ドラコのおもりの話【三頭犬編】
とうに消灯された暗いトロフィー室にて。パジャマ姿に杖を携えたハリーとロンとハーマイオニーの三人は、決闘相手を待ちかまえ今にも魔法を叩き込まんと神経を尖らせていた。
マリアを口汚に侮辱したスリザリンの女、パンジー・パーキンソン。何があっても許せるはずがない。マリアがハリーを猫可愛がりする姿ばかりが有名であまり知られていないが、ハリーだってマリアが好きなのだ。たったひとりの家族を守らない人間がどこにいる、という話だ。
そうして、ハリーの怒気につられる形でロンとハーマイオニーも目一杯しかめ面を作り、三人お揃いにした闘志を杖に預けて件の憎たらしいパグ顔がトロフィー室の扉を開くのを待つ。待つ──待つ──待つ────
「……あの女、怖じ気づいたのか?」
誰が言うでもなし、出鼻を挫かれうっすらと嫌な予感がしてきたところに、ロンの呟きに答えたのはこの場に居るはずのない第三者の声だった。
「──ハメられたんだと、そろそろ気付いてもいい頃なんじゃないか」
「うひっ」
「ひゃっ」
「ひえっ」
その冷ややかな声色に、仲良く三人は同時に飛び上がった。暗闇にうっそりと浮かぶ白皙の美貌は、その透明感と青さからまるで生気のない吸血鬼そのもので、いっそう三人は縮み上がりがっちりと団子状に固まった。普通に失礼であった。
「な、な──なんでお前がここにいるんだよ、マルフォイ!」
本人としては仲間を背に大層勇ましく啖呵を切ったつもりな訳だが、実際のところは声を震わせた情けない様子でロンがドラコを指差す。──ちょうどそのとき、廊下に月明かりが射し、まるで後光であるかのようにドラコ・マルフォイのプラチナブロンドをこの世のものならぬ輝きへと浮き立たせた。
え、ほんとに生きてんの? こいつ。──ロンはこっそり思った。
「今言っただろう。君たちはパンジーにハメられたんだ。パンジーの代わりに、すぐフィルチがやって来るぞ。仲良く罰則になりたくなければ、さっさと寮へ戻れ」
「ドラコ、わざわざそれを教えにきてくれたの?」
「うちの寮の人間が迷惑をかけているようだからな。……これ以上アイツにからかいのネタを与えるのは、僕だって癪なんだ」
「え? なんだって?」
「こっちの話だ、気にしないでいい」
そして、これで話は終わりだとばかりに三人へと背を向けるドラコに噛み付いたのは、やはりロンだった。無防備に忠告に従いドラコへとついて行こうとするハリーの腕を取って、片手でハーマイオニーの手も取ろうとして……ちょっと躊躇ってから結局少女には触れずに、月明かりを味方に立つ男へと再び声を荒げた。
「──お、お前がグルじゃないって証拠がない!」
「……は?」
「だってきみは、スリザリンだ! しかもあのマルフォイで──これでおとなしく君の言うとおりにしたら、明日には僕たちが逃げ出したんだって言いふらす気だろう! 魂胆はわかってるんだぞ!」
「ちょっと、ロン」
「バカっ、そんな大声を出したら──」
いがみ合う親友と親友に挾まれ間であたふたするしかないハリーはさておき、ハーマイオニーとドラコが慌てて興奮状態のロンを止めにかかる。が、しかし──遅かった。
「おお、生徒の声だ! こっちか!」
フィルチだった。意地の悪さがよく表れたダミ声に答えるようにしてブサイクな猫の声もしたので、おそらくはフィルチの飼い猫ミセス・ノリスが従順にフィルチに付き従っているようだった。ペットの散歩コースとするには中々どうして、センスが無い。
「チッ……遅かったか。お前たち、走れ。バラバラにならないで、固まってフィルチをまくんだ」
「なんでお前なんかに命令、グェッ」
「今は喧嘩してる場合じゃないでしょ!」
闘争心のおさまらないロンのパジャマの襟を容赦なく引っ掴んだハーマイオニーが、まずと先手を切って駆け出す。それにハリーが続く。そして、子供たちのしっちゃかめっちゃか逃走劇の最後尾──しんがりを務めるのはドラコだった。
「ねえ、ドラコ、どうしよう。このままじゃ迷子になってしまうよ。僕たち、まだ城のかたちに慣れてないんだ」
懸命に走りながらも、息継ぎの合間にハリーがドラコへと訴える。
先頭のハーマイオニーは確かに、彼女の特性のひとつでもある驚異的な記憶力により、赴いた事のある教室への道筋ならば正確に思い出せる。だがしかし、それはあくまでも記憶に頼ったものであって、一度も歩いた事のない廊下を直感のみで進めるほど彼女は超人的ではなかった。そういうめちゃくちゃができるのは、ハリーの知る限りでは妹のマリアただ一人だけであった。──あるいは、もう一人。
「僕が憶えてる。どこに行き着いても、ちゃんと君たちをグリフィンドール寮まで送ってやる」
「ドラコ……」
ハリーは少し前までドラコのことがわからなくなっていた。紳士的で、ちょっとスキンシップは突飛なきらいがあるけれど、右も左もわからないハリーに声をかけ丁寧に魔法界のこと学校のことを説明してくれた最初の友達。(真実最初の友達はハグリッドだけど、子供の友達は彼だ。)
寮が離れても仲良くしようと君は言ってくれたのに。魔法薬学の授業で彼は、笑われているハリーを庇ってはくれなかった。まるで聞こえてないみたいな顔をした。なんとなく、その横顔が冷たいように感じてしまった。
けれど、今はこうして校則違反を犯してまでもハリー達を助けに来てくれるのだ。……やっぱり、いいやつなのかな。
そう、ハリーが自身の一歩後ろを走る彼について物思いにふけていた時、サッと何かが一行の足元をすり抜けた。
「キャアッ! やだ──ネズミ!」
「ネズミくらいなんだよ、どうせ脱走した誰かのペットだろ──って、ウワァッ!?」
ハーマイオニーが間近を走るネズミに驚いて飛び跳ねたことにより、それに驚いたロンがなんと付近に立っていた甲冑を倒してしまった。ありえないほど大きな音が夜の廊下に響き渡る。
「そこか! 待っていろ、悪ガキ共め──さぁミセス・ノリス、我々で悪いネズミをとっ捕まえてやるぞ!」
──と。まあ当然の話、音を聞きつけたフィルチが発生源へといざ征かんと荒々しく足踏みするのが角の向こうから聞こえた。最悪だ。
「どこか入れる教室を探せ!」
「だ、だめ、どこも鍵が……ええい! アロホモーラ!」
空き教室がないのなら鍵を開けてしまえばいいじゃないとばかりに躊躇いなく杖を振ったハーマイオニーの思わぬ大胆さに、ハリーとロンが呆然とする。そんな二人の背中をドラコが押して、四人で扉の向こうへと飛び込む。すかさず戸を閉め、息を殺して数分──フィルチはどうやらこの教室には鍵がかかっているものだとすっかり思い込んでいるようで、男と一匹の乱雑な足音は扉の前を呆気なく通り過ぎていった。
ほう、と四人で安堵の息をつく。
「さすがだよ、グレンジャー。君の機転はいつだってすばらしい」
「そ、そんなこと……マルフォイが冷静でいてくれたからだわ」
「えぇそうでしょうねえ。“普通”、ネズミごときであんな驚き方はしないもの」
「お言葉ですけど、純魔法族のロン・ウィーズリーさん? ネズミって、マグルの世界ではすっごーく不衛生でやっかいな嫌われものなのよ。“普通”、ネズミが好きなヒトはあんまりいないの。あなたとあなたのスキャバーズがどうかは知らないけど」
フン! 小声だって十分な威力の皮肉をたっぷり練り込んで、余計な口を利いたロンに対して鼻を鳴らすハーマイオニー。ちょっといい雰囲気に見えたハーマイオニーとドラコにどうにも突っかかりたくて堪らないらしいロンはすっかり不貞腐れているし、それに勝ち気なハーマイオニーはしっかり応戦してしまうし、ドラコはなぜだかやたらめったらに遠い目をしているしで、ハリーは改めて変な組み合わせだなぁと呑気に目の前の三人を眺めた。
まあ、ロンのスリザリン嫌い……特にパパからの刷り込みらしいマルフォイ嫌いは今に始まったことじゃないけど──主にロンがスカしている(と、ロンは感じる。)ドラコが気に食わないってだけの話らしいが、ドラコの時たま出てくる意地悪な物言いも問題だとハリーは考えていた。
──
「僕が先に廊下を見て、フィルチがいないか確かめよう。もう一度ここを開いた時に君たちも──ハリー?」
ハリーは非常に後悔していた。
四人、命からがらに全力疾走してようやく腰を落ち着けた場所だ。ここまで張っていた気なんてもう、足の先っぽから抜けてなくなってしまっていた。正直、ここでちょっと休憩してから帰りたいな、なんて間抜けなことすら考えていた。
────そこに、音がしたのだ。後ろから。
ハリーを除く三人はあーだこーだとじゃれ合うばかりで、音の正体に気付かない。だから、ハリーだけが違和感の先を探して振り返った。そして、後悔した。
やがて、ドラコの提案に返事どころか反応も返さないハリーの視線の先を追った三人も同様に後悔した。────見なければよかった。
グルルルル……。
非常識なサイズと非常識な頭数と非常識な牙を持った犬が、六つの目でこちらを見下ろしていた。
「……作戦、変更だ。先頭はハリー。決してバラけず、僕が合図したらここを出ろ。僕が最後だ。いいな?」
「ド、ドラコ……」
「────行け!!」
ドラコが声を張り上げたと同時に、牙を剥いた三頭犬の真ん中頭を目掛けてドラコの杖から閃光が走った。何の呪文だとかはわからなかった。とにかく必死に転がるように三人は廊下へと飛び出した。
嗚呼、まさか。まさか。ここが危険だと噂されていたあの『四階』だったなんて。
「ドラコッ!」
三人を庇うようにして犬の前に立ち続けているドラコの手をハリーが引っ掴む。走る。走る。どこまでも三頭犬が後ろにいるような気がして走る。
いつの間にか覚えのある道に出ていた。走る。グリフィンドール寮への入り口が見えた。走る。叫ぶようにして太った婦人画へと合言葉を告げる。走る。走る。走る。階段を駆け上がる、三つの足音。
とっくに消灯された談話室──そのソファに、ここ最近暇さえあれば眺めている古ぼけた羊皮紙を開くマリアの姿が見えた。ああ────やっと、現実に戻ってきた心地だった。
どうにかこうにか息をついて、ココアを差し出す最愛を前にして。
「あ……」
ようやく、スルリと抜けてしまっていた友達の手にハリーは気付いたのだった。