわがる大人なんて、子供と変わりありませんわ! まだ彼女のほうが度胸があります!」

 

 

 不健康に曲がった男の背をグイグイと僕の隣へ押しやって、問答無用で抉るような『噛み痕』の治療を始めるマダムに胸が空く。そうして横目で大人たちのちょっと情けないやり取りを眺めていると、ふとスネイプ先生が随分と思い詰めた顔をしていたので思わず声をかけた。

 

 

「……せんせい?」

 

 

 ビクリと、微かに男の肩が震えた。……ああ、もしかして、これ────(マリア)のせいか。

 

 それなら。

 

 声もなく、彼を見るのもやめて、ただ手を重ねた。手は振り払われなかった。

 わかってほしい。ちゃんと気付いて。──僕の手は、生きているでしょう?

 

 沈黙。喧騒を昼間に置いてきた癒務室は神聖な静寂に満ち満ちていて、マダム・ポンフリーの包帯を巻く音だけがそこにある。

 だから、こんなのはただの勘違いかもしれない。相変わらず彼は僕をかたくなに見ないし、僕というやつは昔から都合のいい思い込みだけは得意なのだから。

 

 けれど。それでも。

 

 

 ──僕には、その人がほんの少しだけ、マリアの手を握り返してくれたような気がしたのだ。

 

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