狸だ。
ふぉふぉふぉ、なんてわざとらしい笑い声を白髭にこもらせている老人を前に思う。いつの時代も、この人だけは変わらない。煙のような人だ。
「ダン──ブル、ドア……ほんとうに……?」
「さよう。未来のお客人にも名が通っていようとは……実に光栄じゃ。長生きはするものじゃのう」
「言ってろ。あと百年は悠々と生きるぜ、このじいさん」
「シリウス! ダンブルドア先生に失礼でしょう!」
ぎゃんぎゃんとシリウスを叱り付けている母の声を背に、ご老人を引き連れる原因となったらしい男を見上げる。ジェームズ・ポッターは長年のクィデッチで作り上げたのだろう細身ながらにしっかりとした体躯を縮こませ、むくれていた。
「この顔で『宝物は無事に見つかったようじゃのう?』なんて言われたら、誤魔化せるわけないだろ。狸ジジイめ」
まるでちゃちな悪事を暴かれた子供そのものだ。もう誰も彼もが成人済みの最高学年生だというのに、ダンブルドアの手にかかれば子犬子猫も同然だった。はからずも父とダンブルドアへの心証が重なってしまい、血は争えないと改めて思わされた。──さて、ハリーは。
「────」
……ああ、駄目だ。頼れる我が兄上は完全にフリーズしていた。しかたない。
「ハリー・ポッター君、そしてマリア・ポッター嬢、で間違いないかね」
「はい」
ハリーに代わって答える。元々、この人の目から逃げ続けられるとは思っていなかった。もしもそんな芸当を可能とする物があるのなら──それは透明マントと名付けられているにちがいない。
ダンブルドアが物言わせぬ目配せを両親とその友人たちへと送る。暗に退室を促された大人たちは渋りながらも重々と偉大なる魔法使いに従った。
いざ、ダンブルドアへとただ二人だけで対峙する。元々は一人きりだった僕だ。これは、きっと、幸運だ。
「君たちはなぜ未来から
「わかりません」
「心当たりは?」
「まったく」
素直に答える。ダンブルドアは、ふむ……と依然微笑みながらうなずくと、ハリーを見た。
「君たちは、これからどうしたいかね」
ハリーの手を引く。ダンブルドアの目の先をなぞるように、ハリーを見る。
「ハリー、どうしたい?」
「マリア……」
「君が決めるんだ」
──
「僕──もうすこし、見ていたい」
声は細く落ちた。
「父さんと、母さん。シリウス。ルーピン。……ペティグリュー。──そして、あなたのことも」
緑の眼差しと星のようなブルーが結び合う。それはほんの一秒のようにも、あるいは何十倍もの時間にも感じられた。彼らの
「いくつか、条件がある」
「はい」
緊張のまま堅くうなずく。
「まず、君たちが過ごした日々はいずれ消える。君たちのご両親の記憶からもじゃ」
「────」
息を詰めた。それは、つまり──僕が
「そして、ただひとつの質問に答えてほしい。たったひとつだけじゃ」
「……はい」
いつの間にか、ハリーを握っていたはずの手はハリーに握り返されていた。ダンブルドアはじっとハリーの稲妻の痕を見つめた。叡智の青はそこから未来の情報を読み取ろうとするかのようだった。
「──わしは、死ぬか」
答える。ハリーが答える。迷いは許されず、葛藤も逃避も猶予も与えられない。
「死にます」
再びの、間。──ダンブルドアはやがて、大きく息を吐いた。次の瞬間には、僕らがよく知る好々爺の顔へと戻っていた。
「よかろう。では、そうじゃな──────マリア、エヴァンズを名乗ってみる気はないかのう」
それが実にあっけらかんとした提案なものだから。
「…………は?」
スコンと、寂寥の痛みは開いた口から転がり落ちていた。
***
「──それで、つまり、ええと」
「今この瞬間からマリア・ポッターはマリア・エヴァンズで、あなたの娘ではなく妹になるみたいです」
「…………」
好奇心やら不信感やらの視線に晒されながら、どうどうと向かったグリフィンドール談話室。ダンブルドア直々のお届けに、僕らの帰りをまだかまだかと待ちわびていたらしい両親は肖像画の扉まですっ飛ぶと、僕らを確保して風の速さで自室へ引き入れた。談話室で聞き耳を立てていた寮生のことなどお構いなしだ。
「それって可能なの?」
「可能かどうかなんてどうだっていいのさ! ああ、感謝します、ダンブルドア様……さあ、こっちにおいで。息子で弟のハリー!」
ハリーがむんずとジェームズに奪われていく。既視感。──ああ、ジェームズとアルバスだ。嫌がる弟をからかい倒すときの我が家一番のやんちゃ坊主のさまにそっくりなのだ。ついでに、ジェームズの腕の中でぐったりするハリーもそのままアルバスだ。そして僕の目の前にはリリー。どうしようもなく心がくすぐったくなった。
「けれど、パパとママにどう説明したものかしら……いえ、パパとママだけなら『魔法』だから、で乗りきれる気がするわ。なにも知らないマグルだもの。そう、問題はチュニーよ」
「ああ、あの無愛想な馬面女……」
「ジェームズ!」
リリーの怒りの形相に、ハリーを抱いたままジェームズが肩をすくめる。その後ろでシリウスは笑い、ルーピン先生は眉間を揉んでいる。実に関係図がわかりやすい。ペティグリューはもちろんシリウスの隣でうなずく係だ。
「僕の方はどうにでもなりそうだ。元々、楽観的な人たちだから」
「あなたをこんなふうに育て上げた人たちですものね」
ところどころに憎みきれない様子が見えるかわいらしい嫌味に、ジェームズがくふくふと笑う。その顔は、ロンと一緒に試験前のハーマイオニーから逃げる──悪巧みのハリーにそっくりだった。きっとハリーはマリアにそっくりだ、なんて思っているのかもしれない。わかるとも。僕なのだから。そして──たったひとりの片割れだ。
「その必要はないよ」
両親へと杞憂だと首を振る。──ハリーが答えを見つけ出したそのとき、僕らは彼らの中から永遠に失われる。それが、あるべき姿だ。
「それよりも夕食に行こうよ。すこし事情があって、僕たち、お昼を満足に食べられてないんだ。お腹ぺこぺこだ。ね、ハリー? いいかな────姉さん」
「まあ……! まあ、まあ──まぁぁ! ええ、もちろんよ! あなたたち、リリー姉さんについてらっしゃい!」
わかりやすく張り切るリリーにしてやったりとハリーとほくそ笑む。ポッター家のお姫様、末っ子のリリーも、普段は一番下の子供扱いばかりされるからか、初めて年下の親戚を迎えた際には姉さんぶってそれは甲斐甲斐しく世話を焼いたものだ。下の子に生まれるものの宿命なのかもしれない。
禁じられた森からホグワーツへと移動した朝と同じ布陣で廊下を闊歩する。ジェームズはなんとも王様然としている。シリウスは──王様というより杖を握り澄ませた騎士のようだ。礼儀正しさよりも荒々しさが目立つ。隣のハリーと顔を合わせて、同じ状況なのに透明マントの感触がないことに不思議な心地を覚える。
「おおい、ジェームズ! なんだそのおチビさんは。お前のミニチュアか?」
「ねえ、あれ見て。うふふ、リリーが二人いるわ。かーわいい」
さすがの人望らしく、至るところから両親へと気軽に声がかかる。中には「あのカップルはいつの間に二人も子供をこしらえたんだ?」なんてゲスな野次も雑ざっているが、間違いでもないのでなんとも言えず苦笑う。
当然の流れでグリフィンドール席へと通されて、時代の違う寮生たちから珍獣を見る目付きで遠巻きにされながらの食事は、久々にやらかした日のハリー・ポッターの感覚を思い出した。あの頃は、この程度の視線の矢は当たり前だった。
興味津々にうずいている生徒たちへの説明は明日に切り上げ──そも、ダンブルドアがどのようにして我々をこの時代に組み込む気なのか、現時点ではさっぱりわからないのだ──次の問題は就寝するための寮室だった。
突然増えた二人を受け入れるスペースは、当然新入生たちの部屋にはない。精神の面でも、親元から離れ同年代内にすでにコミュニティーを作り上げている子供たちに、今さら追加要素と
「ハリーは僕のベッドで寝て、マリアはリリーと一緒に寝ればいい。兄弟だもの、緊急措置としてはまずまずだろ? それでいいかい、みんな?」
談話室で待ち伏せていた顔々が笑いを含んでうなずく。この陽気な赤い王様に逆らおうなんて寮生はグリフィンドールには存在しないのだ。良くも悪くもお祭り気質の気のいい輩ばかりなのだから。ジェームズの後ろで、傲岸不遜な親友に仕切られることにすっかり慣れきっている監督生は好きにしろとばかりに肩をすくめていた。
交流もなあなあに慌ただしく就寝時間がせまる。話し足りない様子のジェームズに捕らえられたハリーと別れて、リリーに連れられ女子寮の七年生部屋の一つをくぐる。中には三人の女性がいた。うちの一人はどことなく見覚えがあった。
「待ってたわ、リリー! うわさのおチビさんのことも」
「ねえ、リリー、リリー。あたしたちにそのかわいらしいレディを紹介してはくれないの? あなたの妹だって聞いたわ。ほんとうに、そっくり! 妹がいること、どうしてずっと黙ってたのよ」
「なんてかわいいの! この頃のリリーを思い出すわ。こんな美人姉妹を持てて、さぞご両親も鼻が高いでしょうね。確か、上にお姉さんもいるのではなかった? お姉さんのことは見たことないけど、きっと美人三姉妹ね!」
わっと駆け寄ってきた女性たちにもみくちゃにされる。そろそろ、女として女性から近い距離で接されることは否応なしに慣れたものだけど、やはり心臓にはよくない。こう、その──当たるのだ。色んな箇所に。ふくよかな二つのアレが。
「あなたたち、もっと優しくしてくれないとマリアが潰れちゃうわ! こんなに小さいんだから。くわしい話は明日。たぶん、えっと……ダンブルドア先生からご説明があると思うわ。今日はこのまま寝るの」
「えー」
「えー、ではありません! 監督生命令ですよ」
「ハァイ、マム。……口うるさいお姉さんであなたも大変ね、マリア」
「メリー! 聞こえてるわよ!」
キャッキャと笑い転げながら就寝準備を終えたレディたちが各自のベッドへともぐり込む。実にかしましい。まるでハーマイオニーとラベンダーとパーバティを見るようだ。いつの時代も女の子のパワフルさは変わらない。
「さ、マリア。パジャマに着替えましょう。わたしのお古だけど……洗濯はちゃんとしてあるから問題ないと思うわ。その前にシャワーね。今日はもう遅いから、特別に監督生用のバスを使わせてあげます。みんなにはナイショよ? ほんとうはいけないことなんだから」
いたずらっぽくウィンクを飛ばしてくる母に頬を緩めて笑う。きっと、僕の母さんも──『私』があの日、死にゆく姿を見届けたあの人も、少女時代にはこうして溢れんばかりの愛嬌で周囲を笑顔にさせられる人だったにちがいない。あのまま、あなたの元で、ただのハリーとして育っていれば──親子として、こんなやり取りもあったのかもしれない。
「マリア?」
けれど、僕は
「うん、今行くよ」
駆ける。若い母の背中を追いかける。あり得はしないつかの間を噛み締める。────これを、君は手放せるだろうか。ハリー。