ネビルは丸顔をくしゃくしゃにさせて泣いていた。ちょっと怒ってもいた。どうして僕を庇ったんだ──と。
「庇ってなんかないよ。僕だってほんとうにメモをなくしたんだ。だからよかったら、これからはネビルが僕と一緒に肖像画を抜けてくれないかい? ほら──マクゴナガル先生に、僕が合言葉を書き留めるのは禁止されちゃっただろう?」
えぐえぐと鼻水を垂らす男の子に、困ったな、と笑う。
実際のところ、シリウスがネビルのメモでグリフィンドール寮内に侵入できたことは事実だ。けれども、ネビルは悪くないのだ。──ネビルのメモを持ち出したのは、我らが勇敢なる協力者、クルックシャンクスなのだから。
落ち度のないネビルに罰則を課させてしまうのは、僕の良心が許さなかった。それだけのことだ。
シリウスったら、なぜ今になってこんな強攻を……もしやクルックシャンクスがスキャバーズの脱走を教えたのか? それで、焦ってしまったのだろうか。
「マリア、マリア、やっぱり僕、マクゴナガル先生に言うよ。マクゴナガル先生だって、マリアがそんなミスするわけないってわかってるんだ。だって、あのとき僕を見たよ」
「思い込みだよ。それに、ネビルは僕を過大評価しすぎだ。ハーマイオニーからはもっぱら、ぼんやりだって叱られる僕だよ? それに、こういうのは言ったもの勝ちなのさ」
「勝ちじゃないよ!」
「それもそうか」
声に出して笑った僕に、ネビルは救いを求めるようにハリーをかぶり見た。一方のハリーは、達観した顔で首を振っていた。
そのどうしようもないものを見る目をやめたまえ。姉さんはかなしいぞ。
「諦めて、ネビル。マリアってこういうやつなんだ。僕の気持ちがわかるだろう? マリアがこうだから、僕はいつだってやきもきさせられるんだ」
「ハリー……」
僕をよそに……いや、僕を餌にしてハリーとネビルの友情が深まった。ワーォ、釈然としない。
「そんな些細なことは流してさ」
「些細じゃないよ……」
「ロンはまた名も知らぬ生徒に捕まってるのかい? すっかりヒーローだね」
いつだってハリーの側を離れない赤毛のノッポが見えないことを、ハリーへと問う。
ロンは一夜にして有名人だった。まるで自分がシリウスを撃退でもしたかのように鼻高々に振る舞っていた。例の夜のことを尋ねられれば、誰にだって快く語ってみせた。それはもう、詳細に。
語るたびに詳しくなっていく辺り、思い出しているからなのか、大袈裟に付け足しているのか。……追及すると誰も幸せにならないのでやめておこう。
「ロン、ちょっと楽しそうだ」
不謹慎だと言いたげなハリーにクスクス笑う。
「ロンってば、僕になんて言ったと思う? 悪いなマリア、脇役仲間はいち抜けだ。だってさ」
「ロンったら……」
「彼らしいよね」
ネビルもハリーも呆れてる風だが、そこがロンの面白いところなのだ。彼の子供っぽさが、良くも悪くも停滞した空気を壊してくれる。
「……あのさ、マリア」
ふと、思案顔のハリーが僕と、それからネビルを見た。
「ネビル、また君たちの寝室を借りてもいいかい?」
「秘密の相談だね。かまわないよ、マリア、ハリー」
ネビルは訳知り顔でうなずいてくれた。それに礼を言って、ハリーと共に男子寮へとこもる。
「僕、ブラックを見たって言っただろう?」
言い淀みつつも、真剣な瞳でハリーは切り出した。
「ロンの上でナイフを持って立ってた。絶対にロンが殺されちゃうって思った。杖なんか間に合わないって」
「でも、ちがった」
「……うん。ブラックは、ロンなんて見てなかったんだ」
懸命に記憶を絞り出すように、ハリーは自身のベッドへと座って隣のロンのベッドを見つめた。
「キョロキョロしてたんだ。地面を見ていた気がする。はじめは僕を探してるんだと思った。でも……僕と目があって──新聞の写真よりもずっと小綺麗だったよ──そいつ、言ったんだ。ハリーって」
「…………」
「見つけてやったぞって顔じゃなかった。すごく驚いてた。……このまま、彼は泣き出すんだと思った」
そこでハリーは組んだ指に額を置いた。自分の中の情報と現実の解離に混乱しているようだった。
「変だよね? 相手は自分を狙う殺人鬼だっていうのに」
「そうかな」
隣の丸まった背をトントンと叩く。
「他人から与えられる情報よりも、自分の目で見て自分で調べたもののほうが信頼できると僕は思うよ。色んな角度から試してね。先入観って、いつだって真実を曇らせるんだから、一番おそろしいよ。これ、姉さんの経験論」
ハリーは数秒沈黙すると、確かにうなずいた。
「僕、シリウス・ブラックを調べてみようと思う。マリアは、きっと手伝ってはくれないんだよね?」
「……答えを知ってるからね」
バツの悪さからほんの少し目をそらした。
君ならたどり着くよ。──愚かな『僕』よりも、ずっとずっと優秀な君だもの。
「それに、誰よりも頼れる頭脳が君の親友にいたと思うけど?」
イタズラっぽく目を細めれば、ハリーも応えるようにニンマリと笑った。
「ハァイ。仲直りのお手伝い、させていただきますよ」
***
週末のホグズミード許可日がやってきた。相変わらずハリーとロンは忍びの地図を使った抜け穴を企んでいるようで、なんとも味方しがたい心地にさせられていた。
わかるんだ、自分がそうだったから。ホグズミードなんて素晴らしい場所を一人だけお預けにされるなんて堪ったもんじゃない。そう思う気持ちはわかるのだ。
けれども、子まで持った大人としてはその幼い浅慮さに情けなくもなってしまうのだ。周りの大人たちがあれほど気を張りつめて君を守っているというのに、当の本人はスルリと守りの手から逃れてしまう。それも、自ら! これをどうして憎たらしく思わずにいられよう。
「マリアも行こうよ! 今回は透明マントを使うんだ。二人なら問題なく隠れきれる。マリアはまだハニーデュークスもゾンコも知らないんだから!」
瞳を輝かせて、躊躇いがまるで見えないハリーとロンに頭を抱えたくなる。
十三歳……彼らはまだ十三歳だ。子供を心配するのは大人の役目。大人に心配をかけるのは子供の特権。子供の無知は罪じゃない。けれど────おや、いいところに。
曲がり角の向こうに隠れきれていないふわふわの茶髪を見つけて、悪どく笑った。
「いいね、ハリー。今日は僕もお邪魔しようかな。絶対バレないんだもんね?」
「そうこなくっちゃ!」
「マリアが気に入りそうなお菓子があるんだ。でも、まずはバタービール!」
ロンが僕の肩を組み、ハリーが地図を広げてニッコリ笑ったところで、彼女は憤怒に顔を赤くして飛び出してきた。
「信じられない──見損なったわ、マリア。あなたならぜったいに止めてくれると思ったのに!」
「ゲェ……盗み聞きしてたのかよ」
「た、たまたま聞こえただけよ! いいこと? もしも、もしもですけど──マリアまでそんな愚かなことをするのなら……わたし、マクゴナガル先生にその地図のことをお話するわ」
バチリとロンとハーマイオニーの間に火花が散る。ハリーもお節介め、と言いたげな顔だ。
「どうしてハーマイオニーが怒るの? ハーマイオニーに実害はないよね? 見つからなきゃいいんだから」
「──マリア、本気で言ってるの?」
僕の挑発にしっかり乗り上げてくれたハーマイオニーは、わなわなと体を震わせて爆発した。
「信じられない──信じられない! マリア、あなた、今、正気じゃないんだわ! ハリーが心配じゃないの!? こ、ころ──殺されてしまうかも、知れないのよ? ブラックはハリーを狙ってるのよ? 寮にまで侵入できて──ロ、ロンが──ロンが、殺されかけたのに」
ボロッとハーマイオニーの茶色い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。これには僕もロンもハリーも、みんながぎょっと目を剥いた。
「ロンもロンよ! 調子に乗っちゃって──あなた、あなた、一歩間違えればここにはいなかった! わ、わたしたちは──寮であなたの死体を見ていたかもしれないわ。それが──それがどんなに、おそろしいことか──」
とうとう顔をおおって泣き出したハーマイオニーに、一番に駆けつけたのはロンだった。
「お、おい──やめろよ、こんなところで……」
「……マリア」
「……ハァイ、これは僕が悪いね」
ロンにならってハーマイオニーの背を撫でる。
「ごめん。ウソだよ、ハーマイオニー。君がどれだけ二人のことを想ってるか──二人に知ってほしかったんだ。言っただろう? 君が怒るときって、いつだって誰かのためなんだって。さて、ロン。ここまで聞いてなんとも思わないのなら、僕は君を軽蔑せざるを得ないよ」
ロンはハーマイオニーに触れていた手をあたふたと離してうつむいた。
「ハリーも。周囲がどれだけ君に心を砕いてるか──わからないほど僕の弟は子供じゃないって、僕は思いたいんだけど?」
「……兄だよ」
「こんな情けない兄さんはいらないよ」
「……ごめん」
ハリーに続いて、ロンも小さく謝罪した。それにハーマイオニーは潤んだ瞳を開いてロンへと飛び付いた。
「ああ──ロン! スキャバーズのこと、ほんとうにごめんなさい。ペットをうしなって悲しむあなたに、わたしは寄り添うべきだった」
「ウ、ウン……まあ、アイツは、年寄りだったし。ちょっと役立たずだったしな」
不器用にハーマイオニーを撫でるロンに、僕とハリーはニヤリとしてしまった。
「おや、時間だ。それじゃあ、お二人は仲良くホグズミードを楽しんできてくれたまえ」
「僕らは僕らで仲良くするからさ。任せたよ、ロン」
ハリーと手を繋いで、なんだか助けてほしげに見てくるロンを置き去りにする。君たちの痴話喧嘩は犬も食わないってやつなんだから。
「ねえ、マリア。──マリアも、心配してくれた?」
彼の準備室へ向かう途中、そうっと窺ったハリーに僕は破顔した。
「しないと思うのかい? 僕の愛しい片割れ」
世界中の誰よりも──僕は君を見ているよ。
忍びの地図を持って、以前お邪魔したルーピン先生の部屋の前へと立つ。
「僕、行ってくるよ。ルーピン先生なら、マクゴナガルよりもマシだと思うんだ。──もちろん、罰則の話。マリアはここで待ってて」
「一緒じゃなくていいの?」
「マリアは使ってないもの。マリアが待っていてくれないと、勇気が出ないや」
いじらしいことを言ってくれるハリーに、首を上へかたむけなければ届かなくなってしまった額へと唇を押し付ける。
「僕は、君は勇気に満ちてると思うよ。無謀と言う人もいるけどね。そうだな──ネビルと同じくらい」
それってよろこんでいいのかな。へんにゃり笑ったハリーは、僕をきつく抱きしめてからルーピン先生の部屋の中へと入っていった。