赤い髪がなびく。首もとをくすぐって、肩を流れていく。おそらく、あの人ほど綺麗な髪ではないけれど──そして、愛するジニーのようでもないけれど、一瞬くらいならば『彼』の動揺を誘えるだろう。
彼にとって、
「ごめん、母さん。どうか、そちらについたら叱ってよ」
黒い背中。痛々しくて、世界中の罪でも背負っているかのような──身勝手な愛の重さにつぶれた背中。
懸命に、かつての記憶で見たあの人の声を思い出す。
「────セブ」
「────」
振り返った瞳に借り物の杖を突きつけた。
「ステューピファイ!」
「──プロテゴ!」
あっさりと閃光は弾かれた。失敗だ。うん──成功するなんて、ほんとうは欠片も思っちゃいなかった。
杖を下ろして、セブルス・スネイプへと悪意をもって微笑む。やさしく、やさしく、その人を理想にする。これは悪意だ。だって、僕はわかってるんだ──リリー・エヴァンズの姿が、彼にどれほどの痛みを与えるか。
「さすがね、セブ。不意打ちには慣れてる、てところかしら」
「父親そっくりの悪趣味だな、ポッター」
「なんだ、騙されたフリすらもしてくれないんですか?」
ふわふわと耳を触っていた髪を払いのける。ついでに、ラベンダーから借りた女生徒用の制服を手慰みに整えたりしてみる。
無言で僕を見下ろすスネイプ先生の形相は、これまでにないほど歪んでいた。
「僕がホグワーツにいること、いつ、気付いたんですか」
「我輩が手を加えた傷薬を向こう見ずの愚か者どもに配っていただろう。あれは我輩のみが知るアレンジレシピだ」
「ああ、そうか……プリンスの教科書を使ったのは失敗だったか」
彼から拝借していた魔法薬材の備蓄が一向に減らなかった理由にも、これで説明がついた。あえて調整していたのだ、この男は。
礼を口にしたところで素直に認めやしないことはわかりきっているため、微笑むだけにとどめる。スネイプ先生の眉間のシワがさらに深まった。
「何用だ、ポッター。なぜ今さら出てきた。そのまま、コソコソ隠れ回って惨めに震えていればいいものを」
「あなたを説得したくて」
「ほほう。説得とやらのために無い知恵をしぼった結果が
「そうかもしれません。だって、ほら、この姿なら──泣き落としくらいはできるかもしれないでしょう?」
ぐっとスネイプ先生が押し黙る。僕の緑の眼を見ながら物言いたげに唇を震わせている。しかし、言葉はない。
清々しく失敗だ。駄目で元々なんだ。
「僕の手で倒されてくれませんか、スネイプ先生」
「……ポッター」
「少しの間──かならず、決着はつきますから──そのあいだ、あなたを捕らえていたい」
「──ホグワーツが戦場になるのか」
「はい」
迷わず肯定する。たぶん、もう、一日もない。ハッフルパフのカップが予定通りに盗み出されたならば、それがヴォルデモートの契機となるはずだ。ヴォルデモートが──ハリーに気づく。
「ハリーは勝ちます」
宣言する。希望でも予言でもない。そう──歴史は歩みを定めている。
「この戦争は、ハリーが勝ちます。だから──」
だから、すべてが終わるまであなたに安全な場所にいてほしい────とは、続けられなかった。彼が怒るとわかっているからだ。子供が親に失態をごまかすときのような、そんな情けないためらいだった。
「ミスポッター、出来るとまるで思っていないことを口にすべきではない。不愉快なだけだ」
スネイプはうなずかないと理解していながらまごつく僕に、スネイプ先生はあくまでも厳しかった。
知ってるとも。わかっているとも。ダンブルドアから生徒を託されたこの人が、校舎たるホグワーツが戦場になると知ってますます僕の手を取るはずはないと。僕という卑怯ものを彼は選んではくれない。
だから。
「これは警告です。『あの人』は必ずあなたに接触します。──蛇に、気を付けて」
僕だって勝手をしよう。身勝手なあなたを見習って──僕のために、僕が僕の心を救うために、あなたを救ってみせる。偽善を押し付けてやる。
「ポッター」
無意味なリリーの容姿を解いてから彼へと背を向ければ、スネイプ先生はほとんどささやくような声で僕を呼び止めた。
「──傷は、痛むか」
自然と、杖を持たない手は胸に刻まれた痕を撫でていた。
「はい。とってもいたいです」
この痛みは────死の先まで僕が持っていく。
***
「ハリー!」「マリア!」
予想していたとはいえ、扉を開いてすぐ目に入った片割れの姿にひっしと抱きしめ合う。貝殻の家ではそれどころでなかったから、改めてハリーのボロボロっぷりを目の当たりにして心が強烈に痛んだ。
「ほぼ一年ぶりとなると、君たちのその恋人同然のスキンシップにも感慨深いものがあるね」
「なにを言ってるんだい、シェーマス」
「僕らは血の繋がった兄弟だよ? 恋人なわけないよ」
「そうよ。いくらマリアでもあたし、ハリーを取られたらどっちに嫉妬するべきか悩んじゃうわ」
「僕も困るな。兄弟にまるで勝てる気がしない」
ジニーとドラコから寄越された茶々にどっと笑いが起きる。レジスタンス本部はすっかり人であふれ返っていた。ジニー含め、ウィーズリーの兄弟たちが決戦の予感に駆け付けてくれたのだ。さらには、卒業したはずのチョウ・チャンやOBの何人かも、杖を手にハリーへと微笑んでいた。在校生卒業生関係なく、みなが志を一つに立ち向かう意志を固めていた。
感動にうち震えるハリーの背をたたく。
「おかえり、ハリー」
「ただいま、マリア」
ロンへと手を伸ばす。
「おかえり、ロン」
「ン──ただいま、マリア」
ハーマイオニーの抱擁を受け止める。
「おかえり、ハーマイオニー」
「ええ──ええ、ただいま! マリア」
彼が、見ている。
「おかえり────ドラコ」
「ただいま。僕のマリア」