「あれ、ロンだけかい?」
夕食時に大広間へと降りれば、いつだって並んで座っている仲良し三人組の一人の背しか見当たらなかった。一番ノッポの赤毛だ。よく見慣れた後ろ姿だ。マリアとなってからはさらに身長差は広がってしまった。……悔しくなんてないとも。
「ハリーはスネイプと、ハーマイオニーはナメクジクラブで砂糖漬けの晩餐会さ。スネイプとの先約がなければハリーもナメクジの一員だったね」
すっかり拗ねきっているロンに肩をすくめて隣へと座る。つまりはここへ来るまでにスラッギー爺さんに親友たちを横取りされてしまったというわけだ。ついでに妹の姿もない。ネビルはシェーマスと共に大広間へ来ていた。
「それじゃあ、こちらも脇役仲間同士で夕食と洒落込むしかなさそうだね?」
「マリアが脇役なもんか」
「ロンだって」
側のチキンを取りながら隣の赤毛と顔を合わせてニンマリする。ロンの機嫌は思っているほど悪くはなかった。自分と同じくスラグホーンの目に留まらなかったマリアの存在が彼の中では大きいようだった。遠くにある糖蜜パイを三つ取り寄せてくれる程度には。ハリーにはナイショだぞとブルーアイは双子の兄そっくりに細まっていた。
「あの爺さんも見る目がないよ。我らがグリフィンドールの姫を招待しないなんて」
「まったくだ。彼は今晩、手痛いミスを犯したのさ。僕らの敏腕キーパーを逃すなんて」
クックと悪戯に笑い合う。──彼との気安いやり取りが好きだ。ロンとだけは、どんな関係にあっても僕は身軽でいられる。等身大に喧嘩して好きだと伝えられる。ハリーでもマリアでも心の持ちようは変わらない。それが──僕にとってどれほどの救いか。
「二人がいないあいだに宿題を進めて悔しがらせてやろうよ」
「そりゃいいね。悔しがるのはハリーだけだろうけど」
「ハリーはスネイプとあまーい時間を過ごしてくる──なんだ?」
続く言葉は騒音に奪われた。スリザリン席から歓談をつんざく悲鳴が上がったからだ。ざわつく緑ローブの中心にはよく知る金髪があった。
「ドラコ?」
ドラコのローブに引っ付いていたパンジーがヒステリックに何かを指している。ヘビだった。怒り狂った大蛇が椅子に乗り上げ這っていた。
どうして大広間にヘビが。そしてスリザリン寮のシンボルたるヘビごときにああも騒いでいるのはなぜか。
「誰も動くな」
大広間の扉が開いて、ハリーを連れたスネイプ先生が登場した。スネイプ先生はじろりと暗い瞳でスリザリン席のすべてを見渡すと、ヘビに向けて杖を振った。
「ヴィペラ・イヴァネスカ」
それはかつてのマルフォイが喚び出したヘビを返す呪文だった。──つまりは、
「マリア!」
「ハリー!」
騒動から離れ真逆のグリフィンドール席へと駆けてきたハリーを迎える。ハリーもスネイプ先生と同じ訝る目でスリザリン席を見ていた。
「ハリー、ヘビはなにか?」
「うん……どいつが敵だ、食い殺してやるって──たぶん、あのヘビ、毒蛇だ。ひと咬みで済むって言ってた。牙に猛毒を持ってるんだ」
ハリーのみから得られる情報を噛み砕いて呑み込む。
だから、誰も近付けずにいた──なんてわかりやすい『悪意』だ。たまたまで禁じられた森にでも住んでいそうなヘビが大広間にまで迷いこむものか。
だがしかし──
マルフォイは死喰い人じゃない。こたびのマルフォイにダンブルドアを狙う理由はない。現にダンブルドアはホグワーツから離れている────それこそを、狙って?
「ここにハグリッドがいなくて助かったね。僕ら、カワイイ毒蛇ちゃんの子守り相手にされかねなかったよ」
隣からふと耳に入ったロンの皮肉にうっかり吹き出してしまった。なけなしの集中力は親友に一瞬にして奪われた。騒動の落ち着いたスリザリン席から目の前のごちそうへと視線を戻していたハリーもニヤッと笑った。
「僕らよりグロウプのほうがいい遊び相手になりそうだよ」
三人で顔を合わせて悪ガキの顔で忍び笑う。
「──あっ! マリア!」
突如、ハリーの目がカッと開いた。
「──糖蜜パイは二つまでって、いつも言ってるだろう!」
「……だ、そうだ。マリア」
「失敗したね。ロン」
ぷんぷん怒るハリーから逃げてロンの背中を小突く。ここぞとばかりにロンの長身を利用してやる。ロンはオーバーにおどけてハリーを煽ったりなだめたりしていた。
マリアとロンのこの関係も────悪くないね。
***
ヘビ避けは必要かい? 釈然としない様子でいる相棒にわざとらしく杖を振ってみせた。僕としては笑顔よりもよっぽど見慣れたしかめっ面だが、なにがどう作用したのか、ドラコは肩の力を抜いて腑抜けた顔で笑った。
「冗談はおいておくとして、だ。……あれ、君を狙ったものか?」
ドラコは躊躇しながらも首を横に振った。
「あのヘビはまっすぐ僕に向かってきたわけじゃない。目に入るすべてに威嚇していた」
「ああ……ハリーもそれらしいことを言ってたな」
夕食でのパーセルタングの彼の言葉を思い出す。『どいつが敵だ』──ヘビは敵意を明確にした上で標的は定まっていない口振りだった。
「はっきり言って、攻撃される心当たりならいくらでもあるからね。僕たち」
「僕が恨まれているなら当然、君だって恨まれてるわけだ」
「むしろ死喰い人関係なら『ポッター』の僕のほうがよほどモテると思うんだけど……わかんないや」
座り込む。横にある肩へ頭を預けてみる。当たり前に受け入れられる。……たぶん、この場所はアステリアのものだ。彼の隣にあるのはパンジーでなくアステリアでなければならないのだ。──それなのに。
「アステリアのことだけど」
「ああ」
「僕も逃げられた」
「そうか」
静かな声だった。湖に消えてしまいそうだ。
「あの子、もしかしてハリーよりも頑固だったりしない?」
「つまりは君よりもってことだな。ご明察の通りだ」
「頭がいたい」
僕まで腑抜け顔になって口端をゆるめる。
──でも、諦めたりはしないんだ。強欲で傲慢で手段を選ばないスリザリンのマルフォイは。僕は彼の家族に向ける愛の深さを知っている。犬猿の仲であった『僕』の家に、我が子のために乗り込んでしまうくらいなのだから。
「……僕が好きって、ほんとう?」
「ほんとうだ」
何度目かのつたない確認だった。ドラコはそのたびに迷わない。迷うのは僕ばかりだ。散々、暗闇の中をもがいて生きてきたマルフォイは、得るために捨てることを知っている。ゆえに、迷いがない。取捨選択をためらわない。
すべてを欲しがる僕と彼はこんなにもちがうのに──やっぱり、狂ってるよ。ドラコ・マルフォイがハリー・ポッターを好きだなんて。
「たとえば──」
ドラコは謎かけでもするように語った。
「たとえば、僕と君のジニーが崖から落ちかけていたとして、君はどちらを救う? この場合、僕たちは杖を持たない。マグルのように使えるのは自身の腕だけだ」
僕も迷わなかった。
「ジニーだよ。君は僕が手を出さずとも立てる。……結局、君だけを一番になんて考えられないんだ。ハリーが大切だ。ジニーが大切だ。ロンが、ハーマイオニーが──もしも『僕』のロンとハーマイオニーに会えたなら、君のことなんて放り出して二人のもとへと駆けてしまうよ」
ドラコの顔を見ることはできなかった。いっそ軽蔑してくれればいい。そう思った。
「──それでも、いいの?」
ドラコ・マルフォイは。
「なにを今さら」
鼻で笑った。心底憎たらしい顔で。憎み合っていたマルフォイの顔で。そしてマリアの相棒のドラコの顔で。
「それでこそハリー・ポッターだろう。僕が『君』のグレンジャーとウィーズリーに勝てるものか。散々、ひがまされてきたんだ。君たち三人の絆に。そんなものはとっくに承服済みで──今さら君の一番になれるだなんて高望みは不可能だ。それだけ────僕は君を見てきた」
今だって、見てる。『君』の瞳がエメラルドであることを知っている。君の瞳がヘーゼルであることを知っている。
「僕だって同じさ。君も、アステリアも──逃がす気なんてさらさらないんだ」
指を一本一本と絡め取られる。ヘビみたいな手付きだ。大広間で見た毒蛇なんかよりも、目の前の男のほうがよほど手強い気がした。──昔は、ちょろくて、バカっぽくて、どうしようもなく甘ったれたダドリーみたいな子供だったのに。あの頃の僕たちがこんなふうに手を繋いで安心したみたいに笑い合える世界があるだなんて、誰が想像できるものか。きっとダンブルドアだってマーリンだって困惑するにちがいない。
「お互いが一番じゃないのに、好きだなんて言うんだ」
「お似合いだろう?」
「そうかもね」
額と額を当ててささやく。
「──たとえば、僕とアステリアが崖から落ちかけているとしたら……君はどっちを助ける?」
額に熱が触れた気がした。いやだな──君の体温が、嫌じゃないなんて。
「もちろん────アステリアだ」
与えられた答えに、心の底から安堵に微笑んだ。
ああ、よかった──────君にマリアは必要ない。
ハリーはすっかり習慣になっていた『上級魔法薬』のとあるページで指を止めた。この本は面白い。それほど読書という行為に興味の持てないハリーを十分に夢中にさせてきた。半純血のプリンスの書き込みは、ハーマイオニーが嫉妬するほど繊細で綿密で愉快だった。ハリーに最早プリンスの蔵書を手放す意思はなく──だから、気付いてしまった。
「ハリー。やっぱりわたし、反対だわ。このリベラコーパスなんて見て。これ……わたしたち、知ってるわ。ほら、ロン、思い出せない? クィディッチ・ワールドカップの夜で?」
「知ってる」
「そうでしょう? 死喰い人たちがこの呪文を使ってマグルのかわいそうな人たちを──ハリー?」
「僕、知ってる────『マフリアート』」
ハリーの指が文字をたどる。隅っこでつぶれたインクの上をなぞる。ハーマイオニーの茶色い瞳がきょとりと指を追う。
「ハリー? どういうこと?」
「これだったんだ。マリアがいつも使うのは。マリアは──マフリアートを知っている」
三人のあいだに沈黙が満ちた。六つの目玉がひとつの単語を捉えた。
「それも、プリンスの創作呪文よね?」
「ああ」
「……マリアは、いつから?」
「わからない。──わからないくらい、前からだ」
「それって────おかしい、わよね?」
「…………」
「まあ、あのマリアだからアヤシイとかオカシイとかそんなのは今さらだけど……」
ハーマイオニーとロンはそっと親友をうかがい見た。ハリーは教科書を凝視したままだった。
ハリー・ポッターはなおさら、半純血のプリンスの蔵書を手放せなくなっていた。