指先から命が零れていくようだった。実際は腹からだろうし、胸からだろうし、頭からだ。それから口や鼻もそうかもしれない。どうにか杖無し魔法で痛みだけを取り除いて、呼吸を取り戻す。治療は無意味だ。わかる。あの優しい死の感覚を私は知っている。彼に撫でられる心地を識っている。白いキングス・クロス駅で私を待つ人がいる。
死ぬなあ、これ。なんて。ずいぶんと呆気なかった。英雄だとか散々持ち上げられた男の最期がこれだ。……まぁ、悪くない。そんな気がする。ひとりぼっちで私は終わる。
「ハリー、君、死ぬのか」
──ひとりで終わる、はずだった。かわいそうに。君の登場だ。きっとそうだと思ったのだ。君って時々──ものすごく運がない。
元々青い肌が真っ蒼で、見ていていっそ死にかけの私よりも死にそうな顔をして、男が私の傍へと膝を着く。
「そのようだ」
答えれば、ほろりと彼から一粒の雫が降り落ちた。なんてことだ────ドラコ・マルフォイが、ハリー・ポッターの死を惜しんで泣いているのだ!
なんたる喜劇! これにはマーリンだって杖を放り捨てて一目散に箒で逃げ出すだろう。ああ、まったく──死の際になんてものを見せてくれるのだ。笑うに笑えないじゃないか。
「いっていいよ、ドラコ。君一人ならここからだって抜け出せるだろう。呪いに詳しい君だ。それがいいことなのか悪いことなのかは……判別できないけどね」
「ハリー」
「なんなら、護身用に私の杖も持っていくといい。死体は回収できずとも、家族への形見くらいにはなれるだろう」
「ハリー」
「私を置いて────君は生きるといい」
「ハリー」
──やっぱり、君に泣かれるのは苦手だ。いつもは冷たい色をしてるくせに。こんな時は氷が溶けるみたい。
ぼろぼろとアイスブルーから零れる涙が私の顔面を叩く。どことなくあたたかい気がする。生きた人の温度だ。
ドラコの杖が側に転がる。私の血に濡れていく。
「こんなところで死ぬのか、君」
「そうだ」
「英雄のくせに」
「英雄だって死ぬさ」
「ハリー・ポッターのくせに」
「ハリー・ポッターはいつだって死の縁にいるものだ」
「私の英雄が、私を置いて死ぬのか」
「私は君の英雄だったのか? それは──情けないところばかり見せて申し訳ないね。これで終わりだから許してくれよ」
笑えば、ドラコはシワが刻まれたってキザったらしい顔を子供みたいにぐしゃぐしゃにして呻いた。ほんとうに子供のようだった。十一歳のマルフォイがそこにいる気がした。
「マルフォイ」
「ポッター」
「困るよ。そんな顔をしないでくれ。君は──君だけは、ハリー・ポッターのライバルでいてくれないと」
「ポッター、僕は」
「マルフォイ──だめだ」
「……最低だ。ポッターのくせに」
「傲慢のポッターだからね」
どうにか感覚が死んだままの手を伸ばす。マルフォイの白い頬が私の血によって色を着ける。真っ白のマルフォイが赤くなる。
「──もしも、死者に会えるとするなら──君なら、どうする」
「この期に及んでイイ質問じゃないか」
「答えろ」
滑稽なくらい必死なマルフォイへ、悪戯混じりに彼の首を絞めてみた。血の輪が浮かび上がって、私とマルフォイを繋ぐ首輪が完成した。
「そうだね、それは──会いたいよ。会いたいけれど──私が死ぬということだ」
「その通りだ」
私の血で肌を汚して、私の血を先から滴らせるサンザシの杖を持って、マルフォイは立ち上がった。
「君の命を────私にくれないか」
「──はは、」
杖先が私へと向く。私の血が私へと落ちる。
「こんなところで君が無為に死ぬのは堪えられない。許せない。ならば、私のために死んでくれ。その命を僕に使い果たせ、英雄」
「誰に会いたいんだ?」
「アステリアだ。君を犠牲にして、私は彼女を取り戻す」
「スコーピウスをおいてけぼりにして?」
「スコーピウスはとっくに大人だ。もう大人の──親の手を必要とする子供ではない。なにより──あの子にはアルバス・ポッターがいる」
「…………」
「私は必要ない」
「マルフォイ」
「君を────僕に殺させてくれ」
ああ──どうやらもう、頭に回せるだけの血が私には残っていないようだ。
苦々しそうな君が。悔しくてたまらなさそうな君が。
君の殺害予告が────愛の告白に聞こえるんだ。
「いいよ。もしも私への情が欠片だって絡んでいたりしたら、この場でなにがなんでも君のことを殺してやろうかと思ったけど──ただ君のために、君の欲のためだけに僕がほしいというのなら、やるよ」
「ポッター」
「ヴォルデモートだって成し得られなかった英雄殺しの
両腕でマルフォイの首へと絡み付く。私の血で染まった地面に二人で転がる。マルフォイの杖が緑の光を灯す。
「ハリー・ポッター、悔いはないか」
「勿論あるとも。家族に別れを告げられなかったし、ロンとハーマイオニーが物凄く落ち込むだろうこともわかってるし──ああそうだ、リリーのウェディングドレス姿は見られたけど、アルバスがちっとも結婚しそうにないところも心配だ。いっそあの子は君のスコーピウスと結婚するんじゃないか」
「馬鹿を言うな。この期に及んで」
「この期に及んだからさ。けれど、ああ──いいんだ。どうせ死んでしまうなら──」
血にまみれて、一刻一刻と命を流しながら男と笑う。
「そうだなあ──ほんのちょっと、抱え続けてきた後悔がある」
「言ってみろ」
「デルフィーニのことだ。彼女を見て、彼女の存在を知って、愚かな私は思ってしまったんだ────『あの子』を救えれば、なにかはもう少しだけ違ったかもしれないのに、と」
「…………」
「彼女から父親を奪ったのは、私だ」
抱き締められた。人生の半分を掛けていがみ合った男の胸は、私と同じリズムで鼓動を刻んでいた。ドラコ・マルフォイは生きていた。──生きているのに。
「駅でトム・リドルを置き去りしない僕だって、在れたかもしれないのに」
マルフォイの祈る瞳が私の眼鏡の奥を覗く。熱っぽくて、氷が溶けきっていて、たぶんそこには理解してはならない感情がひっそりと息をしている。
どちらもがそれを得てはいけない。私がハリー・ポッターである限り。君がドラコ・マルフォイである限り。
「やり直そうか」
「一緒に?」
「一緒に。──君と出会う日から。君と握手できなかった日から。君と僕をやり直そう。互いの願いと互いの命を礎にして、私がここに世界を創り上げる」
「それはとんでもない」
笑う。
「ダンブルドアもびっくりの大魔法だ。君はこの後も平然と生きられるだろうに、一つの願いのために私と心中するって?」
嗤う。
「いいね、馬鹿らしい最期だ。英雄にこれほど相応しい死に様はない。──ならば、君へのさよならは必要ないかな?」
「親友たちにでも言っておけ」
彼が泣いている。とても綺麗だ。だから、嘲笑ってやろう。彼の死の言葉が愛に聞こえてしまわないうちに。
優しい呪いが私を奪う。私の瞳にそっくりの緑が私を焼く。ドラコ・マルフォイにとらわれていく。
そして。
「──夏の、蠍座の話なんか、どうかな」
僕らは出会い直した。
完結しましたのでこちらは一週間後にお気に入りユーザー限定公開へと移行します。
pixivは今後も通常通り公開されます。後書き等もpixivにて。