マリポタシリーズ   作:椎名@大体pixivにいる

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 その人と遭遇したのは偶然だった。まったくのたまたまだ。三年生以上の生徒はホグズミード村へ向かっているために、がらんどうな廊下の途中で互いに立ち呆けた。

 

 

「スネイプ先生」

 

「……我輩の記憶が確かであれば、貴様は開放日のほとんどをホグワーツで過ごしているようですな。その愛校心にはまったく感服させられる」

 

 

 相も変わらず絶好調な皮肉に、ニヘラと締まりのない顔で返す。スネイプ先生はそっと僕から目をそらした。

 

 

「やっぱり逃げるんですね、スネイプ先生。いっそ目もハリーと同じだったなら見てくれましたか?」

 

「おぞましいことを言うな」

 

 

 間も入れず切って捨てられる。わかっている。僕が母に似れば似るだけ、この人の傷口は開く。彼にとってマリア・ポッターの存在は罪の具現でしかないのだ。……母さんはとっくに、あなたを許しているのに。

 あなたにとってリリー・エヴァンズは、生きる希望を与える慈愛の悪魔であり罰を与えてくれる残酷な天使なのだろう。

 

 ほんとうに、どうしようもなく臆病な人だ。──そして勇敢だ。

 

 

「たまにはマルフォイも外へ連れ出してやりたまえ。お前たち二人と来たら……スリザリンとグリフィンドールだというのに、」

 

「ドラコなら今日はホグズミードへ出ていますよ。パンジーお嬢さんと優雅なデートだ」

 

 

 ピタリ。重々しいローブを引きずる汚れきった革靴が歩みを止めた。

 

 

「──あいつは、今、ホグワーツにいないのか?」

 

「え? ええ……それがなにか?」

 

「…………」

 

 

 スネイプ先生のまとう雰囲気が気だるげで陰鬱なものから鋭い刃へと変わるのを感じた。──スネイプ先生が警戒している。

 

 

「失礼する」

 

「待ってください!」

 

 

 咄嗟に目の前のローブを掴んだ。──パシンッ。

 

 

「────」

 

 

 目を見開く。奈落の底みたいな目も僕を見て開く。沈黙。どちらもが驚愕を面上に浮かべていた。

 

 

「あの──僕──」

 

「──セブルス!」

 

 

 払われた手を抱いていたたまれない空気の中どうにか声を絞り出せば、前方からの呼声に僕もスネイプ先生も意識を引かれた。マクゴナガル先生だった。

 

 

「セブルス、至急あなたに見ていただきたいものが──ミスポッター! ああ、なんてこと……落ち着いて医務室へお向かいなさい。それがいいでしょう」

 

 

 老成特有の怜悧な面立ちを憐憫にゆがませたマクゴナガル先生に心がざわつく。医務室──僕に近しい誰かの身にマクゴナガル先生が慌てるほどの事態があったのだ。ハリーか、ロンか、それとも────

 

 医務室内には少女のすすり泣く声だけがあった。パンジー・パーキンソンだ。ベッドには常から青白い肌をさらに青くした少年が眠っていた。……ほら、まるで吸血鬼じゃないか。

 

 

「ドラコ」

 

 

 目を腫らしたパンジーが僕を見た。

 

 

「ポッター」

 

 

 そして彼女は告げる。────もう、あんたしかいないのよ。マリア・ポッター。

 

 

「あんたしかいないの。ドラコを助けて、マリア」

 

 

 パンジー・パーキンソンは憎しみのすべてを払ってマリア・ポッターの手を掴んだ。

 

 

「……どういうこと? なにがあったの? ──このために、君はドラコの側にいたの?」

 

 

 適当な椅子を呼び寄せてパンジーの隣へと腰かける。素直な彼女は一瞬スリザリンらしく嫌そうに顔をしかめたが、なんとか飲み下したようだった。

 

 

「そうよ。ドラコは狙われてるの」

 

「なにに」

 

「知らないわよ。けれど──ドラコを本気で殺そうとしている誰かがいる」

 

 

 呼吸だけが生を伝える少年を前にして、空気は質量でも持つかのように重く少女の肩へとのし掛かっていた。

 

 

「ドラコはどうなってるの」

 

「命に別状はないわ。マダム・ポンフリーはそう言った。昏睡状態にあるだけだって────でも、死んでたかもしれない!」

 

 

 パンジーがワッと声を上げた。パンジーは被害に遭ったドラコに負けず劣らずひどい顔色をしていた。少女は完璧に追いつめられていた。

 

 

「はじまりは新学期すぐに届いたお菓子だったわ。ドラコ宛に届いたの。チョコレートだったわ。わたし、それにムカついたの。だって女の子が好きそうな包装だったんだもの! ドラコに色目を使ってる身の程知らずが寄越したんだって──だから、開けてやった。それで、わたし、チョコレートを捨てたわ。ゴミ箱へ。そうしたら──」

「誰のペットかは知らないけど、ネズミが食べたの。チョコレートを。──そのネズミ、死んだわ。口から泡を吐いて、ゴミ箱の中で死んでた。────毒入りのチョコレートだったのよ」

 

 

 ぎゅうっと背を丸めてあえぐ。どれほどおそろしかっただろう。どれほどの衝撃だっただろう。それでも、彼女は逃げなかった。

 

 

「その次は悪夢に引き込む本よ。呪われた本。開いた人間は悪夢に囚われてそのまま目覚めなくなるの。そしてゆくゆくは衰弱死。それが、ドラコの鞄の中に入っていたの。──わたし、ほんとうにたまたまその本を知ってただけなの。もしも、知らなかったら──もう、こんなの悪戯じゃすまないって……このままじゃドラコが殺されちゃうって……」

 

「……それを、どうして先生に」

 

「言ったわよ! スネイプ先生に言ったわ! でも──」

 

 

 パンジーは黒髪を振り乱して拳をにぎった。少女はたえていた。たくさん、たえてきた。

 

 

「きっと助けてなんてくれないわ。──ドラコは『裏切り者』なんだもの」

 

 

 痛々しい答えだった。大人を頼れない子供はいつだって悲惨だ。

 

 

「それで、君がドラコの代わりに悩んで、苦しんで、彼の危険に立ち向かってくれてたんだね。──ありがとう」

 

 

 思わず礼が口をついていた。パンジーはカッと苛烈に僕をにらんだ。ひどい屈辱を受けたとその目は語っていた。

 

 

「あんたに礼を言われる筋合いなんてないわ。今だってほんとうは頼りたくなんかないわ。ムカつくもの。わたし、あんたなんか大嫌いよ」

 

 

 その通りだ。パンジー・パーキンソンはマリア・ポッターが大嫌いだ。そんなのは誰もが知っていた。──それでも。

 

 

「ドラコが死んじゃうのは、もっと嫌」

 

 

 切々と、声は落ちた。感情がにじんで、彼女は再び泣き出してしまったのだと思った。パンジーは泣いてはいなかった。

 

 

「だから、一時休戦よ。わたしの目の届かないところでは、あんたがドラコを守るの」

 

 

 ひと呼吸。ずいぶんな身勝手を押し付けてくる少女に小さく笑う。

 

 

「ねえ、パンジー。怒らないで……ていうのは無理だろうけど、君は──君って、ほんとうにドラコが好きだったんだね」

 

「どういう意味よ」

 

 

 先程とはちがい、パンジーは叱られふてくされた子供のようにそっぽを向いていた。

 

 

「君は『マルフォイ』目当てだと思ってたから。でも、ドラコはこの状態で──君たちに言わせれば『裏切り者』で、それでも君は」

 

 

 たとえば僕の知っているパンジーならドラコを迷いなく見捨てただろう。我が身が世界一かわいい女の子だ。裏切り者とまで呼ばれているらしいドラコの側にいて、彼女が嫌な思いをしなかったとは思えない。無論、偏見であることは否定しないが、おそらく間違っていない。

 パンジーは口をひん曲げて、ただでさえ整っているとは言いがたい顔をぐしゃぐしゃにして吐き捨てた。

 

 

「フン、そのとおりよ。地位目的だったわ。だってドラコと結婚すればブラックの人間を母に持つことになるんだもの。これってすごいことなのよ。マグル育ちのあんたにはわかんないでしょうけどね」

 

 

 悪ぶって。悪態をついて。せいいっぱいの虚勢をはって。

 

 

「でも、好きになっちゃったのよ」

 

 

 少女は陥落した。僕は無性に目の前の寝顔をひっぱたいてやりたい気持ちでいっぱいだった。

 どうしてやろうか、この色男。よりによってなんだって僕がパンジーなんかの甘酸っぱい告白を聞いてるんだ。そして君はなにを呑気に────まったく、憎たらしい!

 

 

「オーケイ、青春はあとだ。こいつが起きてからにしてくれ。──もう一度、情報を整理していいかい? 狙われているのは僕や他の誰かでなくドラコなんだね? それははっきりしているね?」

 

 

 どうにかと軌道修正をはかる。こんなパグ女をいちミリだってカワイイなんて思うのは許せなかった。──彼女の声を受け止めるべきは、ドラコ・マルフォイなのだから。

 

 

「ええ、そうよ。ドラコ宛に手紙があったもの」

 

「手紙?」

 

 

 くり返す。パンジーは鼻へシワを寄せながら記憶を絞り出していた。

 

 

「チョコレートの包みに挟まれてたの。一緒に捨ててしまったからもうここにはないけれど──ええと、オーグリーがどうとかって」

 

 

「────オーグリー?」

 

 

 背中を針が滑るような──悪寒。

 

 

「鳥の絵も描かれてたわ。それこそオーグリーの絵がね。死の予兆を寄越すだなんて──最低」

 

 

 ドクリ。心臓が暴れだす。目の前に自分を食らう猛獣を見た小動物の気分だった。

 

 オーグリーが、ドラコに。──── デルフィーニ(オーグリー)、だって?

 

 

「ああ──」

 

 

 戸惑うパンジーを置いて立ち上がった。動かなければ。オーグリーが関わるのであれば──『僕』こそが立ちはだからねば。

 医務室から退室する。向かうべくは────

 

 背中の冷たい熱は心臓をも冷やした。心に氷を落とした。腹の底で恐怖を混ぜた。

 

 

 オーグリーがこの世界にいる。

 

 

 

「最悪だ」

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 パンジーは語った。『彼』は助けてくれないと。

 僕はそうは思わない。僕と、ドラコと、そしてダンブルドアは思わないだろう。

 

 

「スネイプ先生」

 

 

『彼』こそが愛に殉ずる護り手なのだから。

 

 

「それが、ドラコに害なした現物ですか」

 

 

 スネイプ先生は自室で机の上のなにかをなぞっていた。顔を限界まで近付けて杖でゆっくりと愛撫するようになでていた。それはペンダントに見えた。

 

 

「ドラコのこと、守ってくれていたんですね」

 

「ポッターと名のつく人間は無礼であることがマナーらしい」

 

 

 杖でペンダントを叩いたスネイプ先生は、やつれた蝙蝠のように緩慢に背を起こした。遅れてのっぺりとした髪が机から頬へと戻った。

 

 

「それ、触ったならどうなりますか」

 

「死ぬ」

 

 

 単調な答えだった。──たぶん、ドラコは知っていたのだ。だから受け取ったのだ。

 

 

「ドラコは触れてはいないんですよね」

 

「ああ。あれも悪運ばかりは恵まれている」

 

 

 後ろ手で扉を閉めて暗く笑う。バカなやつ。一目で見抜いたんだ。それが闇の魔術道具だって。それで──誰にも触れさせないように、自分ならどうにかできるって思った。ほんとうに──マルフォイは肝心なところで抜けてるバカだ。

 

 

「先生は否定したいのでしょうけど、あいにくと僕は先生が嫌いじゃないので勝手に感謝します。ドラコを見守ってくださりありがとうございます」

 

「恥ずべき早とちりだ」

 

 

 ピシャリと跳ね退けられる。心底から迷惑そうに相貌はゆがんでいる。

 たとえば闇の魔術に対する防衛術での視線。たとえばドラコに触れる前に消されたヘビ。ハリー・ポッターを憎みながら見守っていたセブルス・スネイプは、くたびれた腕を広げてドラコをもかいなに含んでいた。

 

 

「それ、触ってみたいですか」

 

 

 ふと、こぼれていた。スネイプ先生は当然無視をして──おそらく、答える気なんてなかったのだ。

 

 

「こんな無粋なものは好かん。私は────死を選べるとするなら、君の手でありたい」

 

「────」

 

 

 そんな気はなかった。きっとそうだ。スネイプ先生はすぐに口をつぐんだ。自分の声に驚いたのだ。────もう、遅い。

 

 僕はやわい腕をもってしてスネイプを机へと叩きつけていた。

 

 

「ふざけるなよ……あんたたちはそうやって、自分だけ楽になろうとする! 大義名分を得た瞬間に勇んで死ぬんだ! それが褒美みたいに解放されようとする。そんなの──許すもんか!」

 

 

 真っ黒の瞳だった。穴の底みたいな瞳だ。だから──(マリア)がよく見える。

 

 

「ああ嘘だ。あんたが嫌いじゃないなんて嘘だ。大嫌いだ。死にたがりなんか大嫌いだ! 誰が殺してやるものか。みじめに這いつくばってでも生かしてやる────もううんざりだって笑うまで許してやるもんか!」

 

 

 叫ぶ。どうしても許せなかった。僕だって同じだろうに。でも、彼には生きる価値があるのだ。────『僕』がそれを望んだんだ!

 

 

「勝ち逃げなんかさせない──負け犬は負け犬らしく生に足掻いてろ!」

 

 

 スネイプは瞠目していた。当然だ。めちゃくちゃだ。こんなにも──生きた顔ができるのに。あなたは生きているのに。その目はここにあるのに。暗闇ばかりを見て、死者だけを追って、愛に呪われゆく人。

 どうして、優しい人たちはバカばかりなんだ。

 

 

「ちゃんとハリーから二人分の感謝をもらってくれないと」

 

 

 噛み締める。『僕』のスネイプは圧倒的に勝ち抜いた。受け取ることを拒否して届かないところまでいってしまった。ポッターからはなにひとつだって貰ってやるものかと嗤った。悔しくてならなかった。

 行き場のない謝罪と感謝は腐るしかないんだ。

 

 

「地獄の底まで追いかけてやる。セブルス・スネイプ」

 

 

 たぶん、ちょっとした恨みとか、八つ当たりとか、苛立ちとか──腐りくすぶっていた尊愛とか。

 

 すべてをぐちゃぐちゃに溶かして混ぜたハシバミの瞳で、僕は死にたがりへ贖罪を突き付けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 揺れる。おぼつかない足取りだ。とんでもない啖呵を切ってしまった。そんなのは今さらだ。

 

 立ち止まる。窓の向こうから誰かの声が聞こえる。日常がある。誰もが愛する時間がある。

 

 守らなくてはならない。奪われてなるものか。それは僕の役目だ。僕は────そのために生まれてきたのだ。

 

 

 僕は、ハリーのために死ぬのだ。

 

 

 

「……はは。そんなことって、あるかよ……」

 

 

 

 地面へ膝をついた。気付いてしまった。どうしてだか、当たり前にあった。

 

 当たり前にあるはずのないものが、僕のなかにあった。

 

 

 気付いてしまった。

 

 

 

 

「これは、誰の感情だ」

 

 

 

 

 僕は、だれだ。

 

 

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