「ああ……それについては、私の方からも探りを入れてみた。ブラックの名は便利でね。今は悪名のほうが名高いが、それなりにコネには使える。さいわい、私は『被害者』であるわけだし? ……魔法省はまだ発表していないが──間違いなく、ピーターは逃げ出してる」
ハッと空気が張りつめた。森に元々充満していた霧が、今になって不気味なものに思えた。
「……どうしてそんなことに?」
「……あー、なんだ、私がアニメーガスを利用して脱獄できると証明してしまっただろう? ピーターはよりによって小回りの利く鼠だ。その対策を考えてる間にワールドカップ。そのうえホグワーツでは……と、これはまだ止そう。楽しみは取っておくものだ。つまり、魔法省が大変忙しくなってピーターどころじゃなくなった。そうして、取調室に監禁されていたピーターを──誰かが連れ出した」
三人共が黙りこんだ。僕は元々この時代の魔法省を信用していないし、シリウスだって陥れられた口だ。ハリーはシリウスの件を調べるうちにそのずさんさに気付いたのだろう。無能どもめが。
「つまり、僕が見た夢は──」
「夢、ではないのかもしれない」
浮かない顔をするハリーに、シリウスはせっかく僕が整えたハリーの髪をくしゃくしゃにしてニッコリ笑った。
「ま、そのあたりはこのシリウスおじさんが調べておいてやるから。君は学業と、それから青春と、悪戯なんかに専念しておきなさい。学校が始まればダンブルドアだっている。今年のホグワーツは楽しいぞ?」
「ホグワーツはいつだって楽しいよ。それから、悪戯なんて勧めて、フレッドやジョージの罰則にモリー母さんが呼び出されるみたいに学校から呼び出しをくらっても知らないから」
なぜそこで姉さんを見るんだい、弟よ。
「望むところだな」
だからなんで僕を見るのさ、シリウス。ニヤニヤしないでよ。そんな顔も男前だけど。
「アーサーおじさんはこのことを知ってるのかな」
「知らないだろう。ひとえに魔法省といっても管轄がちがう。そんな素振りはなかっただろう? 知っていたらさすがに、あの人の判断で君たちには伝えるだろうからね。君たちだって『被害者』だ」
たどり着いた水道に他の利用者の姿はなく(だって魔法使いだもの!)声を潜めながら座り込んで内緒話を続ける。ヤカンの底に跳ね返る水の音が間抜けだった。
「魔法省はいつまでこの件を隠してるつもりなんだろう」
「少なくともワールドカップのあいだ……それから、その後に大きな催しがある。それまでは他の件に人も頭も回せる状態じゃないな。それこそ俺のことだって後回しだ。ファッジなんぞを頭に据えているからだ。ダンブルドアが大臣だったならと常々思うよ」
「そうやってダンブルドアを引き合いに出すからファッジが意固地になるんでしょ」
「……よく知ってるな」
ヤカンから僕へと視線を替えたシリウスの目は真ん丸だった。ちょっとね……とハリーと共に苦笑すれば、去年での一件を思い出して納得してくれたようだった。
「でも、ダンブルドアが大臣をすればいいっていうのは僕も同意。あの人、指導者にはぴったりだけど教師は向いてないもの」
「……マリアは、そう思うのか? ダンブルドアほどすばらしい教師はいないだろう?」
怪訝にひそめられたシリウスの眉に、しまったと舌打ちをしてしまいそうになった。
シリウスはダンブルドアを心底から信頼している。ルーピン先生のことがあってからはなおさらだ。ハリーはたぶん、中間。かつての僕ほど心酔はしていないが、ダンブルドアの善性に全面的な肯定感を持っている。
僕だって、ダンブルドアの判断に対する信頼はあるとも。切り捨てることができる冷酷さも含めて──指揮者として、申し分ない。……信用はむずかしいけどね。たまにとんでもなく間違えるし。
「ほら、教師って、生徒として受け入れたなら一人も見捨てず導かなくちゃいけないじゃないか。ダンブルドアはそのあたり、取捨選択で生きてるからリアリストな軍人向きだなって」
──彼が、その手に権力を持つことはないけれど。
権力という化け物を自分では制御しきれないことを、彼は過去の過ちから理解している。
「……ごめん、僕、変なこと言ってる?」
ハリーとシリウスがあまりにも熱心に僕を見つめるものだから、声は自信なさげにすぼんでしまった。もうとっくに水が溢れているヤカンの存在なんて二人の頭の中には残っていないだろう。
「──いや、なるほど。理解できるよ。マリアは賢いな。もちろん、ハリーだって賢い。私は君たちが誇らしいよ」
ヤカンを手放して、シリウスはハリーと僕と両方を撫でてくれた。首筋を触る髪と心がくすぐったくて、ハリーと顔を合わせながらくふくふ笑った。
「ねえ、シリウス。このまま僕たち、新学期までウィーズリーさんのところに泊まる予定なんだけど……シリウスの家へ行ってはいけない?」
ヤカンと交代に次はハリーの鍋を満たしていく。シリウスが水を溜めたヤカンは僕の手に渡った。なんてさりげないレディファーストだ。
「そうしてやりたいのは山々なんだが……まだ、ダメだな。ババアの肖像画は外せないし、クリーチャーは反抗的だし……ピーターの件もあって監視が厳しい。まったく、どちらを殺人犯扱いしてるんだか。──だがな、マリア、ハリー。来年には必ず、一緒に住めるようになるぞ。ダンブルドアととっておきを考えてあるんだ! もう君たちの部屋だって用意してる」
「「ええ! それって一人部屋?」」
「当然だ」
初めて与えられるかもしれない一人部屋の魅力に、瞳を輝かせた僕とハリーは、次にはちょっと考え込んでまたまた顔を見合わせた。
ダンブルドアが協力しているということは、母さんの血の守りの血族縛りに、やはりマリアは含まれるのだ。
僕がなにがなんでもとハリーの側を離れたがらなかった理由の一つがこれだ。今まで術の範囲があやふやだったために、念のためにとペチュニア伯母さんから離れられずにいたけれど、シリウスという保護者を得た今なら──ああでも、やっぱりハリーと別々になるのは不安だ。
「夜、さびしくなっちゃうね」
「夜だけどっちかの部屋で寝るってのはどう? ファイアボルトなんて買えちゃう資産家ブラック家だもの。きっとベッドだって三人で寝たって余るサイズさ」
「なら部屋も一緒でいいか。きっと今の部屋の二倍だ」
「三倍かも」
「部屋の中で箒に乗れちゃったりするかも?」
「最高だ!」
勝手に盛り上がる僕たちに、呆けていたシリウスが慌てて待ったをかけた。いつのまにか鍋も水で溢れそうになっていた。
「待て。待ってくれ。──聞いていいか? マリア、ハリー」
「「なぁに?」」
シリウスはもごもごと声なく唇を動かして言葉を探していた。
「……君たちは同じ部屋で過ごしてるんだな?」
「だってあのダーズリーだもの。部屋があるだけマシだよ」
先ほどとは別の意味の沈黙がシリウスとの間に落ちた。
「…………その件はまた別で話そう。だがしかし、ベッドは別だな?」
「「いいえ」」
「……別、だろう?」
「一緒に寝てるよ」
「一つしかないのに」
「兄弟を床に寝かせろっていうの?」
「ありえない!」
ありえないと言いたいのはこっちだ! そう、シリウスの顔は語っていた。声に出さなくてもわかる。
犬の頃から思っていたが、シリウスは感情表現が豊かすぎる。なんて若々しい三十路なんだ。
「君、君たち──兄弟とはいえ男女だぞ? マリアだってその……女の子らしい体型になってきた。ハリーだって困るだろう」
「「全然」」
「…………」
シリウスはとうとう頭を抱えた。男としての意識が強い僕としては、シリウスの主張だってわからないでもないが……今さらだ。ハリーの体温にも抱き心地にもすっかり慣れきってしまったんだもの。
「わかった、その話もまたゆっくり時間を取ってしよう。ともかく、部屋は別だ。ベッドだって別だ。うちに来るならこれは絶対だ。いいね?」
なんとか立ち直ったシリウスは、ジェームズとリリーになんと言えば……と小さく懺悔しながら鍋とヤカンを浮かせた。最初から僕らに持たせる気はなかったらしい。
「ダーズリーの家を出られるのか」
「夢みたいだ」
「これまでの養育費を置いていかなくちゃね……」
「養育費?」
端まで来ていた道を引き返しながら、シリウスという親代わりを挟んで歩ける現状にほけほけするハリーをたしなめる。
脳裏に浮かぶのは、毎日が惨劇だった初めての育児、ジェームズ編だ。もちろん、アルバス編、リリー編もある。
「あのね、ハリー。魔法使いの子供を育てるって大変なんだよ。泣けば窓が割れ、笑えば物理的に花が咲き、腹が空けば家具が宙に浮いて、寝起きには家中の音という音が爆発する。魔法使いなら杖の一振りで対処できるありがちな魔力暴走だけど、マグルには到底無理な話だ。確かに僕たちは虐待を受けてきたしそれを肯定することはこれから先も誓ってないけれど、なんだったら隙あらば仕返しだってしてるけど──正直、あれは魔法使いの子供を育てる過酷さからきたノイローゼなんだと僕は思ってるよ。よく孤児院に放り出さなかったものだよ。養育費もなしに自分の子供を抱えた上で魔法使いの子供二人もだなんて、正気の沙汰じゃない。そのあたりは、ペチュニアおばさんのこと、僕、尊敬してる」
「「…………」」
あの大パニックな日々を魔法なしで過ごすだなんて、考えただけでもゾッとする。レパロは偉大だと僕がもっとも感じた瞬間の一つだ。割れた皿と家具と窓ガラスの数だけでも被害総額はおそろしいことになっているだろう。資産がある今、そのくらいは返さないと。
どうしてだか、突然変異の珍獣でも見るような目で僕を同時に見つめたハリーとシリウスは、やがて諦めるみたいにため息をついた。
「マリアが時々、僕にはモリーさん並の大人に見えるよ」
……そこはせめてアーサーおじさんがいいかな。
***
ヤカンと鍋を運び終えれば、シリウスは別件に呼び出されているのだと一時別れることとなった。激しく惜しんだのは言うまでもない。僕とハリーと二人で抱きついて甘えたてれば、半泣きで感動された。それを見ていたアーサーおじさんまで鼻をすすっていた。
「子供ってのはいいものだな、アーサー!」
「そうだろう、そうだろう」
「こんなにかわいいなんて……それも、息子と娘、いっぺんにだ! ジェームズとリリーに夢の中まで追い立てられそうだ」
僕らから抱きついていたはずの腕は苦しいくらいにシリウスの胸の中へとまとめられてしまって、すぐそこにあるハリーの顔もちょっぴり泣きそうで、まるで今世の別れのごとくであった。試合後にはまた会えるというのに。ああ、でも──幸せだ。
「さあ、さあ、シリウス、もう行きなさい」
「愛してるよ、ハリー、マリア。なんて離れがたいんだ……私のかわいい子たち」
「「シリウス……」」
「行きなさいったら」
鼻をすすっていたアーサーおじさんにまで呆れた目で見られてしまった。
シリウスと別れてすぐ、姿現し組とも合流し、ルード・バグマンとウィーズリー双子の賭けを見届けていれば、バーティ・クラウチがバグマンを引き取りにやってきた。クラウチを確認したパーシーの尻尾の振りようったら。
魔法省勤めの大人たちがそのまま仕事の話に入ってしまったので、大人のつまらない話に飽きた三人組は行商人の販売カートへと移動し、思い思いに土産を物色した。僕はといえば、ドラコへの今年のクリスマスプレゼントをここで間に合わせてしまおうなんて小ずるいことを考えていた。毎年律儀にプレゼントを贈ってくれる彼だが、同じだけを返そうと思うと財布がバカを見る。彼とシリウスの金銭感覚は特に見習ってはならないのだ。
適当に珍しいものを身繕い、ハリーが奮発してくれた万眼鏡に感動しているうちに、空はすっかり暮れて競技場へのランタンが灯り始めた。周囲の興奮も高まり、試合開始が迫っているのだと魔法使いたちの熱気が知らせていた。
興奮しきりのアーサーおじさんに連れられて、瞳をキラキラさせた子供たちに囲まれて競技場へのランタンを追う。
待ちに待ったクィディッチ・ワールドカップが開催された。