結局、セオドールの疑惑についてはアステリアが回復するまで保留となった。応急処置の後、迅速に聖マンゴへと運ばれたアステリアは退院までにおよそ一ヶ月を要し、そのあいだに寮違いの僕はともかくドラコはセオドールを捕らえようと尽力したようだがすべて空振りに終わっていた。なんだって透明マントも持たないイチ生徒が都合よく消えられるのか。さすが一匹狼だなんていっそ賞賛してしまいたいほどだ。
そしてアステリアが無事に復学してからも僕たちは変わらず二の足を踏んでいた。アステリアにはダフネや彼女に似合わない取り巻きたちが常にまとわりつき、セオドールの足取りはどう捜索しても不明だった。いっそ忍びの地図を持ち出してしまおうかと強硬も考えたが、こちらもタイミング悪く常にハリーが使用していた。──スラグホーンを追い詰めるために。スラグホーンからハリーは封じられた記憶を手に入れなければならないのだ。決しておろそかにしていい課題ではない。ダンブルドアはスラグホーンの記憶がなければ分霊箱について確信しないだろう。確信しないとはすなわち、彼に攻めの一手を打たせないということだ。それは困る。
「どうしたものかな」
「せめて動機くらいは知りたいところだよね」
おもに実害をこうむっているブロンドの君と頭を悩ませる。どうしてセオドールがドラコを執拗に狙うのか。オーグリーがそそのかしているのか? 何故? オーグリーがマルフォイを狙う理由はなんだ? スコーピウスが目障りなのか? そもそも、実行犯はセオドールだけなのか。
たとえばタイム・ターナーが関わっているとして、あれは未来へ『帰る』ことはできても『行く』ことはできないはずだ。ならば未来のヴォルデモートの娘、デルフィーニからセオドールへと接触したと考えるのが自然で──つまりはデルフィーニが生まれる未来は確定なのか?
わからない。ひとつだって真実にたどり着かないまま六年目のホグワーツは春を迎えようとしていた。
「もしや神秘部での一件でノット氏がアズカバン行きとなったのも恨みのひとつか?」
「ああ……そういえば一緒になって捕まってたね。クラッブやゴイルと」
「セオドールがお父君に対してそれほど心を砕いていただなんて思いもしなかったよ。存外、人情深いらしい」
嫌味たっぷりに肩をすくめた坊っちゃんに押し殺して笑う。僕らが怪しんでいることに気付いたのか、ドラコを狙う刺客そのものは大人しくなったが、依然ダンブルドアが頻繁に学校を空ける理由は判明していなかった。──今年も悩みの尽きない年になりそうだ。
***
雪解けを終えたホグワーツを闊歩すれば寂れた花壇へと出た。以前にアステリアと語り合った場所だ。彼女がいなければ、なんてうら悲しい場所だろう。
「アステリア……」
すっかり凍りきった花の少女の笑顔を思い浮かべてベンチを撫でる────と。
「お姉様、どうかお考え直しください……お姉様のお言葉ならばお父様だって耳をかたむけられます。わたくしは──ダフネお姉様!」
咄嗟に隠れた。質の良い生地を使ったスリザリンのローブが二つ流れる。同じ目を持った少女が二人、近付いてくる。今日は二人だけだ。ダフネと──アステリアだ。
懸命にすがる妹にダフネ・グリーングラスは冷たい眼差しで睥睨した。
「声を荒げるのはやめなさい。貴族とは落ち着いて話すものです」
「あ……」
「わたくしたちの耳は下々の報告を聞くためにあり、わたくしたちの目は下々の監視のためにあり、わたくしたちの口は下々に命じるためにあります。早口に述べるのは『使われる側』のすることよ。今さら、わたくしにこんな説教をさせないで」
「……申し訳、ありません」
……へえ、そうなのか。つまりドラコが嫌味を言う時にやたらとゆっくりの口調になるのは……うわぁ、ムカつく。
僕の存在に気付く様子もなく姉妹の会話は続く。
「お前はお父様の決定に不満があるようだけど、現にあの男の言葉通り我が家の経済状況は右肩上がりだわ。お前は目をかけられているのよ」
「それは……わたくしが、あの人を、」
「そうね。わたくしだって『あれ』の言いなりは不愉快です。けれど、お父様が手を取るとされたならば従うのみ。意見も拒否もありません」
「…………」
アステリアはうつむいていた。ドラコ同様の白い肌は髪に隠れてなお、青っぽく不純物のない紙のように見えた。ドラコが恐れる、病に伏す死の際のアステリアを思い出させる色だ。
「お前も馬鹿な子ね。自ら含まなくとも──そこまでして、」
「わたくしは」
アステリアは見上げる。姉を見つめる。揃いの目をはっきりと開いて貴族然と背を伸ばす。彼女は────美しい。
「わたくしは、ドラコ・マルフォイのためならば──毒くらい飲み込んでみせます」
息を呑んだ。停めた。彼女のかもし出す、彼女を彼女たらしめる空気が姉の威厳すらも呑み込んで場を支配していた。
アステリア──君の愛はどこまでも高潔だ。
「……ほんとうに、馬鹿ね」
ダフネの声はどことなくか細かった。
***
ポッター姉! 久々の呼び名にふり返る。カラッとした笑顔に青いローブ、胸元には監督生バッジをきらめかせるアンソニーだ。隣のハリーがあからさまにふてくされるのに笑いながら足を止める。
「やあ、アンソニー。なにか面白い話でもあった?」
「君、僕を伝書梟かなにかと思ってないかい? ──とは、まあ、今回に関しては間違ってないんだけど。夜の七時に校長室へ来るようにってさ。君ってば、今度はなにをやらかしたんだ?」
「ああ……それはハリーの用事だね。どうするの、ハリー。例の件はまだ済んでないよね」
「どうしよう……」
アンソニーをにらむことも忘れてうなだれるハリーにアンソニーが、ううん? と首をかしげる。
「いや──マリアだよ」
「「え?」」
「ダンブルドアが呼んでるのはマリアだよ。確かにそう聞いた」
きょとり。三人で呆けてしまう。ダンブルドアがハリーでなく──僕を呼んでいる?
ハリーがそっと手を握ってきた。緑色の目が不思議な光を持っていた。
「ハリー?」
ハリーは答えなかった。目をそらし、手を繋いだまま歩き出す。あわててアンソニーへと礼を告げてハリーについていく。ある程度のところで立ち止まったハリーは有無も言わせず僕をかいなに閉じ込めた。
「ハリー、どうしたの」
「…………」
「ハリー」
「僕は」
細い声が耳朶に触れる。
「僕は、それでも──マリアを信じてるよ」
「…………」
心細いのだと、ハリーは全身で訴えていた。たったひとりの身内を繋ぎ止めようとしていた。
──僕に、兄弟の背へと腕を回す勇気はなかった。
バレンタイン以降、歩み寄ることを覚えたらしいロンとハーマイオニーのかゆくなるような初々しいやり取りを見守る夕食を終えて螺旋階段を上がる。デザートが少し早めのサマープディングだったことを思い出して合言葉に告げてみる。案の定、門番のガーゴイルが通した先でダンブルドアはゆったりとくつろいでいた。優しい眼差しだ。
「こんばんは、マリア」
「こんばんは、ダンブルドア先生」
ダンブルドアが杖を振って紅茶とティーカップを滑らせた席へと落ち着く。ダンブルドアは誉めるように二度うなずいた。
「ハリーとわしの個人授業がどのような内容かは──当然、知っておるかな」
「はい」
「では、先日見せた記憶がなんであるかは──ハリーから聞いているわけではなさそうじゃの」
「ハリーは約束を守ってますよ」
言外の確認に何気なさを装いながら肯定する。ハリーはロンとハーマイオニーにしかリドルの記憶を話していない。──僕には、話してくれない。この人が口止めをしているからだ。ダンブルドアは情報をひとつに集中させることを良しとしない人だった。
ふむ、と髭を撫でたダンブルドアはそれから単刀直入に詰問した。
「スリザリンのロケットを持っているね?」
「──はい」
互いに迷いはなかった。
「他にも集めているかの?」
「リドルの日記はご存知の通り破壊済みです。スリザリンのロケットとレイブンクローの髪飾りを保管しています」
「レイブンクローの…………そうか」
キラキラしたブルーアイにうながされて紅茶を含む。……おいしい。落ち着くあたたかさだ。
「ハリーは一目で気付いた」
「そうでしょうね」
「マリアが持っていることも知っている」
「隠してませんから」
「その時が来たら──渡してやってくれるかね?」
「必ず」
まっすぐに老人を見つめて誓う。この人は僕へ託そうとしている。僕もあなたと同じ託す側であることを知りながら──僕に最期まで守り通せと命じている。
ひどい人だ。──こんな信頼の示し方をするなんて。
きっと僕の最期はハリーが選ぶだろう。だから、その時まで──
「ダンブルドア先生。僕もうかがってよろしいでしょうか」
「マリアにもわからないことがあるのかね」
「わからないことだらけですよ。僕の数々の失敗をご存知でしょう」
「はて。君はよくやってくれていると、老婆心ながらにわしは思うておるがのう」
「先生も歳でいらっしゃるんですね。盲目は早めに自覚するのがよいそうですよ」
「手厳しいのう」
ほっほと身を揺らして笑うダンブルドアに肩の力を抜く。
死を腕に宿したダンブルドアは夏を越せない。だから、目一杯見つめていよう。優しいこの人を。
「マリアの予言はあなたしか知らないんですよね」
「わしが知る限りではそのようじゃな」
「スネイプ先生だって知らない」
「さよう」
「……僕の存在を消したのは、あなたですね」
「その通りじゃ」
生き残った男の子のハリー・ポッターとオマケのマリア・ポッター。例の事件以来、魔法界で名を伝えられてきたのはハリーだけだった。マリアの情報は意図的に隠された──『予言』を知るダンブルドアによって。
「どうして」
「わしはのう、マリア。君を警戒していたのではない。──君を隠し玉にしようとしていたのじゃ」
ダンブルドアは老人がほんの少しの昔話をするように語った。
「ハリーが選ばれしものであることは額の傷がはっきりさせていた。だがしかし、分かつ子供が誰であるかは……確定はできなんだ。無論、君が一番有力な候補であったことは認めよう」
「しかしその日、ハグリッドが教えてくれた。──君は自ら『セストラルの杖』を選んだのだと」
「──!」
「これもセストラルの尾毛を杖芯としておる。セストラルの杖を操れるのは死を受け入れられる魔法使いのみ──この杖がどのような伝説を持つかは、君ならば知っておろう」
死んだ手でニワトコの杖を撫でるダンブルドアにそっとうなずく。
「そして君はわしの渇望すらも見透かした。一年生の君がわしを前に『死の秘宝』を口にしたその時、わしは確信したのじゃ。──死に寄り添い、死を抱く運命にあるのはこの子じゃと」
なつかしそうにブルーアイが細まる。シワを深くして慈愛を浮かべる。同情と呼ぶにはあまりに愛が染み着いていた。彼は愛を知る人だ。
「のう、マリア──それでもわしを許すか?」
「許します」
迷いなんてあるわけがなかった。
「僕はあなたを信じています。──最期まで、
戦いを決意したその日から──ダンブルドアは罪を受け入れてきたのだ。
「すべては大いなる善のため、なんですよね。ダンブルドア先生。そしてあなたはこうおっしゃる。ハリーに。あなたが死のために育てたハリーに。──『真実。それは美しく恐ろしいもの』」
ダンブルドアは瞠目すると、それからやわらかく微笑んだ。
「ほんとうに大切な時になると、あなたはいないんだ」
「……手厳しいのう」
ダンブルドアは泣かなかった。許さないでくれと泣いた人はもういなかった。きっと、シリウスと同じように持っていってしまうのだ。大切にくるんで呑み込んでしまったのだ。
残さぬ人と、残ったものと──どちらが残酷なのか僕にはわかりそうになかった。
「ダンブルドア────私はあなたの共犯者だ」
僕の腕に留まったフォークスがクルルと鳴いた。