いつも通りに目が覚めて、着替えてブラシを手に談話室へ下りると、そこにハリーの姿はなかった。
「あれ、ハリーは?」
「クィディッチの練習だって。ほら」
ロンが寄越したメモには、ただでさえ上手といえない字が眠りながら書きましたと言わんばかりにのたくっていた。
我ながらひどい悪筆だ。僕だって、未来のハーマイオニーから悪筆矯正レッスンを受けていなければどうなっていたか。なお、強制だ。
「まだこんな時間なのに?」
「方針が変わったんじゃないの。ビーター二人も寝ながら出ていったよ」
「て、ことはハリーはあの頭で……練習後なんてもっとすごいぞ……」
ただでさえ毎日のブラッシングを怠ればたちまち絡まってしまう呪いレベルのポッター遺伝子なのに、寝癖に暴風がプラスされるだなんて考えるのもおそろしい。
「僕、ハリーのところに行ってくる」
ブラシを持ったままローブを羽織ってグリフィンドール塔を駆け降りる。向かうはクィディッチ競技場の練習用ピッチだ。
なぜだか最中にドラコとでくわし(彼もクィディッチ競技場へ向かっていた。)君、なんて頭をしているんだ! と首根っこを引っ掴まれて持っていたブラシで解かれた。そういえば僕も寝起きだった。ハリーほどじゃないけど、そこそこ毛先が踊っていたことだろう。そのまま、なにやら弄くられたためにかなりの時間を食ってしまった。
ようやくたどり着いたかと思えば練習はまだ始まっておらず、そっとドラコと二人で窺えばなにやら選手たちが口論しているようだった。なんだなんだ、とうとうオリバーにみんなが反旗をひるがえしたか?
「……おい。これ」
「え? あ。アアー……」
見えたのは、グリフィンドールの赤いユニフォームと──緑色。
もしかして──今日か。
案の定「少なくとも、グリフィンドールの選手は誰一人とお金で選ばれたりしてないわ!」というハーマイオニーの反論が聞こえてきて、二人で頭を抱えた。特にドラコなんて、黒歴史の再来に胃がシクシクしてきた頃だろう。
──と、いうか。ドラコはここにいるのだ。一体誰がスリザリンのシーカーになったというのか。
「──セオドールか」
ドラコが呟いた。セオドール? ……ああ、セオドール・ノットか。……え、セオドールが?
細身で茶色い髪の少年がハーマイオニーを鼻で笑う。そして。
「生憎と、君の意見は聞いてないんだ。生まれぞこないの穢れた────」
「──その言葉は、あまり品があるとはいえないね」
颯爽とドラコが人の波を切る。華奢で儚げな背中は毅然としていて、どの口が、なんて茶化す気をなくすくらいには──まあ、かっこよかった。
「やあ、セオドール」
「……やあ、ドラコ」
なんとも冷え冷えとした空気でスリザリンの二人が挨拶を交わす。ドラコが一度だけ、横目で僕を見た。……今のうちに、てことね。
「ハリー、ロン、ハーマイオニー」
いつもの三人を小声で呼び寄せて、場をドラコに任せて離れる。たぶん、この三人がいる方がややこしくなる。
「ハグリッドのところにでも行こう。ハリー、その頭で授業なんて僕が受けさせないからね」
「そんなにひどい?」
「鳥の巣でも乗せてるのか、てくらい」
「そっかあ……。マリアは…………とっても女の子らしいね?」
「え? そうなの? どんな風になってるのか、僕、知らないんだ」
手を後頭部へと回してみれば、三つ編みらしきものに触れた。これは……ええと……編み込みってやつ……?
ハーマイオニーがふぅん、と目を細める。からかいたくてたまらないって顔だ。
「器用なのね──マルフォイって。それに、マリアに似合うものをよくわかってる。……とってもかわいいわ」
「……ありがとう」
なんだか気恥ずかしくてぶっきらぼうに返せば、ハーマイオニーはさらに笑みを深めた。……なんだっていうんだ。
ハグリッドの小屋が見えてきた。扉を叩けば、ハグリッドはずいぶんと不機嫌な顔をしていた。なんでも、さっきまでロックハートが押し掛けていたのだとか。本当に行く先々で湧きやがる。アブラムシのような男だ。
ハリーの頭を整えている間、三人はハグリッドへハーマイオニーが受けかけた侮辱の話をしていた。──それを止めたドラコの話も。
「俺ぁ、あんまし関わったこたねえけどよ。変わりもんだなあ、マルフォイの坊主は」
「あら、それなりに常識的じゃないかしら。スリザリンにしては」
「そうだ。スリザリンの中の、変わり者だ。そんでもって、マルフォイの中でも……ウーム。現にアイツの親父ときたら……」
ハリーは思い出していた。ボージン・アンド・バークスで見た冷たい相貌の男を。凍ったような眼差しを。──あんな男からどうやってドラコみたいないいやつが生まれるんだろう。
「よし、おわり! 今日もかわいいよ、ハリー」
「マリアだってかわいいよ」
目の前の旋毛にキスをすれば、ハーマイオニーとロンが、なにかとんでもなくどうしようもないものを見る目で僕たちを見ていた。ハグリッドまで生あたたかい目をしていた。
「そうねえ。今日は特にかわいいわよ、マリア。プリンスに飾られたプリンセスはちがうわね」
「ハーマイオニー……」
……ダメだ、諦めよう。今日のハーマイオニーは僕をからかい倒すと決めたようだ。
「さて、そんじゃあ、お前さんたちは授業の準備をせんとな。ハリーはユニフォームも着替えにゃならん」
ワイワイとハグリッドの小屋を後にする。ハリーが更衣室へ向かうのに付き添っていれば、箒置き場の付近でマクゴナガル先生に捕まった。すっかり忘れていた罰則の話だった。
「ミスポッターはフィルチさんとトロフィー磨き、ミスターポッターはロックハート先生のファンレター処理の手伝いをするように」
「フィルチと!? 最悪!」
「ロックハートだって!? 最悪!」
「呼び捨てとは何事ですか! グリフィンドール五点減点!」
朝からしっかりと減点されて、ついでとマクゴナガル先生とハーマイオニーのタッグに説教されつつ城へと戻る。途中、別れる際にマクゴナガル先生が微笑んだので何事かと首をかしげれば。
「よく似合っていますよ、ミスポッター。ミスターマルフォイは器用なのですね」
…………なんなんだ、一体!
***
廊下のあちらこちらで煙が上がっている。──否、両耳から煙を立てた人間が何人も歩いていた。風邪の季節だ。
ジニーがそれにぐったりしていて僕は非常に心配した。──『前回』ではジニーの体調の悪さは風邪ではなく日記に奪われた魂──この場合は生気だろうか──からだったのだから。
思わず、ハロウィンの今日まで、ドラコに再三、日記は君のキャビネットに間違いなくあるのかと確認していた。…………医務室で。
「こんな日に限って君──そりゃ、最近さらに蒼白くなった気はしてたけど。体調が悪いならもっとわかりやすく態度に表してくれよ。なんだって痩せ我慢するんだ」
僕の髪を弄っているドラコは答えなかった。耳から煙を立てている姿を絶対に見られたくないと背を向かされた結果だ。例の一件で彼はヘアアレンジに目覚めたらしい。日に日に僕の赤毛が芸術的になっていく。
「ただでさえ健康的とはいえない見た目なのに……君、ずいぶん儚げになっちゃってるじゃないか」
「ぐっ……君ならそう言うと思ったから隠してたんだ」
「今さらだろう」
「今さらだが男の矜持くらいある」
「僕にだってあるよ」
「あるなよ」
ポンポンと交わされる軽口に吹き出せば、マダム・ポンフリーに目をつけられてしまった。(「元気になったならさっさとハロウィンパーティーにでも向かいなさい! あとがつっかえているのですよ、ああ忙しい!」)
医務室を追い出されて、絶対に振り向かせない堅い意志を持ったドラコを背に歩き出す。でも心配は心配なので手は繋いでおく。
「ハロウィンパーティーか……気分じゃないな。一度だってまともに出席できたことはないけど」
ハロウィンの日に気分が乗らないのは、もはや反射のようなものだった。毎年毎年問題が起こるのだ。ホグワーツのハロウィン自体に楽しい印象が持てない。
「……僕の寮にでもくるか?」
「え?」
振り向きかけた首を、繋いだ手に力を込められたことによって前へと戻す。
「今ならパーティーに夢中で誰もいないだろう。……君の目で、日記の確認ができる」
「ナルホド。──いいね、僕らしいハロウィンだ」
僕とドラコの足音は大広間への廊下から逸れていった。──向かうは冷たい地下寮だ。
相変わらず鮮やかな呪い解除の腕を眺めて、差し出された飾り箱の中を覗く。──ティアラと、日記。
手に取って、偽物にすり替えられていないかを確認する。
「……うん、間違いないね」
「だろう?」
再び封印が戻っていく。作業のような動きになっている辺り、本当に毎日確認してくれているのだろう。僕が見てるわけでもないのに律儀だ。
「今年は『秘密の部屋』事件は起きないとみていいかな。……それはそれで、バジリスクの牙が手に入らなくて困るんだけど」
「どうするんだ」
「うーん、クリスマスにでもハリーを唆して部屋を開けさせるか……バジリスク自体は僕がなんとかするとして」
「弟を唆すなよ……僕もついていくからな」
「当然だよ?」
煙はすっかり消えていて、はじめからこうだったとばかりに涼しい顔をしているドラコへと悪戯っぽく笑う。ドラコはちょっとだけ面食らっていた。
去年手伝ってもらったんだもの。今年だって手伝ってもらうさ──相棒。
「よしっ。憂いは晴れたし、ハリーたちを回収して厨房にでも行こうかな。ねだればしもべたちがご馳走の残りくらいは分けてくれるさ」
「君たち三人は……アー……ゴーストの、なんだ」
「絶命日パーティー」
「そう。それでまったく食事にありつけなかったんだったか?」
「……毎年さ」
スリザリン寮を抜けててこてこと歩く。今度は横並びだというのに、やっぱり手は繋がれていた。
「一応、確認しておくか? ミセスノリスが石になってないか」
「慎重だね」
「……君、自分から三階に向かっているのに気付いてるか?」
「……僕も存外、慎重だったらしい」
無意識だった。相当トラウマだったんだな、なんて他人事にケラケラ笑って、三階の窓と窓の間の壁を見回して。
「────え?」
松明灯を反射する水溜まりの床。おぞましく光る文字の羅列。──ぶら下がる、死んでしまったような猫。
──秘密の部屋は開かれたり
継承者の敵よ、気をつけよ──
『僕』は再び、第一発見者となってしまった。