ワールドカップの件は、アーサーおじさんが危惧していた通りにシリウス・ブラックの十二年に渡る冤罪投獄に続く不祥事となった。魔法省──延いては、魔法大臣ファッジの慌てっぷりは凄まじく、ここにペティグリューの脱走まで加わってしまえば果たして魔法省の威信はどうなるのやら、と僕とハリーは胡乱に新聞を眺めていた。心做しか、アーサーおじさんのただでさえ薄い髪がさらに薄くなったような気がした。
さらに──バーサ・ジョーキンズ。ヴォルデモート復活のキーウーマンとなる彼女の行方不明も、リータ・スキーターによって浮き彫りにされてしまった。もう魔法省内部はてんてこまいだ。やっぱりアーサーおじさんがげっそりとしていた。
ホグワーツへと戻る九月一日の朝。エイモス・ディゴリーからアーサーおじさんへと、マッドアイが自宅で何者かによる奇襲を受けた事件が知らされた。二人はマッドアイの過剰反応による過剰防衛と見ていたが……確か、この時からマッドアイは────
ダメだ。わかっていても、防いじゃダメだ。ヴォルデモートにはハリーの血を使って復活してもらわなくてはならないのだから。非常に──心底──まったくもって──ハリーをみすみすと差し出すのは気にくわないけれど。
ヴォルデモートの中に母リリーの血と護りを混じらせることが重要なのだ。
キングス・クロス駅の九と四分の三番線ホームにてハリーたちと別れた僕は、通信紙に書かれた番号のコンパートメントを探していた。今回ばかりはドラコとの情報交換ランデブーが優先だ。
失敗はできない。──罪なき青年の命がかかっているのだから。
そして、マルフォイ家の事情だって気になるうちの一つだった。例の晩、ドラコはルシウスはともかくナルシッサとは共にいたはずだ。尊愛する父の命に彼はまず逆らわない。──マルフォイ家の内情を、もっと深く探らなければ。
……もう、ドラコが心身共に追い詰められゆく様は見たくない。犬猿の仲だったマルフォイだけど、あの時ばかりは酷くて見ていられなかった。そして今は──僕の親愛なる相棒なのだから。
「ハイ、ミスター?」
「ごきげんよう、レディ。過保護な弟はシッターに預けられたのかい?」
「頼りになる友人たちに任せてきたよ」
「グレンジャーか」
「ロンだって頼りになります。その通りだけど」
荷物を適当な空きスペースへと置いて、キザったらしく足を組む彼の向かい側へと座る。
「元気そうでなによりだ」
「こっちのセリフだよ」
「なに、愛しの後見人との夢の三人暮らしがまたお預けされて拗ねてるんじゃないかと思ってね」
「拗ねてるあいだに死んじゃったなんて洒落にならないことが起きる世の中ですので」
クックと喉で笑い合う。ご挨拶の言葉遊びで互いにリラックスすれば──話題は本題へと移った。
「今回ははっきりいって、ハリーの手助けは無用だよ」
「……そうなのか」
「ハリーを贔屓して、絶対に決勝まで導かなくちゃいけない役割を持った男がいるからね。奴の周りで好き勝手動いて、目を付けられるほうが問題だ。彼の『目』は──ご存知の通り厄介だから」
頭に浮かんだ男の相貌に、ドラコがウッ……と小さく唸ったのが聞こえた。
すでにマッドアイの正体についてはドラコにも知らせてある。が、いつかでケナガイタチにされた苦い思い出が消えないのだろう。実際のところ、アレは指導というよりただの八つ当たりだったわけだが。
ケナガイタチのドラコは、ちょっとだけあやしてやろうかと思える程度にはかわいかった。……いや、やっぱりいい気味だった。
「だから、僕たちが全力で当たるべきは」
「──セドリック・ディゴリーの決勝争い阻止、か」
なんともいえない沈黙がコンパートメント内に満ちた。
わかっていた。僕もドラコも──それがいかに難しいことであるかを。何故なら──失敗した先で恐ろしい未来が待ち受けることを、息子たちがほんの少し垣間見てきていたのだから。
「セドリック・ディゴリーに屈辱を与えてはならない……」
「変な話だよな。僕には、セドリックがそれほどプライドが高いようには見えないのに。一年生の頃から接触して様子を見てきたけど、やっぱりただ善い人なんだ、彼」
厨房にて出会った穏やかな少年を思い出す。知れば知るほどハッフルパフらしい心根の子供だった。今になっても、僕にはとても、選択次第で死喰い人になるひとには思えないのだ。
すべてが打算だったわけではない。けれど、僕はこのために彼に近付いた。セドリックの闇を見極めるために。
「……本人に意固地なプライドはなくとも、親の期待という名の重圧は時に想像を絶するものだ。人格くらい変えるだろうさ」
「────」
僕はハッとドラコを見つめた。ドラコは、冷たく見える灰青の瞳を窓へと向けて、頬に睫毛の影を落としていた。
「……それは、親のいない僕にはわからなくて当然か。君が接触した方がよかったかもね」
「バカ言うな。僕はああいった、根っからの善人とかいうのは苦手なんだ。寒気がする。君くらいがちょうどいいのさ」
「どういう意味だよ」
暗に僕はひねくれてると揶揄する奴にちょっと唇を尖らせたりして、目の前の涼やかな口元が笑ったのを見て小さく息をついた。
エイモス・ディゴリー……彼の息子にかける情熱と期待は、確かに、セドリックにとってすべてがプラスであったとは言いがたいのかもしれない。ルシウス・マルフォイとは真逆の父親だけれど……つくづく、親になるというのはむずかしい。
「ともかく、外野なりに動くしかないよ。あの子たちとちがって、僕らは今この時間に生きる人間なんだから。──今度こそ、よけい者になんかしない」
固く拳を握りしめる。ドラコは口を引き結んで、決意する僕を見ていた。
「目立つのは厳禁──か。……ハッ、今さらだな」
「ア、ハハ。……だよね」
彼の言葉にほどよく気が抜けた。そっと拳をほどく。
「教師のあいだで、ドラコはともかく僕はかなり問題になってるだろうし。第二のトム・リドルとか思われてたらいやだなあ。……いや、それはそれでハリーに向かう懐疑の目をそらせるならアリか?」
「ナシだ」
「ァイテッ」
わざわざ身を乗り出してまでドラコにぺちりと額を叩かれてしまった。君、僕にすぐ手が出るって文句を言うけれど、君だって他人のこと言えないぞ。
「まあ、まあ、ダンブルドアは確信を持たなければ動かない人だから大丈夫さ。スネイプ先生はダンブルドアの命でもなきゃ僕と関わるのは嫌……だろうし」
「自分で言って落ち込むなよ」
「落ち込みもするよ。僕の名前の由来、話しただろう? これってつまりは、母さんの遺言みたいなものじゃないか。だってのに……あの嫌いっぷり、ハリーよりひどいんだぜ? 憎い男そっくりの子供より目にしたくないって」
「君が無茶を控えればスネイプ教授も多少は安心するんじゃないか」
「無理だね」
「無理だろうな」
一拍おいて、同時に吹き出した。はなからおとなしくする選択肢なんてないのだ。否応なしに目立つハリーを隠れ蓑に好き放題、それがマリア・ポッターだった。
「大体、君、セドリック・ディゴリーの件は別にしても──まだまだ悩むべきことがあるだろう」
ドラコは意地悪にたっぷりと皮肉を含んで口だけで笑った。
「ダンスパーティー、どうするんだ」
はた、と、固まった。どうするか──どうするかだって? ──そんなの決まってる!
「参加しないよ。するわけないだろ。僕にドレスを着ろっていうのかい? ピエロより滑稽だ!」
ルーナが雲を見てただの雲だと言うよりもおかしな話だ。確認なんて必要なく当然に決まりきっている。
そう、わめく僕をドラコはずいぶんと楽しげに眺めていた。含み笑いが似合いすぎる憎たらしい顔だった。
「……なんだよ」
「いいや? 徒労にならずに済んで気分がいいだけだ」
「なに企んでるの」
「なにを企んでると思う?」
肘置きに頬杖をついて、流し目を送ってくるドラコには妙な色気があった。なんの色仕掛けだ。引っかける相手を間違えてるぞ、僕はマリアであってアステリアじゃあないんだぞ。
「……僕、ドレスなんて着ないからね。ぜったいに、ぜったいに着ないから! シリウスから贈られたって知るもんか!」
「そうか」
ドラコはやっぱり不気味なくらいニッコリとしていた。
***
ホグワーツ特急を降りた先はバケツをひっくり返したような豪雨だった。雨に打ち叩かれるセストラルが不憫で、それを呟けばドラコが奇妙そうに僕を見た。
「……君、見えるのか」
「え? セストラルを? そりゃあ──まあ?」
今さらなにを聞くのだろう。一年生の頃から馬車引くセストラルを見てきたというのに。そう、きっと顔に書かれている僕の疑問を読んで、ドラコは囁いた。
「君、両親の死に際の記憶があるだとか、そんな話はなかったな?」
「僕が『僕』であることを思い出したのは五歳の頃だよ。それ以前の記憶はみんなと同じであやふやさ。当然、覚えてない」
「ハリーもだな? そしてハリーはセストラルが見えてない──そうだな?」
そこでようやっと、ドラコが何に戸惑っているのかに気付いた。
──そうだ、僕、なんでセストラルが見えていたんだろう。
ドラコはどことなく遠くを見るようにして再び囁いた。
「やはり君は──『ハリー』なんだな」
嬉しげだったのか、悲しげだったのか──雨音に邪魔された彼の声色は、僕には判別できそうになかった。