声がする。
──血は止まりましたが、痕が残るでしょうね。かわいそうに。ただでさえ傷だらけなのに。こんなにも大きく……女の子なのに。
声がする。
──服従の呪文にかかっていたならば真実薬を使用したところで彼女に自覚はないわけですから……
──スネイプは優秀な魔法使いです。記憶の改竄くらいはお手のものでしょう。
声がする。
──ごめん。マリア……ごめん。ごめん。僕のせいで……目を覚まして。お願いだから。
──生きてくれとは言ったけど……生きていれば大怪我を許すわけではないんだよ。そういうところ、君はお転婆すぎて困っちゃうよ。
──まったく、少し目を離しただけで死にそうになるんだもの。……これだから、みんなあなたに夢中になっちゃうのね。セドリックもそうだったんでしょう。
声がする。
──あたし、許さないわ。あの男を許さない。あたしの姉さんをここまで傷付けた人を許さない。
──君がいないとハーマイオニーが泣くんだ。……早く起きろよ。
声がする。
──いつまで経っても英雄癖が抜けないんだな。……ハリーは。
声がする。
「──好きでそうしてるんじゃないよ」
「ようやく眠り姫のお目覚めだ」
おどけて皮肉たっぷりに僕の眉間を撫でる男を睨み上げた。それだけで体のいたるところが軋んだ。見慣れた天井だ。それから、こちらも見慣れた綺麗な顔だ。目立った怪我もなさそうだ。今日も憎たらしく冷笑の似合う吸血鬼の顔色だ。
「……だれか死んだ?」
「誰も死んでない。ウィーズリーのところの何番目かが顔に勲章を刻んだくらいだ」
「ああ、うん。男前になっただろうね。元から男前だし」
ビルを思い出してぼんやりと笑む。今回もフラーは豪快にビルへの愛を示してモリー母さんを唸らせたことだろう。たぶん……トンクスも。
「ダンブルドアは」
「あと数日で葬儀が執り行われる。ニワトコの杖と共に彼は眠る。──闘いからイチ抜けだ」
「ずるいね」
「まったくだ」
うつらと霞み掛かった頭のまま相槌を打つ。スネイプは結局、ニワトコの杖を拾いはしなかったのだ。……ほんとう、下手くそな悪役だ。
「──不死鳥は」
「……美しい歌声だったよ」
それだけで彼が去ったことを知る。不死鳥はダンブルドアと共にホグワーツを去った。……どうか、再び、美しい彼と相見えられることを願うしか僕にはできない。
「ハリーはどうしてる?」
「君が一番の重症だ。とっくに普段の生活に戻ってる」
鼻で笑ったドラコに、筋肉も骨も皮膚もすべてが熱を持って悲鳴をあげている気のする体を起こす。ドラコはのんきに僕への見舞い品らしき林檎を手慰みにして遊んでいた。
「マリア」
「うん」
林檎がベッドの上へと転がる。
「──がんばったな」
「────」
胸をせり上がる。喉元までやってくる。唇を噛む。紙よりも薄っぺらな理性がそれを阻む。
「よくがんばったな、ハリー」
ふ──息が震える。だから、息すらも停めた。全身が強ばって抵抗なんてできるはずもなかった。
トクリと──生きている音がする。ずるい体温が背を撫でる。
「…………ドラコ」
「なんだ、ハリー」
「ドラコ……っ」
いたかったはずなのに。苦しかったはずなのに。この一瞬だけ体が痛覚を放棄したみたいに、僕は加減なくドラコを抱きしめていた。
「ドラコ……ドラコ……」
「ああ」
「ドラコ……僕、がんばったんだ」
「知ってるとも」
「ずっと、がんばってるんだ」
「誰よりも知ってる」
「ほんとうは、くじけそうで──ほんとうは、あきらめそうで」
「そうか」
「でも、いやなんだ。それって、死ぬのと一緒だ。僕は死にたくない」
「誰だって死にたくはない」
「こんな──なにも得られないで、なにも残せないで──死にたくない!」
僕を刻んで、マリアを刻んで、たくさんの傷にしてやりたい。マリアの傷痕を世界の奥底まで刻み込んでやりたい。
愛する人たちの────永遠の傷になりたい。
「くやしい──ゆるせない──なにも成せないまま、死んでやるもんか!」
「マリア」
「僕は──だから──」
「マリア」
マリアは泣いた。みっともなく泣いた。大嫌いだった男の胸にすがって泣いた。一度は僕自身の手で傷だらけにした男にしがみついて。泣きわめいた。悔しくて泣いた。
死にたいわけないんだ。──こんなにも、僕たちは生きているのに。
ダンブルドアの葬儀が執り行われる。朝食のため集められた大広間の生徒たちは喪服に身を包んだまま沈痛として、その中にセオドール・ノットの姿はなかった。それから──グリーングラス姉妹もだ。
各寮監と今や校長となったマクゴナガル先生に連れられ生徒たちが向かう先は湖だ。ダンブルドアの眠る白亜の大理石台は夏の日差しをまんべんなく浴びて狂おしいほどに美しかった。その日は世界が祝福する光にあふれていた。
参列者の中にホッグズ・ヘッドのバーテンダー──アバーフォース・ダンブルドアを見つけて思わず見つめた。たった一人の肉親が弔いの炎に包まれゆくさまを老人はひとたびも目をそらすことなく見ていた。僕が見つめるアバーフォースはアルバス・ダンブルドアを最後まで見つめていた。
──不死鳥がどこかで甲高く泣いた。
葬儀が終われば生徒たちはホグワーツ特急に乗って即座に家族の元へと帰されることとなっている。当然、僕たちも養い親に逆戻りしたダーズリーの元へと一時的に身を寄せる必要がある。
ロンとハーマイオニーは監督生のため、ハリーと二人きりのコンパートメントで眠るハリーを撫でる。
ハリーはこれから親友たちと共に分霊箱を探す過酷な旅へと出るのだろう。ハリーが手にすべき分霊箱はあとひとつ──それまで、僕にできるのは。
「子守唄にはなりそうもないけど」
そういえば今年のプレゼントはなかったな。意味もなく呟きながら黄金のオルゴールを開いた。つぎはぎのクリスマスソングが二人だけのコンパートメント内を泳ぐ。ハリーが歌って、ロンにパスして、ハーマイオニー、ジニーが続いて、ルーナにネビル、アステリア────シリウス。
ハリーを撫でながら愛しい人たちの声に耳を澄ませる。
……ああ、うん。そうか。知ってたよ。
「……あれ?」
「まだ寝てていいよ」
寝ぼけまなこに身を起こしたハリーにクスクス笑う。片手で歌い終わったオルゴールを閉じる。眼鏡は眠るハリーから僕が外しておいたのに気付かないでツルを上げる仕草をするハリーにさらに肩まで使って笑う。
「マリアだけ?」
「うん?」
「今──────ドラコの声がした気がしたんだけど」
オルゴールを小箱にしまってから、僕は膝にあるハリーの目をふさいだ。
「気のせいだよ」