ハリーがとうとうスラグホーンから記憶を引き出すことに成功した。アラゴグと面識がないためにアラゴグの葬式に参列できないのではないかという僕の杞憂はなんとアンソニーが払ってくれた。情報通のアンソニーが、ハグリッドがペットを喪って落ち込んでいると僕へリークしてくれたのだ。本人いわく「マリアと話すための話題探しに必死なだけ」だそうだが、間違いなく彼の趣味だとにらんでいる。彼には学者よりも記者が向いてそうだ。
アンソニーからの情報をもとに、フェリックス・フェリシスを飲ませたハリーを送り出す。翌日には最後のリドルの記憶を得て達成感に満ちたハリーが見られた。ダンブルドアも余生を使った大詰めへと入ったところだろう。妨害もなくなって、奇妙なほど準備は順調だった。
「結局、ダンブルドアが裏でなにをしているのかはわからずじまいなんだけどね」
「君の秘密主義には慣れたものだが、あのご老人も相当だ」
「なんたってダンブルドア仕込みだもの」
相変わらずダンブルドア嫌いを募らせているドラコに頬をつねってみる。つねり返された。僕たちはすっかり平和ボケしていた。
「キャビネットは絶対に使えないんだ。ホグワーツの落城をほんの少しくらいは先伸ばしできたと信じたいところだ」
「スネイプ教授の辛労もこれで報われるといいが」
「そうだね。あの人、自分から背負っちゃうところがあるし」
「それは君に言えたことじゃない」
「言えてる」
クックと肩を揺らせる。この不気味な平穏に甘えてはいけない。いつだって悲劇は幸福の裏にひそんでいるのだから。
アステリアを操るものと、セオドールの思惑と、もしかしたらすべてに繋がっているかもしれないオーグリーの存在と。まだ何一つだって解明できていない。
ダンブルドアの死が刻一刻と近付いていた。
***
「弟はどうした」
「えっ」
思いもよらない声に立ち呆けてしまった。先に立つその人もどことなく所在なげに見えた。吸い込むような闇色の瞳は疲れを滲ませ揺れていた。
「スネイプ先生」
まさかあなたが──
彼とこれほどはっきりと一対一で言葉を交わすのはペンダントの件以来だった。
「ハリーならクィディッチの練習ですが……なにかご用ですか? 呼んできましょうか」
「必要ない。……君が一人でいるのは珍しいと思っただけだ」
「はあ」
当然、会話は続かない。僕はともかくこの人は口を開けば嫌味嫌味の厭世家だ。誰かを騙すための話術はダブルスパイをこなせるほどに巧みだというのに、どこまでも芯が不器用な人だった。
呼び止めておきながらさっさと歩き出してしまったスネイプ先生の背を見つめていれば、再びローブが静止した。
「……弟が大切か」
「もちろんです」
真っ黒の背中に向かってうなずく。
「……君は、もしも弟をうしなったならば──」
「────」
ああ──そうか。この人は知ってしまったのか。ハリーの行く末を。
ダンブルドアの『準備』はそれほどまでに進んでいた。
「先生」
一歩を踏み出そうとした。足は動かなかった。
「先生────僕は知っています」
スネイプが振り返った。
「ちゃんと知っています」
スネイプは────怒っていた。
「そのためにあの人は君を────ダンブルドアは君までもを兵隊にしようとしている!」
「先生」
「私は生徒を守るよう言い付かった。そこに君が含まれていないのはなぜだ? なぜあの人は──」
「先生」
動揺し、激怒し、自分勝手に感情をぶつける優しい人に懸命に微笑む。
「先生、もうおわかりでしょう。──僕はただの子供じゃない」
「────」
「私はあなたが守るべき子供ではない」
せめて僕だけでもあなたの傷だらけの手の中から抜け出したいのだ。その手を外から繋ぎたいと思うのだ。……きっと、あなたは嫌がるでしょうけど。
ハリーがあなたが生きるための枷であるならば、僕はあなたの痛みを奪う存在でありたい。傲慢に、尊大に、残酷でありたい。
「スネイプ先生」
「──いいや」
スネイプ先生は感情の見えない眼差しで反吐でも吐くように告げた。
「君は子供だ」
「先生……」
「君はリリー・エヴァンズの子供だ!!」
衝撃だった。稲妻に打たれるとはこの事かと頭の片隅が呟いた。スネイプはいまや重苦しい髪も振り払って閉ざしてきた心をあらわにしていた。
「お前の中身がなんであろうと知ったことではない。化け物だってかまうものか。それをリリーが愛したなら──我が子だと慈しんだなら──お前は何者でもなくマリア・ポッターなのだ。こんなこともわからない愚鈍が、子供でないなどとどの口が言うか!」
「…………」
「私は──彼女が守ったものを守らねばならないのだ──!」
一歩を踏み出そうとした。足は動いた。
「スネイプ先生」
逃げようとする手を掴む。届いた。今度こそ──僕の手は届く。
「先生────はじめて、呼んでくれましたね」
「は──」
「そうです。僕はマリアだ。あなたが心から愛するリリー母さんと心から憎むジェームズ・ポッターの子供だ。……やっと、映った」
真っ黒の瞳の中にマリアは存在していた。何度だって僕はそこにいた。
「あなたは僕の手で死にたいと言った。絶対に許せないと思った。もしかして優しいリリーなら叶えてくれましたか? けれど、駄目なんだ。だって僕はマリアだから。リリーでもジェームズでもなく、リリーとジェームズの子供のマリアだから、あなたに同情なんてぜったいにしてやらないんだ。僕はあなたを必ず生かしてみせる」
同情とか、後悔とか、そんな湿っぽい感情じゃない。ただ僕は許せなかっただけだ。僕の瞳を見て、その先にいる人を見つめて、それで満足したあなたに。勝ち逃げをしたあなたに。
シリウスにもダンブルドアにもない純粋な怒りが僕を動かしていた。
「どうせ嫌われるなら──僕のしつこさを思い知るといい。セブルス・スネイプ」
スネイプはハシバミ色を眺めて子供みたいに目を丸くしていた。そして嫌味っぽく笑った。
「やはり貴様にドレスは似合わん」