マリポタシリーズ   作:椎名@大体pixivにいる

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 炎に熱された薪が暖炉の中で弾けた。鉄格子にキラキラと火の粉が降りかかるさまは、暖色基調の室内に一際彩りを加えていた。見ているだけで芯から暖まる光景だ。この場所は、僕にとって団らんの象徴だった。たとえば──指名手配中だっていうのに、あなたが顔を出したこともあったんだ。

 

 

「ハリー?」

 

「こっちに来いよ」

 

 

 ソファにて、毛布を膝にかけ、その上に拳ほどの厚さのある本を開いたハーマイオニーが眠たげに面を上げる。近くのサイドテーブルでは、チェス盤を覗いていたロンが暴れるナイトをつまんで僕へ指人形劇よろしく振って見せる。

 ──不思議と、ホグワーツの談話室でくつろぐ二人はとっくに大人の姿でいた。ロンは、アーサーお義父さんそっくりに薄くなり始めた赤毛を補うみたいに髭を生やしているし、ハーマイオニーは、依然強い意志を持った瞳に抗えない老いからの疲れを見せ始めていた。それでも、本来の年齢からすれば彼女は十分に若々しく見えるのだけど。

 ──不思議と、このときの僕は『不思議』を不思議だと感じなかった。

 

 

「ずいぶんお疲れの様子じゃないか、兄弟。わかるとも、ジニーのケツは重いもんな」

 

「茶化さないで、ロン。ハリー、あなた、ほんとうに顔色が悪いわ。悩み事でもあるの?」

 

 

 二人が当然とばかりに空けてくれていたソファのスペースへと身を滑らせる。この空気、この時間、この声──なつかしい。

 ──なつかしい? なんだって、二人のことを私がなつかしく思わなくてはならないのか。この場所に懐古の痛みは、不釣り合いだ。

 

 

「ううん、そうだね……そう……私は──」

 

「いいや、わかるぞ。みなまで言うな、ハリー。親友たるこの僕が、天下のハリー・ポッターの悩みの種を当ててみせようじゃないか。──ズバリ、アルバスのこと! ンン、やんちゃ坊主のジムのほうか? ああ、これだ! お転婆お姫様がとうとう恋人を連れてきた、とか。どうだい? ん? ちがう? ならばこれしかあるまいな──夫婦の秘密のアレコレさ」

 

「ロン!」

 

「いいかい、義弟よ……ジニーのむっつり不満にはすべてイエスで答えるのが夫婦円満のコツだぜ」

 

「ロン。茶化すなと、私は先ほど言いましたよ」

 

「ウッ──やめてくれよ、ハニー。母さんの口真似をするのは。君ってば、最近ますますソックリになっていくんだから。特に目元が」

 

「ええ、ええ、お望み通りにね!」

 

「…………ふ、ハハッ」

 

 

 堪えきれず、背を丸めて笑った。お調子者のロンと、しっかり者のハーマイオニー。いくつになっても変わらない親友夫妻の軽快なやり取りに、張っていた神経のすべてがやわんでいく。安堵する。彼らの声で、彼らの姿で、腹の底にたまっていた澱みが溶けてなくなる気がした。ずっとずっと抱えて背負って掴んでくるんで呑み込んでいた重みを、今だけは手放せる気がした。

 

 

「年というのは取りたくないものだな」

 

「オオイ、それはいくらなんでもジジ臭いぜ、ハリー。僕たち、こんなにもエネルギッシュな若者だってのに」

 

「お役所勤めと自営業のちがいでしょうね。若者気取りの中年さん」

 

「君までそんなことを……これだから頭のお固い仕事人間は」

 

 

 ぼやくロンへハーマイオニーとタッグを組んで胡乱な目を向けてみる。ロンは唇をとがらせながら髭を掻いていた。ふてくされた彼の肘が盤上のポーンへと当たり、ポーンが悲鳴を上げながら地面に転がっていった。それにまた吹き出して笑った。

 

 

「すこしは気分転換になれたみたいね」

 

「子育てってのは大変だもんなあ。しみじみ思うよ。七人も面倒を見るなんて、正気の沙汰じゃない。うちのローズなんか、最近は特に生意気で家にいると二人のハーマイオニーに小言を聞かされてるみたいなんだ」

 

「あら、ローズはとってもいい子よ。ヒューゴのことだってよく見てくれてるわ」

 

「ヒューゴは姉さんがこわくて逆らえないだけさ」

 

 

 学生時代のハーマイオニーを思い出し、栗毛のハーマイオニーを赤毛にしたみたいなローズを脳裏に浮かべてナルホドとうなずく。不思議だ。学生の頃のハーマイオニーをこんなにも容易に思い出せるだなんて。もちろん、ロンのことも。

 

 

「それで、ハリー。いったいなにに悩んでいたの? ほんとうに子育てのこと?」

 

「────」

 

 

 ふと、向けられた二人の視線に声がつまった。あってはならない違和感。ハリー・ポッターならば持つはずのない疑問。ドクリと心臓が嫌な痛みをともない軋んだ。

 私の子供たちは────どこにいるのだろう。

 

 

「……ちがう。ちがうんだ。私は──」

 

 

 うつむいて、無意識に額を撫でていた。つるりとしていて──指には赤い髪が絡まった。

 

 

「とても、大切なことを──私にできることを、しなくてはならない。準備を万全にしなくてはいけない。それは私にしかできない。けれども──私には足りない」

 

 

 いつだって三人で歩んできた。英雄ともてはやされたハリー・ポッター。ひとりでヴォルデモートを打ち倒した正義の人。魔法界の希望。孤独に奮闘した悲劇の男の子。──そんなわけはない。私には常に最高の友がいた。

 

 

「知識が足りない。力が足りない。発想が足りない。結局のところ、私は永遠に未熟だ」

 

 

 ひとりで立てたわけじゃない。ひとりで杖を振るったわけじゃない。ひとりでは英雄譚は完成しない。ハリー・ポッターの物語は完結しない。

 

 

「君たちの力が必要なんだ」

 

 

 家族の顔をはっきりと思い出せない──気付きたくない事実から逃げるように、目の前の相棒たちへとすがった。二人は、意味を含んで顔を見合わせると、子供みたいに悪戯っぽく僕を見た。

 

 

「なーんだ。ようやく、一緒に逃げてくれ、て泣きついたと思ったのに。──君を連れて、高跳びの準備は万端だったのにな」

 

「望むわけがないのよね、ハリーが。ほぉんと、そういうところ、私たちの親友は憎らしいわね」

 

 

 クスクスと大好きな顔が笑い合う。そこに非難の色はない。同情もない。──軽蔑も、二人はしてくれない。なぜなら、ロン・ウィーズリーは、ハーマイオニー・グレンジャーは、そんなハリー・ポッターを理解し愛しているのだから。

 

 

「あなたはそちらを選ぶのね、ハリー」

 

「その選択、ぶっちゃけ、めちゃくちゃキツイと思うぜ。正直、薄情だとも思う」

 

 

 責めるような口調で、その実、すべてを許している青の瞳と茶色の瞳に言葉を失う。ハリー・ポッターの理解者たちは、いつだってハリー・ポッターに厳しいのだ。ロンが肯定し、ハーマイオニーが否定する。そうして、三人の友情は堅固に成り立つ。ロンの共に逃げてやるという言葉はいたって本気だし──ハーマイオニーの、そうはしないというハリーへの信頼もまた、本物だ。

 ああ、私は────きっと、いつか、選んだことを後悔する。それでもいい。それでいいんだ。愛する親友たちを──切り捨てた証なのだから。

 

 

「それで、私たちはなにをすればいいのかしら?」

 

「今から図書室へ行って、片っ端から禁書でもあさろうか。解読は君に任せるよ、ハニー」

 

「最初から他人任せを宣言しないでくださる? ダーリン」

 

 

 日常の延長でしかない顔でとぼける二人に、深く息を吐く。心を落ち着けて、期待の眼差しで返答を待つ親友たちへと計画について打ち明ける。

 

 

「──つまり、ダンブルドアの術に応用を利かせたいってわけね」

 

 

 はじめは好奇心から、存外子供っぽく閉じた本の表紙を指で叩いていたハーマイオニーの眉間に、戸惑いのシワが刻まれた。彼女の反応は至極正常だ。無茶をしようとしている自覚は、私とてあるのだ。片耳で話を聞いていたロンは、再びチェス盤に乗った駒たちを混ぜながら目を閉じていた。これからハーマイオニーが理路整然と私を詰めるだろうことがわかっている顔だった。

 

 

「ハリー、いいこと? それって、いちから術を作るに等しい行為なのよ。その上、あなたが望むのは一つじゃない。複数形。はっきり言って、ただでさえ複雑な魔法を同時展開した上に用が済むまで維持し続けるだなんて、とても魔力が足りるようには思えない。そんなことができるのは──ダンブルドアやスネイプ恩師くらいでしょうね。そして偉大なる先生方はもうおられない」

 

 

 不純物ひとつない正論だ。ゆえに耳に痛い。反論の余地を与えられるわけもなく、才女の弁に沈黙するしかない。ならば──次に口を開くのはもう一人の親友だ。

 

 

「でも、できなくはないんだろう? とりあえず、一つ目から潰していこうよ。ええと──年齢線(・・・)だっけ。まさか、魔法大臣が知識で過去の人間に劣るなんてことは──君に限ってはありえない」

 

 

 ロンの指がわめくナイトをはじいて一手進めた。夫の迷い一つない断定に、じんわりとハーマイオニーの耳が赤らんだ。見せつけられてしまった。コホン、ウィーズリー夫人の照れ隠しの咳払いに、ひょろ長い背が圧し殺した笑い声と共に揺れる。ロンの指は新たに次の駒を定めていた。

 

 

「……いいわ。ともかく、出来るところから方法を考えるとしましょう。さいわい──時間はたっぷりとある(・・・・・・・・・・)のだし」

 

 

 それから、ハーマイオニーの言葉通り、談話室にゆったりとした時間が流れた。ロンは依然とチェス盤をにらんでいたし、ハーマイオニーは様々な本をとっかえひっかえしては研究者よろしく羊皮紙をインクで埋めていた。こうではない、そうでもないと呟きながら羽ペンを走らせるハーマイオニーと、黙考して駒をつまむロンは真逆の姿勢にありながらも息ピッタリに見えた。

 親友たちの慣れた姿を眺めながら、はぜる薪の音を耳だけで数えてみる。

 この時間が永久に続けばいい────そう、願わずにはいられなかった。

 

 カラン。黒のキングが落ちて、チェス盤に白だけが残る。チェックメイトを打った男はつぶやく。

 

 

「思ったんだけど──これって、ようはまとめてしまえばいい話なんじゃないか? できないかい、ハーマイオニー?」

 

 

 忙しなく動いていた羽ペンが机上へと置かれる。茶色い瞳は隠しきれない期待で真ん丸に夫を見ていた。

 

 

「どういうこと?」

 

「だからさ、ネックになるのは複数展開にハリーの身がもたないかもしれないって点なわけで──年齢線(・・・)と、拡大(・・)と、守りの呪文(・・・・・)、これらすべてをまとめて新しく一つの魔法として作り直すんだ」

 

 

 シン──無音の間を、一際大きな破裂音が間抜けに裂いた。ロンの右頬を熱のオレンジが照らして、彼の名状しがたい表情をくっきりと影と灯りに浮かばせていた。

 

 

「……えーと、僕、今、もしかしてめちゃくちゃ言った?」

 

「ええ。めちゃくちゃよ。とんでもなく頭の悪い愚策よ。──そして、やっぱりあなたって閃きだけは天才!」

 

 

 衝撃に弾かれ、羽ペンが宙を舞う。ハーマイオニーが立ち上がると同時に机を叩いたからだ。インクを残したペン先が羊皮紙の上に落ちて、無惨なシミを作る。だがしかし、彼女の目にそれらは映らない。もう必要ない。

 

 

「いいわ、その線でいきましょう。任せてちょうだい、ハリー。私、ぜったいに力になるわ」

 

 

 イキイキと目を輝かせた才女が談話室を飛び出していく。行き先など決まっている。彼女が知識欲に頬を緩ませながら廊下を走るだなんて、目的はひとつしかない。──図書室だ。

 残された男たちは、やっぱり間抜けな相づちじみた炎の音に包まれながら呆然とするのだった。

 

 

「……やっぱり、君って案外、参謀が向いてるよ」

 

「それ、ほんとうに褒めてくれてる?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 お目当ての資料を限界まで抱えて戻ってきたハーマイオニーによる、問答無用・付け焼き刃スパルタ特訓が始まった。いつかの三大魔法学校対抗試合だったり、DAの訓練だったりを思い出すような精力的な時間だった。楽しくないわけがない。中年三人が集まって、年甲斐もなくはしゃいだ。

 

 

「ちがうわ、ハリー。振りはこう。あなた、ただでさえ杖なしのハンデ付きなんだから、失敗したらそんな痩せっぽっちの身体なんてひとたまりもないわよ」

 

「ほんとうにガリガリのチビになっちまったよなあ、君。ジニーが見たら、発狂しながら家中の食料かき集めて君に食わせてるところだぜ。せっかくそんな──ま、それはいいけどさ」

 

 

 ふと、ロンが備えつきの壁時計を見上げた。いつのまにか、針は長短共に真上を指そうとしていた。あれ……時計、動いてたっけ?

 

 

「──そろそろ時間かしら。目を覚まさなくちゃね(・・・・・・・・・・)、ハリー。あなたを待つ人がいるのだから」

 

「────」

 

 

 これで最後よ。得意気にツンと顎をそらして、ハーマイオニーが杖を振る。ぶつ切りの呪文が光を放ちながらキャビネットに向かって円をえがく。光が地に落ち、模様じみた文字をかたどる。彼女お得意のルーンが床へ刻まれる。

 

 

「見ててごらんなさい。こんなにも簡単なんだから。──なんて、強がりはバレバレかしら」

 

 

 文字と文字を結び、縮小し、一つの線へと変えれば創作魔法は成功だ。術を杖のひと払いで解いたハーマイオニーは、どことなく泣き出しそうな顔で微笑んだ。けれども、彼女は泣かなかった。

 僕一人では実用へたどり着くことすら不可能な魔法だ。これはロンとハーマイオニーがいたから完成した魔法なのだ。──ここからは、たったひとりで形にしなければならない。

 

 

「ありがとう。ロン、ハーマイオニー」

 

「どういたしまして」

 

「お安いご用さ、親友」

 

 

 親しんだ彼と彼女より、ずっと大きな腕がまとめて僕を包む。僕の、華奢で小さな体を抱き締めてくれる。変わらないのに──こんなにも違う。

 

 

「ひとつだけ、聞かせて。これは、全部、僕の頭の中で起こってること?」

 

 

 ロンは、ハーマイオニーは、揺るぎない友愛を寂寥の色でほんの少しかげらせながら答えた。

 

 

「もちろん、君の頭の中で起こってることさ。ハリー」

 

 

 時計が時間切れを音にして訴える。惜しい。彼らが惜しい。愛おしい。後悔してしまいそうだ。選んだことを。この場所を捨て去ることを。躊躇ってしまいそうだ。

 ずっとずっと、永遠に、あたたかな夢に三人ぼっちで停滞していたい。逃げ出したい。まどろんで、瞳を閉じてしまいたい。だって、二人は僕が望めば必ず、この手を取ってくれるのだから。

 ────だから、僕は選んだ。

 

 大きなハーマイオニーが頬に頬をすり寄せる。大きなロンが僕の肩を引き寄せて、髪をぐしゃぐしゃに掻き回してしまう。それにハーマイオニーがキッと目を吊り上げて、結局あきらめて笑っている。僕だけの親友たち。大好きな人たち。ハリー・ポッターに、必要な人たち。

 たっぷりと抱擁を交わして、二人の手は離れる。

 

 

「でも、悔しいわね。とっても悔しい。あなたの頭の中でしか、私たち、なぁんにもできないんだもの。私たちのお株をドラコに取られちゃったわ。彼のことだもの──ざまあみろ、なんて笑ってるにちがいないわね」

 

「その顔が容易に浮かんでくる、てのがこれまた悔しい」

 

 

 いい大人だっていうのに悪ガキの顔で悪態つくロンに、子供みたいに大口を開けて笑った。談話室の出入り口から風が吹き込んだ。扉は開いていた。

 

 

「どうか、ジニーを──私の子供たちを、頼むよ」

 

「ええ」「任せろ」

 

 

 歩き出す。目覚める。きっと、一番に見るのは行き止まりみたいな薄暗い天井だ。それから────あいつの憎たらしい顔。

 

 

「それじゃあ────さようなら、親友」

 

「「さようなら、親友(ハリー)」」

 

 

 明日も会おう。そんな気軽さで手を振って、愛しい熱に背を向ける。声が聞こえる。だから、振り向かずに駆け出す。寒々しい明かりに目を細める。

 

 

 ──赤毛もとっても似合ってるわ。

 

 ──ついでに、ハシバミ色の瞳もな。

 

 

 さようなら、マリア(ハリー)

 

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