──セオドールが動いた。通信紙に浮かんだ文字に僕は衝動的に飛び出していた。談話室のハリーとロンとハーマイオニーの手をすり抜けてグリフィンドール塔を駆け下りる。夜も夜だ。頭に叩き込んでいる城の抜け道を使って城外へと降りる。
青草をしげらせる校庭とその向こう──禁じられた森の影を背負ってドラコとセオドールはにらみ合っていた。否、セオドールは落ち着いた様子だった。
「ドラコ!」
「ガールフレンド付きとは、隅に置けないな。ドラコ」
「お前のことなら絶えず監視していた。──今になってなんの真似だ?」
ドラコの杖はセオドールをまっすぐに指していた。対してセオドールは丸腰同然だ。余裕たっぷりに笑む彼は、影を我が物におそろしく不気味だった。
「今日でホグワーツは終わるということさ」
「……デルフィーニが関わっているのか?」
思わずうなった僕にセオドールがパチリと幼げにまばたきをした。────え?
「デルフィーニと言ったか? 君は今、その人をオーグリーでなくデルフィーニと呼んだのか? ──マリア・ポッター、やはり君はイレギュラーだ」
セオドールからかき消すように笑みが消えた。それだけでぞっと闇がせまった。
「お前はいったいなにを知っている?」
「同じ言葉を返させてもらうよ、セオドール。マルフォイの真似をして、君はなにをたくらんでいる?」
「……そこまで知ってるのか」
ドラコに並んで、僕の杖もセオドールに向かっていた。二本の杖先を向けられてなお、セオドールは抵抗も撤退も見せずに立っていた。
「僕は──未来の僕に会ったんだ」
「……は?」
杖はそのままに、すっとぼけるような声がこぼれてしまった。セオドールは場違いにも軽やかに笑って続けた。
「タイム・ターナーだよ。そのくらいは想像つくだろう?」
「でも──タイム・ターナーは──自分自身に決して見られてはならない」
「それを律儀に守る僕だとでも? 君はスリザリンというものを知らないらしい」
とうとう杖を取り出して、指揮でもするように杖先が揺らされる。セオドールの声は今や一帯唯一の音となっていた。
「元々祖父の代から我が家がタイム・ターナーに注目していることは知ってたからね。試作品で過去へやってきたという未来の僕は僕だけが知るちょっとした失敗だとか隠しものの場所だとかを見事当てて見せた。外見だって父によく似ていた。一時間も話せば疑念はすっかりなくなった」
「そして未来の僕は帰ってしまうまでの三時間のあいだに、僕にくり返した。──マルフォイの栄光をお前こそが手に入れるのだと。お前がサソリ王を作るのだと」
「────!!」
サソリ王。スコーピウスが垣間見たもうひとりのスコーピウスの名前。
知るわけがない。ノットがそれを知るわけがない──『僕たち』のたどった未来のノットならば!
彼に接触したのはデルフィーニではなかった。デルフィーニはこの世界にいない。
ヴォルデモートが支配する世界のノットこそが、彼自身を操ったのだ。
「これが、二年生へ上がる前の夏休みでの出来事だ。それっきり、彼が僕の前へと現れることはなかったけど──彼は十分に情報を残してくれた」
「マルフォイはシーカーであったこと。マルフォイはハリー・ポッターのライバルだったこと。マルフォイがスリザリンのリーダーだったこと。マルフォイは尋問官を務めることによってアンブリッジとのパイプを作ったこと。そして────マルフォイこそが死喰い人をホグワーツへ引き入れた
「しびれたとも。かならず成り代わってやろうと決めた。その上、どうだ。いざお前は──マルフォイはまるで歴史をたどっていない! 僕が魔法法執行部の部長となることも、ホグワーツの理事へ就くのも、もはや時間の問題だと思った! だというのに────お前がいた。マリア・ポッター」
セオドールの杖が僕へと向いた。彼の瞳は禁じられた森の猛獣を思わせる危険な輝きに満ちていた。
「未来の僕はハリー・ポッターに双子がいるだなんてありえないと言った。ハリー・ポッターは最終決戦のそのとき間違いなく天涯孤独で──ゆえにぶざまに血を絶やして死んだのだと。────お前はなんだ?」
杖を突き付け合ったまま、僕は沈黙に徹した。
マリア・ポッターがなんなのか。────そんなのは、僕がもっとも知りたいんだ。
ふと、ドラコが独り言にも似た響きで声を落とした。
「……僕を執拗に狙っていたのは、マルフォイが邪魔になったからか」
「ああ、そうだよ。君を殺した手柄を土産に、この腕に闇の印を刻んでいただこうと考えていたんだ」
「それに────お前はアステリアを利用したのか」
ドラコは静かな怒りをたたえていた。
ドラコにとって、セオドールの演説なんかはどうでもいい。御託など一文句も咀嚼してやる必要はない。ただ、この男が最愛を危険にさらした──それだけが重要で重罪だった。
「ああ……アステリア・グリーングラスか。彼女は未来でマルフォイの妻となるそうだし──言っただろう?
「アステリアに毒を含めと言ったのか」
蛇足は必要ないとばかりに怒れる人は畳み掛ける。彼のこんなにも純度の高い氷の目を見たのははじめてだった。
「まさか。君に届けろと命じたんだ。────馬鹿な女だ」
ドラコの杖がセオドールの喉を潰していた。
「──ッだめだ、ドラコ!」
「お前のようなものにッ──!」
「ドラコッ! ────ドラコ・マルフォイ!!」
追ってドラコの手を掴んだことによってかすかに拘束がゆるむ。ほんの一瞬、気道をふさがれたセオドールは地面を背に土に濡れながら酸素を求めてあえいだ。
「…………ポッター」
「これでは殺しかねない。君にそれは重荷だろう。結局のところ、死喰い人がホグワーツに侵入するなんてことはどだい不可能なのだ。君だってわかっているだろう。このままダンブルドアへと突き出そう」
「だが、ポッター」
「マルフォイ」
闇を呑み込んで暗いブルーグレーとなった瞳を見つめる。
アステリアに祈る彼を知っている。懇願し恐怖する姿を知っている。その背中をひとたび見てしまえば──どれほどドラコがセオドールを憎んでいるかは想像に難くない。それでも。
ドラコ・マルフォイに人は殺せない。
──ふ、ふ、ふ。笑い声だった。ドラコの手の下で、セオドールが笑っていた。
「なんだ……?」
「不可能──そうだ、不可能だとも。ダンブルドアは今ホグワーツにいない。言っただろう──ホグワーツは終わりだと」
地面に引き倒された状態でセオドールが指を天へと突き上げる。見上げる。星空は暗雲におおわれ今にも泣き出しそうに広がっている。
「うそだ」
ホグワーツ城の天辺を髑髏が飾っていた。