それから二月のバレンタインまで、嘘のように刺客の魔の手は鳴りを潜めていた。もしや偶然だったのか、そう思い込みたくなるほどにホグワーツは平穏だった。そして、二月十四日のバレンタイン──事件は起きた。
「ハッピーバレンタイン、ハリー。それからロンとネビルにも。これ、チョコレート」
「ありがとう、マリア! きっとマリアはチョコを用意すると思ったから僕はカードにしたんだ」
チョコレートのにおいでむせ返りそうな朝の談話室にて仲間たちとバレンタインギフトを交換しあう。ネビルはさっそく蓋を開いては詰め込み型カエルチョコレートの数匹に逃げられていた。そんなネビルにみんなが笑っているうちにハリーの耳へと唇を寄せる。
「ジニーからのチョコには気を利かせなよ。カードと一緒に花を渡してみるのはかなり効果的だ。それから、ロミルダ・ベインに気を付けること。……追加の解毒剤を渡しておこうか?」
「マリアこそ。ドラコのことちゃんと見ておかないと後悔するかもよ」
「そもそもあいつは
クックと笑い合う。だって僕ら──子供じゃないんだから。
男女がどれほど浮かれきっていても授業は通常通りおこなわれる。意中の人間と講義が重なるたびこっそりプレゼントを渡し合う若者たちを眺めながら、老成した気持ちで手元のチョコレートやらカードやらキャンディーやらを数える。ハリーは案の定押し付けられたロミルダからのチョコを臭い玉でもつまむようにしてゴミ箱へと直送していた。完全に毒物扱いであった。そして昼食時────事は起きる。
「今年もマリア・ポッターへの貢ぎ物の運搬役をうけたまわりました、あなたの親友のハーマイオニー・グレンジャーよ」
隣に座ったハーマイオニーからぽんぽんとラッピングされた箱を渡されて、辟易した。そのまま見知らぬ誰かからのプレゼントが僕でなく向かいのハリーへと渡るのもお約束だ。
「アルフレッド・タイナー? あいつか……飛行訓練でマリアをやたらチラチラ見てた……やっぱりそうか。これはダガス・マティンソン──ジーン・レックまであるじゃないか! あいつ、いつのまにマリアに目をつけたんだ?」
「相変わらずね、ハリーは」
憤るハリーの隣に座ったジニーがサンドウィッチを取りながらお茶目に笑う。なぜそこでハリーと一緒になってハーマイオニーいわくの貢ぎ物を物色し始めるんだい、愛しのジニー。当たり前の顔でレベリオをかけるのはやめなさい。……とっくにハーマイオニーが終わらせてるから。
あらかたハリーと協力して差出人の目星をつけたジニーは、次にハーマイオニーへと注目した。
「あら、去年より増えてない? ハーマイオニーへの貢ぎ物」
ピクリと。ロンの肩が跳ねた。
「やっぱりモテるわね」
「あなたほどじゃないわ、ジニー。もちろんマリアほどでも」
「そうかしら。あたし、同級生からけっこう聞くわよ。ハーマイオニー・グレンジャーが
ピクリピクリ。ロンの手が震えて止まった。
「そろそろ真剣に考えてみてもいいんじゃない? どっかの誰かさんは毒花に夢中みたいだし」
「おい、それって──」
ロンのどうにか絞り出した声はハーマイオニーの冷視でもジニーの茶化しでもなく、まったく別の音に掻き消されてしまった。
「キャアアアアッ」
「ドラコッ!」
ドラコ──? スリザリン席の一部が総立ちになっていた。デジャヴな光景だ。あいだから薄い金髪が抜ける。腕に少女を抱えていた。──彼の最愛だった。
「マリア!?」
ハリーの声とハーマイオニーの腕を振り切って二人を追う。向かう先は医務室だ。ドラコの腕の中のアステリアはぐったりしていた。死人の顔色だった。
「ドラコ、なにが──」
「ポンフリー先生、毒です。おそらくこれだ」
アステリアをベッドに寝かせ、マダム・ポンフリーへと手をどろどろにしながらもドラコが現物を渡す。チョコレートだった。
「これは……」
「フム? 失敬」
「スラグホーン先生」
完全なる偶然で居合わせたスラグホーンが、マダムが受け取ったチョコレートを横から覗いて冷静にうなずいた。すっかり研究者の目付きをしていた。
「この臭い……そして一瞬の昏倒──フム、フム、おおよその予想はつきました。お手伝いさせていただきましょう、マダム・ポンフリー」
「ああ、感謝します。スラグホーン先生」
「ドラコ……」
マダム・ポンフリーとスラグホーンが的確に処置をする中、ドラコは思い詰めた顔で押し黙っていた。とても、大広間で何があったのかなんて聞き出せそうになかった。
「ドラコ、大丈夫だ。スペシャリストが二人も揃ってるんだ」
「──アステリアは」
眠る少女の寝息が聞こえるほどの静けさでなければ、それは届かなかったかもしれない。
「どれだけ名癒と名高い癒者を連れてこようとも、呪術師に見せようとも、なりふりかまわず金にものを言わせようとも──────治らなかった」
「ドラコ」
「私は彼女がベッドに眠る姿をよく知っている。彼女が微笑むよりも──知ってるんだ」
たまらなくなって隣の肩を抱いた。女の子のマリアでは男として成長するドラコの背は大きい。それでも、限界まで手を伸ばした。
「大丈夫だ。大丈夫」
「マリア」
「信じてやるんだ。……君が、信じなくちゃ」
アステリアは、死にたくなんてないんだ。
本格的に解毒と治療へ入った先生方に追い出される形で医務室を後にする。会話はなかった。午後の授業はとっくに始まっていて、けれども、今にも自分まで毒を含んでしまいそうな最低の顔色の友を放り出してまで参加しようとは思えなかった。
ドラコを連れたまま、すっかり定番となった湖の側へと座り込む。当然、人の気配は僕たち以外に存在しなかった。
「──僕はセオドールを怪しんでいる」
ようやく沈黙を破ったのはドラコだ。大広間での事件──そこにセオドールがいなかったというのが理由だった。
「でも、それだけで」
「それだけじゃない。あいつは死喰い人ではなかったが、僕を敵視しているのに変わりはない」
「だとしても……」
焦りからのこじつけである自覚はあるのだろう。ドラコは納得できないでいる僕の態度に反論はしなかった。再び居心地の悪い無音の時間がやって来る。
セオドール・ノット。ドラコと並んでスリザリン内で一目置かれていた少年。だがしかし本人は一匹狼の気質が強いという、どうにも印象に残りづらい少年だ。かつてハリーとして在学していた頃の『僕』の敵はマルフォイというのが自他共の認識で、それが
そうだ。彼はマルフォイの代わりだったんだ。
「──あれ」
急速に血がめぐり出す。頭の血管を暴れながら回って脳を刺激する。──僕に
たとえばクィディッチのシーカーとして名乗りを上げたこと。これは『僕』の知っている歴史ではマルフォイだった。そこにセオドールが収まった。まるで
『前回』スリザリンでリーダー風を吹かせていたのはマルフォイだ。けれど今のスリザリンはセオドールとドラコと二君を据えて二分割する形で分かれている。大袈裟な表現だが、過激派と中立派でリーダーが別なのだ。本来ならば過激派のマルフォイひとりだったのに。
思えば、去年の尋問官親衛隊の中にもセオドールはいなかっただろうか。それだって本当はマルフォイのはずで────ここが『僕ら』の知る世界ならば!
セオドールは一人を好むとドラコは言っていた。『前回』も含めてそうであったと──なのに、こちらのセオドールはまるで
セオドールは────マルフォイを『知って』いる!
一度気付いてしまえば、次々に不審な点が湧いて出る。僕へ突っ掛かるわりにマルフォイほどの気概は感じなかったこと。ダンスパーティーの夜の彼は思っているほど攻撃的ではなくて──彼は僕の
ネックレスに細工をされたのは第二課題前の招集時だが、ネックレスへとはじめに目をつけたのがクラウチ・ジュニアでなくセオドール・ノットだったのだとしたら────?
こじつけだったはずの辻褄が滑稽なほどに嵌まっていく。僕は確信した。セオドール・ノットはハリー・ポッターのライバル、ドラコ・マルフォイを知った上で──『マルフォイ』の真似をしているのだ。
「……ドラコ、笑わずに聞いてほしい。君の言う通りかもしれない」
「マリア?」
僕は語った。ただの憶測かもしれない。けれども、僕の長年の勘がそれを『正しい』と訴えていた。ドラコは笑わなかった。
「セオドールは『君』を知っているんだ」
「…………」
「理由はわからないけど────ドラコ?」
ドラコは笑わなかった。ドラコは──うなだれていた。
「ドラコ」
「そうか──そうだ。どうして忘れていた。なんて間抜けだ」
「ドラコ?」
「わからないか? あいつはノットだ。
僕より先に新しい真実へたどり着いたらしいドラコは口早にくり返した。
「セオドール・ノットだ! 思い出せ、ハリー!」
「何が言いたいんだ」
「あの事件のきっかけはなんだ? 子供たちはなにを使って過去をめちゃくちゃにした? 君たち魔法省は『違法のタイム・ターナー』を誰から押収した」
「────」
「『私』がタイム・ターナーを作らせたのは────誰だ」
もはや改まった答えなどはいらなかった。セオドールは大きな秘密を抱えている。セオドールは僕らに関わっている。
セオドールは────この世界の鍵を握っている。