──君、なにがどうなってるんだ。
開口早々。いつだって余裕ぶろうとする彼の飾りっ気なしの一言に、思わず吹き出した。
「さぁ? どうなってるんだと思う?」
「茶化すなよ、ハリー。……
そう声を潜めて伺うドラコの様子は、幼い顔にまだまだ色素の薄いブロンドが触れているのもあって、ずいぶん儚げに見えて僕もほんの少しと声を落とす。
「元、が付くけどね。そんな君は、僕が知るドラコ・マルフォイで間違いない?」
「君の知るドラコ・マルフォイが、元々は天敵で子供の親友の親という果てしなく微妙な距離から交流を始めた堅物だっていうならそうだろうな」
「その回りくどくて嫌味っぽい言い方で確信した。君は僕のドラコだ」
「おや、賛辞をありがとう。僕の元ハリー?」
小声ながらも挑戦的な顔を突き合わせる。パズルが完璧にハマったみたいにしっくりと来る。
うん、やっぱりこの顔にはこの表情でなくっちゃ。……弱ってるドラコなんて、気持ち悪くて心が痒くなるじゃないか。
「ああいや、ハリー。じゃれるのは後にしよう。今のうちに互いの情報を擦り合わせないと。君は本当はハリー・ポッターで、あちらも間違いなくハリーなんだな? なんだってハリー・ポッターが二人も……」
「ちがうよ、ドラコ」
つと、真面目な顔で考え込もうとしていた彼の頬を持ち上げ、目を合わせる。
──ほら。君の目に映る僕の瞳は、ハシバミ色だ。
「ハリー・ポッターはただひとりだけだ。僕はマリア・ポッターだよ」
「────」
開かれたブルーグレーが一瞬、大きく揺れた。
「そう──そう、だな。すまない…………マリア」
「いいよ。僕自身、
「少なくとも僕は知らないな。マルフォイの跡継ぎにドラコ以外の名前があるなんて」
「あったら寂しくて泣いちゃう? 一人息子のかわいいドラコ坊っちゃん」
「いいね。そうなったら良心の呵責に涙しながら父上を母上へ差し出して、当分僕や母上に頭の上がらない状態へと持ち込むだろうさ」
「スリザリンめ」
「逆境は利用してこそだろう? 頭の使い方がちがうのさ。勇猛果敢なグリフィンドール?」
なんて。真面目な話のつもりだったのに結局彼との軽口の応酬を楽しんでしまって、悟られないよう小さく安堵の息をついた。
──先ほど揺れたブルーグレーの意味は彼にしかわからないけれど、僕にはそれがひどく傷付いたもののように見えたのだ。
「……君こそ、寂しくはないかい?」
「どうして?」
「その……見た目も、性別も、名前すら変わってしまって。だからつまりは、今の君は──『例のあの人』を打ち倒した英雄ではなくて」
「前回とちがって、確かに家族と呼べる存在が手の届くところにいて、おやすみにはおやすみが返ってきて、片手にはいつだって体温があって、会えなくても大好きな人たちが生きている事実に嘘はなくて、自分を騙す必要はなくて────さびしいに、決まってる」
「……マリア」
「君のせいだよ。君が、僕をハリーなんて呼ぶから」
ふと、ハリーや自身に比べれば健康的でしっかりしているが、やはりどことなく華奢に思わせる少年の腕が僕の肩に回って、白い首元までいざなわれた。
丁寧に洗われたシャツのにおいと──彼自身のにおいがする。
「僕は、今この瞬間から寂しくなくなった。君がいたからだ。やっと君を見つけられた。だから──みんなのマリア。そして僕だけのハリー。その寂しさは、僕にぶつければいい。たぶん、僕は、そのためにここにいる」
「……バカだよね、ドラコって。前から思ってたけど。実は面倒事に自分から飛び込んでいくところない?」
「まさか。むしろあの人生を教訓に、今の僕はこの上なく器用に生きているよ。君に巻き込まれるなんて、今さらで面倒の内に入らないだけだ。僕からすれば君のほうがよっぽど愚かで間抜けだ。──逃げるってことを、考えることすらできないんだから」
おそるおそると僕の赤毛に触れていたドラコを、一際ぎゅうっと抱き締めてから体を離した。ドラコは、呆れつつも懐かしいものを見るような目で僕を見ていた。
「ハリーの側にいるつもりなんだろう? その意味を誰よりも君が知っているだろうに。……今の君なら、『生き残った男の子』じゃない君なら、普通に生きる道だってあるのに」
「もう性分だよ。元英雄サマとしての。そもそも“フツウ”っていうの、僕よくわかんないし」
「なら、君が君達のことで手一杯になるだろうことを見越して、この世界のことは僕が調べよう。──だって、僕ら、死んだかどうかすらわからないんだから。そうだろう? 君のハリーとしての最後の記憶がどこか、わかるかい?」
「…………そういえば」
五歳で『僕』を自覚してそれから、一度も気付かなかった。悔しいけれど、彼の言うとおり周囲からハリーを守りながら生きるのに精一杯で、そこまで突き詰めて考える余裕がなかったのだ。
「きっと本来ならグレンジャーの仕事なんだろうけどね。彼女にハリーと赤毛君と、その上マリアの面倒まで見させるのは忍びない」
「だから君が僕を見ていてくれるって? やっぱりバカだ」
小さな顔を合わせてクスクスと笑い合う。キザったらしくてほんと、嫌なやつ。それが当たり前に似合っちゃうんだから。
「ま、当分はおとなしくしていることをオススメするね。レディ?」
「お言葉ですけれど、ミスター? わたし、自分から面倒に巻き込まれているわけではありませんのよ」
「君こそよく言うよ。今だって、どうやって制服を男性のものにできるか考えているだろう? そういう小さなことから大騒動へ発展するのが、君たちポッター家なんだ。大体、そう、その姿、なんなんだい? 君と彼は双子だっていうのに、ずいぶん……その、似合わないわけではないけれど。話し方まで変えちゃって」
「母の姿だよ。リリー・エヴァンズ。ちなみに目は父さん。美人でしょう? 言葉に関しては伯母さんにしこたま躾けられてね。女の子って大変だ。今ならロンよりハーマイオニーの味方ができそうだ」
「へえ。そう。ポッター夫人の……。…………それは……大丈夫なのかい……?」
誰に。何が。
みなまで言わずともわかる。きっと僕ら二人の頭の中には大きな蝙蝠のような、世界一勇敢な男の姿が浮かんでいることだろう。
「さあ。なるようにしかならないさ。案外、魔法薬の評価基準が甘くなったりして」
「ないな」
「ないね」
言っておきながら、二人同時に一も二もなく首を振った。
「さぁ終わりましたよ。次はお嬢ちゃんね。ボーイフレンドとお楽しみのところ、ごめんなさいね」
「あらあらドラコ。私たち、恋人に見えるらしいわ?」
「ゾッとしないね」
ハリーの採寸を終えたマダム・マルキンからお呼びの声がかかったため、ドラコを置いて立ち上がる。そして僕の元へ駆け寄ってきたハリーをお疲れ様と抱き締めてからなんとなしにドラコへ譲り渡してみれば、ハリーは僕の服を握りしめたまま困ったような顔をしていた。
稲妻っぽい傷の下、なんともきれいな下がり眉だ。
「ハリー?」
「僕、その、マリアはたしかに美人でかわいいし、しっかりしてるし、うん。魅力的だと思う。でも、でも、僕の妹だから! 僕は、マリアの兄として、僕たちにはそういうの、……まだ! 早いと思うんだ!」
よし、言ってやったぞ──そう興奮から顔を真っ赤にしているハリーに、僕とドラコは同時に呻いた。
「ほら見たドラコ!? これが僕の努力の結晶だよ! 自分とは思えないくらい天使でしょう!?」
「君から生意気要素を抜くとああなるのか……。大丈夫か、したたかさまで抜けてしまったんじゃないか? 悪い大人についていってしまわないか、これ」
「その時は僕もついていくから」
「今からスネイプ先生の心労が思いやられる……」
ここまで、ハリーの耳をふさいだ上での小声のやり取りである。相変わらず僕の腕の中できょとんとするばかりのハリーだが、嫌がらない辺りが僕への信頼を示していてさらに堪らなくなる。小生意気のジェームズやアルバスじゃこうはいかないもの。
もう一度ぎゅうっとハリーを抱き締めてから、改めてドラコの隣へと小さな彼を座らせる。
「大丈夫だよ、ハリー。君の姉さんは君一筋なんだから。ドラコから学校の話をよく聞いておいでね。ドラコ、わかってるよね」
「わかってるから凄むな。さっさと済ませてこい。紳士たる者、マダムをいつまでもお待たせするんじゃない」
「……二人って、初対面だよね?」
「「モチロン」」
マリアとドラコはね。
きっと寮の話だとかクィディッチの話だとかを、前回の僕の無知っぷりを思い出して説明してくれるだろう。そう期待して含みたっぷりに笑う。ドラコ・マルフォイってやつはなんだかんだ律儀なのだ。
意地悪だけど頼りになる親友にハリーを任せて、いざ決戦にでも挑む気持ちで採寸用の踏台へと上がる。
「──あの、マダム」
「はい、なにかしら」
そして、口も手も杖も忙しなく動かしながら採寸を続けるマダム・マルキンへと、僕はそれを告げた。
***
「それじゃあ、あなたたち二人は少ししてから制服を取りにいらしてくださいな。きっと他のお買い物をしてるあいだに済みますよ」
「「はい。ありがとうございます、マダム・マルキン」」
結局、とある事情から長く調整のかかった僕を待ち続けてくれたドラコと共に店を後にすれば、大きくて黒くてもじゃもじゃな影がこれまた大きな仕草で僕達に向かって手を振っていた。その片手にはベリーとチョコの二段アイスが一つずつあった。ちょっと溶けかけだ。
「ハグリッド!」
すっかりハグリッドを気に入ったハリーが途端に笑顔をあふれさせる。
「ねえ見て、マリア! ハグリッドがアイスを持ってる!」
「だから外で待ってたんだな」
冷静に呟くドラコと今にも走り出しそうなハリー。だが、ハリーは僕と手を繋いでいるために足踏みしかできずじれったそうだ。
僕の手を引く子供の水面っぽくきらめく緑眼の強さに、わかってると頷いてから隣のドラコを見上げる。
「それじゃあ、僕はここで」
「えっ、ドラコは一緒じゃないの?」
「僕も父上と母上が待っているのでね。……それに、僕がいたら、きっと彼は気分を害してしまう」
彼、と指されたのは、無論ドラコを見て不思議そうにしているハグリッドだ。ハグリッドと知り合いだったの? そう顔に書いて小首を傾げているハリーに苦く笑う。
確かにハグリッドは嫌いだ。ドラコが、というよりマルフォイが、ね。
「また、ホグワーツで」
そうしてドラコがそっとマリアへ顔を寄せるのを、ハリーはただでさえ大きな目をまんまるにして見ていた。次に同じようにハリーにも頬をほんの少し擦り合わせ、美しく微笑んで光の色彩の化身じみた少年は去る。その後ろ姿を、マリアはため息と共に、片割れのハリーはポカンと口を開いて見つめていた。
その人のどこまでも美しい所作に惚けていたのでない。──チークキスを受けたのなんて、はじめてだったのだ。ちなみに『マリア』もはじめてだ。
「マリア……ふつう、初対面の人間にキスってするもの?」
「ウーン、しないだろうね。……癖が出ちゃったかな」
「くせ?」
「ううん、こっちの話」
肩をすくめて、ハリーのふわふわの髪をくしゃくしゃと撫でてから今度こそハグリッドの元へと歩き出す。
ちなみにこの時、ハリーに、ドラコってばあんなにクールなのに案外スキンシップが激しいんだ……なんて愉快な誤解が生まれていたのだが、それが発覚するのはもう少し後の話である。
「おう。マリア、ハリー。ずいぶん時間がかかっちょったな。俺ぁ、その間にフローリアン・フォーテスキューのアイスを五つも食らっちまった。──んで、さっきの子は知り合いか? ん?」
「時間がかかったのはマリアだよ。ドラコとはお店の中で知り合ったんだ。すごく物知りで、ホグワーツのことを色々と教えてもらったの。同じ新入生だって。僕、また彼に会えるのが今から楽しみでならないよ」
「つまり、ついさっき友達になったばかりだったのか? それは──そりゃいかんぞ、ハリー、マリア。そうだ、特にマリア。こりゃいかん」
「「え?」」
かなりでろでろのアイスをつつきつつ教科書を求めてフローリシュ・アンド・ブロッツ書店へ向かっていた途中で、ハグリッドが突然グワッともじゃもじゃ毛に埋まった顔に目一杯シワを寄せるものだから、驚いてアイスを落っことしかけてしまった。ドラゴンだって逃げ出しそうな形相だ。
「マリア、ハリー。お前さんらはあのコチコチマグル共にひどい扱いをされてきたから知らんかもしれんがな、ありゃ、ああいう挨拶は親しい仲でするもんだ。初対面で、それも男女で? それはお前、やりすぎってもんだ。マリア、お前さんは女の子だ。それもリリー似で、そうだ! かわいい! ──ああ、違うぞ、ハリー。お前さんが別ってわけじゃないぞ。お前さんも勿論かわいい──いいか、ああいう輩にはビンタの一つでも食らわせてすぐ逃げるんだ。お前さんらはもっと警戒を覚えにゃならん」
「「…………」」
あのハグリッドに至極まともな説教をされて、マリアは掬っていたスプーンから結局アイスを落としてしまった。そしてハリーの中の誤解はさらに深まった。
「ほれ、返事はどうした。ハリー、マリア」
「「うん、ちゃんと注意するよ」」
この時、双子らしく声も言葉も揃った二人だが、込められた意味合いはまるで違った。
──注意しよう。僕はともかくこのハリーはふわふわのぽやぽやなんだから、きっと意味がわかってない。僕がちゃんとハリーに注意しておかなくちゃ。
──注意しよう。ドラコに、いくらスキンシップが好きだからって初対面の女の子にキスなんてしちゃダメなんだって。ドラコって意外と抜けてるんだ、僕がちゃんと注意しておかなくちゃ。
本物の天然は自身を天然とは思っていない。知らぬは本人ばかりである。