ハリーがこの授業に対してこれほど警戒した顔をするのははじめてだ。──と、僕は横目から弟を眺めて思った。スネイプ先生の教える闇の魔術に対する防衛術の時間だ。毎年、教師によって様変わりする教室はすっかりスネイプ色に染め上げられていて、地下牢の教室に入る時くらい陰鬱な気持ちで生徒たちは着席していた。ドラコの姿もある。──スリザリンの様子は少々おかしくなっていた。
ドラコの寮内での孤立はドラコ自身の意識により解除された。だがしかし、スリザリン寮内の分裂はいまだ続いているようだった。──ヴォルデモートを支持する親を持つものと、そうでないものと。もしくは、完璧な純血主義のものと、そうでないもの。ドラコは良くも悪くもスリザリン内にてポッター兄弟並みに目立つ時の人となっていたのだ。周囲が勝手にかつぎ上げては派閥のリーダーのように扱っているらしかった。
今日も今日とてドラコの隣を死守しては甘ったるくしなだれかかるパンジー・パーキンソンが目に入る。お気の毒さまだ。ドラコはアステリア一筋だっていうのに。……たぶん。そのはずだ。アステリアだって──そのはずなんだ。
「うげっ」
ドラコを盗み見ながら昨日の水辺での会話を思い出していれば、パンジーにギラギラとにらまれた。相変わらず彼女にマリアは親のかたきのように憎まれている。ドラコが去年に僕へと告白なんて茶番をしたものだからなおさらだ。勝手にライバル視されてしまっているのだ。ちょっとくらいはドラコにだってその雌牛の躾を頼みたいものだ。
恋する乙女の視線にそそくさと肩をすくめる。見ないふりをして前へと向き直る。スネイプ先生が入室した。ピンッと空気が張りつめる。──特にハリーだ。隣の弟はパンジーにも負けない嫌悪の目でスネイプ先生を睨み上げていた。
ハリーとヴォルデモートが根っこで繋がっている限り、下手なフォローは入れられない。けれど──やっぱり、ハリー・ポッターがセブルス・スネイプを憎む図は切なくなってしまう。いたたまれない。
スネイプ先生自身がそのように印象操作をしているのだから、僕のフォローなんて余計なお世話でしかないのは決まりきっているが。
「我輩はまだ教科書を出せとは言っておらん。それをさっさとしまえ、グレンジャー。……我輩の話を十分に傾聴するように」
憎しみをたっぷり何十年も煮詰めた暗い瞳がハリーを見る。ハリーもまた母の瞳をカッと光らせてスネイプ先生を見る。──どんな想いで、彼はあの視線を受け止めているのだろうか。愛する人の目で憎まれて──彼はそれで満足するのだろうか。
「──であるからして、諸君らは無言呪文を学ばねばならん。はっきり申し上げて、この中にそれを習得しているものは────まあ、今日中に二名ほど叶えばよろしいでしょうな」
彼の銃口のような瞳が今度は僕とドラコを捉えた。僕はともかく──どうやら今回はドラコまでしっかりとバレているようだ。授業初日から無言呪文の特訓とは、なんともハードだった。
二組ずつに分かれて実践へと入る。ハリーはロンと、ハーマイオニーはネビルとペアだ。そうなれば、僕の相手はやはりというか──色違いのローブが悠々緩々と佇立していた。去年に距離を置いていただけに、周囲の目が好奇心をたっぷり込めて僕たちを刺し尽くした。特に愛しの彼を奪われたパンジーのギラギラ光線は勢いを増していた。
「アー……まあ、お手柔らかに?」
「してくださると?」
ついついその場しのぎの軽口を叩き合って杖を向ける。マルフォイに杖先を突き付けるだなんて、とっくに慣れたものと思っていたけれど──なんだか、喉がカラカラでツバが飲み込みにくかった。
──オーキデウス。
ぽぽんっと光の透けるような金髪に花が咲き誇る。ブッとどこかで吹き出す音が聞こえた。ドラコは唖然としていた。金髪に花弁を散らせて立ち呆ける彼は、中性的な容姿もあいまっておとぎ話のお姫様のようだった。
「……マリア、遊びじゃないんだぞ」
「もちろん遊びじゃないとも。──仮にそれが毒花だったら、君、花粉で今頃死んでるぜ?」
シン──ドラコの愛らしい姿にクスクス広がっていた忍び笑いが消えた。
「──ナルホド」
次にドラコが杖を振る。シュルッと頭になにかが巻き付いた。触れてみれば、ドラコの髪を縛るリボンと同じ黒い紐が僕の頭上で蝶々結びされていた。
「……遊びじゃないんだよね?」
「標的を変えれば君の首を絞め上げられる。お返しには十分だろう?」
「……へえ」
ドラコは花を飾り、僕はカチューシャを乗せた間抜けな姿でにらみ合う。心地よい緊張感だ。僕とマルフォイはやっぱりこうでなくては。
さて、次はどう料理してやろうか────再び互いに杖先を合わせたところで。
「──そこまでだ」
ねっとりとした這うような声に意識を中断させられた。スネイプ先生が無機質な瞳で僕たちを見ていた。
「成功者はグレンジャーにミスポッター、そしてマルフォイだ。……フン、一人増えたようでなによりだ。諸君らもこれに倣い、我輩を失望させる結果とならんことを──祈ろう」
チャイムが鳴る。生徒たちがワッと飛び出す。僕はスネイプ先生を見た。スネイプ先生はドラコを見ていた。──僕の瞳から逃げるように、ドラコを見ていた。
「マリア」
今年へ入ってすっかりスリザリンとグリフィンドールの確執を取り繕う気がなくなったらしいドラコに廊下にて捕獲される。ハリーはハーマイオニーが連れていった。気まで利く僕らの才女さまはまったく最高だ。
ドラコはひとりだった。彼もまた引っ付き虫のパンジー・パーキンソンをまいてきたようだ。
「この後の授業だが」
「ん。僕たち、一緒だろう? スラグホーンの魔法薬学だよ」
ドラコと並んで歩く。ほぼ一年、こうして彼とホグワーツの廊下を共にすることはなかった。どことなく空気がくすぐったいように感じて、わざとらしく歩幅をずらした。
「去年は目を合わせないようにしてたから気付かなかったけど、君、あんなにパンジーにべったりされてたのかい? まさか付き合ってるわけじゃないよね」
「まさかだ。
「外聞
「外聞
クツクツと笑い合う。くせになりそうな毒を含んだ軽口に軽やかな足取り。透けるような髪と瞳と嫌味なローブが隣にある。それが、こんなにも心地よい。
ようやく、彼との当たり前の距離が戻ったことを実感できた。──これが、ドラコと『マリア』の距離だ。
「でも、ほら──僕らが真実この歳だった頃は君、パンジーと付き合ってたんじゃないかい?」
「…………忘れた」
「ウゥワ、最低だ」
肩を震わせて声を上げれば、ドラコはどことなく悪戯っぽい目で僕を見ていた。
「どうしてそんなことを気にするんだ?」
「え?」
「どうして──僕とパンジーの関係が気になるんだ?」
「…………」
──間だ。なんだか理解してはいけない間がそこにあった。覗いてはいけない名前が隠れている気がした。
「──どうしてだ? マリア」
ドラコがささやく。
「──っそ、んなの…………アステリアが気の毒だからに決まってるだろ!」
持っていたてきとうな教科書で、思っていたよりも近くにあった顔を叩く。ドラコは哀れにうめいた。それが普段からは想像もつかないような間抜けで、思わず失笑してしまった。
「君──君──今──ンッ、フフッ……!」
「…………マリア」
「や、やめ、クッ、ちょっと、今は顔を向けないで」
「もう一度無言呪文でステキな姿にしてやろうか。次は君のダイスキなスカート付きだ」
「やっ──ごめんってば、ふっくく」
鼻と額を赤くしたドラコにすごまれる。キャラキャラ笑いながら絞め上げようとする手から逃れる。子供みたいだ。バカやって──ほんとうに、心から仲の良い親友のようだ。
「しつこいよ、ドラコ。このままだと遅刻するってば」
まだ引っ張られている感覚の頬のままドラコの手を掴む。地下に向かって駆け出す。赤と緑のローブが重なるようにはためく。
少女は見ていた。
────少女は泣き出しそうな顔で見ていた。
***
スラグホーンの授業では、まず一番にハーマイオニーがお気に入り認定された。当然だ。ハーマイオニーは学年で一番優秀な魔女なのだから。僕らの自慢の親友が、人脈と才能の収集家たるスラグホーンのお眼鏡にかなわぬはずがない。
そして、はじめから目をつけられていた『生き残った男の子』であり『選ばれしもの』のハリーは──
「──すばらしい! ハリー、君がまぎれもない勝者だ!」
スラグホーンはハリーの鍋を覗いて歓声を上げた。そこにはハーマイオニーですら作り上げられなかった完璧な『生ける屍の水薬』がたゆたっていた。半純血のプリンス──スネイプ先生の蔵書はまちがいなくハリーの手へと渡ったのだ。──と、いうか。
「マリア、マリアもこの本を見るべきだったんだよ」
小声でささやくハリーにこっそり笑い返す。スネイプ先生の本をハリーへ渡したのは僕だった。ハーマイオニーには悪いが、彼にはスラグホーンにさらに気に入られてもらわなくてはならないのだから。
「どれ、どれ、君のご兄弟の出来は──ウム、なるほど。いや、しかし、うむ……リリーの才能はハリーに継がれたようだね」
スラグホーンはハリーの隣に並んだ僕の鍋の中身を見ては微笑んだ。気落ちした様子を隠しきれていなかった。……気持ちは嬉しいけど、あまり噛みつかないでくれよ、ハリー。
「ふぅむ、ふむ、見込みがあるのはミスグレンジャーとミスターマルフォイといったところかな。いやもちろん、君たち全員に私は期待しているとも。特に──ハリー! 彼に続いて、私に君たちの才能を見せてくれたまえ」
でっぷりと膨らんだ腹とセイウチ髭の男は上機嫌にハリーへと小瓶を手渡した。
黄金のしずく──フェリックス・フェリシスはこたびもハリーのものとなったのだった。