こんなにも憂鬱なハロウィンはない、とばかりにハリーは落ち込んでいた。ポッター兄弟はホグズミードへ向かうみんなからすっかり置いていかれてしまったのだ。
ハリーは責任を感じていた。マージおばさんに癇癪さえ起こさなければ、マリアにだってこんな不自由な思いをさせずに済んだのに……。だからといってあの暴言は絶対に許さないけど。
「ハリー? 僕は気にしてないから、パンプキンパイでも食べに行こうよ」
「でも……マリア……」
「チャンスならいくらでもあるさ」
イタズラ好き双子と忍びの地図を頭に浮かべながらハリーの手を取る。ハロウィン一色の談話室や廊下には、三年生の姿はほとんどなかった。
「ハリー?」
中庭への通路で声をかけてきたのはルーピン先生だ。繋いだ手のまま、ハリーと同時に振り返る。
「「こんにちは、ルーピン先生」」
「あ、ああ……こんにちは」
少し面食らって、それからルーピン先生は穏やかに笑った。どうしてここにいるんだい? みんなホグズミードに行っちゃって。それならお茶でもどうかな──トントン拍子でルーピン先生の部屋へとお邪魔する流れになり、前回同様、落ち着かない様子のグリンデローに迎えられた。
「紅茶でいいかい? ティーバッグしかないんだけど。でも、お茶の葉はうんざりだろう?」
茶目っ気を見せるルーピン先生にクスクスと笑う。
「二人は──ほんとうに、仲が良いんだね」
「ハリーの姉ですから」
「マリアの兄ですので」
「「兄弟の面倒を見るのは当然です」」
双子のユニゾン芸を見せれば、ルーピン先生はカラカラと笑ってくれた。笑い涙を指で拭って、結局どっちが上かな? と尋ねる顔は、とっくに正解を知ってるのだと僕にはわかった。
「さあ。やっぱり僕が姉なんじゃない? 弟よ」
「僕が兄だよ。妹よ」
「僕の兄さんは強情だ」
「まったく同じ言葉を返すよ、姉さん」
冗談を投げ合って、そんな僕らにルーピン先生は笑みを困惑に変えた。
「……もしかして、ほんとうに知らないのかい?」
「知らないです。ペチュニアおばさんは教えてくれませんでしたから」
「でも、それでいいんです」
「どっちが上だって、僕らが兄弟だということに変わりはありません」
「だから、答えは今のところいらないかな」
「ね、マリア」
「ね、ハリー」
まっすぐうなずく僕らに、ルーピン先生はまぶしそうに瞳を細めた。
「そう。……いい、在り方だね」
一介の教師にしては深い慈愛に、ハリーは不思議そうに首をかしげるのだった。
「──あの、先生。お聞きしても?」
ふと、切り出したのはハリーだ。ハリーは躊躇いながらも、ボガートの授業について尋ねた。
「あの時マリアが止めなければ、きっと先生が止められたのでしょう? どうして──」
「君がボガートに立ち向かえば、ヴォルデモート卿になると思ったんだ」
そこで、ハリーは心配そうに僕を見た。──ああ、やっぱり。ハリーはわかっていた。
「でも、僕──」
「ハリーの恐怖は、ディメンターだったね」
言いづらそうなハリーの言葉を引き継ぐ。ルーピン先生は感慨深げに目を開いた。
「ハリー、君の恐怖は──恐怖そのものなのか」
コンコン。ノックの音で会話は切られた。脱狼薬を手にしたスネイプ先生だ。
スネイプ先生は、ハリーとルーピン先生が揃う姿に不快げに眉を寄せると(年がら年中寄ってはいるけれど、さらにだ!)ハリーがいるからには
うーん、そうか。スネイプ先生からしたら母さんに父さんに父さんの悪友が揃ってる光景だもんな……そりゃ目をそらしたくもなる。わかってはいても沸々とした怒りは湧き上がってくるのだが。
同様に思い至ったのだろうルーピン先生も、スネイプ先生に礼を言いつつ苦笑していた。ハリーが興味津々に、見るからに毒物な脱狼薬を飲むルーピン先生を見るので、あまり触れられたくはないだろうとハリーを連れていとまを告げる。
「ああ、待って。マリア、君と話がしたいんだ。君の妹を借りてもいいかい? ハリー」
「……僕だけですか?」
「僕がいてはいけませんか?」
同時に立ち止まった僕らに、ルーピン先生は眉を下げてきっぱりと言い切った。
「マリアだけだ」
「……ハリー、先に行ってて」
「マリア」
「君に、おつかいをお願いしたいんだ。あのね、広間のご馳走をいくつか包んで、クルックシャンクスに持たせてあげてくれないかな。できればチキンを、いーっぱい。ああ、クルックシャンクスが食べるんじゃないよ。クルックシャンクスってば、最近秘密のお友だちがいるんだ。彼がお腹を空かせてるだろうから。クルックシャンクスなら大丈夫だよ、あの子、実は力持ちなの」
「……その、秘密のお友だちは、マリアの友達でもあるの?」
「……うん」
「そう」
ハリーはふんわり笑うと、僕の頬に手を添えてコツリと額を当てた。
「また、ちゃんと紹介してね。マリアの友達は僕の友達なんだから」
「うん。ハリーも大好きになるよ、ぜったいに」
詳しく聞き出そうとはしないハリーの優しさに感謝しながらハリーを送り出す。扉を閉めて、振り返った先──ルーピン先生は哀愁に瞳を揺らしていた。
「……ハリーは、母親似なんだね。そして君は──」
「父親似?」
ルーピン先生は微笑むばかりだった。
「ハリーが大切かい?」
「当然です。たった二人残された家族を大切にしないと思いますか?」
「ああ──そう、そうだね。そうだろう」
「……なにをおっしゃりたいんですか? ルーピン先生」
懸命に言葉を選んでいるらしいルーピン先生は、そしてゆっくりと息をはいた。
「──君たちの在り方が、危ういと思ったんだ」
──危うい?
「ボガートの授業の時、君はハリーをかばったね? 聞けば、これまでも度々そういったことがあったらしいじゃないか。……君は、ハリーのためならば自己犠牲を厭わない」
「そんなことは」
「君にとっては当たり前のことなのかもしれない。たった一人だけの家族を守りたい──それだけだろう。けれど」
ルーピン先生は確かな意志を持って僕を──僕の瞳を見た。
「君の献身は──とても危ういよ」
言葉が出なかった。
献身? 自己犠牲? ちがう。そんな──上っ面だけがうつくしいものじゃない。
もっとドロドロした──ただの自己満足なのに。
「……肝に、銘じておきます」
形だけの礼を残して退室する。膨らんでいく淀みが爆発しそうな気がして──『彼』に会いたいのに、少女の影が彼の隣にあるのだと躊躇ってしまう。
これまでは彼と二人きりになるだなんて、欠片も気にしていなかったのに。周りからどう見えようがどうだってよかったのに。
僕たちは、僕たち自身が友であろうと──『男女』として見られるのだと思い知らされた。
「ドラコ……」
「なんだ?」
返ってくるとは思わなかった声が背中からかけられて、大袈裟に振り返ってしまった。ドラコは、通信紙を振りながら呆れた顔をしていた。
「君が言ったんだろう。これを見るくせをつけろと」
ローブのポケットから四つ折りの羊皮紙を取り出してみれば、『今どこにいる?』と浮かんでいた。
「なんで……」
「ハリーが珍しく一人で歩いていたからな。お前の妹はどうしたと聞いてみれば、リーマス・ルーピンと二人きりで話してるだとか言うじゃないか」
「……それで、わざわざ探しに来てくれた?」
「……今年に入ってから君は不安定だ。原因だってわかってる。……原因のひとつと茶をしてるなんて聞かされれば、心配もする」
ぶっきらぼうに言い捨てたドラコに、助走をつけて抱きついた。軽々と受け止められて、元々あった身長差がハリー同様さらに開いてしまったのだと気付いて悔しかった。悔しくて──愉快だ。
ごめん、アステリア。君たちの邪魔は決してしないと誓うから──今だけは許してくれ。
「君、なんでホグズミードに行ってないんだよ」
「今さら行く必要があるか?」
「ハリーが聞いたら悔しがりそうだ」
「会った時に正気を疑う目で見られたよ。なつかしかったね」
外に出て、ベンチに座ってケラケラと笑う。寒さなんて気にもならなかった。
「君こそ、ルーピンとなんともなかったのか」
「なんとも……ウーン、なんとも、あったかもしれない」
髪と同じ色のきれいな眉がひそめられたので、慌てて続ける。
「先生とどうこうってわけじゃないんだ。そうじゃなくて──僕って、ハリーに甘い?」
「なんだ突然。あれだけ溺愛しておいて」
「溺愛かあ……」
ウーン、と腕を組む。ドラコにまでそう見えるのか。
「じゃあ、ハリーにやさしい?」
「──いや」
ドラコは眉を寄せてはっきりと否定した。
「優しいとはちがうだろう」
「────」
思わず彼の顔を凝視していた。ドラコは、だからなんだ、とでも言いたげに涼しい顔をしていた。渇いた気のする喉を唾を嚥下して潤す。
「そう──そうだ、その通りだ。僕はハリーに優しくなんてない。──自分に、やさしくしたいだけなんだ」
彼から視線をそらして、背を丸める。
「『僕』がしてほしかったことをしてるだけなんだ。小さい僕はおはようもおやすみもなかった。挨拶のキスだってなかった。風邪を引けば隔離され、しんどい体を誰かに抱きしめてもらえるなんて想像もできなかった。──愛してると、言われた記憶がなかった」
丸めた身のまま、腕を抱える。ひどく自分が小さな存在に思えた。
「かばってほしかった。ダドリーなんかよりハリーが大切だと言ってほしかった。ダドリーよりもたくさんのプレゼントがほしかった。無条件に愛してほしかった。なにも不安に思う必要のない絶対がほしかった。──でも、いなかったんだ。『僕』にマリアはいないんだ」
「かわいそうだろう? 哀れだろう? 僕は、ハリーを通して小さい僕を慰めたいだけなんだ。何て言うんだったかな、ハーマイオニーが──『僕』のハーマイオニーが教えてくれたんだけど……マグルのなにかの学問で、こういう心理をインナーチャイルドケアとか言うそうだ。ハリーは、
自嘲のまま吐き捨てる。なんて──
「だから、グレンジャーやウィーズリーでなく僕の元に来るのか」
「──だって! 彼等は『ハリー』の親友だもの! 僕らの友情にマリアなんていなかったもの! ロンが、ハーマイオニーが──『僕』以外を一番の友にするなんて見たくない。そんなのは僕が許せない! 三人の中に、『マリア』を入れてほしくない」
ぶくぶくと膨れ上がった淀みを吐き出すつもりだったのに、それは喉元でくすぶって消えてはくれない。
ドラコは、癇癪を起こす子供みたいな僕に小さくため息をついた。
「まったく……マリアはバカだな」
「……そうだね」
力なく肯定した。僕はとてつもなく愚かだ。
「ルーピンになにを言われたかは知らないが──君がハリーになにを思っていようが、
「……そうかな」
「ああ。自己満足でも偽善でも、現にこの世界のハリーは家族の愛情を知っている。それは君のおかげだ。……父親を知らないからいい父親になれないと、悩む必要はなくなるかもな?」
かつての親子喧嘩を揶揄されて、抜けた力のまま吹き出した。
「君がハリーを愛することに罪悪感があろうと、ハリーには関係のない話だ。そんなこと本人は考えもしてない。悔やみ損だ」
「なんだ、それ。アハハ、損得で考えられたら苦労しないよ」
「疲れたら損得で考えてしまえばいいんだ」
損得の世界で生き、苦しみ続けてきた『ドラコ・マルフォイ』らしい言葉に、ようやく、大きく息をした。
「そっか。うん、そうかもね。……すっきりした」
「なによりだ」
伸びた背をドラコが叩く。なんとなく、彼なりの励ましと照れ隠しなんだとわかった。
「……避けるなよ」
「うん?」
「君は僕にアステリアのことで遠慮するなと言った。……なら、君だって僕に遠慮するな。都合が悪ければ断るし、アステリアを優先するかどうかだって、自分で選ぶ。君は余計なこと考えずに今まで通り僕を振り回せばいいんだ。自分勝手のくせに今さら見当違いの気遣いなんて、似合わないぞ。失敗するのがオチだ。それがお前だろう、ポッター」
下手くそな喧嘩を売られて、ニンマリと笑ってしまう。
「『ポッター』の話ができるのなんて、君だけだもんね。──お望み通り、君がうんざりしたって手放さないさ」
「お忘れのようだが、『マルフォイ』の話ができるのも君だけだからな。僕から逃げられると思うなよ。蛇のしつこさはよくご存知だろう? 英雄のポッター?」
軽く小突き合って、それからバカっぽく大笑いする。
やっぱり僕には──君が必要だよ。『僕』のドラコ。