ルーピン先生の言葉に、もっとも大きな動揺を見せたのはロンだった。
だって、彼はスキャバーズをとてもかわいがっていた。家族として。役立たずなんて口は言いながらも、決して手放したりはしなかった。
「おいおい、人狼ってのはジョークセンスも最悪なのかよ」
親友をけなされたと感じたシリウスが犬のように唸る。それに対し、それこそ犬の頃のように頭をはたいてしまった。シリウスは目を白黒とさせて、なぜかハーマイオニーが悲鳴を上げた。おっと、つい。
「よく考えて、この三人には共通点がある。──わかるかい? ハリー」
「──アニメーガス」
僕の問いに、ハリーは鼠をしっかりと見つめて答えた。
「な、なんだよ……それじゃあ、スキャバーズは──僕の鼠は、人間だったっていうのか? だって、ペティグリューは死んだのに? そうだ、シリウス・ブラックが殺して──」
「それこそが、間違いなのかもしれない」
次に否を唱えたのはルーピン先生だった。
「私も、忍びの地図に浮かんだ、死んだはずのピーターの名前を見つけなければ──そして、今、まさに目の前にいる変身したピーターを見なければ、シリウスを誤解し憎み続けたままだったかもしれない……」
「それはおかしいです、先生」
声を震わせながらも、ハーマイオニーが授業と同じように挙手をした。
「アニメーガスは何者も例外なく魔法省へ届けを出さねばなりません。それは法で決まっています。何に変身するか──どんな特徴があるか──それを記録した登録簿があります。わたし、マクゴナガル先生からの宿題で登録簿を調べました。そこには、ピーター・ペティグリューの名前は──シリウス・ブラックだって」
「その通りだ。君は非常に正しい、ハーマイオニー。こんな状況でなければ、グリフィンドールに五十点をあげてもいい。──そうだね、そこから話そう。私たちの──愚かで、未熟で、思い上がっていた友情の話を。……ハリー、君の──お父さんの話を」
リーマス・ルーピンは語った。ホグワーツ入学にあたっての『病』の問題と、その解決策として使われた叫びの屋敷と暴れ柳のことを。賢く愚かで誇りだった友人たちのことを。シリウスの、とある生徒の命をも危機にさらした『悪戯』のこと。それを救ったジェームズ・ポッターのこと……
父の話になった時、スネイプ先生は身をよじって不満を訴えた。貴様らの『悪戯』とやらがその程度のものか──そう、言いたげだった。
やっぱり、ルーピン先生は臆病だ。ジェームズ・ポッターがどれほどの悪行を為したか──そこには、決して触れまいとするのだから。
「さあ、私の話は終わりだ。──シリウス、君が語るときだ。──あの日の真実を」
場の主導権はシリウス・ブラックへと移った。シリウスはロンやハリー、そしてひとつひとつを吟味するハーマイオニーの質問に丁寧に答えていった。
ハリーがかろうじて冷静だからだろうか、『前回』よりも誰もが正常で理性的だった。
……あのときは、僕、誰を信じていいかわからなかったんだ。ぜったいに殺してやるって、それだけで頭がいっぱいだった。──やっぱり、こっちのハリーは優秀だ。
「つまり──つまり、クルックシャンクスはずっとあなたの味方をしていたのね。ああ、クルックシャンクス……あなたって」
脱獄してからのホグワーツでの成り行きを聞いたハーマイオニーがクルックシャンクスを抱きしめようとして、その下に捕らわれる鼠に一歩引いた。懸命な判断だ。
そして、こちらはこちらで、別件に感情を昂らせる子供がいた。──我らが過保護な弟君だ。
「マリア! やっぱり君──ネビルをかばってたんじゃないか! ほらもう、君ってすぐこれだ! 僕がどれだけ──」
「ハリー、ハリー、今その話はいいんだよ。お説教ならあとで聞くから」
「あとでだってどうせ聞かないだろ!」
キャンキャン喚くハリーと逃げ腰の僕に、それまで陰鬱としていたシリウスやルーピン先生が顔を見合わせて実に複雑な表情を作った。戸惑いとか、笑いとか、寂しさとか──だろうか。
「いや、その──なつかしいなと」
「性別と見た目は逆だがね」
「そんなに父さんに似てる?」
「そんなに母さんに似てる?」
同じ顔をして声を揃える。大人三人全員が息を呑んでいた。……やりにくいったら。
「……話を戻そう。なぜピーターが鼠としてペットに成り下がってまで行方をくらましたのか──」
真実が明かされていく。理性を残したまま、シリウスの瞳に憎しみが宿る。そして──この人にも。
「スネイプ先生、それ以上はくちびるが切れますよ」
きつくきつく唇を引き結んでいたその人にそっと声をかける。
きっと、スネイプ先生はシリウスが犯人でないことを知っていた。けれど──真犯人の特定まではできていなかった。
シリウスに負けないくらい、目を限界まで開いて鼠を眼力で殺さんばかりに凝視しているスネイプ先生に、声は届かなさそうだと早々に諦める。……僕の両親は、まったく愛されている。
「これは、君の杖だね? マリア。すまないが、今、君が持っているスニベリー……」
「シリウス!」
「……スネイプの杖と取り替えよう。──君の杖を、私は穢したくない」
シリウスが僕へとイトスギの杖を差し出す。僕は、それを受け取れずにいた。シリウスが不思議そうに瞳をまたたかせる。
「なにを──するつもりなの……?」
尋ねたのはハーマイオニーだった。彼女はいつだって察しがいい。よすぎて──こういう時には誰よりも先に傷付くのだ。
「殺すんだ」
シリウスに容赦はなかった。声そのものが殺意を持ったナイフのようだった。
「だ、だめ、だめよ──そんな──」
「そいつはすべてを裏切った。信頼も、信用も──友情も。結果、友が死んだ」
「そ、それは──先生、ルーピン先生、なにかおっしゃってください……彼を止めてください……」
「止める必要があるのかい?」
ハーマイオニーは絶句した。とうとう、普段、頼るなんて思いもしないスネイプ先生にまで目を向けるが、彼こそが誰よりも、鼠──ペティグリューを殺したがっている形相だった。
「さあ、マリア──杖を替えよう。どうせスニベルスの杖なんざ闇の魔術に染まりきった──」
「無責任だ」
僕の声は思っていた以上に抑揚なく響いた。
「ここでこいつを殺せば、シリウスは今度こそアズカバン行きだ。冤罪じゃない、正真正銘の犯罪者だ」
「ああ、その通りだ。それでもいい──」
「──僕はよくない!!」
シリウスもルーピン先生もスネイプ先生も、皆が唖然としていた。
「あなたは後見人でしょう!? 父さんが──自分に何かあったとき、ハリーを守れるようにって──そう願ってあなたを選んだんだ! 名付け親にしたんだ! それなのに──あなたは────ちっとも『僕』と生きようとしてくれない!」
シリウスの手からイトスギの杖を叩き落とす。それは床を滑ってどこかへ消えたが、目で追っている余裕なんてなかった。
「あなたはあのハロウィンの夜に駆け付けた。そして屋敷の惨状を見た。僕たちが生きているかの確認より──復讐を選んだ! 僕らを捨てた!」
「マリア、待て」
「その結果がこれだ。侮っていた腰巾着にしてやられて、アズカバンに十二年も入れられて──とんだ大間抜けだ」
最期には勝手にヴェールの向こうになんていってしまって──ちっとも、一緒に生きる努力なんてしてくれない。
僕ばかりが、あなたを恋しがるんだ。一方的に愛するしかないんだ。あなたは──ジェームズしか見ていないのに。
「僕は、そんなものより──『僕』と生きてほしかった」
足元の木床がぽつりぽつりと色を変える。そのうちに木目すらわからなくなる。視界はすっかり滲んでいた。
「──僕も、マリアと同じです」
柔らかく、顔を目の前の肩に押し付けられた。ああ、ほんとうに──ずいぶんとしっかりした体になった。
「ピーター・ペティグリューを殺してはならない。生きて償わせるんだ。──あなたにだって、ちゃんと責任を果たしてもらう。マリアを泣かせたんだ。僕にとっては、これ以上の理由はない」
数秒の沈黙が場を支配して──情けなくも、僕の嗚咽だけがやたらに耳についた。ハリーは僕を抱いたまま決して放さなかった。
「……わかった。この中で、もっともピーターの処遇を決める権利があるのは君たち二人だ。その通りにしよう。城まで運んで──」
「待ってくれよ」
ロンだった。折れたままの足をどうにか奮い立たせて、ペティグリュー──彼にとってのスキャバーズを悲痛に見た。
「確認、させてほしい。──わかってる。ここまで聞かされて、そいつはスキャバーズなんかじゃなくて、ずっとペティグリューだったんだって。それでも──友達なんだ」
ロンの哀願は切なさに満ちていた。彼が受けたショックは計り知れないのだと、改めて思わされた。
「ずっと──友達だと思ってたんだ。スキャバーズを。だから、確認させて。おねがい」
ルーピン先生とシリウスは、ロンへと確かにうなずいた。シリウスが、転がっていった僕の杖を探して床へと目を滑らせて──
「ならば、我輩も協力させていただこう」
イトスギの杖を持ったスネイプ先生が、呪文のすべてを解除して悠々と立っていた。
「スネイプ先生……」
「情けない面を見せるな、ポッター」
相変わらず優しさの欠片もない声と口調に、どうしてか安堵してしまう。
「どっちのポッターですか?」
「どっちもだ」
これには、ハリーまでクスクスと笑っていた。
「いいね、セブルス。同時といこうじゃないか。なんだかこれって、同僚同士の仕事らしいと思わないかい?」
「おい、リーマス!」
「貴様の頭にはチョコレートしか詰まっていないようだな」
「テメェ……スニベリー!」
「まったく……躾のなっていない駄犬はところかまわず噛みつく。貴様の吠え汚さには虫酸が走るわ。不愉快すぎて──多少、手元が狂ったとしても、文句はあるまいな?」
似合いすぎる悪どい笑みを浮かばせたスネイプ先生に、ルーピン先生が苦笑する。シリウスは悔しげに拳を握りしめて、ギラギラとスネイプ先生を睨んでいた。
二人が同時に杖を振った。青白い光が鼠へとほとばしった。
──木が、育つのを早送りで見ているようだった。頭が起きて、手足が伸びて、腹がずんぐりとして──
貧相で小汚ない男がそこに現れていた。