決闘クラブの翌日。ジャスティン・フィンチ・フレッチリーとほとんど首なしニックが石にされた。最早生徒たちの恐怖は疑心暗鬼に収まらず、パニックといってよかった。我先にとクリスマス休暇に向けて帰省の準備を始める中、ハリーはずっと悩みを抱えているようだった。
ドラコの堂々たる噂の影に隠れてはいるが──ハリーにだって、今までアリバイがないのだ。
ドラコはしかたない。だって元々、皆が避けるせいで何をしていなくとも一人にならざるを得ないのだから。けれど──ハリーは────
「ハリー?」
暖炉前のソファへ、ハリーにもたれるような形で腰かける。
「……マリア」
「……それは、僕に話せないこと?」
ハリーは緑の瞳をぐらぐら揺らせて──そして唇を噛みしめた。
「……話せる、と、思う」
「それなら、」
「でも、嫌なんだ。たぶん、巻き込むから」
「そんなの今さらじゃないか」
「そう、今さらなんだ。だから──だから、きっと、僕は君に話すよ。でも、まだ決心がつかない。……待っていてくれる?」
今にも不安に押し潰されそうだと、つぐまれる唇の代わりに瞳が饒舌に語っている不器用な弟を、僕はつよくつよく抱きしめた。
「当たり前だ。僕を誰だと思ってるのさ。君の片割れだよ? 見くびるな。──たとえ君が、今ここで『実は僕が闇の帝王だったんだ』なんて言い出しても、僕は変わらず抱きしめるよ」
「……ふっ、ふふ、なぁに、それ。マリアって時々冗談が過激だ」
……あながち、間違いってわけでもないんだけどね。
やっと笑顔を思い出したハリーに、僕はちょっとだけ気まずく思いながらも背をなで続けた。
***
日に日に憔悴していくハリーを置いて、ホグワーツはクリスマス休暇へと入った。僕はこのところハリーに付ききりで、この休暇中を狙ってハリーの変化の話をドラコに相談しようと考えていた。それまで、ドラコとまともに会うことも考えられないくらい、ハリーが心配でたまらなかったのだ。
だから、休みに入ってハリーが早起きをする必要なくのんびりしているうちにドラコの元へ忍んでしまおうと──
悠長に、かまえてなどいられない事態が起きた。
「ドラコ」
「…………は? マリア?」
透明マントを使い、さいわいハロウィンから変わっていなかった合言葉でドラコの寝室へと侵入する。ドラコは滅多に見ないパジャマ姿のままで、見るからに寝起きだとわかった。僕だって寝起きだ。パジャマだ。でも、目ははっきりと覚めていた。──覚めざるを得なかった。
「き、君、なにしてるんだ、そんな姿で。いくらなんでも礼儀ってものが」
「今すぐ僕を男にしてくれ」
「………………ハァ?」
クールな相貌がすっとんきょうに崩れる。今日のドラコは珍しい尽くしだ。おっと、さっそく脳が現実逃避を始めている。
「……あー、いや、無いとは思うが、一応確認しよう。…………女にしてくれ、ではなく?」
「これ以上女になりたくないから言ってるんだよ! ねえ、あるでしょう? こう、性転換薬とかさ。ここ、魔法の世界だよ? ポリジュース薬があるなら性転換薬くらい楽勝だろ? 君なら作れる、頼むよこの通りだ!」
僕のあまりの剣幕にドラコは心の底から引いていた。
こっちは深刻なんだよ! 引いても逃げてもいいから性転換薬は差し出してくれ!
「落ち着け。とにかく、落ち着け。まずは事実確認と現状理解から入るとしようじゃないか。いいか、性転換薬はないことにはないが一生ものじゃあない…………おい、絶望するのが早すぎるだろう。君の事情はどうなってるんだ」
パジャマのまま僕の肩を叩いてなだめるドラコに、僕はひどくひどくかすれた声で呟いた。
「…………んだ」
「なんだって?」
「……………………生理が、きたんだ」
「…………」
シン、と、名状しがたい空気が流れた。
「わかるか? 今朝起きたら、ベッドが血まみれで。殺人現場かと思ったよ。もしくはスキャバーズが僕のベッドの上で死んだのかと思った。太ももにべっとりとした感触があって、僕、はじめはベッドの血がついたんだと思った。でも、ちがった──僕の股から、血が流れていたんだ。意味がわからない」
「……それは、アー……」
「わかってたさ。女性である限り一生つきまとうものなんだろう? ジニーもリリーもそれで苦しんでいたし、ジェームズやアルバスにも妹の繊細な時期には気を遣えと教育した。主にジニーがだけど。知識としてはわかっていたんだ──けど──」
混乱でフラフラの僕をドラコがベッドへと導く。とにかく立っていることすらつらかったので素直にありがたかった。
「僕、産めるのか? これ、僕が──産むってことだよな? そういう、準備なんだろう? 僕が? 赤ちゃんを? ──この僕が?」
「マリア、落ち着け」
「そりゃ──そりゃ──我が子に会いたくないわけがない。ジニーだって、どれだけつらくとも苦しくともしあわせなんだって言ってた。出産はすばらしいものだって──でも──だって────僕、男なのに──?」
「──ハリーッ!!」
彼の張りつめた声に、ハッと顔を上げた。彼の氷っぽい瞳を見て、ほんの少し頭が冷えた気がした。
「ドラコ……」
「落ち着け、ハリー。君がどうあろうともその体は女性なんだ。わかるな?」
「……うん」
「そして、僕以外はみんな君を女性と見る。そう見られているんだ。ここまでは受け止められるか?」
「うん……」
「よし、じゃあそこからはゆっくり理解していこう。焦らなくていい、全部受け止めようとしなくていい。君が君のまま、女の子のマリアと共存しよう。──もしも、もしもどうしてもこの先は無理だとはっきりしたら、その時は──」
ドラコの胸へと包まれる。落ち着く体温だ。子供をあやすみたいに一定のリズムで背を叩いてくれる。
──ああ、彼を一番に頼ってよかった。
「その時は、僕が禁術でもなんでも使ってどうにかしてやる」
「……はは、それは、すごいな」
「本気だぞ? 僕は君に何度か命を救われた借りがあるからな。癪なことに。──君が自暴自棄になるくらいなら、禁術くらい軽いものさ。校則違反より軽いとも」
まるでハーマイオニーのような言葉に、とうとう吹き出した。そんな僕にドラコは、一緒に笑いながら抱きしめ続けてくれる。
「……落ち着いたか?」
「うん。ありがとう、ドラコ」
「『ハリー』の悩みを聞けるのは、この世で僕だけだからな」
いつもの憎たらしい顔でニヒルに笑ったドラコに、お礼も込めて鼻をつまんでおいた。
「はあ、落ち着いたらお腹が痛くなってきた。毎月これだなんて……もっとジニーやリリーに優しくしておけばよかった」
「それは今からでもできるだろう。……重いのか?」
遠慮がちに腹を撫でるドラコのたどたどしさに小さく笑う。アステリアにこうしてやってたのかな。
「わからないけど……歩けないほどじゃないかな。ここまで走ってきたし」
「意外と大丈夫そうだな」
「メンタルは久々にボロボロだけどね。……これからどうしよう。いつまでもトイレットペーパーでどうにかできるとは思えないし。ええと、大体一週間だっけ?」
「ああ、基本はそう………………待て」
「うん?」
「……君、今、その──例のを、どう処理してる……?」
ドラコが再び稀な動揺を見せるので、ううん? と首をかしげた。
「とりあえずトイレットペーパーをつめてきた」
「……ハ、ハァァァ!?」
今度は目がかっ開いた。ワァ、珍しい。
「なんだトイレットペーパーって! こう……あるだろう! 専用の、あれが!」
「ないよ! 持ってるわけないだろ! 思いもしなかったんだから!」
「想定していろよ!」
「してたらこんなことになってないよ!」
互いの叫び声と荒い息が爽やかな朝の空気にこだまする。スリザリン寮は地下なので爽やかもなにもないが。
心底、今この寮にドラコ以外に残っている生徒がいない事実に感謝した。
「とにかくグレンジャーだ。そういうのはすべてグレンジャーに相談するんだ。僕に聞いたって無駄だ。僕が詳しかったらそれはそれで審議ものだろう。いいか、虐待されてきたからろくな知識を与えられてないと言え──というか、本当に与えられてないんだな」
「ペチュニアおばさんは、女の子はその辺の草花みたいに勝手に育つと思ってるのさ」
脳内に浮かぶ金髪の馬面に向かって吐き捨てた。きっとペチュニアだって、勝手に芽生えて勝手に咲いてるんだ。
「ううん、それにしても──ハーマイオニーか……こういう、女の子なことを相談するの、気後れするんだよね。下着選びからレッスンされそうだ。僕にはまだ早いって言ってるのに」
「我が校きっての才女どのに下着から選んでもら、え………………いやだ。この流れはもういやだ。うんざりだ。だが聞かなくちゃいけないんだろう、僕はいつだってこういう役割なんだ!」
「え、なにドラコ。こわ」
突然、頭を振りだしたドラコからさりげなく距離を取る──と。ガツッと、両肩を力任せに押さえられた。
「…………君、今、下着、はいてるか?」
「……ドラコ、それはさすがにセクハラだと思うよ。間違ってもハーマイオニーやジニーにはしないでよ」
「お前だから聞いてるんだ、バカ!」
耳元で叫ばれて頭がキンキンした。こんなにテンション高いドラコ、久しぶりだなあ。元気でけっこうなことだ。
「一応、血だらけはまずいから新しいのに替えてきたよ? パジャマのズボンだって、ほら」
「……そうじゃない。君、わかっててやってるんじゃないだろうな……」
「うん? ちゃんと口にしてくれよ」
「口にしたらマズイからこうしてるんじゃないか……」
そして何かに葛藤していたドラコは、荒んだ目で僕の胸を掴んだ。──胸を、ワシッと、掴んだ。
「……やっぱり」
「さすがに訴えるよ?」
十二歳とはいえ、そこはそれなりに成長してるんだが?
「いいか、ハリー。いや、マリア。ここで誓え。──グレンジャーと一緒に、下着一式、上下もろとも、買ってこい。そして絶対につけろ。いいな?」
「ええ……セーターもローブもしてるんだからバレやしな……」
「い、い、な!?」
「ハイ」
かっ開くグレーの目の迫力に負けた。だってドラコってば、今にも憤死しますって顔するんだもの……。
「つかれた……勘弁してくれ……そんな状態で僕に抱きついていたなんて……いや僕はいい。僕以外が問題だ。ハリーだって兄と言い張るならその辺りの教育もしておけ」
「ハリーには無理だろ。『僕』、そういうのまったくわかんなかったもん。ロンの方がまだ知識があったよ。ジニーがいたし」
女兄弟のはずのマリアは『こう』だし……ねえ?
ぐったりとベッドに突っ伏してしまったドラコを指でつつく。
「ドラコー。ついでに分霊箱の確認をしていきたいんだけどー?」
「……チッ。じゃじゃ馬め」
「君はあれかい? 僕をおとしめないと息ができないのかい?」
「今、誰よりも心痛を慰められるべきは僕だ」
だとかなんとか。ぶつくさ文句を言いつつも片手間で封を解いてくれる辺り、面倒見がいいんだ、ドラコ・マルフォイは。
「ほら、日記の確認だろう? 相変わらず消えやしてないさ。中身だって、最初のページにT・M・リドルのまま────」
ふと、ドラコが日記を見つめて停止した。
「……ドラコ?」
次は僕を凝視する。ただならぬ雰囲気にコクリと唾を飲む。先程までの陽気な空気が、一瞬にしてかき消えてしまったみたいだ。
「ドラコ? どうしたの?」
「……マリア」
ベッドに乗り上げる姿が、なんだか蛇みたいだった。スルリと頬を撫でられる。いつものような、親愛に包まれたそれじゃなくて──なんだか──まるで──
「なん、だよ……ちょっと君、こわいよ?」
「ああ、すまない。……確認、しておこうかと」
確認? そう聞き返す声は声にならず奪われた。
「ん、う!?」
にゅるっと。もうずいぶんと久しい、生々しい体温と感触が口腔いっぱいに押し込まれる。肩をベッドに押さえられ、かたむいた頭から大きく開いた口に、蛇みたいな舌が喉奥まで侵入しようと暴れる。冷たい体温の指がパジャマの裾を巻くって、腹と肋骨を撫でて中心をたどっていく。アイスグレーが、冷たい炎のような熱を灯して僕を見ていた。
ふざけるな。
「────ツ、ゥ……ッ」
「……これは、悪ふざけじゃすまされないよ」
噛まれた舌を己の咥内へと戻したドラコは、どこか観察じみた目で僕を見ていた。
「……この程度か」
「へえ。この程度、ねえ。僕がどんなに乙女な反応できるかの確認かい? 生憎だけど、そこまでウブじゃあないんだ。君は知ってると思ってたけど?」
「そうだな。思い違いだった。……ふぅん、なるほど」
まるで研究してるだけみたいな態度にカッと血がのぼる。
人に断りもなくキスしておいて、しかもこんな、舌を入れるような──それなのに、なんだその態度は。確かに君は研究者気質なところがあるけれど、だからといって──ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
「……そろそろ退いてもらえる? 杖は使えずとも体術にはそれなりに覚えがあってね。その辺りも『持ち越し』だ。ビンタの一つも入れさせてくれるんだろうね?」
「そう怒るなよ、マリア。僕たちはそういう関係じゃないだろう?」
「ないさ! ないのに君がッ────もういい!」
彼を力任せに蹴飛ばし──軽々と避けられた。ああもう気にくわない!──透明マントを拾って扉へと向かった。閉める間際、僕を見つめるドラコへと、怒りのままに吐き捨てた。
「来年アステリアを見て、自分がどれほど恥知らずなことをしたのか考えろ!」
なにもかも! 気にくわない!