ハーマイオニーとウィーズリー一家も共に漏れ鍋にて一泊した翌日。魔法省の車で送迎された僕らはホグワーツ特急に乗っていた。出発ギリギリまでアーサーおじさんに捕まっていたハリーを迎えて、ロン、ハーマイオニー、ハリー、そして僕ともう一人でコンパートメントはいっぱいだった。
「誰?」
眠りこける男をロンが不躾に眺め回す。
「ルーピン先生よ」
「どうして知ってるんだい?」
「鞄に書いてあるじゃない」
「……マリア?」
ロンとハーマイオニーの会話はすっかり耳の中を通り抜けてしまっていて、ハリーがいぶかしげに僕を覗き込んだことでようやく僕は子供たちへと意識を向けられた。三人はそれぞれに不思議そうにしていた。
「ううん、なんでもないんだ」
……ちょっと、彼を見つめていたくなっただけなんだ。
「ほんとうに? 大丈夫?」
「マリアがぼうっとしてるなんていつものことでしょ」
「やっぱりあのキザ男のところに行きたいとか思ってるのかい?」
「ロン!」
ロンが、ハリーを見つめるジニーをからかう時とまったく同じ顔をするものだから、ハーマイオニーはするどく声をあげた。
どうしてかハリーだった頃よりもハーマイオニーは優しい。マリアに対しての方が面倒見がいい気がする。女の子同士だからかな。
「ごめん、マリア。いつもドラコと約束してるのに。でも、君にも聞いていてほしくて」
「かまわないよ、ハリー。どうせドラコは他の子と一緒だろうし」
「あら、それって女の子?」
「ええ? マリアを放ってかい? マルフォイなんかが?」
「スリザリンのマルフォイを毛嫌いしてらっしゃるあなたはご存知ないでしょうけどね、マルフォイったらあれで人気なのよ。落ち着いていてクールでたまらない! なんてラベンダーも言ってたわ。マリアだってうかうかしてられないんだから」
ハーマイオニーの言葉に、吹き出すのを咄嗟のところで耐えた。あのドラコが──マルフォイが落ち着いてる? クールだって? なんて愉快なんだ。
それに、だ。どうやら僕の同室者たちは揃いも揃って勘違いしているきらいがあるが、僕とドラコはそんな関係じゃあない。そりゃ、互いに男女と見てないからこその近さはあるかもしれないけど────あれ。ダメなんじゃないか、これ。
普段ドラコと関わりのない人間すら誤解する僕らの近さって──アステリアにだって誤解されてしまうんじゃ。
「……うん、そうだね。気を付けるよ」
しっかりとうなずいた僕に、ロンとハーマイオニーは呆気に取られていた。
「マリアがこの手の話を理解するなんて」
「おっどろきー」
どういう意味だ。そのしかたない子を見る目をやめなさい。
「悪いけどマリアの話はあと。僕の話をさせてもらっていいかい」
仕切ったハリーに慌てて二人は居住まいを正した。
「──シリウス・ブラックのことなんだけど」
ハリーは報道の件やナイトバスでのスタンリーの話、ウィーズリー夫妻から盗み聞いた上辺だけの真相を重く語った。
ちがうんだ! ──そう叫びたい気持ちを、拳を握ることで食い込んだ爪の痛みに誤魔化した。そんな僕の肩をそっと抱いてくれるハリーの優しさがよりつらかった。
僕は今も昔もグリフィンドールに選ばれたことを誇りに思っている。けれども──大切なものを打算で押し込んでしまえるこの狡猾さは、間違いなくスリザリン向きといえるだろう。組分け帽子はどこまでも正しかった。
ダンブルドアもこんな気持ちだったのだろうか。
最後までハリーに告げられなかったダンブルドア。自身の命すら次に繋げるための駒とした偉大で残酷な人──
僕には、シリウスを庇うことはできない。
勝手はできない。欲望で動いて、予測不能の事態になった時、それを好転させる賢さは僕にはない。秘密の部屋の二の舞になるわけにはいかない。ダンブルドアのように引いて見ているくせに──彼のように心を殺しきる器用さなんてない。
僕にできるのは──
忘れるなよ、傲慢なハリー・ポッター。……僕は、未来を知る全能の神なんかじゃないんだ。
「何の音?」
マリアをシリウス・ブラックの話で怖がらせてしまったと気まずげにしていたハリーとロンがふと顔を上げた。──スニーコスコープだ。ロンから誕生日プレゼントにもらったそれがけたたましく騒いでいた。
なんで──ああ、そうか。スキャバーズか。
ハリーが慌ててローブやらお下がりの靴下やらで包んでトランクの奥へとしまい込む。三人が気にする彼は変わらず死んだように眠っていた。
話題はホグズミードへと移った。しょんぼりするハリーを次は僕が慰める番だった。ハーマイオニーが解放してしまったクルックシャンクスをスキャバーズに飛びかかられる前に抱き止めたりしながら、魔女鍋スポンジケーキをつまむ四人は和やかに過ごしていた。
タタン……タタン……暗くなった空と共に速度が落ちていく。夕食に想いを馳せるロンと、ハーマイオニーの怪訝な声が重なる。
光が消えた。────来た。
「静かに」
パニックから騒いでいた子供たちを目覚めたルーピン先生が制した。状況がわからない中、唯一杖を使える大人の存在は大きい。誰もが彼の挙動に注目していた。
「動かないで」
くたびれた様子だというのに目だけは鋭く警戒しているルーピン先生に、戦う彼のさまを思い出す。恐怖への立ち向かい方を教えてくれた──『僕』の先生。
冷気が流れ込む。咄嗟にハリーを抱きしめた。最早どちらがすがっているのだかわからなかった。ハリーを庇おうとしたのか、ただ体温を求めたのか。
暗闇だというのに、頭巾をかぶったさらに黒い影が入り口に立っていた。反射的に杖をかまえた。ガラガラと奇妙な音が呼吸をしていた。吸い上げていく。幸福を──思い出を──希望を──
──ハリー……ポッター……。
──セドリック! セドリック! 私の子だ! 私の息子だ!
──セブルス……頼む。
──死ーんだ死んだ! シリウス・ブラックが死んだァー!
──僕を、見てくれ。
──いいぞ、ジェームズ!
「マリアッ!!」
目の前に僕がいた。弱くて、ちっぽけな頃の僕だ。真っ白な顔で目に涙をためていた。だって泣くしかなかったんだ。僕の頬を包んで体温を分けようとしてくれた。こんな小さな手でなにができただろう。僕は……ああ、そうか。──君はハリーだ。
「僕、君たちがひきつけを起こしたのかと思った」
恐々とロンが僕たちへと手を差し伸べる。ハリーと、そして僕はディメンターの影響を受けて気を失っていたらしい。側に杖が転がっているのが見えた。油断しすぎた。
「さあ、これを。食べるといい、気分がよくなる。私は他の子たちの様子を見てこなければ」
チョコレートを僕たちに渡して、ルーピン先生は通路へと消えた。力の抜けた体でどうにか支え合いながら席へと座り直せば、ハーマイオニーとロンが待ちきれないとばかりに交互に語った。
『シリウス・ブラックを匿っているものはいない』──どんな気持ちで、ルーピン先生はそう言ったのだろう。
永遠だと思っていた親友たちのうち二人は死んで、その原因がもう一人の親友の裏切りとされていて──たったひとり取り残されてしまったリーマス・ルーピン。
僕らに置き換えれば、ハーマイオニーやロンが裏切り、闇の陣営に堕ちたと言われているようなものだ。──そんなの、僕には想像すらできない。……ルーピン先生やシリウスだって、そうだったろうに。
「マリアも聞こえたの? あの叫び声……」
「う、ん」
ハリーは母さんの声を指している。それに僕は曖昧にうなずいた。
叫んでいた。泣いていた。懇願していた。──笑ってた。
ルーピン先生がコンパートメントへと戻ってきて、僕らの手に残るチョコレートを見て苦笑した。慌ててハリーにも促しつつチョコレートを食べた。それだけで胸があたたかくなって苦しかった。
「「ありがとうございました」」
二人でルーピン先生へと顔を向ければ、ルーピン先生はハッと息をのんでいた。
「いや……大丈夫かい? ハリー、マリア」
頭をおそるおそると撫でられて、大人から愛情を受けるのに慣れていないハリーと一緒にへにゃへにゃに笑った。
汽車を降りる際に別れたルーピン先生の背を目で追っていたハーマイオニーは呟いた。
「ハリーはともかく、マリアの名前も知ってるなんてめずらしいのね」
……ほんとうにね。