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その日、僕はうなされる片割れの声によって目覚めた。
十四歳にもなって同じベッドに縮こまって眠る僕たちポッター兄弟だが──なぜってベッドは部屋にひとつしかないのだ──それゆえに片割れの変化には敏感になれる。普段、寝相だって悪くはないハリーだ。その彼が、額を押さえてうめいていた。──きっとヴォルデモートの夢だ。
「ハリー、ハリー」
まかり間違ってもダーズリーたちを起こしたりしないよう、しかめっ面のハリーの耳元で名前を呼ぶ。頬を軽く叩き、肩を揺さぶる。
「ハリー、起きて」
それが合図にでもなったかのようにハリーは大きく目を開いた。覗き込む僕に一瞬声にならない悲鳴を上げて、共に寝ていた兄弟だと気が付いてからおぼつかない手で眼鏡を探した。就寝の間はサイドテーブルに鎮座しているそれを取ってハリーへと手渡す。ハリーは視界をクリアにすると、額の傷を押さえながら窓へと寄った。寝汗すら気に留めない切羽詰まった様子だった。
「ハリー?」
「傷が痛んだんだ。あいつが──あいつが近くにいる」
「ハリー、それは」
「夢を見たんだ! あいつが出てきた──それから──」
血の気のない頬と震える唇に、そっとハリーの背を撫ぜる。それにハリーは、ようやっと自分がどこにいて誰と話しているのかを思い出せたようだった。
「マリア……」
「落ち着いて、ハリー。どんな夢を見たの?」
まだ日の出も見えない窓から誘導して、共にベッドへと腰かける。手は、彼の冷や汗にしめった背へと添えたままにした。
傷に障ったのだから十中八九ヴォルデモート関連だろう。そのくらいはわかる。だが──
「……わからない──よく、わからないんだ。どこかの屋敷だったと思う。どの視点からそれを見ていたのか……。──でも、確かに僕は見た。あいつと、マグルのおじいさん、そして……」
ハリーは自分で自分の言葉を疑うような口調でそれを口にした。
「ワームテール」
「────」
ハリーの背を撫でていた手が止まった。もうハリーの意識はそこにはなく、ハリーは夢という曖昧な情報を懸命に絞り出していた。
「ヴォルデモートが、側の男をワームテールと呼んだ。ワームテールは、ヴォルデモートをご主人様って呼んでた。ねえ──ねえ、これって──?」
ワームテールは捕まったはずだ。あの日に魔法省へと連行された。今度こそ確かだ。
例の事件においての真相究明が約束通り進められていることは、ハーマイオニーが届けてくれた日刊予言者新聞にて確認している。時代によりひどいゴシップにもなる日刊予言者新聞だが、今はまだまともに扱われているはず……
いいやしかし、上に立つのがあのファッジだ。なにかごまかしている可能性がある。
「ハリー、手紙を書こう。シリウスに聞くんだ」
現在もっともペティグリューの件で魔法省に近いのはシリウスだ。もちろん癒着なんて意味ではない。最重要証言者としてシリウスは何度も魔法省の召喚を受けていた。手紙にはうんざりとあったが、なにか魔法省での異変を嗅ぎつけているかもしれない。
「ヘドウィグには悪いけど、今からでも──ハリー?」
立ち上がろうとした僕の腰にはハリーの腕が回っていた。背中にぴったりとハリーの額がくっつき、まったく甘えた仕草だった。けれど、加減ができていない腕の強さからそれだけではないのだと悟った。
「ハリー……?」
「あいつ、誰かを殺した。そんな話をしてた。あのおじいさんも、きっと殺された。もしも──もしも、今、ここにあいつが来てしまったら」
「ハリー、ヴォルデモートは来ないよ。ここには入れない」
「どうしてそう言えるの? 忠誠の術で守ってた家にだってあいつは侵入できたんだ。こんな、丸腰で──」
「ハリー」
「こんなんじゃ──マリアを守れない」
背中にあった彼の頭を、向き合う形にして正面から抱きしめる。
思春期の中核に入ろうとしているハリーには、すべてがより恐ろしく映ってしまうことだろう。こういった姿は、もう一人の自分であるよりも自己の確立まで苦しんだアルバスを思い出す。決して良い父ではなかった僕だけれど──愛する子が苦しんでいる時、側にいてやりたいと思う心くらいはある。
「大丈夫だ、ハリー。ダンブルドアがなにもしてないと思うかい? きっと僕らには思い付きもしない方法でこの家を守ってるよ」
「ほんとう?」
「君の姉さんの言葉が信じられないの?」
「僕が兄だよ」
お約束のやり取りをして、ちょっと笑い合ってから、眼鏡を取った手で額の傷を撫でる。そこに触れるだけのキスを送る。
手紙はあとでいい。今は、運命に振り回されるこの子に寄り添っていたい。
再びベッドに横になって、大きくなっても背を丸めて寝るくせは変わらないハリーを抱き込む。
ヴォルデモートは君には触れられないよ。母さんの愛は、最悪の死をもくつがえす魔法なのだから。
だから、どうか、安らかに。────今は、まだ。
***
暖炉に打ち付けられた板を眺めて、僕はこれから起こるだろう惨事から目をそらすためになんとなくダドリーを観察していた。ダドリーは、一家総出ダイエットもむなしくムチムチの尻を両手で押さえていた。哀れだ。すばらしく間抜けで実に観察のしがいがある豚だ。ダドリーが僕の視線に気付いて化け物でも見るみたいに青ざめた。おっと、無意識に笑っていたらしい。
日曜の午後五時──今日はウィーズリー一家がここ、ダーズリー家にやって来る日だ。アーサーおじさんが、ツテで手に入れたチケットでクィディッチ・ワールドカップへと連れて行ってくれる約束なのだ。その迎えというわけである。
前回では、(マグルからすれば)愉快に暖炉から登場してくれたウィーズリーご一行だが、はたして今回はどうだろうか。……暖炉だろうな。ハリーのロンへの返信に、車で来てくださいって添えてもらうの忘れたんだもの。
「やつらは遅れとる!」
威嚇のために着こんだ一張羅でリビング内を落ち着きなく歩き回っていたバーノン伯父さんが(気が立ったサイみたいだ。もしくは発情したエルンペント。)五時を半分回った時計を見上げた、その時。
ドーンッ! 閉じられた暖炉の向こうで、大きな荷物でも落としたかのような音が響いた。続けて、明らかに人の声が中から飛び出した。
「イタッ! だめだ、フレッド。戻って──戻って……ァイタッ! きっとなにか手違いがあった。場所がないんだ、戻りなさい──」
ああ──僕とハリーは同時に頭を抱えた。何度経験したってこのウィーズリー家の来襲は────愉快痛快だ。こっそり笑ったのをまたまたダドリーに見られてしまった。怯えるなよ、もう尻から豚の尻尾が生えたりはしないさ。……豚の尻尾はね。
「ハリー? マリア? いるかい?」
「あの、アーサーおじさん。ごめんなさい。その──この家で暖炉は使えないんです。ふさいでいるんです」
「暖炉をふさいでるだって!? 正気か?」
「アーサーおじさん、マグルは煙突飛行で移動しないんだよ」
マグル界で育ったハリーがフルーパウダー初心者だったことをすっかり忘れているらしい。
暖炉をふさぐ板をノックしてみればノックが返ってきたので、わなわなと怒りなんだか恐怖なんだかで震えるのに忙しいバーノン伯父さんへと振り返る。
「おじさん、こちらを外しても?」
「な、なにをバカな──なにを──」
「でないと、そう──おじさんのきらいな『アレ』で家をめちゃくちゃにされますよ。ペチュニアおばさんだってそんなのはかなわないでしょう?」
魔法使いはどうも、レパロなんて便利魔法があるために行動が大胆な傾向にあるというか──物を壊すことに躊躇いがない。カチコチのマグルから見れば正気の沙汰じゃないだろう。
僕らは魔法使いだから、そのうちに直してくれると安心して見ていられるけれど──このダーズリー家はカチコチマグルの代表格だ。これは、なるべく穏便に済まそうとしました、のアピールだ。
伯父さんはともかく、伯母さんがさっさとしろと親のカタキでも見るように暖炉と僕らを睨んでいたので、ハリーにバールを取ってもらい、さっそく板の撤去に入った。
一枚取り除けば足が、二枚取り除けば腰が、三枚で手が、やがてすべてを取り払うと、アーサーおじさんとフレッドジョージ、ロンが窮屈そうに転がり出てきた。
「やあ、ハリー、マリア。助かったよ……ああ、失礼。二人のおじさん、おばさんでしょうな!」
善意一色の笑顔で握手を求めるアーサーおじさんから逃げるダーズリー夫妻は、大きな図体をしていながら、さながらゴキブリの横歩きであった。フレッドとジョージが僕らのトランクを取りに二階へと上がり、その間どうにか会話をもたせようと(ダーズリーのほうは一言だって返事はしていない。)ダドリーに猫なで声で話しかけたりするアーサーおじさんを、ハリーと僕、そしてロンはちょっと顔を背けて懸命に堪えた。……だって、そんなの見てたら大声でゲラゲラと笑ってしまいそうなんですもの。
「「パパ、終わったよ」」
ウィーズリーの双子が僕らのトランクを抱えて戻ってくる。二人は、父親の背に隠れようとしている──もちろん隠れきれてなどいない。もうすっかり縦より横に大きいのだ──ダドリーを発見すると、新しい商品の開発をした時みたいにしたり顔で笑った。ダドリーの命運はここで尽きた。
ただ一人が喋るアーサーおじさんいわくの会話を切り上げ、双子がトランクを抱えて先に、次にロンが隠れ穴へと煙突飛行を使って消えた。フレッドが落としていったヌガーをチラとだけ眺めて、ハリーに先に行くよううながす。
「甥御さんが今さよならと言ったんですよ? もちろん、さよならと返すのでしょうね?」
「いいんだよ、アーサーおじさん」
「しかしだ、マリア。これは礼儀の話であって──」
「実はさっきお別れの挨拶を済ませちゃったんだ。ね? おじさん、おばさん、そうでしょう? さ、ハリー、行って」
伯父さんと伯母さんは僕の助け船に乗るのは癪だというふうに口をもごもごさせていたが、やがて緩慢にうなずいた。アーサーおじさんの持つ杖がいつ自分へ向かうか、気が気じゃないのだ。さっさと暖炉でも煙突でもどこからだっていいから消えてほしかったにちがいない。
──そして、おまちかねの事件は起きた。
「ダドリー!!」
ペチュニア伯母さんの悲鳴によってダドリーの異変が知れ渡る。側にヌガーの包み紙が落ちていて、誰が見てもダドリーの拾い食いが呼び込んだ惨事だと察せた。これで、豚みたいになんでも口にするのは良くないと愛しの従兄弟どのも学んだことだろう。たぶん。きっと。おそらく。
「大丈夫、大丈夫ですから、私がどうにかしますから……ああもう、話が通じないったら! マリア、先に行きなさい」
「ハァイ」
誰ひとり暖炉なんて見ちゃいないダーズリー家に手を振って、僕は意気揚々と告げた。
「──隠れ穴!」