爆発音。
キャアアアッ! 手前にいた女の子が頭を抱えてしゃがみこむ。城が揺れる。誰かの怒声が響く。────戦争が始まった。
とっさに窓を探して、この部屋にそんなものはないのだと歯を食いしばりながら目の前へと向き直る。まだ──まだ、中にまでは入られていないはず。だがしかし、このままでは。
「マリア、まだなの!?」
「もうすこし──あとすこし──文字が円にさえなれば──」
「廊下はもう満員だぜ!? もしもこの状態で押し入られたりしたら──ほんとうに完成するのかよ、それ!」
「する!! ぜったいに!」
二人の怒声に怒声で返しながら、はじめから術式を組み直す。何度も何度も『僕』の親友たちと確認して完成させた魔法だ。成功しないはずがないんだ。
キャビネット以外のガラクタは隅へと追いやられ、一度に十人は通れるだろう大扉を前に試行錯誤する。
「なにが足りない……なにが……」
「ポッター!」
「マクゴナガル先生……」
「敷地の全てにバリケードを築きました。しかし、それをもってしても三十分が限界です。それまでに……まだ終わらないのですか?」
マクゴナガル先生の失望が混じった声色に唇を噛んだ。ふがいない。情けない。みっともない。あれほどの大口を叩いておいて。このままでは──このままでは────
涙をためて弟らしき下級生を抱き締める少女と目があった。
──だめだ! 不安になるな。弱気になるな。顔に出すな。大人が揺れればそれはかならず子供へと伝染する。ウソだっていい。無理やりだっていいから──
「間に合います!」
笑え!!
「完成は見えているんです。間に合わせます。一人だって死なせません。ダンブルドアの名に誓って」
「マリア……」
もう一度。深呼吸する。焦ってはいけない。丁寧に──慎重に──思い出せ、親友の声を。彼女の杖使いを。
「スリサズ、ライド、ゲボ──」
扉へ向かって杖なしで唱える僕にマクゴナガル先生が瞠目した。今さらだ。これは総力戦なのだから。もう、出し惜しみはなしだ。
「──フサルク・ルーンですね」
宙へ浮かび、いずれ地面へと刻まれる三文字を眺めて、ポツリとマクゴナガル先生がこぼした。
「あなた方の中で古代ルーン語の教科を取っていたのは……」
眼鏡の向こうの怜悧な瞳がハーマイオニーを捉える。
「なるほど。『危険回避』に『移動』、『ギフト』ですか。それらをまぜこぜにして、一つの術式へと昇華させることで術者への負荷を最小限にしたのですね。実に見事です。そして──まったくもってとんでもない! とんでもなくリスキーな創作魔法ですよ、これは! もしも失敗状態で過って発動したりなんてすれば、あなたの中身ごと吹っ飛びます! 慎重な彼女の思い付きとはとても思えませんから──ええ、とんでもなく突拍子もない発想をする子が側にいたのでしょう」
女史の目は次にロンを見ていた。マクゴナガル先生に見つめられる二人はまったくわけがわからないと顔に書いていた。……一目で見抜くなんて、やっぱりいくつになっても敵わないな、先生方には。
「さて、ミスポッター。ところでそれは最終的にどのような形になるのですか」
どことなく先生から知識欲としての好奇心が見えて、それが難題を前にしたときのハーマイオニーにそっくりなものだから、なんだか吹き出してしまいそうになった。
「円になります。字と字が結び付いて、形を変えて……」
しかし、ルーン文字は目の前で拡散する。結び付かない。何度こころみてもここで失敗する。どうして──ッ
「──ウィルドが足りないのでは?」
「え?」
「ブランク・ルーン。空白ですよ。文字ではありません。ウィルドをはさむことで他のルーンへの強調になります。正規のルーン魔術でしたらそこまでは含みませんが──本来は
バチッと。頭の中に稲妻が走った。
「──『省略』!!」
そうだ。僕のハーマイオニーは文字と文字を結びつけて、そして縮小していた。結び目には空白があった。『空白』という意味があったのだ!
「それだ──先生、ありがとうございます! ほんとうにありがとう!」
「ま、まあ……ふふ」
思わずマクゴナガル先生へと両手を使って手を取れば、老魔女はまるで少女のようにやわらかくはにかんだ。
できる──完成する──間に合う──!
「スリサズ、ライド、ゲボ──あいだにウィルド、縮小──円をかたどれ────扉よ開け!」
キャビネットの扉は────開いた。
ワァァァ! 歓声が上がる。我先にと駆け出そうとする子供たちを制して一年生から通らせていく。
「みんなを無事に渡し終えるまで、僕はここから離れられない。術者の僕が離れてしまえば扉はしまる。──僕と子供たちを、どうか守り抜いてほしい」
「「「もちろん!」」」
頼もしい顔つきが三つ、笑顔を乗せてうなずいた。
「先生、ありがとうございます」
「紐解いてしまえば実に簡単なロジックでした、ポッター」
「ええ、あなたにとってはそうかもしれません。一生かけても、僕は勉強不足のままだ」
「たとえ杖なし魔法を習得し得たとしても──ヒトである限り、我々は常に勉強不足です」
先生の含みを持たせた厳しい言葉に空笑う。ハーマイオニーが瞳を輝かせながらマクゴナガル先生を見上げた。
「わたし、マクゴナガル先生がルーンにもお詳しいだなんて知りませんでした。これだけ博識でいらっしゃるのに、どうしてレイブンクローの寮監をされなかったんですか?」
胸を張って。背筋を伸ばして。誇りに眼鏡をかけた鼻を高々と上げて。老魔女は悠然と微笑んだ。
「それはきっと、あなたがグリフィンドールを選んだ理由と同じでしょう」
***
さあ、次の十人も通ってくれ──! 張り上げた声に、ニッコリと笑顔で返した顔は二つだけだった。ジニーとルーナだ。その後ろには誰もいなかった。
「あたしたちで最後。──完璧よ、マリア」
「うん。かっこよかったよ。マリアのおかげでみーんな助けられたもン」
「ジニー……ルーナ……」
少女たちが労いを込めて僕を抱きしめてくれる。ホグワーツに残る最後の子供として、キャビネットへ足をかけて、振り返る。
「マリア──あたし、さよならは言わないわ。また会えるもの。そうでしょう?」
「ジニー」
きゅっと、胸の奥が締めつけられ僕に別れの痛みを思い出させた。脳へ、魂へ焼き付けるように彼女を見つめた。ジネブラ・ウィーズリーはあふれるほど美しかった。
「……さようなら、ジニー。愛してる」
「ええ。あたしも愛してる、あたしのマリア姉さん。──また、ね」
すれ違う別れの挨拶を最後に、戸を閉める。キャビネットを封じる。『また』、はないんだ、ジニー。これで──もう──
「────待て」
どうしていないんだ。────ハリーたちは、どこへいった。
迷いなく忍びの地図を取り出し広げた。あちらこちらに知った名前が飛び散らかり、ホグワーツ城内の様子はとても見られたものじゃなかった。──そう、城内は。
城の外。初代悪戯仕掛人でなければまず地図へ書き込んだりはしないだろう、外れにある屋敷へと目を移す。三つの名前が固まって動いている。よく知る三人の名前だ。そして、その先──
セブルス・スネイプと『トム・リドル』が向かい合っていた。
走る。走る。走る。炎が上がっている。閃光が頬をかすめていく。肖像画が吠え、巨人が足を踏み鳴らして、悪魔の罠が人食い蜘蛛を絡め獲る。空を埋め尽くすほどの吸魂鬼を数多もの守護霊がなぎ払う。ピーブスがシャンデリアを落として回っては雄叫びをあげている。誰かが倒れていた。飛び越えた。誰かが死んでいた。──飛び越えた。
走る。走る。走る。走る。走る。──────セブルス・スネイプは、涙の筋を残して目を閉じようとしていた。
「だめだッ!!」
ハリーを突き飛ばして、懸命に彼の首の傷をおさえた。
「だめだ、死んじゃだめだ、ぜったいにだめだ! そんなの許さない──許すもんか! もうアンタに勝ち逃げなんかさせるもんか!」
「マリア……?」
「いやだ、ちゃんと生きろ、生きてくれよ! 僕、言えてないんだ──まだ、あなたにお礼を言えてない! うらんでやるぞ、ここで死んだりなんかしたら、地獄まで追いかけてやる! しつこく食らい付いてやるからな!」
「マリ──」
「行きましょう、ハリー」
「でも、」
「行くのよ!」
足音が遠ざかっていく。どうでもよかった。そんなことはどうでもいい。弱々しくも男の心臓の音は確かにここにあるのだから。間に合う。引き上げられる。今度こそ、暗闇からあなたを。
どうか────約束を守ってくれ、ダンブルドア。
「────」
歌だ。
すべての人間が武器を手から落としてしまうような。
争うことを忘れさせてしまうような。
歌。
いつかで少年の心を震わせた歌だ。
愛する主人の追悼をうたった歌だ。
愛と────別れの歌。
フォークスが、涙を流しながらスネイプの傍へと降り立っていた。────その、かたわらには。
「……君が、つれてきてくれたのか? ────ヘドウィグ」
愛しくてやわらかくてなつかしい真っ白な相棒が、愛らしくホウ、と鳴いた。
奇跡だ。これは奇跡だ。一度は絆を断ち切った君が──運命を導いてくれた。
ヘドウィグが見守る中、無垢な瞳を僕へと向けるフォークスに懇願する。
「フォークス。君の主人に忠実だった、哀れなこのひとのために──泣いてくれ」
ほろりほろりとフォークスの涙がスネイプの傷口を撫でていく。清めていく。不死の鳥は今にも消え入ろうとしている男のため、命を分け与えんと泣いている。死んでいた色が──生者の色へと戻っていく。
どうしようもなく頬が緩むのをおさえられなかった。笑っていた。清々しかった。だって──やっと──
「あなたが死にたいと願った僕の手で、あなたを生かしてやる。それが──僕を置いて、僕が持つべきだったものを抱えて勝手に死んだアンタへの、復讐だ」
大嫌いなひとへ、一矢を報いられたのだから。
懐から通信紙を取り出す。文字が浮かんでいる。『約束は守ったぞ』
荒々しい字だ。きっと彼は書き置き次第、こんなボロ紙なんて破り捨ててしまったにちがいない。──僕も、もう、いらない。
ふと、彼の唇が動いた気がした。たぶん、空耳だ。風の音だとか、ヘドウィグの羽ずれの音だとか────あなたが僕をマリアと呼ぶなんて。……ぜったいに、空耳だ。
ダンブルドアは泣かなかった。許さないでくれと泣いた人はもういなかった。きっと、シリウスと同じように持っていってしまうのだ。大切にくるんで呑み込んでしまったのだ。
残さぬ人と、残ったものと──どちらが残酷なのか僕にはわかりそうになかった。
「ダンブルドア先生、僕はあなたの言う通りにします。あなたへ忠実であります。だから、どうか──あなたも僕にください。『約束』を」
ふむ。続きをうながすダンブルドアの瞳はどこまでも優しかった。澄んだブルーだ。未練を断ち切る瞳だ。──死へと向かう、透明な美しさ。
「フォークスを、しかるべき時に僕に喚ばせてほしいんです」
己の名を呼ばれたフォークスがふるりと首を回した。ふわふわと尾毛が振れて風にあおられる炎のようだった。
「しかるべき時に、僕が死ねるように──それが、未練とならないように」
ブルーの輝きと見つめ合う。ロンにはない冷たさと深みがある。そして、もはや分かち合うもののいない痛みがそこには刻まれていた。
「もちろん、君が校長室へとやってきたとき、わしもフォークスもいつだって君を歓迎しよう。──じゃがしかし、そのときにはどうやらわしは君と話せる状態にはないようじゃのう」
自然と、僕の目線の先はダンブルドアの死んだ腕へと移動していた。心得ているとばかりに、ダンブルドアは己の腕を撫でた。
「さて、耄碌した爺ゆえ正確性に欠ける点については目を瞑ってもらいたいところじゃが──我が家にはちと面白い言い伝えがあっての。我が一族の窮地にはどこからともなく不死鳥が現れるだとかいうものじゃ。もしかすると、遠い遠いご先祖様が不死鳥の雛へとちょいとばかしピーナツなんかを分けてやってたりするのかもしれんのう」
茶目っ気たっぷりに笑うダンブルドアにつられたように、フォークスが飛び上がった。ダンブルドアの生きた腕へと留まって、無垢に僕を見た。
「きっと──わしの弟が優しい我が共犯者どのの願いを叶えよう」
腕を差し出す。炎が舞い上がる。
「ダンブルドア────私はあなたの共犯者だ」
僕の腕に留まったフォークスがクルルと鳴いた。