マリア・ポッターにとって、待ち合わせの代名詞は『湖畔』だ。いつの間にか、その名を挙げずとも彼はマリアを──そしてマリアは彼をここで待つようになった。
しかし今回ばかりは、
「……来て、くれたんですね」
透明マントから顔を出して、断りなく男の隣へと腰かける。
「ミスタースネイプ」
「…………」
スネイプはうんともすんとも言わなかった。なので、意地悪く続けた。
「僕のこと、マリアともエヴァンズとも呼びたくないんでしょう」
「…………君は、」
どうにか絞り出された声に続くものはなかった。
唯一、あなただけがマリアの名前の意味を知っているのだから。
「どうしてリリーと仲違いしたの」
スネイプは答えなかった。
「仲違いするとわかっていて──リリーが許すわけはないとあなた自身が一番理解していて、どうしてそれでも手放せなかったの。リリー以上にその才能は魅力的だった?」
「…………」
そうでないことはこの状況が示している。彼の贖罪に費やした人生すべてがそれを表している。だからこそ──わからない。
「セブルス・スネイプが闇の魔術を愛したのは、なぜ」
スネイプはやっぱり虚ろに視線を水面へ逃がすと、哀れっぽくぽつんと呟いた。
「君も、僕を軽蔑するのか」
「……さあ。わからない。するかもしれない。その手の魔法には良い思い出がないんだ。けれど、もしもそこに理由があるのなら──たとえばそれが、あなたの信念に基づくものであったのなら……理解はできないけど、たぶん……否定もしない」
それが、リリーとマリアの違いだ。綺麗なものだけを見てきたリリーには、共に彼の闇を背負うだけの柔軟性がなかった。慈悲と慈愛と正義の裏には悪と断じたものへの絶対的な糾弾があった。
リリー・エヴァンズはきっと──彼にとっての『信仰』だ。神だ。
ゆるりと風が吹いて、水面の中の星が揺れる。
「似てないな」
「そうかな」
「お節介なところはそっくりのくせに」
「もしかして決闘の話? どこかで見てた?」
「当たり前だろう。僕のせいで──いや、僕のせいではない。君が勝手にやったことだ」
「その通り。僕が勝手に喧嘩したんだ」
ちょっとだけ笑って──待つ。不思議と気まずい気はしなかった。……ここが、ブロンドの君と語らい続けた場所だからだろうか。
「──それを君に話す必要が、あるのか」
僕は迷わなかった。
「ある。僕の名前がそれを証明している。マリアには聞く権利がある」
「…………」
僕の断言に、スネイプは縮こまるようにして子供っぽく膝を抱えた。額を立てた膝の頭に乗せて、月のない夜みたいな髪が彼の顔をおおってカーテンの役割を果たす。
「きっかけは、愛の妙薬だった」
ひとつずつ、神に見離された男は告解した。
「僕の母親は魔女だ。家には、父に内緒で何冊かの魔法の本があった。たぶん、母さんの魔女としての最後のプライドだったのだと思う。それを読んで、魔法を学んだ」
「愛の妙薬というものがあるのを知った。──魔法で、人の心は変えられるのだと理解した。もっと強力なものがないか研究した」
「研究を進めれば進めるだけ、禁じられたものには相応の理由が──それだけの力があるのだとわかった。そして僕には──それを操るだけの
「それだけだった。それだけだったんだ。もしかすれば、魔法さえ勉強すれば、諦めてきたすべてが手に入るかもしれない────僕にとって魔法は、唯一の手段で救いだったんだ! そこに善悪は関係なかった」
魔法が唯一で、それはただの手段でしかなくて────同じだ。ダーズリーの檻から逃れようと死にもの狂いで魔法にすがった僕と同じだ。それから──トム・リドルとも、きっと。
「リリーが誰かを傷つけるために存在する魔法のことを許さないなんてのはわかっていた。もしもリリーがそれを理解したなら──僕を理解したら、それはもうリリーじゃない」
「けれど、関係ないだろう? 心は魔法で僕の好きに変えられるのだから! ……そんなもの、リリーではないのに。そこに僕が愛したリリーの残酷さはないのに」
スネイプは後悔していた。けれど、リリーのように闇の魔術を憎みはしなかった。──それもまた、彼にとっては救いにちがいはないのだから。
「スリザリン寮に入って、はじめから闇の魔術にくわしい僕を仲間たちは重宝した。はじめて、リリー以外に認められた。心地好かった──僕に居場所が生まれた」
「手放せるわけないだろう。ようは保身だ。外ではリリーが僕を手厚く守ってくれる。けれど、寮に戻ればそこにリリーはいないんだ。僕のことは僕が守らなくてはならない。スリザリンにいるためには、スリザリンの仲間であるためには、スリザリンらしい努力と権力が必要だった」
「その手段が、闇の魔術だった」
男が語り終えれば、辺りには静寂と物悲しい薄闇が戻っていた。僕はなにも答えられなかった。
セブルス・スネイプは、自分のために、生きるために──
「軽蔑するか」
「わからない」
「軽蔑すればいい」
「わからない」
「卑怯ものだと──我が身かわいさに大切な人の味方もできない臆病者だと!」
「わからない……っ」
「僕は────あのひとを不幸にするしかできないんだ」
「なにもわからないよ、スネイプ」
髪が見える。母と同じ赤い髪。水面を覗けばそこには母の顔がある。
「僕には、僕の名前が『マリア』であることしかわからないんだ」
「────」
マリアと──きっと死の瞬間まで母が呼んだだろうことだけが、すべてなのだ。
「そんな、名前……っ」
結局、スネイプはうつ向いてしまった。最後まで彼がマリアを見ることはなかった。
立ち上がって、冷えた身体をさする。体温が足りない。──君の温度が足りないよ、ドラコ。
「────傷、」
足を止める。スネイプの声だ。
「傷、治してやろうか」
「……どうして」
「見えた。その傷はよく知っている。僕の薬でないと治らない。……僕が、創ったから」
無意識に、胸の辺りを握っていた。大きく身を裂いた刃の疵。僕の罪と君の怒りとあなたの嘘の証だ。
「──必要ありません」
振り返る。風にあおられた髪が月光を受けて輝く。
「一生、宝物のように抱えますから」
リリーの生まれ持った焼き付くような光はなくても、僕にはこの身があるから。────僕は『マリア』だ。
「────」
やっと、目が合った。セブルス・スネイプはマリア・ポッターを見た。
「マリア──その名前を付けたのは、君の母親か」
「ええ。白百合のように美しい自慢の母さんです」
今度こそ湖畔から立ち去る。黒いくしゃくしゃ頭が遠くに二つ覗いている。僕に気が付いた小さいほうの毛玉がぴょこぴょこ跳ねながらここだと居場所を明かす。なんだか奇妙な動物みたいで笑ってしまう。
「母さん、あなたの願掛けは叶いましたよ。これですこしは──マリアの名前に相応しくなれただろうか」
すごいわ、マリア。さすがわたしとジェームズの子供ね! そう微笑んでくれただろうあなたは────この世界のどこにもいない。
***
マリア・ポッターは左右から絶賛抱き締めの刑に処されていた。
「マリア、マリア、ほんっとーーーになんともないんだね? スネイプにネチネチいじめられて泣かされたりしてないね?」
「してないよ……」
「スネイプについ売り言葉買い言葉で喧嘩を売って呪われたりしてない?」
「してないってば……ハリーじゃないんだから」
「心外だ!」
ここは透明マントの中だ。女三人──ではなく男三人で姦しく夜のホグワーツを進む。向かうはグリフィンドール寮塔だ。
「それにしても、マリアが急にスネイプに会いたいなんて言い出したときはあのべったり頭をどうしてやろうかと思ったよ」
無意識の癖らしく、スネイプの名をぼやきながら杖を撫で始めたジェームズをじっとりと睨む。ハリーも一緒になって父を軽蔑の眼差しで見ている。
「父さん、ほんとうに反省してる? あの人をあそこまで追い詰めた要因の一つにあなたたちの『悪戯』が確実に関係してるんだよ」
「それは……でもあいつだってかなり卑怯な手で反撃してきたし……あいつの創作魔法で関係ない子が怪我するのだってざらだったし……」
「「喧嘩両成敗」」
情けない父を子供二人で挟んで責め立てる。このくらいは許してほしい。あなたのとばっちりで散々な学生生活を送ったのだから。ついでにマリアとしてはあなたから始めたバカげたあだ名の継承に関しても深く深く反省していただきたい。
「スネイプにこのさき一生、恨まれること、憎まれること──覚悟しないといけないよ」
声をひそめる。どちらから始めた因縁かは双方の悪意がこんがらがりすぎてすっかりわからなくなってしまったけれど──どちらにも一生をかけても足りない責任がある。
僕は覚悟した。息子を喪ったエイモス・ディゴリーに恨まれ続けること──父を喪ったデルフィーニに永遠に憎まれるだろうことを。
「……マリア」
ふと、ジェームズが僕の頭を撫でた。そのままハリーのことも撫でた。同時に見上げれば、彼は父親の顔をしていた。
「僕とリリーの子供は、なんていいこなんだろう」
「「…………」」
面食らって、それからカアッと頬に熱がたまったのを自覚する。だって、親と呼ばれる人にこんなふうにされるなんて──モリー義母さんくらいだったんだもの。
ハリーを見れば、案外ハリーはけろりとしたものだった。そうだ、こちらのハリーには僕が知るよりずっと大人っぽいシリウスと──
「いーい反応だ! マリアはほんとうにかわいいなあ。今にモテるぞ」
「マリアはいつでもモテてたよ。本人はちっとも気付かないけど。まあ、でも、それもしかたないか。ドラコがいるんだから」
「……………………ドラコ、だって?」
ピタリ。ハリーのぼやきを拾ってジェームズが立ち止まった。横を灰色のレディが、誰が話してるの? なんていぶかしがりながら通りすぎていった。
「ドラコって──ドラコ・マルフォイ? 金髪で、父親そっくりの顔で、こう、キザったらしく髪を結んでた?」
「うん。父さんは前に会ったことがあるんだっけ。僕は知らないけど──その金髪で合ってると思うよ」
「……それが、うちのマリアと、なんだって?」
「恋人」
「こいびと」
「ちなみに婚約済み」
「こんやく」
フクロウみたいな顔でおうむ返しするジェームズに、ううんこれはと頭を抱える。実に見覚えのある顔だ。──リリー・ルーナが結婚報告に来た時の私の顔だ!
「お、お、お──おとうさんは、お父さんは認めませんよ! マルフォイが……あのやたらスカした貴族男が義息子になるだなんて、ゾッとする!!」
「……ハリー」
好き勝手にバラしてくれた兄弟を恨みっぽくにらむ。ハリーはやっぱり確信犯だったようで、ニヤァと小憎たらしく笑っていた。
「ドラコもここにいればよかったのにね」
「ああ、やっぱりあのとき奴のお綺麗な横っ面を張ってやればよかったんだ! マリアとのことさえ知っていたなら……!」
「パパおとなげない」
「うっ」
娘からの一言にジェームズが撃沈する。どこまでもデジャヴな光景だった。
なおその後、グリフィンドール寮へと戻るまでのあいだに危機一髪ピーブスとエンカウントしたり、それをハリーが血まみれ男爵の声真似で追い払ったり、そんなハリーをジェームズが面白がって寮生を叩き起こし回った挙げ句ハリーの声真似発表会を開こうとしてリリーにぶっ飛ばされたりと、怒涛の流れがあったのだがもう眠いので割愛する。