隠れ穴での生活は実に快適で、時々教えられてもいない場所や物を当たり前のように取ってしまう僕に不思議そうにしながらも、みんな非常に親切だった。ハリーだけじゃなく
家庭というものから優しく扱われることを知らないハリーは、戸惑い僕の側を離れたがらなかったが、それも三日も経てば慣れてくる。なにより、ホグワーツと同じで気が置けない親友が常に傍にいることが大きいだろう。
僕も、身は女の子なためジニーと同室になったことが幸いして、思っていた以上に親しくなれた。同じベッドで寝させてくれるのだから。ジニーはまったく、世界一優しくてすばらしい人だ。
ホグワーツから手紙が届いた。新学期用の教科書リストだ。それに僕は、耳くそ味のビーンズをかじったような気分になった。
ロックハート、ロックハート、ロックハート……並ぶ文字だけで頭がクラクラする。フレッドの、新しいDADAの先生は魔女だ、という声に、そうだったらどれだけよかったろうね、と心の中だけで返した。
本は悪くないんだよ、本は。ちゃんと経験を積んだ、いずれ著名になっただろう人の研究結果がそこに示されているんだからね──ロックハートの名前で。
人の手柄を横取るクズ男の名前が使われてるだけで、中身は正しいものだ。だから無駄だとはいわないけれど──
ジョージが呟いた「これは安くない」の一言に、まともな授業にならないことを知っている僕は、思い付いた。そして隣のハリーへと囁く。
「ね、僕たちどうせ授業も一緒なんだから、二人で一冊を見ようよ。わざわざ二冊買うなんて無駄だよ。高いらしいし」
「そうだね。それ、いいかも」
ハリーの曇りなき瞳に、これから散々絡まれるだろう近い未来を思ってそっと頭を撫でた。突然のことに目をパチパチさせながらも、ふにゃっと笑ったハリーに愛しさとやるせなさは募るばかりだった。
どうせダンブルドアはロックハートの正体、知ってたんだろうな……次の先生を見つける一年の繋ぎのためだけに雇われたロックハートもとことんどうしようもない。
ああ、憂鬱だ。
***
ハーマイオニー指定の元、ダイアゴン横丁へ向かう今日、初めて見るフルーパウダーにハリーは激しく緊張していた。大丈夫だ簡単だとハリーの肩を叩くウィーズリー一家に僕は思い出す。──ちっとも大丈夫じゃなかったよ。
よりによってノクターン横丁なんかに出ちゃうんだもの。ダイアゴンがノクターンだなんて、きっと横丁しかまともに発音できなかったにちがいない。
「さぁ、ハリー。どうぞ」
モリー母さんに促されて一歩を踏み出すハリーを見守る。
「──ン横丁!」
ふっと消えてしまったハリーに、ああ、やっぱり、とうなだれた。あわよくばドラコが保護してくれたりだとか……ルシウスの手前、無理か。
どうしようかなあ、ハグリッド、ちゃんとハリーのこと見つけてくれるかな、なんてうだうだ考えつつフルーパウダーを取る。
「ダイアゴン横丁」
──ヒュウン。
付き添い姿現しをゴム菅に無理矢理詰められる感覚とするならば、煙突飛行は狭い土管の中を延々と滑るかんじだ。やがて見えた光に、若干着地は失敗したが、フレッドとジョージに受け止められて無事ダイアゴン横丁へと出た。
「マリア!」
「マリアが先に来たのか」
「ハリーはきっと派手に転ぶぜ」
「ここで待機してよう」
合流していたハーマイオニーに抱きつかれつつ、ハリーをからかう準備をしているイタズラ好きの双子に乾いた笑みを浮かべる。目が死んでる? 死にたくもなるさ。
二人が次に受け止めたのはジニーだった。
「「ハリーは?」」
「マリアより先に行ったわ」
なんでそんなことを聞くんだとばかりに小首をかしげたジニーに、その場をアチャア……となんともいえない空気が包んだ。
「ハリー、やっちまったか」
「マリアは上手くいったのに」
「なぁに、ハ……ハリーがなんなの?」
想い人の名前を呼ぶことすら恥ずかしげなジニーを撫でつつ、ウーム、と唸る。事態を理解したハーマイオニーも同様に頭を抱えていた。
ロンにパーシーにウィーズリー夫妻──次々やって来てはハリー不在に阿鼻叫喚する赤毛一家を、僕は苦笑いで見ているしかなかった。
***
「──マリア!」
「ハリー!」
駆けてきた愛しの片割れをひしっと抱きしめる。かわいそうに、ふわふわの黒髪に砂が混じってしまっている。
その後ろからは、保護者同然の顔をしてキザったらしい金髪がハリーの再会を見守っていた。まさか──本当にドラコがハリーを保護してくれるなんて。
「ありがとう、ドラコ」
「礼には及ばない。……ただ、ひとつ聞かせてもらおう」
「なぁに?」
「…………前もか?」
──『前』。今ここでその意味を正確に理解できる人間は『僕』とドラコの二人だけだろう。
「そうだよ」
ニマッと笑った僕に、ドラコは上品な顔を崩して舌打ちした。ふふん、あのキャビネットを君よりも先に使ったのは
「君は……」
僕が抱きしめるハリーと、そしてその先にいるドラコに、グレンジャー夫妻のマグル話に夢中になっていたアーサー氏が気付いた。
「アー……マルフォイ君、だね? ハリーを保護してくれたのか。ハリーは今までどこに……」
「ノクターン横丁ですよ、ミスターウィーズリー」
「ノクターン横丁!」
夫の側で様子をうかがっていたモリー母さんが悲鳴を上げた。そして強く強くハリーを抱きしめた。フレッドとジョージは羨ましげにヒュウッと口笛を鳴らしていた。
「なんてところに……」
「それは、その……ありがとう、マルフォイ君。ハリーを見つけてくれて」
「いえ。……ハリーがいるべき場所ではありませんから」
モリー母さんの腕に埋まりながらも、ハリーはドラコへと物言いたげに呻いていた。
「それでは、僕はこれで。父が待っていますので。マリア、ハリー。それからグレンジャーにウィーズリー、また新学期に」
後ろ姿すらも貴族の品を感じさせる彼を見送って、ご苦労様だなあ、なんてモリー母さんからハリーを返してもらいながら思う。
アーサーさんに情報を流すためにずいぶん回りくどいことをして。そういうところ、君って器用と思わせて不器用なんだから。
「あなた、あの子は……」
「マルフォイんとこの小倅さ。あの純血に凝り固まった一族の中では柔軟な方らしくてね──ま、よくある突然変異の変わり者だ。マルフォイにとっては、だが」
うんうんと、ドラコと交流のあるウィーズリー三兄弟がうなずく。前回とはまるでちがうドラコ・マルフォイへの世評に、僕は笑いを噛みしめていた。
***
ハリーはげっそりとしていた。無遠慮にたかれるフラッシュ、肉壁となる人混み、──そして、馴れ馴れしく肩を組んでくるチャーミングなんたら賞の男。
耳元で有頂天に喚かれ、唯一聞き取れた「ホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』担当教授職をお引き受けすることになりました」の言葉に、気分はどん底のさらにどん底だった。最悪の一年になることがこれで確定してしまった。
どうにかマリアとロンに引っ張り出されて、有頂天男──ロックハートから押し付けられたご自慢の著書全集をロンへと譲る。
「君のにしなよ。僕ら、もう買ったし」
「じゃあジニーにあげる」
「どうせあんなの一年しかもたないから意味ないよ。ジニーは使わないさ」
マリアの弁に、なるほどとうなずいたロンはおとなしく自分の大鍋へと邪魔なだけのそれを入れた。
「ねえ、マリア……」
ハリーの視線は、すっかりロックハートに心奪われているモリー母さんと、まさかまさかのハーマイオニーへと注がれている。
言いたいことはわかる、わかるとも。だからロン、正気を疑う顔をするんじゃない。
「ハーマイオニーはロックハートが好きなんじゃなくて、ロックハートのスバラシイ本に恋してるんだよ」
「「ああ……」」
気のない声で二人はうなずいた。理解した上で、ロンは正気を疑う顔をしていた。