「集まれ、集まれー! 一年生と七年生の決闘だー!」
「エヴァンズの妹だ! エヴァンズの妹が決闘するぞー!」
「介添人はポッターだ! ポッターの弟だー!」
「そぉら、見物だ! 集まれー!!」
「「………………」」
ハリー。マリア。互いに心の中で片割れを呼んで、まったく同じ無表情で見合う。
なぜこんなことに。
──事は飛行訓練の時間に起きた。
***
上がれ、と幼い声が箒を怒鳴り付ける。正面の男の子だ。お願い、かわいい箒ちゃん、言うことをきいて。と猫なで声が懇願する。隣の女の子だ。さっさと箒を手にしていた僕とハリーは、子供たちの声に囲まれながら実に老人じみた気持ちで次の指示を待っていた。
「思い出し玉を持ってる子はいないね」
「マクゴナガルが窓から見てる、なんてこともなさそうだ」
……ついでに、悪戯したくてたまらない憎たらしい顔したスリザリンの男の子も。
口先は軽いが、甲高い騒音にうんざりした様子のハリーの肩を叩く。ついでに絶妙な位置にある頭も撫でておく。ふわふわだ。父さんの髪もこんなかんじなのだろうか。きっとそうだ。後でちょっとだけ触らせてもらおうかな。
「マリア……」
「おや」
さっきまでぎゃんぎゃん喚いていた正面の男の子に今度は睨まれていた。スリザリンの男の子だ。なお箒はいまだ地面に転がったままだ。
「初日なんだから成功しなくたって恥ずかしいことじゃないよ。さ、はやく拾いなよ」
「ッうるさい! 僕に指図するな、色ボケのグリフィンドールのくせに!」
「色ぼ……」
彼の幼稚な暴言が思いの外ショックでうっかりよろめいてしまった。そんな僕の腰を危なげなく抱き留めるのはもちろん我が兄上だ。
「アドバイスしてあげただけなのに嫌われた……やっぱり子供ってよくわからない」
「今は君も僕も子供だよ。そしてあれは惚れた顔だ」
「うそだぁ」
「何年、君の兄さんをやってると思ってるの? 言っておくけど、プライマリースクールの頃からああいう輩はいたからね。もちろんその後も」
「……うそだぁ」
ハリーの無情なささやきを受けてさらに脱力する思いだった。何度子供に巻き戻ったって子供のことはよくわからない。
「ポッター、エヴァンズ、話してる余裕があるのならさっさと続きなさい」
僕らが知るよりも心持ち若いフーチ先生のきびきびした叱責にハッと周囲を見渡す。大半が地上でもたつく中、才能ある何人かはフラフラと空中飛行を始めていた。
「ハリー、行こう」
箒にまたがって地面を蹴りつける。僕らの時代からすれば型落ちの箒だが難なく飛べた。従順だ。ハリーも当然のように僕の隣へと並んだ。
「やっぱりマリア、実はかなり飛行術が得意だよね」
「そりゃあ、君も僕もジェームズ・ポッターの子供だもの」
「聞いたところによれば母さんは箒で飛ぶのが苦手らしいけど」
「それ、言ったのシリウスだろ」
「正解」
肩を寄せあってクスクス笑い合う。穏やか時間だ。
「おっと」
「うーわ」
……自由すぎて、背後への警戒がおろそかになっていたらしい。
「こんなところでまでポッターとデートかい、エヴァンズ。まとめて兄姉とそっくりだな!」
例のスリザリンの男の子だ。さすが蛇。しつこい。
「あのさ、誤解させたなら悪いけど、別に君をからかうつもりじゃなかったんだよ。それにほら、こうして飛べてるじゃないか。おめでとう、スリザリン」
「うるさいうるさい! この僕をバカにするなんて……ぜったいにゆるさないからな! とことん邪魔してやる!」
「…………ハリー、これのどこが?」
「僕からすれば最高にわかりやすいよ。泣けるね」
危ない手付きで僕とハリーのあいだに何度も突進してくる少年をかわしながら進む。隠れて袖の中で杖を握りしめておく。だって、このままだと──
「ぁ!? わ、わ──ウワァァァァァァ!!」
ほらね。
「レビコーパス」
落下する少年を逆さにつり上げて地面まで下ろす。レビコーパスはこの時代に盛んな悪戯呪文だったはずだ。リリー・エヴァンズを姉に持つマリア・エヴァンズならば、たとえ一年生でも知っていてもおかしくない……だろう。たぶん。きっと。もしかしたら。
「怪我はない?」
追って地面に下りてから放心した様子の少年の顔を覗き込めば、涙でうるんだグレーアイがゆるりと僕を見た。……あ。
──似てる、とか。かわいい、とか。思い始めたらそれが末期の証なんだろうな。……この子の髪がプラチナブロンドでなくてよかった。
「これに懲りたら無茶な飛び方は止めるんだよ。次はその手首、折れるからね。そしてポンコツ詐欺教師に骨抜かれちゃったりするから」
「…………」
「返事は?」
ママに叱られて拗ねきったリリー・ルーナを相手にするときのような、そんな感覚で少年の頬を包む。
「へ ん じ」
「…………お、」
「お?」
「おぼえてろよ、バァーーーーーカッ!!」
少年は僕の手を力いっぱい叩き落とすと、ニフラーもびっくりの速さで逃げてしまった。もしくは禁じられた森に放り込まれたマルフォイだ。
「なんだよ。人の顔を、化け物でも見るみたいに。失礼なやつ」
「……ドラコ、苦労するなあ」
ハリーがしみじみと呟いた。
さて、問題はここからだ。マダム・フーチの定めた飛行コースから完全にそれてしまった僕たちは途方にくれていた。遠くから終業チャイムの音まで聞こえてきて、気分はさらに憂鬱だった。だって、減点確定だ。さっそくグリフィンドールから兄弟揃って点を引いたとなったら、親の二人はどんな顔をするだろうか。……案外、父さんのほうが理詰めでこんこんと叱りそうでこわいのだ。
「観念して戻ろうか、ハリー。……ハリー?」
振り返った先、ハリーは呆然と遠くの木を見上げていた。──木に、人が吊られていた。
「──スネイプ」
木の枝に片足が引っ付いているようで、重力に従い逆さになった髪は彼の苦悶の表情をすっかりあらわにしていた。
「どうして……大変だ、助けないと!」
「誰がこんなことを」
「──ッ必要ない、関わるな!」
駆け寄れば、スネイプは手負いの動物のように威嚇した。だがしかし、そんなものに怯むポッターではない。
「フィニート」
スネイプの足首と枝とを繋いでいた麻縄をほどく。相当酷く、そして雑に縛られたのだろう。骨じみた足首からは血がにじんでいた。よく見れば手の甲などにも火傷や創傷の痕が見られて、スネイプが誰かから長く虐げられているらしいことがうかがえた。
「これ、インカーセラスですね。あなたが創ったレビコーパスですらない──いったい誰に?」
「うるさい、余計なお世話だ、いいから行け!」
頭に溜まっていた血が急速に体内へと巡って気持ち悪いだろうに、それでも吠えるスネイプにハリーがイライラと吐き捨てる。
「これで見捨てたら、あなたは死んでたんだ。こんなところまで一体、僕ら以外に誰が通り掛かるって──」
「おおい、見ろよ。釣れたのは噂のおチビちゃんだぞ」
男の声が、複数。森から下卑た薄笑いを浮かべながら現れたその全員が緑色のローブを着ていた。──スリザリン生が、どうして同じスリザリンのスネイプを?
「さすがはグリフィンドール、こーんなにチビでも心優しくて勇敢ときた! ところで知ってるかい? その男は君たちのお兄さんとお姉さんの天敵なのだけど」
「「…………」」
ハリーと共にスネイプを背にして立ち上がる。事情は知らない。知る必要もない。他寮のいざこざに関わるべきではないし、そんな義理はない。けれど──そのひとがセブルス・スネイプであるのなら。それだけで僕らにとっては杖を持つ理由になる。
「仲間割れだとしても、いくらなんでも限度ってものが──」
「待った待った、話すならポッター君のほうにしてくれないか。──そいつと違って、僕には穢れた血と会話する趣味はなくてね」
「────ッ」
背後で彼が動いた気配がした。咄嗟に腕を掴む。僕を見下ろして、マリアの瞳を見てスネイプはヒュッと喉を鳴らした。
「リリー、リリー、ゆるしてくれリリー! おお、愛しのリリー! ぼくはあなたのげぼくですぅ、お望みならば靴だって杖だってなーんだって跪いて舐めましょう──────スリザリンの恥さらしが」
「…………」
意図してか、意図せずか──スネイプが捨て置かれているらしい寮内での現状はおおよそ把握できた。考えてみれば当然の帰結だ。スリザリン寮に配される人間の特徴は身内贔屓に他者排斥。そして純血に多いスリザリン生が身内と呼ぶ対象は──同じ純血の魔法使いと魔女ばかりだ。さて、半純血かつ後ろ楯のないネイプは果たして彼等の身内たりえるのか。
答えは目の前に転がっている。
「情けない」
無言呪文で軽く転ばせた男の元へと一歩を進める。
「どんなご気分かな。穢れた血に負かされるのは」
「お前……」
「これに懲りたら金輪際、彼に関わらないでくれ──というのは、まあ、無理な話だろうけど」
箒から落ちる程度で済むような悪童の時期をとうに越えた男たちだ。今さら凝り固まった彼等の価値観を変えるなんてのは──ダーズリーたちを魔法ダイスキに変貌させるくらいあり得ないことだろう。それこそ、どこぞのお坊っちゃんくらい素直なひねくれ者でないと。
「──いいぞ」
「え?」
地べたに尻餅を着いていた男が、怒りに震えながら立ち上がった。
「スネイプに手出ししないでほしいんだろう? いいとも、お前がある条件を呑むならそうしてやる」
「……その条件は?」
「条件は──────」
そして、冒頭へと繋がる。
情けないにも程がある。七年生の成人した大人が、一年生──それも女の子!──に決闘を挑むだなんて。
場所は中庭。続々と集まるギャラリーに、ハリーへと頭を預けてうなだれる。なお件の決闘相手は手も足も出ない
「──これは何事なのッ!? マリア、いったいどういうこと?」
「あ、かあ────ねえさん」
「ハリーまで……! あなたたち、今すぐここに来て説明しなさい!」
発狂寸前といった様子でこちらへ向かってくるリリーをニヤニヤ顔のスリザリン生が立ちふさいだ。
「困るなあ。いくら監督生といえど、これは魔法使いと魔女もどき……おっと失礼、小さな魔女の正式な決闘なのだから。部外者は口出ししないでいただきたい」
「部外者なものですか! わたしはあの子たちの…………姉よ!」
「ええ、そうでしょうとも。ただの姉だ。親じゃあない」
「────っ」
立ち止まったリリーは悔しそうにさくらんぼ色の唇を引き結んだ。口を開けば今にも叫んでしまう──そんな顔をしていた。
「……大体、決闘そのものがあり得ないことだわ。不当に決まってる。あなたたち、あの子たちが何年生か知らないの? 一年生よ? よってたかって、大の大人が恥ずかしいとは思わないの?」
「いいや? 承諾したのはあちらのお嬢さんだ。むしろ君たちが常日頃から吠えているフェア・プレーってやつそのものさ」
「あ──あ──あきれたっ! これがフェアですって!? あんな小さな子に杖を向けることが? あなたたちがそんなだから──!」
「リリー」
激昂するリリーを静かな声で静めたのは、なんと追ってやってきたジェームズだった。意外だ。……否、意外ではないのかもしれない。僕らの父さんは、そんなひとなんだ。
「マリア、あいつが言ってることはほんとう? 脅されたわけじゃなくて、ちゃんと君が考えて決めたの?」
「うん」
「そうか、それなら──」
ジェームズはリリーの手を取ると親友たちを従えて下がった。誰にも有無を言わせないその姿からは天性のカリスマを感じさせた。
「ちょっと、なんのつもり? ジェームズ」
「ここは見守ろうよ、リリー。ほんとうに危なくなったら止めるくらいでいい。君と僕だからこそ、あの子の意志を尊重しなくちゃいけない」
「そんな悠長な……!」
「過保護はよくないってことだ」
「あなたは──あなたはあの子の傷を知らないから──!」
両親に向けていた目をハリーへと移す。ハリーはとっくに僕を見ていた。
「一瞬で終わらせよう」
「当然」
男と距離を取り、杖を正面に掲げてから下ろす。相手が倣うのを待つ。それが終われば敬意を表すお辞儀だ。すっかり静まり返った野次馬のどこかから、「さすがエヴァンズの妹だな。一年生でもう決闘の作法を知ってるのか」なんて声が聞こえてきた。
互いに背を向け、五歩。振り返って、三秒。呪文はもちろん────
「エクスペリアームス!」
拍子抜けなくらい簡単に男の杖は飛んだ。わあっ! 赤いローブの集団から喜色の声が上がった。中には黄色や青色のローブも混じっていた。
振り返って、介添人のハリーへとニンマリ笑いかける。
「どう? 君の次ぐらいには上手いだろ?」
ブッとハリーは失笑した。
「ロンが聞いたら、そのジョークはとうてい理解できないって言われるよ」
「ドラコには受けるのに」
カラカラ笑いながら、反動で腰を抜かしている男のところへと杖を返しに行く。片膝を着いて、改めて目一杯すごむ。
「約束通り、これであの人への悪戯は────」
反射だ。身体が、覚えている。
「セクタムセンプラ────!」
「────」
バチンッ──!! 見えない盾が刃の閃光を弾き返した。摩擦による火花が周囲の目を煌々と焼いた。
よくも──よりにもよってハリーの前で────!!
「──マリア」
ハリーの虚ろな声に振り返る前に、視界をシャツとベストが埋めた。背には大きな腕と手のひらが回っていた。……知らないはずなのに、懐かしい匂いのする人。
「怪我はないね?」
父さんだ。ハリーの前には母さんが立っていた。
「……介添人なんてのはあくまでも形式上のものだけど、その介添人ですらない外野が不意打ちをするのは話が違うんじゃないか」
ハリーは完全にリリーが保護して、僕をルーピン先生へと預けてジェームズが杖を取る。騎士がごとくシリウスがその隣に並ぶ。
「次は僕と決闘するかい、エイブリー」
「なんだったら俺でもいいぜ」
無敵で不敵な魂の双子がゾッとするほど冷たく男を見下す。ああ、怒っている────やっぱり、僕の父さんたちはこわいや。
「い、今のは……」
「なんの騒ぎです、これは! さあ散りなさい──そして首謀者は神妙に名乗り出なさい!」
廊下の先から鬼の形相で駆けてきたのはマクゴナガル先生だ。うわあ、まずい! 蜘蛛の子を散らすように野次馬が解散する。その中に混ざるようにしてリリーとルーピン先生、ペティグリューに連れられ場を離れる。
「リリー、父さ……ジェームズとシリウスがまだ」
「いいのよ。放っておきなさい。あの人たちなら適当に先生を言いくるめるわ。七年間そうしてきたんだから」
吐き捨てられる。美しいけれど苦しげな横顔──怒っているのは父さんの二人だけではないのだ。そしてきっと、母さんが怒る理由は。
「この辺りでいいんじゃないか」
ルーピン先生の声に従い一同は立ち止まった。ハリーを見る。リリーに繋がれたままのハリーはかわいそうなくらい顔を蒼くしていた。
「ハリー」
「マリア」
肩を寄せて。ちょっとぶつけたりしてみて。
「やっぱり少しお若かったね」
「え……?」
「マクゴナガル」
「…………」
狙いどおり面食らったハリーは、それからくしゃくしゃと困ったように笑った。
「マリアって、ほんと」
「続く言葉を当ててやろうか。──最高、だろ?」
「もちろん!」
勢いをつけて抱き着く兄弟を受け止める。甘んじて抱き枕になってやろうと小さな背を叩く。そんな僕らを、瞳をうるませたリリーが器用にも眉を吊り上げながら見ていた。
「あなたたち──あなたたちねえ……自分がなにをしたか──ほんとうに──ああ、もう! おかあさんを困らせないで!」
ハリーそっくりの癇癪だった。それから、リリーは「いいえ、ちがうわ。うそ」と続けると僕もハリーもまとめて腕の中に抱き込んだ。
「困らせていいの。困らせていいから──自分を大切にして」
「母さん……」
花の香りがする。どことなく気恥ずかしくなるようなやわらかさで締め付けられる。ハリーと示し合わせて母を抱き返す。
「「ごめんなさい、母さん」」
「……ちゃんとごめんなさいできるいい子のことは、これ以上叱りません」
リリーのかんばせに笑顔が戻った。怒れる母から解放されて、ほっと胸を撫で下ろせば次はルーピン先生に内緒話でもするように手招かれた。
「さっき、プロテゴを張ったのはマリアだね? もしかして無言呪文かい?」
「「あー……」」
「サラブレッドはどこまでいってもサラブレッドか」
ルーピン先生はそれは嬉しそうに──そして、きっとほんの少しだけ複雑そうに微笑んだ。
「プロングズがうずうずしてたから、二人とも覚悟しておくことだ。あいつに愛されるって、そういうことだよ」
「「…………」」
ハリーを見る。ハリーが見る。同時に今朝のだらしなく緩みきった父親の顔を思い出す。────甘んじて、受け止めようか。