「お好きなフレーバーはございますか? ミスポッター。──あら、そう。でしたら、ドラコお兄様が好んでいらっしゃる茶葉を使いましょう。きっとお気に召しますわ」
──なんだろう。この状況。
柔らかくて繊細そうな髪を揺らして微笑む目の前の小さな淑女に、中身のないティーカップへと視線を逃がす。そして思い返す。
ドラコと別れて──ハリーを探してひとまず大広間へ行こうとして──そうしたら目の前に彼女が現れて────
「お初にお目にかかります、ミスポッター。わたくしはアステリア・グリーングラスと申します。ご同輩のドラコ・マルフォイ様についてお話したいことがございますので、ミスポッターのお時間をいただきたく存じます。よろしいでしょうか?」
とまったくよろしくないうちにあれよあれよとさらわれて──現在に至る。
そもそもここはどこだ。お貴族さま専用サロンか? ……え、ほんとうに?
「あの──ミスグリーングラス?」
「どうぞアステリアと。ミスポッター」
「あ、じゃあわたしのこともマリアで」
「いえ、それには及びません。わたくしとミスポッターは今後敵となるでしょうから、このままミスポッターと呼ばせていただきます」
「敵になるの……」
きっぱりと線引きしたアステリアに頬が引きつる。
……こんな人だったか? ほとんど覚えてないけど……直接会った印象やドラコやスコーピウスからの話では、繊細な儚い人のイメージだったんだけど。少なくとも病弱には見えない。すごくしっかりしたご令嬢だ。
「ええと──じゃあ、アステリア。ドラコのことで話って?」
「はい。ドラコお兄様との距離のはかり方について、今一度お考えいただきたいのです」
ものすごく真っ向からの牽制に呆気に取られてしまった。その間にも、アステリアは慣れた手つきで茶を互いのティーカップに注いでいた。お嬢様でも自分でお茶とかいれるんだ……。そしてドラコ、君、自分の未来の嫁にお兄様とか呼ばせてるの? 相棒のそんな趣味、知りたくなかったよ。
「えーと、つまり、距離が近すぎると?」
「物分かりのよろしい方で安心いたしました」
微笑んだアステリアは、優雅にティーカップを傾けた。
なんだか彼女は──彼女からは、パンジー・パーキンソンのような、恋する乙女の情熱とでもいうのか──過激さを感じない。どこまでも落ち着いていて、いっそ事務的にすら思える。言葉は厳しいが雰囲気は涼しげだ。
「……あの、アステリア? おそらくあなたは誤解してると思うんだけど、わたしとドラコはそんな──」
「普段通りの口調でけっこうですよ。ミスポッターはボーイッシュに振る舞われるとお聞きしておりますので」
「……僕とドラコは、そんな関係じゃあないんだよ。これまでがこれまでだったから信用ならないかもしれないけど、これからはちゃんと君のことを考えて気を付けるし」
「なぜそこでわたくしの名が出るのでしょう」
「なぜって……」
僕はすっかりまいっていた。たしかに、彼女自身からドラコへの気持ちを聞いたわけではない。けれど、あんなにも──あんな目でドラコを見ていたのに。
「わたくしがドラコお兄様をお慕いしているからですか?」
「そ、そう──そう、なんだけど……」
「でしたら、それは不要なお気遣いです。──わたくしは、ドラコお兄様とこれ以上の関係は望んでおりませんから」
「えっ」
紅茶へ手をつけることも忘れて呆ける。彼女は──アステリアはドラコと恋仲になる気がないのか……?
ああもう! ドラコ、君、アステリアとのなれそめをもっと詳しく話しておいてくれればよかったのに! ここからどうやって結婚にこぎつけたというんだ!?
「なら、どうして僕に?」
「──あなたが純血でないからです」
思わず閉口した僕に、アステリアは実直な眼差しで続けた。
「ドラコお兄様がどのようなお立場でいらっしゃるか──マグルで育ったあなたにすべてを理解しろなどと無理は言いません。しかし、純血貴族の──それも、ブラック家が実質没した今、マルフォイの跡取りという肩書きはあまりに大きく重いものです。貴いものです。ただ一人の彼は、いずれ、名のある純血貴族の令嬢いただきマルフォイ家当主となられるでしょう。……たとえ、ドラコお兄様ご自身がどう思われようとも」
アステリアは元々美しかった姿勢をより張りつめて正すと、少女らしい感情をおくびにも出さず告げた。
「率直に申し上げましょう。──あなたは分不相応です」
空間すべてに、いやに響いて聞こえた。それだけ彼女の声だけに集中していた。
「……その、名のあるご令嬢は君ではないのかい?」
「いいえ。ありえません」
アステリアは迷う素振りすらない。最初から、彼女は堅い意志を持って対話の席についている。
「たしかに、グリーングラスの名は聖28一族にも与される、揺るがぬものです。恐縮な話ではございますが、マルフォイ家に嫁ぐ娘としては申し分ない家柄でしょう。──姉であるならば」
アステリアが一呼吸入れるあいだに名を絞り出す。……ダフネ、だったか。
「──わたくしは、出来損ないです」
あんまりな言葉に、思わず腰を浮かせれば彼女は楚々とした宝石を思わせる笑みで首を振った。
「客観的事実ですので、お気遣いなく。わたくしは生まれつき欠陥を持っております。……その様子ですと、ドラコお兄様からお聞きおよびでいらっしゃるのでしょうね。わたくしのような訳ありをもらってくれる方など──それこそ、良くしてくださるドラコお兄様くらいのものでしょう」
「それなら」
「だからこそ──たとえドラコお兄様が望んでくださったとしても、両家が承諾したとしても、わたくしはうなずきません。わたくしだけは許しません。──ドラコお兄様の重荷になるくらいならば、わたくしは潔くこの呪いと共に果てるでしょう」
それはかなしい言葉だと僕にすらわかった。だというのに彼女は──透き通るほど気高かった。
「君は……ドラコが好きなんだね。それに、ドラコだって」
「ええ。わたくしを愛してくださっています。そしてわたくしは──あの方に『恋』をしています」
苛烈さはない。なにがなんでも奪うという荒々しさもない。──それでも、少女は恋をする乙女の顔をしていた。
「だからこそ、わたくしは己を──そしてあなたを許しません。たとえばあなたを選んだドラコお兄様の重責は、限りなく重いものとなるでしょう。おやさしいあの方はきっと苦しまれるでしょう。わたくしは、ドラコお兄様のしあわせのためならばいくらだって憎まれるのです。恨まれるのです。この押し付けがましい愛を突き通します。──それが、一族のはじかれものであったわたくしを見てくださった──ドラコお兄様へのわたくしにできる唯一の恩返しなのです」
たおやかに凛と宣言した彼女には、誠実さしかなかった。
……こんなにも、敵意のない愛に溢れた敵対宣言があるだなんて。
「ですから、わたくし、アステリア・グリーングラスはあなたとドラコお兄様の邪魔をさせていただきます。この席をもって宣戦布告といたします」
ニッコリ笑った彼女には、それまでの完璧な笑みではなくようやく子供らしさが見えた。初めて見せたあどけないさまに、安堵すら覚えた。
「……君は、つよいな」
まだ十一歳だというのに、自分の立場を理解しきっている。
どれだけの子が彼女と同じようにできるだろう。十一歳の幼さで。
「ええ、そうでしょう。こんな体ですから──その分、わたくしは心を強く持ったのです。わたくしは、誰よりも心が強いのです」
得意気に胸をそらす少女があんまりにもかわいくて笑ってしまった。彼女も、敵だと口は言うくせにまるで態度と表情がともなっていなくて、素直な子供なのだとここにきて思わされた。なんてずるい女の子だ。
「でもね、アステリア。──ひとつ、間違えているよ」
ようやく口に含めた紅茶を楽しんでから、ニィンマリと笑う。
「僕とドラコ、ほんとうにそんなんじゃないから」
「…………」
「共有してる秘密が大きすぎるだけで、関係としては悪友とか、戦友とか──たぶんその辺り。男女として見ることはないんだよ」
「…………」
「つまり──君の取り越し苦労だ」
茶色の瞳をパチパチとまたたかせたアステリアは、まあ……と呆けた。
「あら──つまり──これって──ドラコお兄様の──」
そして少しのあいだ口をつぐむと。
「やっぱりわたくしの敵ですわ」
「あれ!?」
なんでそうなった!?
「ずるいったら──もう」
「なにがどうずるいのかわからないよ……」
ティーカップの向こうでむくれてしまった少女に脱力する。薄々気付いてたけど──この子、けっこうお茶目だな?
「──ねえ? アステリア」
「はい、ミスポッター」
「やっぱりその……ミスポッターっていうのはやめない?」
「ミスターの方がよろしいですか?」
「察しがよすぎる……いや、そうじゃないんだ。そうじゃなくて──僕は、君と友達になりたいと思ったんだけど」
アステリアはまたもや幼げにまばたきをした。
「……あなた、変わってると言われません?」
「心外だけどよく言われるよ」
レイブンクローの彼やセドリックを思い出してなんとも言えない気持ちになった。僕のどこが変わってるというんだ。
「恋敵宣言をした女に友達になろうと返すなんて」
アステリアはレディの仮面をすっかり剥ぎ取ってしまうと、頬杖をついて悪戯っぽく笑った。
「マリアって変な人」
***
「──ドラコ、アステリアを泣かせたら僕が許さないから」
「……君は唐突でないとしゃべれないのか?」
夕食も兼ねたハロウィンパーティーの途中、大広間を出ようとしていたドラコを偶然発見した僕は、瞬時にやつを捕まえた。そして廊下の隅の死角まで連行しマフリアートをかけたところで──冒頭に戻る。
「ついさっきアステリアと友達になってね」
「まずそこから説明がほしいんだが? なにをどうすればそうなる」
まったくもってごもっともな疑問だったので、アステリアにさらわれ唐突に開催された茶会について詳しく語った。どうやらアステリアは恋心云々を本人にだって隠してはいないようで、ドラコは頭がいたい様子だった。
「なにをしているんだ、アステリア……」
「彼女、君や君の息子から聞いてたかんじとかなりちがったんだけど、昔はこうだったの?」
「いや」
ドラコは神妙に首を振った。
「そもそも僕らが互いを認識したのは第二次魔法戦争後だ。どちらも純血主義に疑問を持ったことをきっかけにしてな。だからこの歳の彼女のことは──はっきりいって僕は詳しくない。だが──間違いなくズレは起きている」
廊下にお行儀悪く座り込む。宴はまだまだ盛り上がりを見せているようで、廊下に人気はなかった。扉の向こうの喧騒がまったく別の世界のもののようだった。
「まず、アステリアの呪いが判明したのは僕と結婚してからだ。けれど、ここでは彼女は生まれた瞬間から虚弱体質となっていた。──つまり、家の対応もかなり変化している」
「家の対応……」
「僕が知ってるアステリアは大切に育てられた次女で……愛情をたっぷり受けた子供特有の甘さを持っていた。けれど──彼女と話したならわかるだろう。こちらのアステリアは──おそらく良い扱いを受けていない。それが、貴族の子供に生まれるということなんだ」
僕はなにも答えられなかった。僕には、その苦悩は決してわかり得ない。
「ちっとも子供らしくなかっただろう。あれが、彼女なりの防衛法なんだと僕は思う。──隙を見せず完璧な淑女でなければ周りを黙らせられなかったんだ」
だから──だから、あんなにも笑顔がうつくしい。完成品の無機質さだ。
「僕はアステリアを決して見捨てたりはしない。僕が知っている彼女でなかったとしても──彼女が望まなくても」
「うん」
ドラコの手を取って強くうなずく。
「それでこそ、スコーが誇ったドラコ・マルフォイだよ」
結局、最後まで再婚しないで──両親からどれだけ催促されようとも生涯の妻をアステリアただひとりとしたドラコ・マルフォイ。彼の愛情の深さをもっとも知るのは、この世界ではきっと僕だろう。
アステリアがいたからスコーピウスが生まれ、アステリアとスコーピウスを得たからマルフォイは変われた。
「彼女は手強いよ、ドラコ。だけど、君だって同じくらいしつこくて厄介で執念深いもの。きっと折れてくれるさ」
「言ってくれるな」
苦々しげにするドラコにクックッと喉で笑う。
そのしつこさで在学中は散々な思いをさせられたんだ。意趣返しできるタイミングがあれば逃さないとも。いくつになってもいじり倒してやる。
「と、いうかだ。──僕、君にすごく聞きたいんだけど」
両手で彼の手を掴んだまま、誰にも聞こえないのに声を潜めた。
「……自分の未来の奥さんにお兄様呼びさせてるのって、どうかと思う」
「──っち、ちがう、そんなんじゃない! その変態を見る目をやめろ! あれはアステリアが何度言ってもやめな──おい、聞いてるのか!」
いつの間にか宴会も終了したようで、にわかに騒がしくなった廊下にマフリアートを解く。防音効果がなくなってしまえば、ドラコだって下手には騒げない。様々な言葉を飲み込んだドラコは、反射のように顔が真っ赤だった。
「ほら、監督生に見つかる前に寮に戻────騒がしいな」
和気あいあいだったはずがどこかから悲鳴が聞こえて、生徒たちの様子はカオスと化していた。先生方が大広間を飛び出していく。どこに向かって──?
「あ。」
ハロウィン────クィディッチ同様、毎年恒例のごとくトラブルが起きていた鬼門の日。
三年生のハロウィンではなにがあったか。
「──シリウスだ」