夜明けを前にして大戦は一時休戦へと入った。一時間──たった一時間だけの猶予だ。ヴォルデモートはそのあいだにハリーへと自ら禁じられた森に来るよう要求した。
スネイプをどうにか整えた寝床へ寝かせながら、僕はその声を遠くで聴いていた。
「ヘドウィグ、彼のことを見ていてくれるかい? ……ありがとう。フォークスも──ありがとう。もしよければこのまま一緒に──いや、約束はこの一回きりだ。君は自由だ」
僕の肩へと留まり、とさかの部分で頬をくすぐってから炎の鳥は飛び立った。もう彼がホグワーツへ戻ってくることはないだろう──どうしてかそう、直感的に理解した。
スネイプの呼吸を再三確認してからホグワーツ城へと戻る。大広間は冷えきっていた。声が冷えていた。体温が冷えていた。友人と、家族と、恋人との別れがそこにあった。────人が死んでいた。
「……ジョージ」
「マリア」
寝かされたフレッドの傍へ膝をつくジョージを見下ろす。フレッドは……フレッドは────?
「……もしかして、生きてる?」
「ああ──ああ! もちろんフレッドは生きてる。目を覚まさないけど──生きてるんだ! 俺の兄弟たちはみんな生きてる!」
この騒ぎにも目を開かない、ジョージそっくりの顔へと触れる。冷たい。けれど、死人の冷たさではない。──フレッドは生きている!
「どうして……」
「フレッドのやつ、調子に乗ってたんだ。何人かの死喰い人を倒して、俺たち、できるぜって──特攻仕掛けて、危うく死にかけた。聞いたこともない呪いと死の呪文が飛んできた。そこを────マッドアイに救われた」
「────」
少し見回しただけで──見付けた。マッドアイの遺体はルーピン先生の隣へと並んでいた。そして、さらにその隣には。
「どうして──彼女は──アンドロメダさんと一緒にいるはずじゃ──」
「……ジニーとルーナが向こうへ行った。だから、ルーピンを追って二人の代わりに参戦したらしい」
「そんなことって──子供がいるのに! 小さなテディがいるのに! また──二人揃ってだなんて!」
たまらなくなって、並んで眠る静寂の三人へと声を張り上げた。さめざめしい広間に僕の怒声が反響した。肩をいからせ激情する僕をおさえたのはビルだった。
「三人とも勇敢だった。勇敢に戦い抜いた」
「勇敢──すべては勇敢なる名誉の死だって──? 手を叩いて讃えるべきだって、そう言いたいのか」
「いいや──大バカ野郎だと、言ってやれ」
拳を握って、身を抱える。こぼれてしまった。こんなちっぽけで痩せっぽっちな二本の腕だけじゃ、どうあってもすべての命を拾い上げるだなんてことは不可能だ。わかっているのに。わかっていたのに。どうしようもなく────
その形が正しいことに、僕はもう気が付いている。
「……ハリーは」
「そういえば見掛けないな……まさか?」
「僕、さがしてくる」
「マリア!」
ビルの腕もジョージの視線も振り切って歩き出す。ハリーがどこにいるのか、僕は知っている。
もう、わかっているだろう。──そのときが来たのだと。しかるべき時が来たのだと。
「マリア」
森へ差し掛かった頃だった。その声は怒りに満ちていた。
アンソニー・ゴールドスタインはいつだって浮かべていた剽軽な笑みすらも掻き消してそこに立っていた。
「どうして、君が行くんだ」
「そうしなければならないからだ」
「呼ばれているのはハリー・ポッターだ。君はハリーじゃない」
「…………」
「マリア」
振り返って、正面から彼へと向き直る。誠実な瞳だった。まぶしく純真な想いだった。──なんてものを、マリアは彼から受け取ってしまったのだろう。ひどいじゃないか。恋心なんて──僕にはどうあっても返しようがないのに。
「それでも、僕は行かなくてはならない」
「……止めても無駄ってこと?」
「きっとね」
「マルフォイでも?」
「間違いなく」
アンソニーが静かに杖を下ろす。彼は笑った。きっと次には泣いてしまう。そんな顔で。
「まいったな……めちゃくちゃに言ってやりたいのに。そのつもりだったのに。無理矢理だって連れ去りたいのに──死にに向かってしまう君すらも、僕は好きでたまらないみたいだ」
「アンソニー……」
「返事を、聞かせてもらえないか。もう一度」
一歩。踏みしめる。ごまかしは許されない。目をそらしてはいけない。向き合って、呑み込んで──どうせ裏切るなら、最期まで残酷であるべきだ。
「僕は君が好きだよ。アンソニー。だけど、君のそれと同じ感情ではない」
「ああ」
「君に魅力がないだとかじゃない。君ってかなり最高だよ。友人として側にいてくれる君はほんとうに素晴らしかったし、とてもいい人だった。僕はほんとうに君が好きだ。君との時間は楽しかった。ただ──僕の心はとっくに『彼女』のものだったというだけの話なんだ」
「……彼女?」
そして、告げる。大きな秘密。大きな過ちだ。どこかの誰かはそれを呪いと言ったし、どこかの誰かはそれを生き様と言った。
「僕は、男として──ジニー・ウィーズリーを愛している」
アンソニーのきれいで真っ直ぐな目が開かれていった。
「一度も自分の性を女性だと思ったことはない。ずっと──男として生きていたんだ」
永遠にも思える沈黙だった。アンソニーはじっと僕を見つめて、うつむいて、呼吸をして、自分の手を見て、それから────解放された顔をした。
苦々しくて、苦しそうで──それでも、本心からこぼれたのだと云わんばかりの笑顔だった。
「なんだ、そうか──マルフォイは君が男だと知っていた?」
「最初から。自分が自分であると知ったその時から」
「そうか──そうか」
くしゃりと。ゆがむ。彼は笑っている────彼は泣いていた。
「それは、敵わないや」
背を向ける。僕は進まなくてはならない。彼を置き去りにしなくてはいけない。彼の記憶の中のマリア・ポッターがこれから先もどこまでも残酷な存在であれるように。
「ねえ、マリア──それでも、僕の恋心は君の冥土の土産くらいにはなれるかな」
僕は答えなかった。──僕に君のすべては、もったいない。
「──それで? 次は君かい? ────ドラコ」
足を止める。思えば、僕らっていつも待ち伏せをしたりされたりの仲だった。もちろん、相手をこらしめてやるためにだ。
「ハリー」
姿を現したドラコは、戦火を駆け抜けてきたに相応しいみすぼらしい様でいた。服はところどころ擦りきれ、血がいたるところに滲んでいた。綺麗な顔にはアザがあったし、髪はざんばらに、どうやら燃えたような痕跡すら見えた。背中ほどまで伸ばしていたのが仇になったのかもしれない。……残念だ、君の髪は光みたいで綺麗なのに。
「ハリー、君、死ぬのか」
男が問う。あの日と同じ声だ。あの日と同じ瞳だ。あの日と同じ────君だ。
やっぱり、君に泣かれるのは苦手だ。
「答え合わせをしようか、マルフォイ。──この世界は、なんなの」
近付く。ドラコは逃げない。臆病者のくせに。とんでもなく卑怯なことをしたくせに。
泣いて逃げ出してしまえばいいのに。そうすれば、僕だって君のことを見なくて済むのに。
「あんなに優しい死の呪文は、はじめて聞いた」
手を取った。僕の杖がそこにあった。
彼が向ける杖先を、僕は知っている。彼の緑の輝きを、僕は知っている。────なぜなら。
「『