1ー1
僕は非常に警戒していた。二年生時のラスボスといえばバジリスクと思われがちだが、ちがうのだ。真にやっかいなのは────ドビーなのだ。
誕生日だというのに友人からカードの一つももらえずしょんもりするハリーに、僕は新しく与えられた小さな部屋で寄り添っていた。
元はダドリーのオモチャ入れだった部屋だ。階段下の物置部屋は用途通りの部屋となった。──ハリーとマリアのホグワーツ用の荷物の。
二人も一応は成長する人間なので、そろそろスペース的にも無理があると気付いたのかもしれない。その程度の脳はあったようでなによりだ。
朝に、大物商談客を迎える準備と確認とかいう動物面一家のコントを眺めて、役割を求められた際には双子揃って「「部屋にいていないふりをする」」と気のない声で答えながら、現在、件の双子は二人部屋(スペースは一人未満)に軟禁されていた。外に放り出されないだけマシだが、繰り返すが誕生日だってのにむなしいものである。
「なんで誰もなにもくれないんだろう……プレゼントだなんて贅沢は言わないよ。カードや手紙でいいんだ。去年はハグリッドですらつぶれたケーキをくれたのに……期待しすぎだったのかな。誰も僕らの誕生日なんて覚えてないんだ」
僕は落ち込むハリーにかける言葉を見つけられずにいた。
原因はわかっているのだ。しかし説明のしようがない。──と、いうか。原因はわかっているがどうしてこうなったのか僕にもわからなかった。
だって、手紙を止めているドビーはマルフォイ家のしもべ妖精で、しもべ妖精としての禁を破ってまで警告という名のありがた迷惑行為をおこなってくれたのはリドルの日記の件があったからで──けれどその日記はとっくにドラコへと渡っている。なんだって今さらな警告が必要なのか。
答えは豚の餌みたいな夕食後にやってきた。──向こうから。
「「ひえっ」」
ハリーは単純な驚愕から、マリアは来てしまったという絶望からそっくりの声を上げた。ベッドの上になつかしくて馴染み深いしもべ妖精の姿があったのだから。
しもべ妖精──ドビーは深々とお辞儀をした。そして特有のキーキー声でまくし立てた。
「ハリー・ポッター! ドビーめはずっとあなた様にお目にかかりたかった……」
ハリーはとりあえずコンバンハとは言ってみたものの目の前の生き物について混乱しっぱなしだったし、僕はといえばそれでもちゃんと挨拶できるうちの弟は偉いなと現実逃避をしていた。
ハリーが「君はだーれ?」と続ける。たぶん頭が回ってない。証拠にずいぶん舌っ足らずだ。かわいい。うちの弟はすばらしく素直だ。僕も間違いなく頭が回ってない。
「ドビーめにございます。屋敷しもべ妖精のドビーです」
ハリーはそもそも屋敷しもべ妖精を知らなかったが、とにかく疑問はすべて置いておくことに決めたらしい。おそるおそると下手に出ながらお引き取りを願っている。
ああ、ハリー──それ、逆効果。
「す、座ってだなんて! このドビーに、魔法使いが、まるで対等みたいに!」
感涙してキーキーと騒ぎ立てるドビーに双子から渾身の静かにジェスチャーが送られる。タイミングも仕草もまるきり同じ辺り、僕らってほんとう、運命だ。
客人を招いて夕食へ入っているだろう階下から、一瞬困惑の沈黙がただよってきた気がして僕もハリーも生きた心地がしなかった。魔法さえ使えればシレンシオするのに!
「ドビー、お願いだから、静かに──静かに、お願いできる? 話なら聞くから」
「ああ、ハリー・ポッター……マリア・ポッター……ドビーは、ドビーは、こんなにもお優しい魔法使いと魔女には出会ったことがありません。ドビーの仕える魔法使いといえば……」
そこでドビーは蒼白になると──元が土色なのでかなりわかりにくいが──突然、窓ガラスに頭を打ち付けようとした。
「『ドビーは悪い子』は禁止!!」
咄嗟に手を差し入れれば、一度の激突で彼の発作は収まった。すっごく痛いけど、これでドビーがおとなしくなるなら安いものだ。だから泣きそうにならなくていいんだよ、ハリー。そしてドビー、君、とっても頭が硬いんだね……。
ほんとうに────君って、変わらないよ。
僕の手を両手で包みつつ、ドビーからマルフォイ家──仕える屋敷でのあんまりな境遇を聞いて力になれないかと問うハリー。ドビーはやっぱり感激に泣いている。
……ドラコに、ドビーになるべく優しくしてあげてほしいって言ってあったんだけどな。この様子だと、ドビーと関わらないことが彼なりの優しさだったか。
「ハリー・ポッターは勇猛果敢! 闇の帝王と二度も対決された……そして生き延びた……でも、ドビーめは言わねばなりません。──ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはならない」
ハリーは僕の手を取ったまま数秒黙っていた。理解が追い付いていないのだ。そしてか細い声でなぜ? と訊ねた。
「僕──ダメだよ、こんな家よりもホグワーツの方がよっぽど居心地がいいんだ。君ほどじゃないけど、でも、わかるでしょう? ここはひどい場所さ。それに──マリアから友達を奪えないよ」
「ハリー……」
前回の『僕』は一人きりだったからそんなこと思いもしなかった。優しい子だ、ハリーは。
「マリア・ポッターはかまいません」
「「かまわないんだ!?」」
ちょっとだけ拍子抜けして、ハリーと一緒に笑ってしまった。しかしそうすると、ますますわからなくなってくる。
ドビーの警告は、ルシウスが日記を使い秘密の部屋事件を画策して、ゆくゆくはウィーズリー家とダンブルドアを貶めるために張った罠だと知るところから始まる。前回、ルシウスはまちがいなく日記の利用法を知っていた。
しかし、ドラコは言った。父は日記の本質を知らないと。知る前にドラコが口八丁で取り上げてしまったのだから。
ならば、ドビーは何を──
ハリーとドビーが問答を続ける。そしてとうとう、ドビーは言ってしまった。
「誕生日だというのに、夏休みに入ってから一度も手紙もくれない友達のもとへ戻るというのですか?」
この時、ハリーは今日一番、頭が働いたと思った。なぜドビーがそれを知っているのか。まさか──まさか──
ハリーの絶句と共に緑の目へ宿っていく怒りに、ああ、と僕はうなだれた。
ドビー、ドビー、君は愉快で楽しい友人だよ。僕は君のことが大好きだ。けれどこの頃の君は、ちょーっとだけ厄介なんだ。
「君が、僕たちの手紙を、止めてたの?」
「ハリー・ポッターはドビーを怒ってはダメでございます……ドビーはよかれと思って……」
「ああ、ドビー……それは、それはダメだ。僕、それはちょっと、許せそうにない。だって君は、マリアの手紙まで止めた。マリアはとばっちりじゃないか。マリアにまで寂しい思いをさせたんだ。それは、兄として許せない」
「ハリー、そんなに怒らないで。僕はかまわないから」
「僕がかまうんだ!」
珍しくハリーの癇癪玉が爆発しそうになったので、抱きしめてなだめる。大丈夫だよ、ハリー。──僕はすべて知っていたんだから。むしろ、黙っていた僕に君は怒るべきなんだ。ほんとうなら。
「ドビー、手紙を返して」
「ホグワーツに戻らないと約束してくださいますか?」
「それはできない。だとしても、マリアの手紙は返して。きっとマリアにはプレゼントだってあるだろう。それもだ」
ハリーにだってあるに決まってる! と口を出したかったが、ハリーの剣幕がそれを許さない。
「ハリー・ポッター……約束してください……約束してください……」
「できないと言ってるじゃないか! 今はそんな話はしてない! マリアの手紙を──」
「なにを、騒いで、いるんだ?」
ドビーに出会い、今日起こるハプニングのうちで最もおそろしいのは、ペチュニア伯母さん作のケーキが宙を飛ぶことだろうと僕は決めつけていた。──今この瞬間に、それは塗り替えられた。
「──それは、なんだ?」
「あの……おじさん……」
「人形だろう? え? そうだろう? ──そう言うんだ!」
「ドビーめは、屋敷しもべ──」
「ドビーは黙って!」
「──人形は喋らんッ!!」
『まとも』でないものの中でも一等『まとも』でない形をしたしもべ妖精を目にして、バーノン伯父さんは怒りだか恐れだかで顔を赤くしたり白くしたりした。そんな伯父さんの絶叫に、ペチュニア伯母さんまでもが二階へ上がってきてしまい、ドビーを見た。殺人現場にでも遭遇したかのような悲鳴が上がった。
「そんな──そんな──そんなものを飼うために、きさまらはあの忌々しい学校へ行ったのか? ええ? そんな、汚ならしい、ありえない、おぞましい──」
「ドビーをそんな風に言わないで!」
「だまれ!! こんなものを連れ帰って来るくらいなら────もう、学校には行かせん」
肉につぶれた瞳を最大限に開いて、バーノン伯父さんは声低く宣言した。本気の目だった。ペチュニア伯母さんも、心底嫌悪しているとばかりに僕らを睨んで階段を降りるバーノン伯父さんへと続いた。
これまで『まとも』でないものを秘密裏に防いできたのが裏目に出たのだ。それはそれはとんでもない衝撃だったにちがいない。
ドビーも、「これでハリー・ポッターはホグワーツに戻れない!」とだけ嬉しそうに叫ぶと、手紙や小荷物をポイポイッと投げ捨てて妖精の姿眩ましで消えてしまった。
残されたのは、互いにすがり合って呆然とするしかない十二歳の子供たちだけだった。
扉に外鍵を取り付けられた日から早三日。そろそろ餓死する──と、会話する気力もないハリーと僕は毛布にくるまっていた。ここまで持ちこたえられたのは、誕生日プレゼントとしてハーマイオニーがくれたクッキーがあったからだった。それも、本命──飛行術に関する本と魔女の流行りのコーディネートを紹介した本だ。ハリーは喜んだがマリアは一度目を通したらもう開かなかった──に添えられたほんのちょっとのクッキーだった。
夏休み期間中、一度も鳥かごから出してもらえず、挙げ句餌すらもまともにもらえなくなってしまったヘドウィグだって、すっかり毛並みがみすぼらしくなっていた。付き合わせてしまって申し訳ない限りだ。
ハリーを撫でながらしきりに窓を見上げる。きっと、きっと、そろそろロンたちが助けに来てくれるはず──
果たして明日までこの腹はもつだろうかと、今なら制服だってぶかぶかだろうハリーを抱きしめていれば──ブォン、ブォォン。
「ハリー、ハリー!」
ハリーの頬を軽く叩いて窓を指す。窓の向こうで、夜の月をバックにロンが窓ガラスへとぺったりとおでこをくっつけていた。
「なぁに、マリ……ア…………夢?」
「夢じゃないよ、ハリー! 僕たち、助かったんだ!」
ロンの後ろから、ひょっこりと顔を出したフレッドかジョージかが窓を開けろとジェスチャーする。
「ダメなんだ。窓、開かないようにされてて」
ダーズリー夫妻の僕たちへの監禁態勢は完璧だった。それこそ、トイレくらいでしか家の中すらも歩けないようにされたのだから。
どっちがどっちだかはわからないが、フレッドとジョージは意味深にうなずき合うと、次は離れていろとジェスチャーした。まだぼんやりしているハリーの腕を掴んでできる限り窓から後退する。……ほんとうに、細くなっちゃったな、ハリーの手首。そろそろ食料問題の対策も考えないと。
フレッドかジョージかが杖の持ち手を窓に当てる。……まさか。
──カシャンッ!
ほんのささやかに壊したそこから、ヒビを広げるようにして窓を壊していく。手慣れてる。君たち、拘束抜けの技術といい、スパイにでもなるつもりなの?
「ハリー! マリア! 無事かい!?」
夜中であることを考慮したロンが小声で問いかけてくる。ダーズリー一家は誰も音に気付いていないようだ。そのうちに泥棒に入られても気付かなさそうだと、ようやく僕は笑える気持ちになった。
「君たち、どうして手紙に返事をくれなかったんだい? 僕が贈ったバースデーカード、ちゃんと開いた? そこに、『これに返事がなければ迎えにいきます』て僕、書いたんだ」
「うん。だから待ってたんだよ。──君たちが連れ出してくれるのを」
ウィーズリー兄弟は顔を見合わせると、痩せ細ったハリーと僕と可哀想なヘドウィグを見て、ひどく同情した風に首を振った。わかるよ、こんな野蛮なマグルがいるなんて! てところだろ?
「……僕んち、くるかい?」
「「ぜひ!」」
今ある限りの元気を振りしぼってうなずく。じゃあ乗れよ、と車が窓辺へ近付いたことで、ようやくハリーはロンたちがとんでもないもので二階にいることに気付いた。
「待って、荷物がないんだ……取りに行かなくちゃいけないんだけど、鍵が」
「「それなら、俺たちに任せな」」
赤毛の双子がピンを使って鍵をこじ開けてしまう。鮮やかなお手並みだ。……二人の興味が泥棒じゃなく商売の方にあってよかったよ。
かごから解放されたヘドウィグへ、ずっと窮屈させてごめんねとキスをしてから夜空へと放つ。ヘドウィグはそれは美しく大きくはばたいた。
双子とハリーが大荷物を次々に車のトランクへと積んでいく。それを先に車へ乗り込んでいた僕とロンで整理してスペースを作る。
そして、すべてが詰め込まれハリーもマリアも回収しきれば──夜の空中ドライブの始まりだった。